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84 ミゲル
しおりを挟むジラルディ公爵邸に到着した瞬間、ミゲルは馬車から飛び降りていた。
息苦しい空間に、耐えきれなかったのだ。
馬車にはミゲルの他に、三名が乗っていた。
表向きは、ジラルディ公爵夫人の弟ということで、護衛をつけているようにみえるだろう。
だが、実際には監視されているのだ。
フラヴィオと離れて、幾分か冷静になったミゲルは、自分の置かれている状況をようやく理解することとなっていた――。
ミゲルが助かる道は、ただひとつ。
最愛の兄のもとへ走れば、フラヴィオは公爵閣下に抱き上げられていた。
「あ、あの、クレム様ッ!?」
おかえりなさいませ、と笑顔で出迎えていた使用人たちだが、今は主人を見上げて固まっている。
そして突然抱き上げられた様子のフラヴィオもまた、彼らと同じく驚いていた。
「兄様ッ!!」
いくら夫であっても、フラヴィオに触れてほしくないと思うミゲルは、たまらず叫ぶ。
ミゲルがフラヴィオに近付こうとしていたが、公爵家の人間によって阻まれる。
ミゲルは、ぶるっと背筋に寒気が走った。
使用人であっても、ミゲルより格上の戦闘能力を持ち合わせていることを肌で感じ取る。
皆の目が、ミゲルを歓迎していないことは明らかだった。
それでもミゲルは足掻く。
自分のために――。
「ぼ、僕はこれから、どうしたら……」
ミゲルを危険人物と判断しているであろう使用人たちからの圧で、ミゲルの声は勝手に震えていた。
そのおかげもあって、フラヴィオがミゲルを気にかけてくれたのだから、僥倖だった。
「っ、ミゲル……」
「父様はきっと、母様と離縁すると思います。僕は、不貞を働いた母親の息子です。父様はきっと、僕のことも恨むはず……。僕は、ひとりぼっちになってしまう……」
使用人たちに拘束されるよう、わざと前に出続けたミゲルは、くしゃりと顔を歪めた。
フラヴィオは、ミゲルを見捨てることなどないと確信しているからこその行為だ。
「安心しろ。部屋を用意してやる」
「っ、」
フラヴィオが頼む前に、公爵閣下が答える。
さっと背を向けた公爵閣下は、誰の目から見ても明らかに不機嫌だった。
「待ってくださいッ!! 兄様ッ!!」
公爵夫人の座に収まったフラヴィオから、『ずっとそばにいて良い』と、言質を取らなければならないミゲルは、必死である。
なにせその言葉がなければ、ミゲルはフラヴィオと共にはいられないのだ。
いくら妻が浮気をしたからといって、フィリッポはやりすぎている。
妻に焼印を押したとなれば、今後は後ろ指を指されることになるだろう。
それに、拘束されたミランダはともかく、フィリッポはまだ行方不明。
領民に追いかけ回されている父親を見捨てたミゲルは、確実に恨まれているはずだ。
(ずっと可愛がられていたけど、母様が不貞を働いた今。僕も憎悪の対象となる可能性が高い……)
今のフィリッポに力を貸す人間がいるとは思えないが、激昂するとなにをしでかすかわからない。
よってミゲルは、ジラルディ公爵の庇護下に置いてもらわなければならなかった。
そうすれば、ミゲルは愛する兄とも永遠に一緒にいられる。
一石二鳥だと考えていたのだ。
「閣下っ!! お待ちくださいっ!! フラヴィオ様が、弟君を気にかけておられますっ!!」
狡猾なミランダに似たミゲルを、援護する者が現れる。
大きな空色の瞳の青年が、子鹿のように震えながらも、公爵閣下の前に立ち塞がったのだ。
青年の行為には、ミゲル自身も驚いていた。
見ず知らずの者だが、たったひとり声を上げてくれた青年に、ミゲルは感謝していた。
「お願いします! フラヴィオ様のためにも、話だけでも――」
小柄な青年が、フラヴィオに手を伸ばした瞬間。
ただならぬ殺気が放たれた。
「私のヴィオに触れるな」
唸るように吐き出された声は、よく通った。
ぱたり、ぱたりと、遠巻きに見ていた使用人が数名気絶する。
主人に楯突いたことで、腰を抜かしてガタガタと震えている小柄な青年を可哀想にも思うが、屈強な男ふたりに両脇を抱えられていたミゲルですら、立っているのがやっとだった――。
辺りが静寂に包まれ、緊張が走る。
殺人鬼のような目をする戦場の鬼神を前にし、ミゲルは呼吸もままならない。
あのアキレスですら、沈黙している。
誰も声を発することができなかったのだが、殺伐とした空気を打ち破った者がいた。
「……私の……ヴィオ……?」
どこか信じられないような、だがうっとりとした小さな声が響いていた。
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