159 / 192
159 親に向かない者も居る(その1)
しおりを挟む
『ごめんなさい。でも、私は……親に向いていないの』
ある夏の日、朔夜は国際空港の喫煙室に居た。
同居人は全員帰省等で出払っているが、朔夜は別に、飛行機に搭乗する為に来たわけではない。その証拠に、今日は公共交通機関どころか自動二輪ですらなく、共用(朔夜名義)の軽自動車でここまで来た。
(偶然、というか何というか……)
元々今日は、ある人物を車で迎えに来る予定があった。ただ……もう一つ、面倒事を引き受けてしまった為に、どうしても軽い頭痛を覚えてしまう。
(『Sheriruth』……『拒絶』、か)
昨日、朔夜の下に一本の電話が届いた。相手は弟のように思っている青年、睦月だった。
『直接会って話したい。今、時間はあるか?』
『暇といえば暇だが……急にどうした?』
今日と同様に軽自動車で出掛け、帰宅する途中のことである。近くのコンビニに駐車して休憩していた朔夜は、合流場所を確認してから電話を切り、再び移動した。
睦月と合流したのはお互いの自宅の中間にある、あるショッピングモールの屋外駐車場だった。
駐車場の中、朔夜は火を点けた煙草を咥えたまま軽自動車の運転席に腰掛けていると、突如助手席の扉が開けられてしまう。
『……で、急にどうしたよ?』
けれども、乗ってきたのは車上荒らしの類ではなく、朔夜の弟分こと睦月だった。
あちこちふらついては(主に金欠で)立ち寄りに来る弥生と違い、用がなければ連絡を寄越さない相手からの急な呼び出しに、朔夜はもっともな疑問をぶつける。
そして煙草の副流煙を垂れ流しながら、外付けの空気清浄機を点けようと手を伸ばす朔夜に、睦月は本題から話し始めてきた。
『ついさっき、朔に電話する前にな……『犯罪組織』の幹部の一人から、宣戦布告を受けた』
突然聞かされた、急展開な内容に朔夜は電源を入れた直後、思わず咳き込んでしまう。
『はぁっ!? お前っ……今度は一体、何やらかしたっ!?』
『……毎度毎度、俺が何かをやらかした前提で話進めるの、止めてくれない?』
心外だ、とばかりに助手席の背もたれに体重を載せる睦月に、朔夜はどうにか落とさずに済んだ煙草を灰皿に押し付けて火を消すと、改めて視線を横へ向けた。
『端的に話すと……直接会う前に向こうから、『自分が親の仇』だって電話越しに告げてきたんだよ……わざわざ、な』
『……詳しく話せ』
合流する前に買ってきていたのだろう、『Adam's Apple』の煙草を投げ渡してきた睦月の話を、朔夜は残り少ない手持ちを消費しながら耳を傾け、脳裏に刻み続けていく。
そして、名畑の輪業店での出来事から朔夜に電話するまでの話を聞き終えると、口を閉ざした睦月に代わって、言葉を続けた。
『また、面倒臭いことになってきたな……』
ただでさえ、『スミレ』という謎の人物の存在が、父親を自殺へと追いやっているのだ。さらに睦月の母親が、『犯罪組織』の幹部を相手に勝ち逃げした等と聞かされてしまえば、どうしても考えてしまうことがある。
『睦月の母親の名前が『スミレ』なのか、って件はどうなってる? 向こうは何か話してたか?』
『……いや、その話は一切なかった。一応録音取ったけど、聞くか?』
『聞かせろ』
スピーカーにして流される、睦月とシェリダーの通話記録を記憶に留めるように集中しながら、朔夜は煙草片手にハンドルへともたれかかった。
『なるほどな…………で、何でこの話を、私に持ってきたんだ?』
『シェリダー、つまり『拒絶』って意味を考えてたら……一人、心当たりが浮かんできてな』
睦月の答えを聞くや、朔夜の脳裏には一人の女性が浮かんだ。
『あ~……なるほど、そういうことか』
ようやく納得がいった朔夜は、睦月から受け取った『Adam's Apple』の煙草のビニールを剥ぎ、中から一本を抜いて咥えた。
電話でなく、直接話を持ってきたのは盗聴対策だけではない。場合によっては、朔夜の方から拒絶されるかもしれないと考えた結果、会いに来たのだろう。
『たしかにまだ、先生には確認取ってなかったしな……分かった。聞いてみるよ』
『助かる。で……いつになりそうだ?』
『そのあたりはツイてるぞ。お前』
そして、都合の良いことに……睦月の心当たりである人物とは翌日、会う予定があった。
『丁度、明日会う予定だったんだ。ついでに聞いておくよ』
『分かった。連絡は急がないが……相手の出方次第では、俺はすぐに消える。そのつもりでいてくれ』
『了解。まあ……睦月の行きそうな場所は、ある程度予想できるけどな』
灰皿に吸殻を押し付けようとした瞬間、こちらを向いていた睦月と目が合う。
『…………そんなに分かりやすいか?』
『じゃなきゃお前、とっくに一人前の『運び屋』だろうが』
話は終わりだ、とばかりに突き出されていた睦月の額を、朔夜は手すきになった指で弾いた。
(…………着いたか)
空港のターミナル内に、どの飛行機が着陸したかを告げるアナウンスが流れてくる。それを聞き、吸殻を殻入れに放り込んだ朔夜は喫煙室を後にし、到着出口へと向けて歩き出した。
(たった一泊しか滞在できないのに、わざわざよく来るよ……)
国際線に搭乗した場合は入国手続きから税関検査まで、国内線に比べて様々な手順を踏まなければならない。けれども、相手は最上級の席を取っているので、順番的には他の乗客よりも優先される。
だから到着してすぐ、早めに出口へと向かったのだが、どうやら正解だったらしい。ものの数分も待たない内に、目的の人物は朔夜の視界に入ってきた。
「……朔夜さんっ!」
向こうも朔夜に気付いたのだろう、声を上げながら近付いて来ている。
人ごみを掻き分けて出てきたのは、知的な印象の強い女性だった。普段黙っている時は『怜悧冷徹』という言葉にふさわしい聡明さを発揮しているが、今は伸ばされた髪を揺らし、朔夜にただ笑いかけている。
「元気そうね。去年会って以来かしら?」
「まあ、一応……」
転職してアメリカで働いている上に、職業上の理由でほぼ帰国できないはずなのだが……その女性は、折を見ては必ず訪日してくるのだ。
「そちらこそ、元気そうで良かったですよ……星来さん」
そう言い、朔夜は眼前の女性、栗川星来を自分の車が停めてある駐車場へと先導した。
「私が言えたことじゃないけど……別に敬語じゃなくてもいいのよ?」
「情報技術の指導役として敬意を払っているだけですよ。他意はありません」
言葉通り、朔夜は星来から情報技術の全てを叩き込まれた。
星来は元々朔夜の中学卒業後から成人するまでの後見人だったのだが、当時は大学の講師として教鞭を執っていた彼女から情報技術を教えられた過去もあり、その点に関してだけは手放しで尊敬している。
だから朔夜も自然と、星来に対しては敬語で接するようになっていた。
「なら、いいけど……」
……母親として接する気にはなれない、という気持ちも相まって。
この世に多種多様な人間がいる以上、中には家庭を持たない方が良い者達もまた、一定数存在する。
躾の仕方が分からず間違える等、序の口だ。
単純に大人に成り切れていない、幼稚な者も居るだろう。
人の痛みに共感できず、誰かを痛めつけることでしか自分を保てない者も居るだろう。
これまでの過去が思い通りにいかなかったからと、自分の望んだ未来を子供に押し付けてしまう者も居るだろう。
朔夜の情報技術の師であり、この世に自身を産み出した星来の場合……表現として近いのは、『育児放棄しかねない人間』だろうか。
自分の好きなことにのめり込みたい。それだけに集中したい。そんな、一つの目標だけを見据え、努力し続けられる人間は数少ないだろうが、必ず存在する。
成果の有無や、歴史に名を残せるかは関係ない。ただ己の欲望に忠実に、物事に熱中するのはよくある話だ。
問題は……その集中し過ぎた結果、大事なものを見落としてしまわないかどうかだろうか。
将来を具体的に描いた上で努力できる人間の中には、一種の未来予知に近い、自己適性の判断能力を備えていることが稀にある。所謂、『自身の才能等を把握できるか』、だ。
そして星来もまた、自分の適性を嫌という程理解していた。
……自分は、『母親の適性がない』と。
「正直……あなたに恨まれているべきじゃないかって、今でも思っているのよ?」
「無責任に育児放棄しないだけ、そこらの毒親よりはましですよ。それに……中学卒業後はそんな義務もないのに、後見人になってくれたじゃないですか」
「そうは言っても、名義貸しした程度じゃない。学校が決まったらすぐその近くに部屋借りてたし、保護者面談とかは全部和音さんがやってくれてたでしょ?」
話だけで事情を理解しようと思えば、朔夜はたしかに、星来を恨んでもおかしくない立ち位置に居る。けれども、睦月や弥生といった弟妹と共に育ち、裏社会の住人の隠れ里という特殊な環境下での生活を経ていく中で、『自分はまだましな生き方をしている』と思える程度には、精神的に成長していた。
だから朔夜は、星来に対して『自分の母親』とは思えなくとも、『一人の尊敬できる人間』として、接することができていた。
「その後も自分で考えて進路を選んで、今では完全に一人立ちして……本当、母親の立場がないわね」
「自覚してない連中よりはましでしょう。アホな大人なんて、この世に一体、何人居るのやら……」
星来がどう思おうと関係ない。その言葉は、紛れもなく朔夜の本心だった。
どんな事情があり、結果その子がどう思おうとも……この大きな世界の中では、人一人の人生は如何様にも歪曲してしまう。親が裏社会の住人だから同じ道を行く者も居れば、逆に止めようと取り締まる側になる者も居るのが、良い例だ。
だがそれも、この世に生を受けた後、無事に成長できるかにかかっている。
よく、自分が呼吸している間にも、別の国では子供が亡くなっていると言う者達も居るが……それがどこで、誰の下に産まれたかなんて関係ない。『七つ前は神の内』の言葉通り、幼子は脆く、いつ死んでもおかしくないのだ。
その点、産み落とされてすぐに育ててくれる環境へと送り出してくれたことに対しては、口には出さないものの、朔夜は感謝していた。
(まあ、育児放棄には変わりないから、あまり言う気にはなれないけど……)
自覚の有無を問わず、育てられもしないのに産み落としたのは事実だ。そのことについてだけは、朔夜も否定する気はなかった。
「そういえば……何で産んだんですか?」
だからこそ、朔夜はずっと気になっていた。何故、自分の出生を選んだのか。
それについて、どう答えたものかと少しは悩むかと思っていたのだが……星来は間を置かずに答えてきた。
「元々義弘君……あなたのお父さんが引退して、隠居生活の中で育てる予定だったからよ」
事前に、答えを用意していたのだろう。
ここまですんなりと答えられてしまうと、朔夜は星来に何も言えず、話の続きを促した。
「あの人の職業は関係ない。私が誰かと暮らすこと自体、受け入れられなかった。だから恋仲にはなっても、結婚して家庭を持つまでは考えられなかったのよ。それはあなたのお父さんも理解してくれてたし、了承も得てたわ……避妊に失敗するまでは」
「そ、っ……そう、でしたか」
(ただの出来婚かよっ!)
正確には籍を入れない事実婚だが……思わず素でツッコみかけてしまい、内心息を荒げてしまう朔夜。どうにか星来に悟らせないようにしつつ、駐車場内へと入っていく。
「言いたいことは分かるわ。何なら、罵倒気味にツッコんでくれてもいいのよ。自分達の失敗を子供に押し付けたくなくて、堕胎しようとかは微塵も考えなかったから……あなたをどうするかで、文字通り三日三晩議論していたわ」
「……言葉じゃなくて、手が出そうなので止めておきます」
むしろ、銃身を握って殴りかねなかったので、ある意味このタイミングで話してくれて助かったと、朔夜は胸を撫で下ろした。
ちなみに、父親の形見でもある自動拳銃は今向かっている車の中に置いてきてある。『犯罪組織』や他の問題に巻き込まれる可能性があるとはいえ、反銃社会の空港で取り出そうものなら、そちらの方が厄介事に巻き込まれかねないからだ。
(しかし、まさか自分が出来婚の結晶だとは……)
本来、子供は授かりものである。
生理周期等の体調にもよるが、性交して妊娠する可能性はたとえ適齢期だとしても、平均的には三割が精々だ。むしろ、避妊に失敗したとはいえよく当てられたものだと、我が事ながら感心してしまう朔夜だった。
「変なチンピラ夫婦の子供として生まれなくて、本当に良かった……」
「結構多いものね……子供を産んでも、大人になれない人って」
たとえ裏社会の住人の父親と『親』適性のない母親の間にできた子供だとしても、今の朔夜は人生を謳歌している。
自らの人生を肯定できるだけの過去は、十分な程積み重なっていた。
ある夏の日、朔夜は国際空港の喫煙室に居た。
同居人は全員帰省等で出払っているが、朔夜は別に、飛行機に搭乗する為に来たわけではない。その証拠に、今日は公共交通機関どころか自動二輪ですらなく、共用(朔夜名義)の軽自動車でここまで来た。
(偶然、というか何というか……)
元々今日は、ある人物を車で迎えに来る予定があった。ただ……もう一つ、面倒事を引き受けてしまった為に、どうしても軽い頭痛を覚えてしまう。
(『Sheriruth』……『拒絶』、か)
昨日、朔夜の下に一本の電話が届いた。相手は弟のように思っている青年、睦月だった。
『直接会って話したい。今、時間はあるか?』
『暇といえば暇だが……急にどうした?』
今日と同様に軽自動車で出掛け、帰宅する途中のことである。近くのコンビニに駐車して休憩していた朔夜は、合流場所を確認してから電話を切り、再び移動した。
睦月と合流したのはお互いの自宅の中間にある、あるショッピングモールの屋外駐車場だった。
駐車場の中、朔夜は火を点けた煙草を咥えたまま軽自動車の運転席に腰掛けていると、突如助手席の扉が開けられてしまう。
『……で、急にどうしたよ?』
けれども、乗ってきたのは車上荒らしの類ではなく、朔夜の弟分こと睦月だった。
あちこちふらついては(主に金欠で)立ち寄りに来る弥生と違い、用がなければ連絡を寄越さない相手からの急な呼び出しに、朔夜はもっともな疑問をぶつける。
そして煙草の副流煙を垂れ流しながら、外付けの空気清浄機を点けようと手を伸ばす朔夜に、睦月は本題から話し始めてきた。
『ついさっき、朔に電話する前にな……『犯罪組織』の幹部の一人から、宣戦布告を受けた』
突然聞かされた、急展開な内容に朔夜は電源を入れた直後、思わず咳き込んでしまう。
『はぁっ!? お前っ……今度は一体、何やらかしたっ!?』
『……毎度毎度、俺が何かをやらかした前提で話進めるの、止めてくれない?』
心外だ、とばかりに助手席の背もたれに体重を載せる睦月に、朔夜はどうにか落とさずに済んだ煙草を灰皿に押し付けて火を消すと、改めて視線を横へ向けた。
『端的に話すと……直接会う前に向こうから、『自分が親の仇』だって電話越しに告げてきたんだよ……わざわざ、な』
『……詳しく話せ』
合流する前に買ってきていたのだろう、『Adam's Apple』の煙草を投げ渡してきた睦月の話を、朔夜は残り少ない手持ちを消費しながら耳を傾け、脳裏に刻み続けていく。
そして、名畑の輪業店での出来事から朔夜に電話するまでの話を聞き終えると、口を閉ざした睦月に代わって、言葉を続けた。
『また、面倒臭いことになってきたな……』
ただでさえ、『スミレ』という謎の人物の存在が、父親を自殺へと追いやっているのだ。さらに睦月の母親が、『犯罪組織』の幹部を相手に勝ち逃げした等と聞かされてしまえば、どうしても考えてしまうことがある。
『睦月の母親の名前が『スミレ』なのか、って件はどうなってる? 向こうは何か話してたか?』
『……いや、その話は一切なかった。一応録音取ったけど、聞くか?』
『聞かせろ』
スピーカーにして流される、睦月とシェリダーの通話記録を記憶に留めるように集中しながら、朔夜は煙草片手にハンドルへともたれかかった。
『なるほどな…………で、何でこの話を、私に持ってきたんだ?』
『シェリダー、つまり『拒絶』って意味を考えてたら……一人、心当たりが浮かんできてな』
睦月の答えを聞くや、朔夜の脳裏には一人の女性が浮かんだ。
『あ~……なるほど、そういうことか』
ようやく納得がいった朔夜は、睦月から受け取った『Adam's Apple』の煙草のビニールを剥ぎ、中から一本を抜いて咥えた。
電話でなく、直接話を持ってきたのは盗聴対策だけではない。場合によっては、朔夜の方から拒絶されるかもしれないと考えた結果、会いに来たのだろう。
『たしかにまだ、先生には確認取ってなかったしな……分かった。聞いてみるよ』
『助かる。で……いつになりそうだ?』
『そのあたりはツイてるぞ。お前』
そして、都合の良いことに……睦月の心当たりである人物とは翌日、会う予定があった。
『丁度、明日会う予定だったんだ。ついでに聞いておくよ』
『分かった。連絡は急がないが……相手の出方次第では、俺はすぐに消える。そのつもりでいてくれ』
『了解。まあ……睦月の行きそうな場所は、ある程度予想できるけどな』
灰皿に吸殻を押し付けようとした瞬間、こちらを向いていた睦月と目が合う。
『…………そんなに分かりやすいか?』
『じゃなきゃお前、とっくに一人前の『運び屋』だろうが』
話は終わりだ、とばかりに突き出されていた睦月の額を、朔夜は手すきになった指で弾いた。
(…………着いたか)
空港のターミナル内に、どの飛行機が着陸したかを告げるアナウンスが流れてくる。それを聞き、吸殻を殻入れに放り込んだ朔夜は喫煙室を後にし、到着出口へと向けて歩き出した。
(たった一泊しか滞在できないのに、わざわざよく来るよ……)
国際線に搭乗した場合は入国手続きから税関検査まで、国内線に比べて様々な手順を踏まなければならない。けれども、相手は最上級の席を取っているので、順番的には他の乗客よりも優先される。
だから到着してすぐ、早めに出口へと向かったのだが、どうやら正解だったらしい。ものの数分も待たない内に、目的の人物は朔夜の視界に入ってきた。
「……朔夜さんっ!」
向こうも朔夜に気付いたのだろう、声を上げながら近付いて来ている。
人ごみを掻き分けて出てきたのは、知的な印象の強い女性だった。普段黙っている時は『怜悧冷徹』という言葉にふさわしい聡明さを発揮しているが、今は伸ばされた髪を揺らし、朔夜にただ笑いかけている。
「元気そうね。去年会って以来かしら?」
「まあ、一応……」
転職してアメリカで働いている上に、職業上の理由でほぼ帰国できないはずなのだが……その女性は、折を見ては必ず訪日してくるのだ。
「そちらこそ、元気そうで良かったですよ……星来さん」
そう言い、朔夜は眼前の女性、栗川星来を自分の車が停めてある駐車場へと先導した。
「私が言えたことじゃないけど……別に敬語じゃなくてもいいのよ?」
「情報技術の指導役として敬意を払っているだけですよ。他意はありません」
言葉通り、朔夜は星来から情報技術の全てを叩き込まれた。
星来は元々朔夜の中学卒業後から成人するまでの後見人だったのだが、当時は大学の講師として教鞭を執っていた彼女から情報技術を教えられた過去もあり、その点に関してだけは手放しで尊敬している。
だから朔夜も自然と、星来に対しては敬語で接するようになっていた。
「なら、いいけど……」
……母親として接する気にはなれない、という気持ちも相まって。
この世に多種多様な人間がいる以上、中には家庭を持たない方が良い者達もまた、一定数存在する。
躾の仕方が分からず間違える等、序の口だ。
単純に大人に成り切れていない、幼稚な者も居るだろう。
人の痛みに共感できず、誰かを痛めつけることでしか自分を保てない者も居るだろう。
これまでの過去が思い通りにいかなかったからと、自分の望んだ未来を子供に押し付けてしまう者も居るだろう。
朔夜の情報技術の師であり、この世に自身を産み出した星来の場合……表現として近いのは、『育児放棄しかねない人間』だろうか。
自分の好きなことにのめり込みたい。それだけに集中したい。そんな、一つの目標だけを見据え、努力し続けられる人間は数少ないだろうが、必ず存在する。
成果の有無や、歴史に名を残せるかは関係ない。ただ己の欲望に忠実に、物事に熱中するのはよくある話だ。
問題は……その集中し過ぎた結果、大事なものを見落としてしまわないかどうかだろうか。
将来を具体的に描いた上で努力できる人間の中には、一種の未来予知に近い、自己適性の判断能力を備えていることが稀にある。所謂、『自身の才能等を把握できるか』、だ。
そして星来もまた、自分の適性を嫌という程理解していた。
……自分は、『母親の適性がない』と。
「正直……あなたに恨まれているべきじゃないかって、今でも思っているのよ?」
「無責任に育児放棄しないだけ、そこらの毒親よりはましですよ。それに……中学卒業後はそんな義務もないのに、後見人になってくれたじゃないですか」
「そうは言っても、名義貸しした程度じゃない。学校が決まったらすぐその近くに部屋借りてたし、保護者面談とかは全部和音さんがやってくれてたでしょ?」
話だけで事情を理解しようと思えば、朔夜はたしかに、星来を恨んでもおかしくない立ち位置に居る。けれども、睦月や弥生といった弟妹と共に育ち、裏社会の住人の隠れ里という特殊な環境下での生活を経ていく中で、『自分はまだましな生き方をしている』と思える程度には、精神的に成長していた。
だから朔夜は、星来に対して『自分の母親』とは思えなくとも、『一人の尊敬できる人間』として、接することができていた。
「その後も自分で考えて進路を選んで、今では完全に一人立ちして……本当、母親の立場がないわね」
「自覚してない連中よりはましでしょう。アホな大人なんて、この世に一体、何人居るのやら……」
星来がどう思おうと関係ない。その言葉は、紛れもなく朔夜の本心だった。
どんな事情があり、結果その子がどう思おうとも……この大きな世界の中では、人一人の人生は如何様にも歪曲してしまう。親が裏社会の住人だから同じ道を行く者も居れば、逆に止めようと取り締まる側になる者も居るのが、良い例だ。
だがそれも、この世に生を受けた後、無事に成長できるかにかかっている。
よく、自分が呼吸している間にも、別の国では子供が亡くなっていると言う者達も居るが……それがどこで、誰の下に産まれたかなんて関係ない。『七つ前は神の内』の言葉通り、幼子は脆く、いつ死んでもおかしくないのだ。
その点、産み落とされてすぐに育ててくれる環境へと送り出してくれたことに対しては、口には出さないものの、朔夜は感謝していた。
(まあ、育児放棄には変わりないから、あまり言う気にはなれないけど……)
自覚の有無を問わず、育てられもしないのに産み落としたのは事実だ。そのことについてだけは、朔夜も否定する気はなかった。
「そういえば……何で産んだんですか?」
だからこそ、朔夜はずっと気になっていた。何故、自分の出生を選んだのか。
それについて、どう答えたものかと少しは悩むかと思っていたのだが……星来は間を置かずに答えてきた。
「元々義弘君……あなたのお父さんが引退して、隠居生活の中で育てる予定だったからよ」
事前に、答えを用意していたのだろう。
ここまですんなりと答えられてしまうと、朔夜は星来に何も言えず、話の続きを促した。
「あの人の職業は関係ない。私が誰かと暮らすこと自体、受け入れられなかった。だから恋仲にはなっても、結婚して家庭を持つまでは考えられなかったのよ。それはあなたのお父さんも理解してくれてたし、了承も得てたわ……避妊に失敗するまでは」
「そ、っ……そう、でしたか」
(ただの出来婚かよっ!)
正確には籍を入れない事実婚だが……思わず素でツッコみかけてしまい、内心息を荒げてしまう朔夜。どうにか星来に悟らせないようにしつつ、駐車場内へと入っていく。
「言いたいことは分かるわ。何なら、罵倒気味にツッコんでくれてもいいのよ。自分達の失敗を子供に押し付けたくなくて、堕胎しようとかは微塵も考えなかったから……あなたをどうするかで、文字通り三日三晩議論していたわ」
「……言葉じゃなくて、手が出そうなので止めておきます」
むしろ、銃身を握って殴りかねなかったので、ある意味このタイミングで話してくれて助かったと、朔夜は胸を撫で下ろした。
ちなみに、父親の形見でもある自動拳銃は今向かっている車の中に置いてきてある。『犯罪組織』や他の問題に巻き込まれる可能性があるとはいえ、反銃社会の空港で取り出そうものなら、そちらの方が厄介事に巻き込まれかねないからだ。
(しかし、まさか自分が出来婚の結晶だとは……)
本来、子供は授かりものである。
生理周期等の体調にもよるが、性交して妊娠する可能性はたとえ適齢期だとしても、平均的には三割が精々だ。むしろ、避妊に失敗したとはいえよく当てられたものだと、我が事ながら感心してしまう朔夜だった。
「変なチンピラ夫婦の子供として生まれなくて、本当に良かった……」
「結構多いものね……子供を産んでも、大人になれない人って」
たとえ裏社会の住人の父親と『親』適性のない母親の間にできた子供だとしても、今の朔夜は人生を謳歌している。
自らの人生を肯定できるだけの過去は、十分な程積み重なっていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる