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第三章
第八話 祝福の鐘と、悔し涙 《エリン視点》
しおりを挟む王国軍の頂点に立つ、絶対的な存在。
その彼が、はっきりと告げたのだ。
――あのクッキーは、レーヴェが作ったものだと。
それも、彼はレーヴェと一緒に作っていたのだ。
つまり私は、軍のトップに立つ人の功労を奪っていたことになる。
闇のような黒い瞳に見下ろされ、恐怖でガチガチと奥歯が鳴る。
どんな処罰をされるのかと怯える私に、彼は同情することもなく、罪名を告げた。
「お前には、書類の偽造の罪がかけられている」
「…………へ? 書類の、偽造?」
その場にいた人たちは顔を見合わせる。
けれど、私だけは思い当たることがあった。
医療班を希望していたレーヴェの書類を“自分の手で書き換えた”こと。
邪魔なレーヴェと同じ班になるのは嫌だから。
ただそれだけの理由だった。
でも、それは「軍の秩序を揺るがす犯罪」だった。
「婚約者を支えるため、レーヴェはもともと医療班を希望していた。それを、お前が「炊事班希望」と書き換えたことは、すでに調べがついている」
「っ!!」
みんなの前で罪を暴かれ、私は真っ青になった。
私の周囲から、兵士たちの顔がサッと引いていくのが分かった。
「え、うそ……信じられない……」
「そんな……俺たち、ずっと同情してたのに……」
「……アイツ、終わったな」
見下していた彼らにさえ、軽蔑の色を浮かべられる。
指を差すでもなく、声を荒げるでもなく、ただ静かに、誰もが私から離れていった。
この瞬間、孤独という言葉の意味を初めて知ったのかもしれない。
「罰として、軍籍剥奪、罰金刑。そして子爵家からは除籍すると連絡が入っている」
レイノルズ公爵閣下の言葉は、冷たい石のようだった。
しかも、家族にも捨てられたことがわかった。
「っ、そんな……!! 私のお腹には、子がいるんです。今、除籍なんてされたら……」
「自業自得だろ」
私を見限った兵士たちが、吐き捨てる。
冷たい目が刺さり、針の筵だった。
「だって、希望する届けを書き換えただけで、そんな罪になるなんて、思ってなかったのよ……」
「うそでしょ? そんなこともわからないなんて、本当に貴族の教育を受けてきたの……?」
「……最低」
仲の良かった医療班の仲間にも、私を守ってくれる人はいなかった。
友人もなくし、名誉も失った。
金も、人脈も、気安く話しかけてくる者さえ、もういない。
残ったのは、婚約者という名の“罰”だった。
◇ ◇ ◇
平民となった私たちは、辺境の地で息を潜めて暮らすことになった。
窓の外に広がるのは、荒れた畑と獣道だけ。
馬車どころか、人の気配すら滅多にしない。
この場所に、未来なんてあるはずがなかった。
水道も通っておらず、井戸まで片道十五分。
暖炉にくべる薪も、自分たちで割らなければならない。
朝は鳥の声ではなく、外で鳴く野犬の遠吠えで目が覚め、夜は冷え切った部屋で、薄い毛布を巻いて震えていた。
屋根の隙間から雨が漏れるたび、あの豪華なシャンデリアの下で舞っていた自分が、夢だったように思える。
「俺の人生、台無しだ……」
ディルクはうなだれたまま、私の方をを見ることなく呟いた。
「お前と結婚するのが、罰だってさ。皮肉だよな」
笑えなかった。
私も、同じ気持ちだったから。
遠くから、祝宴の鐘の音が届いてくる。
王都の中心で、華やかな宴が開かれているという。
主役は、レーヴェ・ノアール。
かつて私が見下し、追い落とした、あの男。
でも、あの男は何一つ取り繕うことなく、誰にも媚びず、真っ直ぐに、自分の価値を証明してみせた。
でも私は嘘を重ね、他人を貶めて、自分の立場を守ろうとした。
勝てるはずがなかったのだ。
ゴーン、ゴーン、と祝福の鐘が鳴る。
「レーヴェ……」
ふいにディルクが、低く唸るように名を呼んだ。
握った拳が震え、肩が小刻みに揺れる。
「こんなことになるなら……」
その後に続く言葉は、涙に滲んで聞き取れなかった。
私たちへの“ざまぁ”の鐘の音は、遠く高く、夜空に吸い込まれていった。
レーヴェはもう、私たちとは違う世界にいる。
かつて、私が踏み台にしようとした男は今、王都の中央で笑っているだろう。
汚れた過去さえも超えて、ただ真っ直ぐに、愛され、祝福されて――。
私の目の前から消えていった背中は、もうどれだけ足掻いても届かないほど、遠くへ行ってしまった。
それなのに、私はなんて惨めなんだろう。
貴族令嬢だった私が仕事なんてできるはずもなく、妊婦だからと言い訳をして、お金を稼ぐことも、家事をすることも、すべてディルクに頼りきりだった。
何もできずに待っていた私に向けられるのは、重たい沈黙だけ。
でも結局、妊娠しているつもりだっただけで、子は宿っていなかった。
ディルクには完全に愛想を尽かされてしまった。
今では、目が合うことすらほとんどない。
口を開けばため息か、皮肉だけ。
私が何か言えば、黙って部屋を出ていく。
(なんでこんな目に遭わなきゃいけないの……)
自分の現状を嘆いてばかりで、レーヴェに謝る気のない私を見ていたディルクは、「……同類だな」と、自嘲気味に笑った。
女神と呼ばれていたあの頃は、たしかにあった。
でも今、私の名前を呼ぶ人さえ、誰もいない。
――世界に見捨てられた気がした。
――――――――――――――――――――――――
《内容変更のお知らせ》
レーヴェが軍を去るシーンを一部変更しました。
レーヴェは退役届を出したけど、カイゼル様が受理していなかったという流れに変わっていますm(_ _)m
明日から最終章。
一日一話、6:00に投稿する予定です\( ˆoˆ )/
よろしくお願いします(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾
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