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160 親に向かない者も居る(その2)
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――ガチャ
「随分……綺麗にしてくれていたのね」
「作業部屋の方は、今でも私が使っているので」
星来の住むマンションは、個人で持つには広すぎる2LDKだった。日本で生活していた時は寝室と作業部屋で分けて使っていたのだが、朔夜との同居を始めた際は、その片側を明け渡してくれた。
作業は職場である大学の研究室で行えるので寝室を残し、作業部屋を朔夜の部屋に変えてくれた。けれども、中の荷物は他に置き場所がない為、現在でもそのままになっている物が多い。
当時、朔夜が持ち込んだ荷物が少なかったことも原因の一つだが……星来が別途トランクルームを借りる前に、ある事件が起きてしまう。
その結果、荷物は片付けられないまま、作業部屋は朔夜の私室兼修行場所へと、その役割を変えることとなった。
「いくつか入れ替えてますけど、荷物はリビングの端に移しておきました。処分はこちらでやっておきますので、判断だけお願いします」
「そう。じゃあ……お願いするわね」
翌晩の飛行機でアメリカに戻る予定の為、星来の荷物は最低限しか用意されていない。寝室にて着替えを取り出す程度しか荷解きをせず、それも浴室に置いてから、朔夜をベランダへと誘った。
「さて、と……ちょっと吸ってくるけど、付き合う?」
「いいですよ」
特に断る理由もなく、自分もまた吸いたかったので、朔夜は星来に誘われるままベランダの外へと出た。
『…………』
お互いに会話することなく、それぞれが煙草を咥えて火を点ける。
だが、沈黙に耐えられなかったのか……それとも、気になって仕方がなかったのか、星来は朔夜へと声を掛けてくる。
「……ねえ、」
「何です?」
自分と同じ銘柄の煙草を持つ朔夜を見て、星来は不安気な眼差しを向けながら聞いてきた。
「やっぱり……同居してた時に私の煙草、こっそり吸ってたりした?」
「だから、吸い始めた時に知ってた銘柄がこれだけだったって、何度も説明したでしょう」
いくら恩師として敬意を払っていても、母親として見ていないことに変わりはない。その娘が何故か、同じ銘柄を吸い続けているので、星来は朔夜に、『未成年の時にこっそり、自分の煙草を拝借していなかったか?』と、未だに疑惑の念を向けてきているのだ。
(正確には、仕舞ったままになってた買い置きを盗んただけなんだけど……いまさらだし、別に言わなくていいな。吸い始めた時には成人してたから大丈夫だろう)
むしろ、未成年の内から姉兄妹揃って不純異性交遊や不純同性交遊(GLのみ)に手を出しまくっている方が問題なのだが、朔夜は吐き出した紫煙と共にしらばっくれることにした。
「……わざわざ、コンビニに売ってない銘柄を?」
「煙草自体、よく分からなかったもので」
吸い方だって、ネットの知識と星来の見様見真似だ。誰かに聞いたわけじゃない。
そんなことを思いながら、ベランダに野晒しとなっている吸殻入れの缶の蓋を開けて灰を落としていると、不意に空が明るくなった。
「花火ね……」
「…………」
続けて鳴り響く轟音の中、そう呟く星来。その横で、朔夜もまた灰を落としながら、夜空に上がる花火を眺めた。
(偶然、か……)
近場で花火大会が開催されるか等、今時はインターネットやSNSを調べれば、すぐに分かる。けれども、興味を持たなければ気付きもしなかっただろう。
まるで、すでに死んだ人間だと思い、特に気にしてこなかった……睦月の、母親のように。
「……聞きたいことがあります」
「何かしら?」
手渡された吸殻入れに灰を落としながら、星来は花火の上がる夜空から横目に、視線を移してくる。しかし、朔夜は特に顔を動かすこともなく、紫煙交じりの息と共に疑問を吐き出した。
「…………『スミレ』という名前の人に、心当たりはありませんか?」
「スミ、レ…………」
即答はない。特に動揺を見せてこないということは、おそらくは直接的な知り合いではないのだろう。けれども、何かしらの心当たりはあるのか、頭上の花火と手元の煙草の火を交互に見つめながら、記憶を探り出している。そして、思考が纏まった星来は、朔夜の疑問に答えようと口を開いてきた。
「……不確かな記憶じゃないけど、いい?」
「構いません。教えて下さい」
そもそも、星来どころか近しい親族に至るまで、朔夜と同様に『超記憶力』を持っている者は居ない。
IQの検査結果はともかく、星来の知能指数が高いのはたしかだが、記憶力が良いのはむしろ義弘の方だったと聞いている。だから『超記憶力』は父方の遺伝ではないかと考えていたので、朔夜は星来の、常人の記憶の不確かさも承知していた。
「生前に一度だけ、義弘君の友人達と会ったことがあるんだけど……その時にたしか、その名前を聞いた気がするのよね。それ以外だと……ごめんなさい、分からないわ」
「……十分ですよ」
(やっぱり、か……)
『お前の親父が自殺したのは……俺のお袋を殺してしまったからだってのは、本当の話か?』
当時は精神的に幼く、同居もしていなかったので、星来にはまだ話していない。そもそも、『記憶自体が実は夢だった』という、いまさらな可能性もある。だから、義弘が自殺した日のことを覚えていることは、ずっと黙っていた。
そして、これからも……真実が分かるか、聞かれるまでは。
「もしかして……睦月君のお父さんのこと?」
「……何故ですか?」
だからまだ、誰の関係者かまでは話していない段階で核心を突かれたことに、朔夜は星来へと無意識に警戒心を向ける。
「私が知る限り……あなたが感情的になる理由は、その姉兄妹のことでしょう?」
そう言われてしまうと……朔夜は、何も言えなくなってしまった。
きっかけは、弥生が『爆弾魔』へと至ったあの出来事だった。
『…………』
いくら気丈に振舞おうとも、所詮は成人もしていない一人の小娘だ。父親譲りの記憶力も、母親から受け継いだ聡明さも関係ない。むしろ、その二つがあったからこそ、朔夜はずっと塞ぎ込む結果となってしまった。
もっと、マシな解決方法があったのではないかと……
『…………、起立!』
だからこそ、星来は『母親』ではなく、『大学講師』としての自分で、朔夜と接することに決めたらしい。
『一体、何だって、』
『講義を始めます。私語は慎みなさい』
恨まれてもいい、この場で反抗されて殺されてもいい。ただ……たとえ自分が『母親に向いてない』としても、このまま放置することが間違っていることだけは理解していた。
その覚悟を持って、当時は強引に情報技術を教えたと、星来は後に、朔夜に語ってくれた。
『嫌ならこの家から出ていくか……必要単位を修得して、早く卒業しなさい』
今は廃村となっている地元では、情報技術に詳しい人間はあまりいなかった。職業上、個別に教わっている者は居ただろうが、学校側が指導できる程の環境は用意されていない。授業の一環で、最低限の使い方を教えられたのが精々だった。
『それとも……何もできないままの方がお望みかしら?』
『っ!?』
その言葉が一番、朔夜の心を燃やすには十分な火種だった。
『それじゃあ……まずは、このノートPCの立ち上げからね』
そして星来からノートPCを受け取り、朔夜は講義を受け始めた。
「そんなに……酷かった、ですか?」
「少なくとも……向いてない躾をやりかけた位には、ね」
星来はそう言うが、朔夜から見れば、多分違うのだと思う。
所詮は憶測に過ぎないが……おそらくは、彼女なりに慰めようとしたのだろう。普通の家庭の、母親のように。
けれども、自分にその資格はなく、またやり方が分かっていなかった。だからせめて、自分の得意な分野を指導することで代わりにしたんだと、今ではもう理解できている。
「とはいえ、驚きましたよ……」
吸い終わったものを殻入れに放り入れてから、朔夜は新しい煙草を口に咥えた。そして、シガーソケット型のライターを取り出しつつ、星来に対して呟く。
「講師やってたから、情報技術の分野は得意だと思ってましたけど……まさか、魔術師級のホワイトハッカーだとは思いませんでしたよ」
自力でサーバやシステムに侵入できる者をハッカーと呼称するが、それにも種類がある。
メンテナンス等で自社や個人のものに接続する行為もまた、ある意味ではハッキングとも定義できる。けれども、一般的には、それ等以外への侵入が可能な者達が、ハッカーと呼ばれていた。
その中でも知識量や技術力が群を抜く者で、他者への加害目的で侵入する場合はクラッカーと呼ばれ、逆にセキュリティの脆弱性を見抜いて修正する行為をした時はホワイトハッカーと称されている。
そして、全ハッカーの中でも最上級の技術と知識を持つ者達こそが、世間から魔術師級と呼ばれている、ハッカーの上位存在であった。
星来もまた、大学で講師をする傍ら、自身で研究を行った結果、魔術師級のホワイトハッカーへと成長を遂げていた。しかし、その知識に追い付ける者は数少なく、ましてや、講義内容は事前に決められているもののみ。やる気のある学生を見つけて教えようと考えていた時期もあったが、結局はある夢の為に、自分の研究に専念する道を選んでしまった。
『相性がいいとは思っていたけど……これ程だったなんて』
『勝手にドン引きしないでくれませんか? 無理矢理教えといて』
期間にして約半年、ものの一年も経たない内に、朔夜は星来の用意した課題を、全て網羅していた。普段の自宅講義から、隠れて行っていた自習を含めたとしても、並みの大学生を凌駕する成長速度だったと自負している。
目的意識を持って勉強していた為に、大学の講義だけでは満足せず……個人の時間で勉強する者自体が限られていたとしても、だ。
『まあ、いいでしょう……では、卒業試験に移ります』
『今度は何をすればいいんですか? 適当な麻薬組織でも潰しましょうか?』
『それは警察に任せなさい! ……ゴホン』
軽く咳払いをしてから、星来は朔夜の隣に置いた椅子に腰掛け、机の上に置いてある新しいノートPCを指差した。
『そこに新しい開発環境を用意しました。一からでも、隠れて行っている自習の成果を引っ張ってきても構いません……万全の態勢で待ち構えている私だけに、的確な被害を与えてみせなさい』
『…………』
試験の内容に狼狽えるよりも、即座に内容を吟味し始める朔夜。少しして、星来への攻撃案を纏め終えると、いつでもいいとばかりにノートPCに手を掛けた。
『制限時間はありませんが……掛ければそれだけ、減点対象となります。何か質問は?』
『……合格の基準は?』
『最低評価で、私を驚かせること。もっと言えば……私の人生をどこまで捻じ曲げられるか、かしらね』
まさしく、母親失格な自分にピッタリな合格基準だろうと、星来は思っていたのかもしれない。朔夜もまた、その言葉の通りにしたいと思わなかったと言えば、嘘になってしまう。
けれども、もう朔夜の答えは出ていた。
『他に質問はない? それじゃあ……』
自身の、使い込んだノートPCを取り出して立ち上げた星来を見ても、朔夜はまだ自分のものに手を掛けたまま、何もしない。正式な試験ではないので、別に違反行為とはしないのだろうが……それでも、試験開始の合図を待つことにした。
『…………始めっ!』
そして朔夜は、自身に割り当てられたノートPCを点けると、星来に隠れて契約していた個人サーバへと接続する為に、キーボードを叩き始めた。
「私が長年培ってきた知識や技術を、わずか一年足らずで修得するとは思わなかったわよ。今だから言うけど……ちょっと、自信失くしちゃってたのよ」
「昔から、物覚えはいい方だったんで……」
煙草の先端に火を点けた、シガーソケット型のライターを仕舞ってから煙を燻らせる朔夜。あの時は途中とはいえ、事前に仕込んでいた方法を用いたので、完全に合格したとは思っていない。
けれども、星来を唸らせ……日本から追い出せたのは、思惑通りでもあった。
「だから少し、自分の意地もあってあんな課題を出したら……まさか、あんな手で来るとは思わなかったわ」
「昔から散々、睦月が言ってましてからね……『喧嘩売ってきた相手に戦い方を合わせてやる馬鹿が、どこに居るんだよ?』って」
その言葉の通り……当時の朔夜は、星来とまともにぶつかるなんて愚策は、決して取らなかった。
試験開始後、もうすぐ三十分が経過する頃になって……ようやく星来の方から、朔夜のノートPCに侵入してこようとする動きがあった。
(まあ、準備時間を差し引いても……これ以上何もしてこなければ、さすがにおかしいと思うよな)
星来からすれば、試験という名の一対一の決闘か何かだと思っているのだろう。けれども、朔夜の方はそんな馬鹿げた提案に、まともに乗る理由がない。相手が待ち構えているのであればなおさら、ということもあるが……自分には、睦月達と過ごした過去がある。
その日々を振り返れば、自ずと答えは出ていた。
(不意打ちならまだしも、待ち構えているところに侵入しても不利なのは、目に見えている。それに……試験の内容は、星来さんだけに的確な被害を与えること。つまり……)
自習の中で、朔夜は星来に対して、ある復讐を企んでいた。それが相手にどう捉えられるかは分からないが、今回の試験で使えると踏んだ瞬間、この場で完成させようと決断するに至った。
『ちょっ、朔夜さん……これっ!?』
隣で思わず声を出す星来を見て、朔夜は自分の策略が成功したのを確信した。
(どうやら……最低基準には、到達したみたいだな)
『他者に被害を与えるな』と制限されてはいても、『他者と関わってはいけない』とまでは、言われていない。
だから朔夜は……大学の研究用サーバから星来の成果を盗み出し、特定の外部へ流出させることに成功したのだった。
「随分……綺麗にしてくれていたのね」
「作業部屋の方は、今でも私が使っているので」
星来の住むマンションは、個人で持つには広すぎる2LDKだった。日本で生活していた時は寝室と作業部屋で分けて使っていたのだが、朔夜との同居を始めた際は、その片側を明け渡してくれた。
作業は職場である大学の研究室で行えるので寝室を残し、作業部屋を朔夜の部屋に変えてくれた。けれども、中の荷物は他に置き場所がない為、現在でもそのままになっている物が多い。
当時、朔夜が持ち込んだ荷物が少なかったことも原因の一つだが……星来が別途トランクルームを借りる前に、ある事件が起きてしまう。
その結果、荷物は片付けられないまま、作業部屋は朔夜の私室兼修行場所へと、その役割を変えることとなった。
「いくつか入れ替えてますけど、荷物はリビングの端に移しておきました。処分はこちらでやっておきますので、判断だけお願いします」
「そう。じゃあ……お願いするわね」
翌晩の飛行機でアメリカに戻る予定の為、星来の荷物は最低限しか用意されていない。寝室にて着替えを取り出す程度しか荷解きをせず、それも浴室に置いてから、朔夜をベランダへと誘った。
「さて、と……ちょっと吸ってくるけど、付き合う?」
「いいですよ」
特に断る理由もなく、自分もまた吸いたかったので、朔夜は星来に誘われるままベランダの外へと出た。
『…………』
お互いに会話することなく、それぞれが煙草を咥えて火を点ける。
だが、沈黙に耐えられなかったのか……それとも、気になって仕方がなかったのか、星来は朔夜へと声を掛けてくる。
「……ねえ、」
「何です?」
自分と同じ銘柄の煙草を持つ朔夜を見て、星来は不安気な眼差しを向けながら聞いてきた。
「やっぱり……同居してた時に私の煙草、こっそり吸ってたりした?」
「だから、吸い始めた時に知ってた銘柄がこれだけだったって、何度も説明したでしょう」
いくら恩師として敬意を払っていても、母親として見ていないことに変わりはない。その娘が何故か、同じ銘柄を吸い続けているので、星来は朔夜に、『未成年の時にこっそり、自分の煙草を拝借していなかったか?』と、未だに疑惑の念を向けてきているのだ。
(正確には、仕舞ったままになってた買い置きを盗んただけなんだけど……いまさらだし、別に言わなくていいな。吸い始めた時には成人してたから大丈夫だろう)
むしろ、未成年の内から姉兄妹揃って不純異性交遊や不純同性交遊(GLのみ)に手を出しまくっている方が問題なのだが、朔夜は吐き出した紫煙と共にしらばっくれることにした。
「……わざわざ、コンビニに売ってない銘柄を?」
「煙草自体、よく分からなかったもので」
吸い方だって、ネットの知識と星来の見様見真似だ。誰かに聞いたわけじゃない。
そんなことを思いながら、ベランダに野晒しとなっている吸殻入れの缶の蓋を開けて灰を落としていると、不意に空が明るくなった。
「花火ね……」
「…………」
続けて鳴り響く轟音の中、そう呟く星来。その横で、朔夜もまた灰を落としながら、夜空に上がる花火を眺めた。
(偶然、か……)
近場で花火大会が開催されるか等、今時はインターネットやSNSを調べれば、すぐに分かる。けれども、興味を持たなければ気付きもしなかっただろう。
まるで、すでに死んだ人間だと思い、特に気にしてこなかった……睦月の、母親のように。
「……聞きたいことがあります」
「何かしら?」
手渡された吸殻入れに灰を落としながら、星来は花火の上がる夜空から横目に、視線を移してくる。しかし、朔夜は特に顔を動かすこともなく、紫煙交じりの息と共に疑問を吐き出した。
「…………『スミレ』という名前の人に、心当たりはありませんか?」
「スミ、レ…………」
即答はない。特に動揺を見せてこないということは、おそらくは直接的な知り合いではないのだろう。けれども、何かしらの心当たりはあるのか、頭上の花火と手元の煙草の火を交互に見つめながら、記憶を探り出している。そして、思考が纏まった星来は、朔夜の疑問に答えようと口を開いてきた。
「……不確かな記憶じゃないけど、いい?」
「構いません。教えて下さい」
そもそも、星来どころか近しい親族に至るまで、朔夜と同様に『超記憶力』を持っている者は居ない。
IQの検査結果はともかく、星来の知能指数が高いのはたしかだが、記憶力が良いのはむしろ義弘の方だったと聞いている。だから『超記憶力』は父方の遺伝ではないかと考えていたので、朔夜は星来の、常人の記憶の不確かさも承知していた。
「生前に一度だけ、義弘君の友人達と会ったことがあるんだけど……その時にたしか、その名前を聞いた気がするのよね。それ以外だと……ごめんなさい、分からないわ」
「……十分ですよ」
(やっぱり、か……)
『お前の親父が自殺したのは……俺のお袋を殺してしまったからだってのは、本当の話か?』
当時は精神的に幼く、同居もしていなかったので、星来にはまだ話していない。そもそも、『記憶自体が実は夢だった』という、いまさらな可能性もある。だから、義弘が自殺した日のことを覚えていることは、ずっと黙っていた。
そして、これからも……真実が分かるか、聞かれるまでは。
「もしかして……睦月君のお父さんのこと?」
「……何故ですか?」
だからまだ、誰の関係者かまでは話していない段階で核心を突かれたことに、朔夜は星来へと無意識に警戒心を向ける。
「私が知る限り……あなたが感情的になる理由は、その姉兄妹のことでしょう?」
そう言われてしまうと……朔夜は、何も言えなくなってしまった。
きっかけは、弥生が『爆弾魔』へと至ったあの出来事だった。
『…………』
いくら気丈に振舞おうとも、所詮は成人もしていない一人の小娘だ。父親譲りの記憶力も、母親から受け継いだ聡明さも関係ない。むしろ、その二つがあったからこそ、朔夜はずっと塞ぎ込む結果となってしまった。
もっと、マシな解決方法があったのではないかと……
『…………、起立!』
だからこそ、星来は『母親』ではなく、『大学講師』としての自分で、朔夜と接することに決めたらしい。
『一体、何だって、』
『講義を始めます。私語は慎みなさい』
恨まれてもいい、この場で反抗されて殺されてもいい。ただ……たとえ自分が『母親に向いてない』としても、このまま放置することが間違っていることだけは理解していた。
その覚悟を持って、当時は強引に情報技術を教えたと、星来は後に、朔夜に語ってくれた。
『嫌ならこの家から出ていくか……必要単位を修得して、早く卒業しなさい』
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『それとも……何もできないままの方がお望みかしら?』
『っ!?』
その言葉が一番、朔夜の心を燃やすには十分な火種だった。
『それじゃあ……まずは、このノートPCの立ち上げからね』
そして星来からノートPCを受け取り、朔夜は講義を受け始めた。
「そんなに……酷かった、ですか?」
「少なくとも……向いてない躾をやりかけた位には、ね」
星来はそう言うが、朔夜から見れば、多分違うのだと思う。
所詮は憶測に過ぎないが……おそらくは、彼女なりに慰めようとしたのだろう。普通の家庭の、母親のように。
けれども、自分にその資格はなく、またやり方が分かっていなかった。だからせめて、自分の得意な分野を指導することで代わりにしたんだと、今ではもう理解できている。
「とはいえ、驚きましたよ……」
吸い終わったものを殻入れに放り入れてから、朔夜は新しい煙草を口に咥えた。そして、シガーソケット型のライターを取り出しつつ、星来に対して呟く。
「講師やってたから、情報技術の分野は得意だと思ってましたけど……まさか、魔術師級のホワイトハッカーだとは思いませんでしたよ」
自力でサーバやシステムに侵入できる者をハッカーと呼称するが、それにも種類がある。
メンテナンス等で自社や個人のものに接続する行為もまた、ある意味ではハッキングとも定義できる。けれども、一般的には、それ等以外への侵入が可能な者達が、ハッカーと呼ばれていた。
その中でも知識量や技術力が群を抜く者で、他者への加害目的で侵入する場合はクラッカーと呼ばれ、逆にセキュリティの脆弱性を見抜いて修正する行為をした時はホワイトハッカーと称されている。
そして、全ハッカーの中でも最上級の技術と知識を持つ者達こそが、世間から魔術師級と呼ばれている、ハッカーの上位存在であった。
星来もまた、大学で講師をする傍ら、自身で研究を行った結果、魔術師級のホワイトハッカーへと成長を遂げていた。しかし、その知識に追い付ける者は数少なく、ましてや、講義内容は事前に決められているもののみ。やる気のある学生を見つけて教えようと考えていた時期もあったが、結局はある夢の為に、自分の研究に専念する道を選んでしまった。
『相性がいいとは思っていたけど……これ程だったなんて』
『勝手にドン引きしないでくれませんか? 無理矢理教えといて』
期間にして約半年、ものの一年も経たない内に、朔夜は星来の用意した課題を、全て網羅していた。普段の自宅講義から、隠れて行っていた自習を含めたとしても、並みの大学生を凌駕する成長速度だったと自負している。
目的意識を持って勉強していた為に、大学の講義だけでは満足せず……個人の時間で勉強する者自体が限られていたとしても、だ。
『まあ、いいでしょう……では、卒業試験に移ります』
『今度は何をすればいいんですか? 適当な麻薬組織でも潰しましょうか?』
『それは警察に任せなさい! ……ゴホン』
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『そこに新しい開発環境を用意しました。一からでも、隠れて行っている自習の成果を引っ張ってきても構いません……万全の態勢で待ち構えている私だけに、的確な被害を与えてみせなさい』
『…………』
試験の内容に狼狽えるよりも、即座に内容を吟味し始める朔夜。少しして、星来への攻撃案を纏め終えると、いつでもいいとばかりにノートPCに手を掛けた。
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けれども、もう朔夜の答えは出ていた。
『他に質問はない? それじゃあ……』
自身の、使い込んだノートPCを取り出して立ち上げた星来を見ても、朔夜はまだ自分のものに手を掛けたまま、何もしない。正式な試験ではないので、別に違反行為とはしないのだろうが……それでも、試験開始の合図を待つことにした。
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そして朔夜は、自身に割り当てられたノートPCを点けると、星来に隠れて契約していた個人サーバへと接続する為に、キーボードを叩き始めた。
「私が長年培ってきた知識や技術を、わずか一年足らずで修得するとは思わなかったわよ。今だから言うけど……ちょっと、自信失くしちゃってたのよ」
「昔から、物覚えはいい方だったんで……」
煙草の先端に火を点けた、シガーソケット型のライターを仕舞ってから煙を燻らせる朔夜。あの時は途中とはいえ、事前に仕込んでいた方法を用いたので、完全に合格したとは思っていない。
けれども、星来を唸らせ……日本から追い出せたのは、思惑通りでもあった。
「だから少し、自分の意地もあってあんな課題を出したら……まさか、あんな手で来るとは思わなかったわ」
「昔から散々、睦月が言ってましてからね……『喧嘩売ってきた相手に戦い方を合わせてやる馬鹿が、どこに居るんだよ?』って」
その言葉の通り……当時の朔夜は、星来とまともにぶつかるなんて愚策は、決して取らなかった。
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(まあ、準備時間を差し引いても……これ以上何もしてこなければ、さすがにおかしいと思うよな)
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その日々を振り返れば、自ずと答えは出ていた。
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自習の中で、朔夜は星来に対して、ある復讐を企んでいた。それが相手にどう捉えられるかは分からないが、今回の試験で使えると踏んだ瞬間、この場で完成させようと決断するに至った。
『ちょっ、朔夜さん……これっ!?』
隣で思わず声を出す星来を見て、朔夜は自分の策略が成功したのを確信した。
(どうやら……最低基準には、到達したみたいだな)
『他者に被害を与えるな』と制限されてはいても、『他者と関わってはいけない』とまでは、言われていない。
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【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
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