161 / 192
161 親に向かない者も居る(その3)
しおりを挟む
至極単純な方法だが、人間が夢を叶えようとする際の、相手の本気度合いを測る方法が一つある。
相手の、夢に対する姿勢を観察してみれば、すぐに分かるのだ。
ただ、夢について語り続けるだけか。それとも……明確な目標として、どうすれば叶うのかを考えて行動に移せているかが。
たとえるとすれば……夢を叶える為に必要な資金が、目の前に置いてあるとしよう。
口だけの者、もしくは『金持ちになりたい』という夢を持っているのであれば、その時点で足は止まる。後者は目的を達成したからだが、前者の場合は目先の欲に溺れ、そこで努力を止めてしまうのだ。そして、本気で夢を叶えようと行動に移せる者は、まず資金そのものについては気にしない。
それ以前に……検討する前提が、そもそも違う。
必要であれば使うだろうが、その前に『どうすれば達成できるか』を真剣に考え抜き、実行に移す段階で『資金面は問題ない』と判断するだけで終わる。完全に、手段の一つとしてしか、見ていないからだ。
人の一生は儚く、短い……
言葉にするのは簡単だが、その意味を本当に理解している者は少ないだろう。何故なら、目に見えない概念等の抽象的なものを具体的に認識すること自体が、人間という生物にとっては最上級の難問だからだ。
別に、無理に夢を持つ必要もなければ、挑み続けて叶えようが、はたまた挫折しようが、個人の範疇であればさほど重要ではない。人間には、それぞれの現実がある。たとえどうなろうとも、結局は周囲と揉めず、本人が納得すれば何の問題もないのだ。
けれども……成功の可否を問わず、本気で夢を叶えようとするのであれば、具体的な目標へと落とし込んで努力しなければならない。
どのような現実を抱えていたとしても、その過程を踏まなければならない点で言えば、人類は皆平等だ。人生はそれぞれのものであり、他者を頼れても甘えられず、自分が動かなければ何も始まらないのだ。
それが夢を『語る』者と、『叶える』者の違いであろう。
だからこそ、周囲から否定されるのならまだしも……夢を『叶えて貰った』人間は、一体どのような気持ちを抱くのだろうか?
『いつから…………』
朔夜のノートPCに侵入して、ようやく全貌を把握した星来から、そう問い掛けられた。
『一体、いつから……私がアメリカ航空宇宙局で働きたいことを知っていたの?』
『……別に、確信があったわけではないですよ』
その問いに朔夜は、キーボードから手を離して頭の後ろに組みつつ、背もたれに体重を預けながら答えた。
『前々から、こっそり星来さんの研究成果を見させて貰っていたんですよ。そうしたら何となく、『アメリカ航空宇宙局で働きたいんじゃないか?』って思っただけですから』
非常に険しい倍率だが、日本人がアメリカ航空宇宙局の職員として働くこと自体は可能だ。それに、宇宙航空研究開発機構のような機関に所属して、共同プロジェクト等で間接的に関わる方法だってある。世の派遣社員の中には、本命の企業への転職を狙って、あえて人材派遣を介して勤務する話もある位だ。
いずれにせよ、星来のように研究者として志望しているのであれば、英語は当然として、宇宙開発に用いられる分野についての知識と実績が必要となる。
その為に星来は仕事の裏で研究に励み、難関を突破できるだけの成果を着々と積み上げてきていたようだが……勝手に完成された上に、アメリカ航空宇宙局に直接情報流出されてしまうとは、終ぞ思わなかったのだろう。
『…………』
朔夜と同居を始めてから、星来は屋内での喫煙を避けてきていた。そんな彼女が……無意識に煙草を取り出し、口に咥えようとしている程に、衝撃的だったらしい。
『……あ! っとと』
やがて、放心状態が解けた星来は煙草を床に落としてしまうが、気にせず放置してしまう。そして一度、朔夜を見てから天を仰ぎ、掌で目を覆いだした。
『…………正直、』
顔を背けたまま、星来は独り言のように、朔夜に語り始めた。
『『母親』として娘の成長を喜んだり、『個人』として夢が叶ったことに達成感を覚えるよりも……『研究者』として目指していた結果を奪われた悔しさの方が、上回っているわね』
叶えようとする夢そのものに憧れ、その努力すら楽しいと思えることもある。それが本気であれば、なおのことだ。
結果がどうなろうとも関係ない。それが何であろうと、全力で物事に打ち込める瞬間が、人間にとって一番欲望を剥き出しにできるからだ。
『本当に……私の代わりなんて、いくらでもいると思い知らされたわ』
逆に言えば、その打ち込む何かを奪われて完成品だけ用意されてしまえば、『自分は何もしなくても、周りが全て叶えてくれる』と、人生を勘違いしやすくなる。最悪の場合、『自分は居なくても問題ない』と、自己否定を始めてしまうかもしれない。
人が夢を挫折する理由の多くが、『上には上がいる』と諦めてしまうように。
『……もし、』
だからこそ、過程を飛ばして突然、結果だけを直接与えられてしまった星来の心中がどうなるかは、朔夜も少しは理解しているつもりだ。
自分もまた……天賦の才能を持つ昔馴染みに、彼我の差を思い知らされた過去がある故に。
『もし、これがあなたからの復讐だって言うのなら…………私にとっては、殺されるよりも残酷な方法だわ』
生きているのが幸せなのか? それとも、生き方を選べることが幸せなのか?
どちらが正しいのかは人それぞれだろうが、星来の場合は完全に後者だろう。でなければ、たとえ適性がなかったとしても……『朔夜の母親』になろうとする努力をしないわけがないからだ。
しかし……どう足掻いても、過去は変えられない。
星来は朔夜を前にして、『母親』よりも『研究者』としての道を選んでしまった。同居や指導も、所詮は自分を優先したことへの、自己満足の罪滅ぼしに過ぎないのかもしれない。
そして、ようやく気持ちが落ち着いたのだろう。星来は立ち上がると、朔夜を伴って作業部屋を後にし、ベランダへと出た。
『…………合格よ。それも、最高評価で』
その言葉を残して、星来は煙草を吸い始めた。しばらく、朔夜の方を見ないまま。
喜んでいるのか、それとも別の感情を浮かべているのか……まるで、朔夜の顔から目を背け、顔を見られたくないと言わんばかりの態度を示してくる。
ただ、少なくとも……その日の星来の煙草の消費量は、いつもの倍に届きそうなのは、たしかだった。
結果として、星来はその後届いたアメリカ航空宇宙局からの勧誘を承諾し、現在は研究者兼ホワイトハッカーとして働いている。
「まあ……最近代わった大統領が『多様性、公平性、包摂性』政策を撤回しちゃったから、これからどうなるかは分からないけど」
「星来さんの実力なら、余裕でしょう」
「……日本人でも良ければ、ね」
こればかりは、政府のみぞ知るところだろう。
国際ニュースの時点で、政府の大規模な人員削減が確定し、かつアメリカ航空宇宙局からは希望退職制度を利用した者が数百人にも上っている。それに、いくら有能だとしても、星来の国籍は日本だ。
日本人である星来がアメリカ航空宇宙局に籍を残せるかは、それこそ本人にも分からないのだろう。
そう思いながら煙草を吸っていた朔夜だったが……そこでようやく、あることに気付いた。
(ああ……だから、秀吉だと思ったのか)
朔夜はまだ、星来に『スミレ』という人物が誰に関係しているか、までは話していない。弥生の父親である和則の可能性だってあるのだ。だから、たとえうろ覚えだとしても、秀吉の口から聞いたとかでなければ……どこかで吹き込まれたと考えるのが妥当だ。
「どこかの組織から……何か、聞かれましたか?」
「……それだけ派手に、動いていたんでしょうね」
朔夜の予想通り、星来もまた、秀吉のことを誰かに聞かれていたらしい。
「アメリカに居たってこともあって、真っ先に聞かれたわよ。FBIにNSA、後ATFにも」
「星来さんもボケるんですね……最後のところ、絶対嘘でしょう」
ちなみに連邦捜査局と米国国家安全保障局、そしてアルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局のことなので、最後の組織は完全に管轄違いである。
「管轄がアメリカ国内じゃなければ、通じたのに……」
「微妙に分かり難いボケ、止めて下さいよ」
「あら、朔夜さんなら通じるでしょう?」
もう一本、と新しい煙草を取り出しながら、星来は告げた。
「だって、あなたは義弘君と同じ……『鍵師』の進路を選んだのだから」
星来の課題に合格し、彼女がアメリカ航空宇宙局への就職について話を纏め終えたある日の晩、朔夜は進路相談を受けていた。
『じゃあ、私の指導から無事卒業できたところで……朔夜さんは将来や進路について、何か希望とかはある?』
そう聞いてきたのは、同時にアメリカへの移住が決定したからだろう。これまで通りに名義だけを貸して、保護者役は和音に頼めば問題なく生活できるが……それも含めて、朔夜に確認しなければならないことがあるからだ。
『私もアメリカに連れて行く、って話ですか?』
『朔夜さんのやりたいことが、アメリカにあるなら……それも良いかと思って』
その為に、進路相談の場を設けたのだろう。家を出ることは確定だとしても、もしアメリカでやりたいことがあるのなら、連れて行くのは朔夜の為になる。
無論、星来自身は無理に同行させようとは考えていない。あくまで、手段の一つとして『使うか、使わないか』を聞いてきているのだ。
たとえ星来に、朔夜の将来を決める権利はなくとも、確認する義務はある。だからあえて、将来の進路も含めて、問い掛けてきたのだろう。
そして、朔夜の答えは決まっていた。
『今のところ、行く予定はないですし……行くなら、自分の力で行きます』
自分は相手に押し付けておいて、こちらは好きにする。
本来であれば許されないことだが、朔夜と星来の場合は違う。先に好きにしていたのは母親の方だ。ならば、選ぶ権利は娘にある。
『必要になれば、相談位はするかもしれませんけど……少なくとも、今は日本を離れる予定はありません』
『分かりました……ちなみに、将来はどうするの?』
たとえ否定する権利はなくとも、明らかに間違った道であれば、何をしてでも止める責任がある。多少は覚悟していたかもしれない星来だが、朔夜の回答に、むしろ呆気にとられてしまう。
『…………『考古学者』になろうか、って考えています』
その時の星来の顔を、たとえ『超記憶力』がなかったとしても、朔夜は決して忘れないだろう。何せ、それだけ複雑な表情をしていたのだから。
『理由を……聞いても、いいかしら?』
『大した理由じゃありませんよ……』
本当に、大した理由ではない。
『私はまだ、世界の全てを知っているわけじゃない。だから……ただ、知りたいだけです』
温故知新、という言葉がある。
昔の事柄を調べ直すことで新しい知識や事実を得ようとする意味を持つ言葉だが、学ぶことはそれ以前の問題だと、朔夜は考えていた。
そもそも、何が古いかを知らなければ、どれが新しいことなのかは誰にも分からない。それどころか、得た知識全てが正しいとは限らないのだ。
この時代にも地球平面説という、『地球は平らだ』と主張する者達も居るが……はっきり言って、人から教えられたことをそのまま鵜呑みにする人間よりは利口だと、朔夜は考えている。事実の正誤は関係ない。自分の目や手足で、その事実が正しいのかどうかを調べようとする姿勢が重要なのだ。
そう主張する者達と、もしかしたら同様に……朔夜は、知識欲に呑まれていのかもしれない。
それに、元々『鍵師』という職業は、難解な疑問を解き明かそうとした者達が食うに困って始めた結果生まれたと、朔夜は聞いている。少なくとも、自分の祖先の起源はそうだと教わってはいたが……それすらも、真偽を確かめたくて仕方がなかった。
だからこそ、朔夜は隠れ里を出て、高校へ進学する道を選んだのだ。
『幸い、金の稼ぎ方は田舎町で嫌という程仕込まれてきたので、最悪食うには困りません。だったら後は、好きに生きようかと思いまして』
『……麻薬組織とかから、お金を巻き上げて?』
『麻薬組織に限らず、ですかね。まあ少なくとも、善人よりは纏まった金持ってますし』
世の中には、善人を食い物にしている者達は多いが、その彼等から金を巻き上げようとする者は、意外と少ない。たとえ実入りが少なく、確実性がなくとも……より安全に成果を得ようとする為に、弱者を標的にしているからだ。
そして、そんな『弱い者いじめ』の域を出ない者達程、自分達が虐げられない為に、かえって貯め込もうとする傾向にある。しかも、法律から目を背けている以上、自分の身は自分達で守らなければならない。だから、適当な犯罪組織は案外、強盗の獲物としては実入りが大きいのだ。
無論、朔夜自身も身を守らなければならないが……たとえ田舎を出ても、『最期の世代』として鍛えられた過去は伊達ではない。並の犯罪組織、ましてや麻薬程度で満足している連中等、むしろ良い小遣い稼ぎの的だった。
一方的に蹂躙した上で略奪し、最後は警察や麻薬取締部に匿名で通報しておけば、報復される心配はない。つまり、朔夜達『最期の世代』にとっては、絶好の収入源だと言える。
『はぁ…………本当にあなたは、義弘君の娘なのね』
話を聞き終えた星来は息を吐いた後、何かを決意した顔を浮かべたかと思えば、静かに席を立ってしまう。
『引っ越しを機に、いいかげん処分しようかと思ってたんだけど……』
そう言い残すと、星来はある物を取りに、自室へと向かっていった。
相手の、夢に対する姿勢を観察してみれば、すぐに分かるのだ。
ただ、夢について語り続けるだけか。それとも……明確な目標として、どうすれば叶うのかを考えて行動に移せているかが。
たとえるとすれば……夢を叶える為に必要な資金が、目の前に置いてあるとしよう。
口だけの者、もしくは『金持ちになりたい』という夢を持っているのであれば、その時点で足は止まる。後者は目的を達成したからだが、前者の場合は目先の欲に溺れ、そこで努力を止めてしまうのだ。そして、本気で夢を叶えようと行動に移せる者は、まず資金そのものについては気にしない。
それ以前に……検討する前提が、そもそも違う。
必要であれば使うだろうが、その前に『どうすれば達成できるか』を真剣に考え抜き、実行に移す段階で『資金面は問題ない』と判断するだけで終わる。完全に、手段の一つとしてしか、見ていないからだ。
人の一生は儚く、短い……
言葉にするのは簡単だが、その意味を本当に理解している者は少ないだろう。何故なら、目に見えない概念等の抽象的なものを具体的に認識すること自体が、人間という生物にとっては最上級の難問だからだ。
別に、無理に夢を持つ必要もなければ、挑み続けて叶えようが、はたまた挫折しようが、個人の範疇であればさほど重要ではない。人間には、それぞれの現実がある。たとえどうなろうとも、結局は周囲と揉めず、本人が納得すれば何の問題もないのだ。
けれども……成功の可否を問わず、本気で夢を叶えようとするのであれば、具体的な目標へと落とし込んで努力しなければならない。
どのような現実を抱えていたとしても、その過程を踏まなければならない点で言えば、人類は皆平等だ。人生はそれぞれのものであり、他者を頼れても甘えられず、自分が動かなければ何も始まらないのだ。
それが夢を『語る』者と、『叶える』者の違いであろう。
だからこそ、周囲から否定されるのならまだしも……夢を『叶えて貰った』人間は、一体どのような気持ちを抱くのだろうか?
『いつから…………』
朔夜のノートPCに侵入して、ようやく全貌を把握した星来から、そう問い掛けられた。
『一体、いつから……私がアメリカ航空宇宙局で働きたいことを知っていたの?』
『……別に、確信があったわけではないですよ』
その問いに朔夜は、キーボードから手を離して頭の後ろに組みつつ、背もたれに体重を預けながら答えた。
『前々から、こっそり星来さんの研究成果を見させて貰っていたんですよ。そうしたら何となく、『アメリカ航空宇宙局で働きたいんじゃないか?』って思っただけですから』
非常に険しい倍率だが、日本人がアメリカ航空宇宙局の職員として働くこと自体は可能だ。それに、宇宙航空研究開発機構のような機関に所属して、共同プロジェクト等で間接的に関わる方法だってある。世の派遣社員の中には、本命の企業への転職を狙って、あえて人材派遣を介して勤務する話もある位だ。
いずれにせよ、星来のように研究者として志望しているのであれば、英語は当然として、宇宙開発に用いられる分野についての知識と実績が必要となる。
その為に星来は仕事の裏で研究に励み、難関を突破できるだけの成果を着々と積み上げてきていたようだが……勝手に完成された上に、アメリカ航空宇宙局に直接情報流出されてしまうとは、終ぞ思わなかったのだろう。
『…………』
朔夜と同居を始めてから、星来は屋内での喫煙を避けてきていた。そんな彼女が……無意識に煙草を取り出し、口に咥えようとしている程に、衝撃的だったらしい。
『……あ! っとと』
やがて、放心状態が解けた星来は煙草を床に落としてしまうが、気にせず放置してしまう。そして一度、朔夜を見てから天を仰ぎ、掌で目を覆いだした。
『…………正直、』
顔を背けたまま、星来は独り言のように、朔夜に語り始めた。
『『母親』として娘の成長を喜んだり、『個人』として夢が叶ったことに達成感を覚えるよりも……『研究者』として目指していた結果を奪われた悔しさの方が、上回っているわね』
叶えようとする夢そのものに憧れ、その努力すら楽しいと思えることもある。それが本気であれば、なおのことだ。
結果がどうなろうとも関係ない。それが何であろうと、全力で物事に打ち込める瞬間が、人間にとって一番欲望を剥き出しにできるからだ。
『本当に……私の代わりなんて、いくらでもいると思い知らされたわ』
逆に言えば、その打ち込む何かを奪われて完成品だけ用意されてしまえば、『自分は何もしなくても、周りが全て叶えてくれる』と、人生を勘違いしやすくなる。最悪の場合、『自分は居なくても問題ない』と、自己否定を始めてしまうかもしれない。
人が夢を挫折する理由の多くが、『上には上がいる』と諦めてしまうように。
『……もし、』
だからこそ、過程を飛ばして突然、結果だけを直接与えられてしまった星来の心中がどうなるかは、朔夜も少しは理解しているつもりだ。
自分もまた……天賦の才能を持つ昔馴染みに、彼我の差を思い知らされた過去がある故に。
『もし、これがあなたからの復讐だって言うのなら…………私にとっては、殺されるよりも残酷な方法だわ』
生きているのが幸せなのか? それとも、生き方を選べることが幸せなのか?
どちらが正しいのかは人それぞれだろうが、星来の場合は完全に後者だろう。でなければ、たとえ適性がなかったとしても……『朔夜の母親』になろうとする努力をしないわけがないからだ。
しかし……どう足掻いても、過去は変えられない。
星来は朔夜を前にして、『母親』よりも『研究者』としての道を選んでしまった。同居や指導も、所詮は自分を優先したことへの、自己満足の罪滅ぼしに過ぎないのかもしれない。
そして、ようやく気持ちが落ち着いたのだろう。星来は立ち上がると、朔夜を伴って作業部屋を後にし、ベランダへと出た。
『…………合格よ。それも、最高評価で』
その言葉を残して、星来は煙草を吸い始めた。しばらく、朔夜の方を見ないまま。
喜んでいるのか、それとも別の感情を浮かべているのか……まるで、朔夜の顔から目を背け、顔を見られたくないと言わんばかりの態度を示してくる。
ただ、少なくとも……その日の星来の煙草の消費量は、いつもの倍に届きそうなのは、たしかだった。
結果として、星来はその後届いたアメリカ航空宇宙局からの勧誘を承諾し、現在は研究者兼ホワイトハッカーとして働いている。
「まあ……最近代わった大統領が『多様性、公平性、包摂性』政策を撤回しちゃったから、これからどうなるかは分からないけど」
「星来さんの実力なら、余裕でしょう」
「……日本人でも良ければ、ね」
こればかりは、政府のみぞ知るところだろう。
国際ニュースの時点で、政府の大規模な人員削減が確定し、かつアメリカ航空宇宙局からは希望退職制度を利用した者が数百人にも上っている。それに、いくら有能だとしても、星来の国籍は日本だ。
日本人である星来がアメリカ航空宇宙局に籍を残せるかは、それこそ本人にも分からないのだろう。
そう思いながら煙草を吸っていた朔夜だったが……そこでようやく、あることに気付いた。
(ああ……だから、秀吉だと思ったのか)
朔夜はまだ、星来に『スミレ』という人物が誰に関係しているか、までは話していない。弥生の父親である和則の可能性だってあるのだ。だから、たとえうろ覚えだとしても、秀吉の口から聞いたとかでなければ……どこかで吹き込まれたと考えるのが妥当だ。
「どこかの組織から……何か、聞かれましたか?」
「……それだけ派手に、動いていたんでしょうね」
朔夜の予想通り、星来もまた、秀吉のことを誰かに聞かれていたらしい。
「アメリカに居たってこともあって、真っ先に聞かれたわよ。FBIにNSA、後ATFにも」
「星来さんもボケるんですね……最後のところ、絶対嘘でしょう」
ちなみに連邦捜査局と米国国家安全保障局、そしてアルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局のことなので、最後の組織は完全に管轄違いである。
「管轄がアメリカ国内じゃなければ、通じたのに……」
「微妙に分かり難いボケ、止めて下さいよ」
「あら、朔夜さんなら通じるでしょう?」
もう一本、と新しい煙草を取り出しながら、星来は告げた。
「だって、あなたは義弘君と同じ……『鍵師』の進路を選んだのだから」
星来の課題に合格し、彼女がアメリカ航空宇宙局への就職について話を纏め終えたある日の晩、朔夜は進路相談を受けていた。
『じゃあ、私の指導から無事卒業できたところで……朔夜さんは将来や進路について、何か希望とかはある?』
そう聞いてきたのは、同時にアメリカへの移住が決定したからだろう。これまで通りに名義だけを貸して、保護者役は和音に頼めば問題なく生活できるが……それも含めて、朔夜に確認しなければならないことがあるからだ。
『私もアメリカに連れて行く、って話ですか?』
『朔夜さんのやりたいことが、アメリカにあるなら……それも良いかと思って』
その為に、進路相談の場を設けたのだろう。家を出ることは確定だとしても、もしアメリカでやりたいことがあるのなら、連れて行くのは朔夜の為になる。
無論、星来自身は無理に同行させようとは考えていない。あくまで、手段の一つとして『使うか、使わないか』を聞いてきているのだ。
たとえ星来に、朔夜の将来を決める権利はなくとも、確認する義務はある。だからあえて、将来の進路も含めて、問い掛けてきたのだろう。
そして、朔夜の答えは決まっていた。
『今のところ、行く予定はないですし……行くなら、自分の力で行きます』
自分は相手に押し付けておいて、こちらは好きにする。
本来であれば許されないことだが、朔夜と星来の場合は違う。先に好きにしていたのは母親の方だ。ならば、選ぶ権利は娘にある。
『必要になれば、相談位はするかもしれませんけど……少なくとも、今は日本を離れる予定はありません』
『分かりました……ちなみに、将来はどうするの?』
たとえ否定する権利はなくとも、明らかに間違った道であれば、何をしてでも止める責任がある。多少は覚悟していたかもしれない星来だが、朔夜の回答に、むしろ呆気にとられてしまう。
『…………『考古学者』になろうか、って考えています』
その時の星来の顔を、たとえ『超記憶力』がなかったとしても、朔夜は決して忘れないだろう。何せ、それだけ複雑な表情をしていたのだから。
『理由を……聞いても、いいかしら?』
『大した理由じゃありませんよ……』
本当に、大した理由ではない。
『私はまだ、世界の全てを知っているわけじゃない。だから……ただ、知りたいだけです』
温故知新、という言葉がある。
昔の事柄を調べ直すことで新しい知識や事実を得ようとする意味を持つ言葉だが、学ぶことはそれ以前の問題だと、朔夜は考えていた。
そもそも、何が古いかを知らなければ、どれが新しいことなのかは誰にも分からない。それどころか、得た知識全てが正しいとは限らないのだ。
この時代にも地球平面説という、『地球は平らだ』と主張する者達も居るが……はっきり言って、人から教えられたことをそのまま鵜呑みにする人間よりは利口だと、朔夜は考えている。事実の正誤は関係ない。自分の目や手足で、その事実が正しいのかどうかを調べようとする姿勢が重要なのだ。
そう主張する者達と、もしかしたら同様に……朔夜は、知識欲に呑まれていのかもしれない。
それに、元々『鍵師』という職業は、難解な疑問を解き明かそうとした者達が食うに困って始めた結果生まれたと、朔夜は聞いている。少なくとも、自分の祖先の起源はそうだと教わってはいたが……それすらも、真偽を確かめたくて仕方がなかった。
だからこそ、朔夜は隠れ里を出て、高校へ進学する道を選んだのだ。
『幸い、金の稼ぎ方は田舎町で嫌という程仕込まれてきたので、最悪食うには困りません。だったら後は、好きに生きようかと思いまして』
『……麻薬組織とかから、お金を巻き上げて?』
『麻薬組織に限らず、ですかね。まあ少なくとも、善人よりは纏まった金持ってますし』
世の中には、善人を食い物にしている者達は多いが、その彼等から金を巻き上げようとする者は、意外と少ない。たとえ実入りが少なく、確実性がなくとも……より安全に成果を得ようとする為に、弱者を標的にしているからだ。
そして、そんな『弱い者いじめ』の域を出ない者達程、自分達が虐げられない為に、かえって貯め込もうとする傾向にある。しかも、法律から目を背けている以上、自分の身は自分達で守らなければならない。だから、適当な犯罪組織は案外、強盗の獲物としては実入りが大きいのだ。
無論、朔夜自身も身を守らなければならないが……たとえ田舎を出ても、『最期の世代』として鍛えられた過去は伊達ではない。並の犯罪組織、ましてや麻薬程度で満足している連中等、むしろ良い小遣い稼ぎの的だった。
一方的に蹂躙した上で略奪し、最後は警察や麻薬取締部に匿名で通報しておけば、報復される心配はない。つまり、朔夜達『最期の世代』にとっては、絶好の収入源だと言える。
『はぁ…………本当にあなたは、義弘君の娘なのね』
話を聞き終えた星来は息を吐いた後、何かを決意した顔を浮かべたかと思えば、静かに席を立ってしまう。
『引っ越しを機に、いいかげん処分しようかと思ってたんだけど……』
そう言い残すと、星来はある物を取りに、自室へと向かっていった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
月弥総合病院
僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる