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02 殿下からの手紙
しおりを挟む……それからのことはよく憶えていない。
顔じゅうが焼けるように熱かったこと。冷たくて湿っぽい地面に倒れていたらだれかが悲鳴をあげたこと。目の前にリンゴやオレンジがばらまかれて落ちていたこと……それくらいだ。
目を覚ますと私はスノウベル家の自分の部屋のベッドにいた。
私の養父である侯爵とその夫人、そして"聖女の先生"であるチズ先生がいて悲痛な顔で私を見ていた。
「お……とう、さま……?」
「フローラ! フローラ、気分はどうだ!?」
いいか悪いかで聞かれたら、わからない、が私の答えだった。
全身がだるくて重い。そして、顔全体がずきずきした。
──私の顔、どうなったの……?
ぼんやりした頭でもそれを考えることが怖かった。
あの青年が持っていたナイフ。まさか……。
「ごめんなさい。ごめんなさい、フローラ。私に聖女の力がもっと残っていれば」
チズ先生が涙を零しながらそう言う。しわだらけの手でにぎりしめているコアは白っぽい赤色だ。
銀髪の上品な老女、チズ先生はかつてこの国で人々を癒していた聖女だ。けれど年をとると共に聖女としての力は弱まっていき、新たな聖女──私が治癒に慣れてきたのをきっかけに引退を宣言。月に一度勉強会を開いて、聖女の先生として私とカリアに自分が学んだことを教えてくれていた。
──カリア……。カリアは、私の治癒にきてくれなかったの?
「カリアはちょうど今日のお昼から他国にでかけていて」と私の心を読んだようなタイミングでチズ先生が言う。「使いはだしたけれど、いつもどってくるか……。それに……」
『それに……』そのつづきは言われなくてもわかるような気がした。
カリアのコアの色はチズ先生とほぼ同じ。チズ先生に治せないのなら……と。
聖女は自分で自分の傷を治すことができない。
だから、チズ先生とカリアにこの傷を癒すことができなければ……
「かがみ」
見てはいけない。でも、確認せずにはいられなくて私はスノウベル侯爵に言う。
「鏡を見せてください、おとうさま」
「……フローラ。いまはやめたほうがいい」
「ならば教えてください。顔の傷は、いくつありますか?」
「…………」
侯爵はうなだれる。私は侯爵夫人とチズ先生を順番に見たけれど、ふたりは答えてくれなかった。痛ましそうに目を逸らしただけ。
仕方なく私は自分でベッドを降り、ドレッサーの前に立つ。
「ああ……」とだれかが吐息をついたけれど止められることはなかった。
鏡に自分の姿が映る。でも、私はしばらくなんの反応もできなかった。
白い髪に赤い瞳。よく儚げだと言われたこの顔は──私が知っている自分の顔ではなかったから。
縦横無尽に走る無数の切り傷。
意味がわからなくて、私はただただぽかんとする。
──これが、私の顔?
信じられなかった。私が自分の顔を両手でさわると鏡の中の少女も同じことをする。
ちがうのは、少女の顔にたくさんの傷があること。……いいえ。傷があるのは、こっち側の私も同じ……
「あ……」
信じたくなかった。
変わり果てた自分の姿を。
「あっ……あああああああっ!!」
鏡の中の少女が叫ぶ。
気絶してしまえればいいのにと思ったけれど私の意識は逆にはっきりしてきて、叫んだせいで顔のすべての傷が一斉に痛みだした。
私の心まで切り裂くように。
「治って……治って……」
それから私はだれにも会わなかった。
アルフレッド殿下がきてくれた。カリアがきてくれた。スノウベル家と親しい貴族の人々が、私を慕う国の人々が、他国の友人が、私の心をすこしでも癒そうとしてきてくれた。
でも私はだれにも会いたくなかった。
だって、この中に私の顔の傷を消せるひとはひとりもいない。それならだれにも会いたくなかった。会えなかった。私を奇跡の聖女といって慕ってくれたひとたちにこんなぐちゃぐちゃの顔を見せられなかった。
スノウベル侯爵も夫人もチズ先生もあれきりこの部屋にいれることはなかった。
いれるのは侍女ただひとり。でも、彼女に身の回りの世話をしてもらうときも私は顔の周りにストールを巻いて傷だらけの顔を見られないようにした。
そして。日がな一日、コアをにぎりしめて過ごした。
ドレッサーに覆いをかけて、それでもそこに傷だらけになった自分が立っている気がして、ついにはたえきれなくなって鏡を粉々に打ち砕いたあとで。
顔を切られたときにチェーンも一緒に切られてしまったらしい。台座だけになったそれをベッドの中でにぎり、治って、と私はつぶやく。
「お願い……治って……」
私が怪我をしたせいか、心の乱れがコアにも反映されているのか……コアの輝きがわずかにいままでとちがっているような気がした。
それが焦りを募らせ、お願い、と私はひたすらくりかえす。
「お願いします……」
どうして私は見ず知らずの青年についていったりしたのだろう? ほんとうにバカだった。
この国に繁栄をもたらしている『生命の樹』だって数年に一度悪意を持った人間に傷つけられそうになる。国の守り神である『生命の樹』ですらそうなのだから、その恩恵を賜っただけの聖女はもっと容易に傷つけられてもおかしくないと考えるべきだった。
──おとうさまの言うとおり、馬車に乗って移動していれば……
──ひとりで路地などに入らなければ……
後悔ばかりがやまない雪のように積もる。
「大樹よ……」
──どうか、私の傷を癒してくださいませ。
『生命の樹』に捧げる祈りの言葉のあとに私はつづける。けれど、顔の傷は消えもしなければ薄くなってもいないことははっきりわかった。目に涙がにじむ。
その雫が顔を伝って枕に落ちたとき。
フローラさま、と侍女が部屋のドアをノックする音がした。
「王太子殿下よりお手紙です」
……お見舞いの手紙だろうか。こんな顔は見せられないけれど、でも。
殿下の明るい笑顔を思いだし、私はのろのろと体を起こす。胸にあたたかいものが広がるのを感じながら。
『フローラ、酷い目に遭ったな。……だが、それでおまえの美しさが変わることはないと私は思う。気持ちが落ちついてからでいい。ゆっくり話そう』
私に会いにきてくれた殿下はドア越しにそう言ってくれた。
会いたくないと言って顔すら見せなかった私に。傷が痛むのが怖くて返事さえまともにできなかった私に。王太子妃にはふさわしくない……顔じゅう傷だらけになった、こんな婚約者に。
「──アルフレッド殿下……」
ドアの隙間から差し入れられた手紙を私はさっそく開封する。
慰めの言葉がならんでいると思っていた。でも。
そこにあったのは。
【貴殿の聖女としての真偽を問いたい。本日正午、《識別の間》にこられたし】
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