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8 書けなくなった手紙
しおりを挟む秋の風が、庭の木々の葉を少しずつ色づかせる。
ゆるやかに変わりゆく景色を眺めながらも、私の心は落ち着くどころか、ますますざわめいていくばかりだった。
夕陽に照らされた部屋で、ブリトニーから送られてきた、長い長い手紙を読む。
紙面いっぱいに並んだ文字は、どれも彼女らしい弾むような筆跡で、読み進めるうちに部屋の中に彼女の声が響いてくるかのようだった。
『会いたい』
その言葉で締めくくられた文面を目にしただけで、いつもなら胸があたたかく満たされる。
けれど今は、どうしようもなく苦しくなった。
「どうしたらいいの……」
思わず小さくつぶやいてしまう。
――ロミオが私の婚約者候補になってから、私は変わってしまった。
以前は素直に「私も会いたい」と書き返すことができたのに、今では筆を取る手が止まってしまう。
もともと、ブリトニーとの文通は頻繁なものではなかった。
数か月に一度、お互いの近況を確かめ合う程度で、間が空くのは珍しいことではない。
加えて、リヴィエール公爵家の使用人たちが定期的にパン屋を訪れ、ブリトニーや子どもたちの暮らしを見守ってくれている。
だから、彼女が元気にしていることはちゃんと伝え聞いている。
それでも――。
私の隣には、いつもロミオがいる。
物語通りならば、ロミオは一途にブリトニーを想い続け、彼女と共に未来を歩むはずだった。
それを私が横取りしてしまったのだと思うと、胸の奥を鋭い罪悪感がえぐる。
(ブリトニーの幸せな未来を、私が奪ってしまったんじゃ……)
罪悪感で心臓がきゅうっと縮んだそのとき、不意に声をかけられた。
「ルキナ、何か悩み事?」
「っ……」
その声音に、胸が跳ねる。
顔を上げると、すぐ近くにロミオがいた。
人前ではきちんと「ルキナ様」と呼ぶのに、こうしてふたりきりのときだけは、名前をそのまま呼んでくれる。
それだけで、まるで誰にも知られてはいけない秘密を分け合っているようで、心臓が騒がしくなった。
「どうかした?」
彼の琥珀色の瞳が、まるで心の奥を覗き込むようにこちらを捉えている。
世界で一番美しいのは、兄であるジークレインだと、ずっと信じていた。
けれど今は違う。
ロミオに見つめられると、胸がどくんと跳ね、どうしようもなく息苦しくなる。
茶色の髪だって、貴族の中では特別な色ではない。
でも、今の私には、どんな人混みの中にいても彼を見つけ出せる自信があった。
(……これは重症だわ)
「ルキナ?」
「あっ、えーっと……。ブリトニーにね、なんて返事を書こうかなって考えていたのよ」
「そっか」
私の言葉に、ロミオはほっとしたように目を細めて笑った。
その笑みは優しく、柔らかく――けれど、胸の奥に棘のように突き刺さる。
彼はブリトニーの恋人になるはずだった。
その人が今、私に微笑んでいる。
その事実が、どうしようもなく苦しい。
気づかれまいと慌てて取り繕い、私はペンをロミオへと差し出した。
「……ロミオも書いたら?」
「僕はいいよ」
小さく首を振り、困ったように眉を下げるロミオ。
その仕草を見た瞬間、私は心のどこかで安堵してしまった。
(ああ、もう嫌……。私って、なんて醜い人間なの)
彼がブリトニーへ手紙を書かないことに、ほっとしてしまった自分がいる。
本当なら、二人を応援するはずだったのに……。
ロミオは誰よりも真面目で、謙虚で、思いやりのある人だ。
だからこそ、惹かれてしまった。
理性ではダメだとわかっているのに、心は抗えない。
そんな葛藤に沈む私を見ていたロミオは、そっと机の上に手を置き、ためらいがちに私の手に触れた。
「無理に書かなくてもいいよ。言葉にできないときだってある」
「……ロミオ?」
「君はいつも、人のことを考えすぎて、自分の気持ちを後回しにしてしまう。だから……少しくらい、わがままになってもいいんだ」
その声は低く穏やかで、耳に触れるだけで安心を誘う。
彼の掌はあたたかく、優しい熱を私に伝えてくれる。
――どうして。
どうして、こんなにも私を大切にしてくれるの。
答えのない問いが胸に渦巻き、気づけば目頭が熱くなっていた。
「ルキナ?」
「な、なんでもないの! ……本当に、なんでも」
慌てて手を引こうとしたけれど、ロミオは強く握り締めはしなかった。
ただ包み込むように支えて、私が逃げるのを待ってくれていた。
その優しさが、また胸を締めつける。
(ブリトニーが私の気持ちを知ったら、なんて思うんだろう……。嫌われちゃう、よね……)
琥珀色の瞳に映る自分を見つめながら、胸の奥で芽吹いてしまった想いを否定することができなかった。
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