16 / 50
14 準男爵家
しおりを挟む春の訪れを告げる花々が、リヴィエール公爵邸の庭を彩る。
ついこのあいだまで、凍える風に肩をすくめていたというのに、今では柔らかな陽光が差し込み、使用人たちの表情にもどこか明るさが増していた。
そんな折、ロミオとブリトニーは、適切な距離を保つと心に誓った。
私はそのことに安堵し、ようやく胸のつかえが取れたような気がしていた。
けれどその安堵は、表彰式の日にあっけなく崩れ去った。
「パン屋の看板娘が、あんな可愛い子だったとは……」
誰かのつぶやきが、耳に届く。
壇上に姿を現したブリトニーに、会場中の視線が吸い寄せられていた。
街の小さなパン屋にすぎなかったブリトニーの家が、貧しい人々を救った功績を称えられ、準男爵家として叙爵されることになったのだ――。
(ブリトニーの家族にとっては、これ以上ない吉報……。でも、ブリトニーは大丈夫なの?)
支えとなる存在もなく、突然に貴族社会へと放り込まれてしまうブリトニーが、この先どうなるのか――想像しただけで胸がざわついた。
私が動いたせいで、未来は確実に変わっている。
その事実が、氷のように冷たい重みとなって心の底に沈んでいく。
眩い会場の光が霞み、くらくらと視界が揺れる。
立っているのも、やっとだった。
「ルキナ様、大丈夫ですか?」
どんどん具合が悪くなってくる私に、ロミオは気づいたのだろう。
自然に私の腕を取ってエスコートしてくれた。
「ええ、平気よ……」
可愛いリボンのたくさんついた桃色の衣装を着たブリトニーが、ゆっくりと歩いてくるのが視界の端に映る。
(今は会いたくなかったのに……)
こんなに愛らしい初恋の人を見たら、誰だって心惹かれてしまうだろう。
そう確信した。
「ルキナ様、ロミオ様。ご無沙汰しております」
ロミオに腕を取られ支えられている私に、ブリトニーが慣れない仕草でドレスの裾をつまみ、覚えたてのカーテシーをしてみせた。
本来なら、格上である私やロミオから声をかけるべきだ。
しかし、貴族の礼儀作法を知らないブリトニーは、そんなことには気づかず、いつも通りに笑みを向けてくる。
けれども、誰も彼女を咎めたりはしなかった。
なにせ、表彰のきっかけとなった「揚げパン」が、リヴィエール公爵家の後ろ盾によって広まったことを、誰もが知っているからだ。
私は努めて気にしていないふうを装い、微笑んだ。
「おめでとう、ブリトニー。表彰されたのは、パンを売っていたからだけではないわ。あなたが孤児院で積極的に活動していたことも、きっと評価されたのよ」
「へへっ……そうでしょうか」
頬を染めて鼻先をこするブリトニー。
その仕草があまりに無邪気で、まるで背後に花が咲いているように見えた。
「小さな町のパン屋の娘が、まさかお貴族様になれるなんて……。今でも夢みたいですっ。これもすべて、出会ったあの日に手を差し伸べてくださった、ルキナ様のおかげです! 本当にありがとうございます!」
白い歯を見せて笑うブリトニーの姿は、どこか健康的で瑞々しい。
上気した頬や、小麦色の肌――。
コルセットで体を締め上げ、令嬢たちが競うように白粉を塗り重ねるなかで、彼女だけが自然なままの姿をさらしている。
髪もまた、飾り立てすぎず、桃色の柔らかな波が肩に落ちている。
けれども私は、そうした「自然な美しさ」が、むしろ完成された令嬢たちよりも目を奪うものだと気づいてしまった。
(やめて……見ないで……)
ブリトニーの魅力に、男性陣が次々と視線を向けるのも無理はない。
そして、その中にロミオも含まれていることを、私は痛いほど理解していた――。
555
あなたにおすすめの小説
『紅茶の香りが消えた午後に』
柴田はつみ
恋愛
穏やかで控えめな公爵令嬢リディアの唯一の楽しみは、幼なじみの公爵アーヴィンと過ごす午後の茶会だった。
けれど、近隣に越してきた伯爵令嬢ミレーユが明るく距離を詰めてくるたび、二人の時間は少しずつ失われていく。
誤解と沈黙、そして抑えた想いの裏で、すれ違う恋の行方は——。
狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します
ちより
恋愛
侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。
愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。
頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。
公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。
『影の夫人とガラスの花嫁』
柴田はつみ
恋愛
公爵カルロスの後妻として嫁いだシャルロットは、
結婚初日から気づいていた。
夫は優しい。
礼儀正しく、決して冷たくはない。
けれど──どこか遠い。
夜会で向けられる微笑みの奥には、
亡き前妻エリザベラの影が静かに揺れていた。
社交界は囁く。
「公爵さまは、今も前妻を想っているのだわ」
「後妻は所詮、影の夫人よ」
その言葉に胸が痛む。
けれどシャルロットは自分に言い聞かせた。
──これは政略婚。
愛を求めてはいけない、と。
そんなある日、彼女はカルロスの書斎で
“あり得ない手紙”を見つけてしまう。
『愛しいカルロスへ。
私は必ずあなたのもとへ戻るわ。
エリザベラ』
……前妻は、本当に死んだのだろうか?
噂、沈黙、誤解、そして夫の隠す真実。
揺れ動く心のまま、シャルロットは
“ガラスの花嫁”のように繊細にひび割れていく。
しかし、前妻の影が完全に姿を現したとき、
カルロスの静かな愛がようやく溢れ出す。
「影なんて、最初からいない。
見ていたのは……ずっと君だけだった」
消えた指輪、隠された手紙、閉ざされた書庫──
すべての謎が解けたとき、
影に怯えていた花嫁は光を手に入れる。
切なく、美しく、そして必ず幸せになる後妻ロマンス。
愛に触れたとき、ガラスは光へと変わる
白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』
鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」
華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。
王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。
そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。
レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。
「お願いだ……戻ってきてくれ……」
王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。
「もう遅いわ」
愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。
裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。
これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。
フッてくれてありがとう
nanahi
恋愛
「子どもができたんだ」
ある冬の25日、突然、彼が私に告げた。
「誰の」
私の短い問いにあなたは、しばらく無言だった。
でも私は知っている。
大学生時代の元カノだ。
「じゃあ。元気で」
彼からは謝罪の一言さえなかった。
下を向き、私はひたすら涙を流した。
それから二年後、私は偶然、元彼と再会する。
過去とは全く変わった私と出会って、元彼はふたたび──
月夜に散る白百合は、君を想う
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。
彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。
しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。
一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。
家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。
しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。
偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。
探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?
雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。
最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。
ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。
もう限界です。
探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。
女性として見れない私は、もう不要な様です〜俺の事は忘れて幸せになって欲しい。と言われたのでそうする事にした結果〜
流雲青人
恋愛
子爵令嬢のプレセアは目の前に広がる光景に静かに涙を零した。
偶然にも居合わせてしまったのだ。
学園の裏庭で、婚約者がプレセアの友人へと告白している場面に。
そして後日、婚約者に呼び出され告げられた。
「君を女性として見ることが出来ない」
幼馴染であり、共に過ごして来た時間はとても長い。
その中でどうやら彼はプレセアを友人以上として見れなくなってしまったらしい。
「俺の事は忘れて幸せになって欲しい。君は幸せになるべき人だから」
大切な二人だからこそ、清く身を引いて、大好きな人と友人の恋を応援したい。
そう思っている筈なのに、恋心がその気持ちを邪魔してきて...。
※
ゆるふわ設定です。
完結しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる