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第二巻

019 理系女子の初観劇(その10)

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「立場なんて、簡単に変わらないよな……」
 ふと、蒼葉は音響機器を操作しながら、無意識にそう呟いていた。
『立場』を『役割』に置き換えて、一度縛られた者が抜けだす難しさをテーマに脚本を書いたのだが、自らの人生を反映させすぎたかもしれないと、蒼葉は内心考えてしまった。
 貿易を中心に利益を上げている蛯名財閥の親戚筋、その後継者になりうる『立場』。たまたま生まれた家がそうだったから、それだけで財閥を自らの物にできるチャンスを得た。周囲の者達の事情さえ顧みなければ、という条件が付くが。
 ……昔は、それも面白いかと考えていたことがある。
 自分の行いが、周囲にどのような影響を及ぼすのかを理解していなかった。しかし姉と共に父親に連れていかれた母親の舞台で、蒼葉はいやでも理解させられてしまった。
(まるで、神様を見ている気分だった)
 母親の脚本を、こっそり見ていた。だからストーリーもその通りだと思って、少し退屈していた時だった。舞台演出と役者の演技に驚かされたのは。
 同じ物語でも、伝達する手段が違うとここまで変わるのかと、子供ながらに感心したものだ。今でも大人になった実感はないが、少しでも同じことがしたいと脚本というものにのめりこんだ。
 自らが持つチャンスの一つを、平気でどぶに捨てるように。
 それでも、決めたのは自分一人だ。周囲には関係ない。だから今でも、蒼葉を利用しようと狙っている者達がいる。愚鈍を演じているので実行に移してこそいないが、いつ誰かが接触してくるかは予想がつかない。



 今回の脚本は、その状況を基に思いついた話だった。



 そんな蒼葉の呟きに、升水はふと言葉を漏らした。
「むしろ簡単に変わったら、不安じゃないですか?」
「どういう意味で?」
「『立っている場所が簡単に揺らぐ』という意味で」
 的を得ているな、と蒼葉は升水の答えに素直に感心した。
 例えるなら、今踏みしめている床とかも、造りがしっかりしているから立つなり歩くなり椅子を置いて腰掛けるなりができるわけで、簡単に揺らいでしまえばそれすらもできなくなる。
 盤石、なんてものが存在するのかは知らないが、少なくとも盤石に近くなければ、人は安心してその場所に立つことができない。
 升水の発言も、安定して人がずっと立っているか、逆に安定せず人がコロコロ変わるか、という意味も含ませているのだろう。
「『立っている場所が簡単に揺らぐ』か、いい言葉だな……どっかで聞いたことがある気がするんだが、升水が考えたのか?」
「いえ、この前観たAVです」
 ……一瞬にして、説得力が半減した気分になった蒼葉である。
「……ちなみにタイトルは?」
「たしか……『異世界の住人を拉致らちってAV撮ってみた 4.イェッキン王国王妃ラーニア』だったと思います」
「やっぱりかっ!?」
『AV』の単語が出た時点で疑っていたが、あんじょう蒼葉も観たことがある話だった。
 内容はたしか、いつものAV男優が玉座に王妃役の女優を引き連れて、王様相手に盛大な下剋上&NTRプレイを見せつけるものだった。その過程で、先程升水が話していた台詞セリフが出てきていたと思う。
『ほぉらほぉら、お前が立っている場所にいた王様に見せつけてやれ。あっさり下克上くらって寝取らNTRされましたってなぁ!』
『ああっ!? あなた見ないでぇ~!?』
『はっはっは! 簡単に揺らいでくれたからあっさり拉致れて……』
 脳内に流れた映像を切るように、蒼葉は後輩との話を続けることにした。
「あのシリーズ、微妙に人気あるよな……」
太客パパの一人に、かなりのマニアがいるんですよ。『AVはAV、性行為セックス性行為セックス』と割り切ってますけどほら、中にはストーリーが面白いのもあるじゃないですか?」
「たしかにあるな。昔、面白いエロアニメにまっていたこともあったし」
 そもそも、文学でも割と性行為を書かれることも多い。無論、性描写はほとんどないが、何をしてどうなったか程度のことを追記して、物語を際立たせるのに用いられている。中にはその性描写をなくすために、原作と現在に広まっている話がほとんど変わっていることもあるくらいだ。
「俺はむしろ、あの・・シリーズを観ている人間が他にもいたことに驚いたわ。あれ、中古品の通販サイトでしか見つけられなかったし」
「それって……」
 ふと、升水は照明機器を操作してから、人差し指を口元に当てて天井を見上げた。
「……もしかして、『セカンドハンドメディア』じゃないですか?」
「……なんで知っているんだ?」
「その太客パパが、そこの運営者ですから」
 世間は狭かった。本当に。
「一応、太客パパのことは黙っていてくださいね。代わりに見逃すよう頼んでおきますから」
「……見逃す?」
 蒼葉の背筋に、寒気が走った。
「年齢制限の管理がざるなのは罠ですよ。個人情報プロフィールをこっそり調べて、将来恐喝する目的で」
 まあ、後ろめたい人間限定ですけれどね、という升水の言葉に、蒼葉はあのサイトの使用を控えようと心に決めた。
(……親戚筋洗われる前に手を引こう)
 舞台はもうすぐクライマックスだ。
 部長の雪村の活躍に期待して、情報社会の恐ろしさから目をらそう。
 蒼葉は音響機器の操作に注力した。人はそれを現実逃避と言う。



「ところで……『蛯名財閥の関係者』ってことは黙っていた方がいいですか?」
「お前それ確認するためにわざと自白させたのかっ!?」



 ちなみに口止め料は、『今後とも贔屓ひいきにする』ことで手を打ってもらった蒼葉である。代わりに升水経由でAVの買取処分を依頼できるようにした上で。



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 フェイは一度、タオに引きずられながらこの場を離れていた。
 離れたと言ってもビングとヤンジの戦闘が確認できる範囲でだが、最低限巻き添えをくらわない場所で、タオはいまだに持参している、表紙に『創世クリエイト』と記載された本のページを広げ始めた。
「何か解決方法があるの?」
「この状況では一時しのぎにしかなりませんが……」
 目的のページを見つけ、タオはフェイにも読めるようにしてから、内容を指でなぞり始めた。
「『一時停止ポーズ』?」
「一時的に役割を制止させるものです。と言っても、造物主やその関係者がいたらあっさり解かれてしまいますけど」
 状況をおさらいしよう。
 現在、ビングが衛兵達と戦っていた造物主の尖兵達は、そのほとんどが撃退されている。とは言っても、役割に飲まれた『勇者』の力の余波を受けてのことなので、現在は気絶しているか、うのていで逃げ出そうとする者を生け捕りにしているか、だ。そして、ここにいた伏兵はヤンジが撃ち殺している。
 つまり、今ならば邪魔されることなく、ビングを止めることができるかもしれない。
「他に敵がいない今ならば、あの人を止められるかもしれません」
「それに賭けるしかないわね……方法は?」
「ここを」
 タオが指差したのは、呪文が記載された段落だった。
「この呪文を魔力を込めながら詠唱して、一秒以内に対象の首筋にみついて下さい。それで対象を飲みこんでいる役割を止めることができます」
「分かった。この呪文を詠唱して……今なんて? 首筋に噛みつく?」
「はい……」
 フェイの視線にどこか申し訳なさそうに、タオは顔をうつむかせながら答えた。
「……専用の道具がないので、詠唱した魔力を口に含めて直接身体に打ち込むしか、方法がないんです。ちなみにキスでも可ですが、噛みつくなら首筋以外はあまり効果がないですよ。頭蓋骨は固いですし、魔力が伝達する前に手足を切られたら意味がないので」
「薬の口移しかっ!?」



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「今時誰もしないって、不衛生な……」
「莉絵、多分ツッコミどころが違う……」
 医療関係者の呟きを聞く者は、誰もいなかった。



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「仕方ない。噛みつくか……一応ファースト・キス初めてはもう少しまともな場面でやりたいし」
「それもそれでどうかと……いえ、すみません。関係ない私が口を挟んですみません」
 フェイににらまれてたじたじになるタオ。
 後は戦闘中にどうやって詠唱しながら近づき、ビングの首筋に噛みつくか。
「今は隙をうかがいましょう。そうすれば近づくことも」
「ヤンジ! ビングを拘束して動けないように!」
 その発言を引金に、ヤンジはビングの足を撃ち抜いた。
 加減しているとはいえ動きを封じるのには十分だったのか、その後のヤンジの体当たりタックルを避けきれずに、ビングは地面に仰向けになって取り押さえられていた。
「早くしろっ! 長くはもたないっ!」
「でかしたヤンジっ!」
 叫びながら詠唱して駆け出すフェイの背中を見つめながら、タオは思わず呟いた。



「たしかに……まともに戦闘に参加する必要って、ないんですよね」



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 そして噛みつくために雪村が鈴谷の首元に顔を寄せたタイミングで、舞台は暗転した。
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