15 / 50
13 初恋と、一目惚れ 《ロミオside》
しおりを挟む幼い頃、母を病で亡くした。
心の弱かった父は悲しみに耐えられず、酒に溺れていくようになる。
父に似ている僕は、素面のときには「自慢の息子だ」と頭を撫でてもらえた。
でも、一度酒が入れば豹変する。
殴られ、蹴られ、生傷の絶えない子供時代だった。
それでも、母を失った悲しみは理解できる。
だから暴力を受けてもなお、必死に寄り添おうとした。
けれど――父は酒を手放さず、僕の心は限界に近づいていた。
そんなときに出会ったのが、ブリトニーだった。
「アタシが焼いたパンを食べて、元気出して!」
にっこり笑いかけてきた少女の桃色の髪から、焼きたてのパンの匂いがした。
見知らぬ僕にパンを分けてくれる優しさに胸を打たれる。
差し出されたのは固くなった売れ残りのパンだったけど、彼女の存在は確かに僕を救った。
貧乏男爵家に生まれた僕には、友達と呼べる存在はいなかった。
容姿を褒められても、家名を聞いた途端に人は冷めた目を向ける。
だからこそ、気さくに声をかけてくれたブリトニーに惹かれるのは自然なことだった。
ふたりで秘密の小屋に集まり、他愛もない話をする。
彼女は笑ってくれたけれど、僕の胸の奥には常に「生きる意味なんてあるのだろうか……」という虚しさが残っていた。
本当は学びたかった。
けれど家には父の怒号があり、学べる環境はない。
参考書を買うお金も、すべて酒代に消えていった。
「いっそ、あの人が消えてくれたら……」
ふと漏れた自分の言葉に、我ながら愕然とした。
天涯孤独になっても構わないと思うほど、追い詰められていたのだ。
――そんな僕を照らしたのが、ルキナ様だった。
リヴィエール公爵家の宝。
黄金色の髪は光を受けてきらめき、瞳は澄んだ湖のような青。
歩けば人々が振り返り、微笑めば場が明るくなる。
噂ではふくよかだと聞いていたけど、僕の目には健康的で愛らしく、なにより気品に満ちて映った。
出会った瞬間、胸を貫かれた。
今にして思えば――あれは一目惚れだった。
ルキナ様は勉強を教えてくれ、学べる環境を整えてくれた。
孤独だった僕を人々に紹介し、交友の輪を広げてくれた。
努力家で、誰よりも優しく、強い心を持っていた。
気高いのに驕らず、ひたむきに未来を見つめる姿は、僕の中でいつしか女神のように神聖な存在となっていた――。
そんな彼女の婚約者候補に選ばれたときの喜びは、天にも昇る思いだった。
パーティーで彼女をエスコートすると、誰もが自然と僕を婚約者と認める。
羨望の視線を浴びるたび、過去の自分とは違うのだと実感し、胸が満たされた。
ルキナ様の隣に立つだけで、不思議と自信が湧き、暗い記憶さえ薄れていった。
そんな折――ブリトニーと再会した。
「それじゃあアタシも、ルキナって呼んでいいですか!?」
思ったことをすぐ口にする彼女。
ルキナ様が寛容に許してくれたから良いものの、本来ならば不敬罪に問われてもおかしくない。
僕は気が気ではなかった。
でも、だからといって注意することもできずにいると、距離が近いとジークレイン様に叱責された。
「ルキナの伴侶になるということは、すなわちリヴィエール公爵家に婿入りするということだ。その覚悟を持て」
「っ……」
頭を打ち据えられたような衝撃だった。
僕はずっと、リヴィエール公爵家を継ぐのは嫡男であるジークレイン様で、ルキナ様は公爵家の配下にある子爵家を継ぐものだと思い込んでいたのだから。
(……だから、僕はいつまでも「候補」のままだったのか)
「これからは、より一層精進したいと思います」
「……ああ。私はお前を応援している。心から、だ」
穏やかに頷いたジークレイン様は、続けて静かに言葉を重ねる。
「公爵家に相応しい人間になることはもちろんだが――それ以上に、ルキナを悲しませないこと。リヴィエール公爵夫妻の至宝を、必ず幸せにしてくれ。それを約束できるか?」
胸に響くその声音に、僕は深く息を吸い込み、気持ちを新たに頷いた。
彼は出逢った頃から変わらず僕を気にかけてくれ、導いてくれる憧れの存在だ。
その期待に応えたい。
そう心から思った。
――けれど、社交の場でブリトニーと顔を合わせるたびに、否応なく遠い記憶が蘇ってしまう。
(この香り……)
通りすがりに、ブリトニーの髪からあの頃と同じパンの匂いがした。
肩を寄せ合い、ひとつのパンを分け合った時間。
言葉にしなくても心が通った日々。
(……ブリトニーは、今の僕をどう思っているのだろう)
あれだけ惨めな地獄にいたのに。
今が幸福すぎるせいで、ブリトニーと過ごした日々を都合よく美化していたことに――僕はまだ気づいていなかった。
716
あなたにおすすめの小説
狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します
ちより
恋愛
侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。
愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。
頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。
公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。
『紅茶の香りが消えた午後に』
柴田はつみ
恋愛
穏やかで控えめな公爵令嬢リディアの唯一の楽しみは、幼なじみの公爵アーヴィンと過ごす午後の茶会だった。
けれど、近隣に越してきた伯爵令嬢ミレーユが明るく距離を詰めてくるたび、二人の時間は少しずつ失われていく。
誤解と沈黙、そして抑えた想いの裏で、すれ違う恋の行方は——。
『影の夫人とガラスの花嫁』
柴田はつみ
恋愛
公爵カルロスの後妻として嫁いだシャルロットは、
結婚初日から気づいていた。
夫は優しい。
礼儀正しく、決して冷たくはない。
けれど──どこか遠い。
夜会で向けられる微笑みの奥には、
亡き前妻エリザベラの影が静かに揺れていた。
社交界は囁く。
「公爵さまは、今も前妻を想っているのだわ」
「後妻は所詮、影の夫人よ」
その言葉に胸が痛む。
けれどシャルロットは自分に言い聞かせた。
──これは政略婚。
愛を求めてはいけない、と。
そんなある日、彼女はカルロスの書斎で
“あり得ない手紙”を見つけてしまう。
『愛しいカルロスへ。
私は必ずあなたのもとへ戻るわ。
エリザベラ』
……前妻は、本当に死んだのだろうか?
噂、沈黙、誤解、そして夫の隠す真実。
揺れ動く心のまま、シャルロットは
“ガラスの花嫁”のように繊細にひび割れていく。
しかし、前妻の影が完全に姿を現したとき、
カルロスの静かな愛がようやく溢れ出す。
「影なんて、最初からいない。
見ていたのは……ずっと君だけだった」
消えた指輪、隠された手紙、閉ざされた書庫──
すべての謎が解けたとき、
影に怯えていた花嫁は光を手に入れる。
切なく、美しく、そして必ず幸せになる後妻ロマンス。
愛に触れたとき、ガラスは光へと変わる
私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~
marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」
「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」
私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。
暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。
彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。
それなのに……。
やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。
※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。
※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。
探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?
雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。
最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。
ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。
もう限界です。
探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。
白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』
鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」
華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。
王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。
そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。
レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。
「お願いだ……戻ってきてくれ……」
王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。
「もう遅いわ」
愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。
裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。
これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。
フッてくれてありがとう
nanahi
恋愛
「子どもができたんだ」
ある冬の25日、突然、彼が私に告げた。
「誰の」
私の短い問いにあなたは、しばらく無言だった。
でも私は知っている。
大学生時代の元カノだ。
「じゃあ。元気で」
彼からは謝罪の一言さえなかった。
下を向き、私はひたすら涙を流した。
それから二年後、私は偶然、元彼と再会する。
過去とは全く変わった私と出会って、元彼はふたたび──
月夜に散る白百合は、君を想う
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。
彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。
しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。
一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。
家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。
しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。
偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる