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42 ずっと見守ってきた使用人たちは
しおりを挟む「エデン領……? 一体何の話?」
不思議そうに首を傾げるジークレイン様。
前世の記憶を口にすることはできず、私は慌てて言い訳をひねり出した。
「えっと……この地が蘇った時には、エデンって名に変えるのはどうかしら? 楽園って意味よ。で、でも、今パッと思いついただけだし、ネグレアのままでも構わないけれど……」
「いや。生まれ変わった領地の名を改めるのは、いい考えだと思うよ」
ジークレイン様は、私の提案を受け入れてくれる。
嫌がらせとして押しつけられたはずの地が、やがて華々しく称賛を浴びる舞台になる――そんな予感が胸を満たした。
「ジーク様とロミオが一緒なら……ここはきっと、『見捨てられた地』なんかじゃなくなるわ!!」
三人で力を合わせようと口にすると、ジークレイン様もまた迷いなく頷いた。
きっと彼は、怒りを抱きながらも弟と和解する機会を待ち望んでいたのだろう。
そしてロミオも、誠意を宿した瞳に涙を浮かべるほどの決意を滲ませていた。
(……なんだか、調子が狂うわ)
昔よりロミオからの熱い視線を感じ、複雑な思いを抱きながらも、私はふたりと並んで歩みを進めることにした。
◇ ◇ ◇
「ここの鉱山が採掘途中で閉鎖されたのは、この独特な匂いが原因と言われています。なのでこの先は、未開発のままなのです」
ロミオの言葉に導かれて、私たちは放置されて久しい鉱山へと足を運んだ。
荒れ果てた坑道は入り口すら崩れかけ、硫黄の匂いが鼻をつく。
人の気配はまるでなく、鳥すら近づかない。
「……本当に、鉱脈が眠っているのかしら」
思わず漏れた呟きに、ロミオは力強く答える。
「可能性はあります。かつては銀が採れていた記録もありますから……!」
ロミオは目を輝かせ、拳を握りしめていた。
けれど私は、違うものに気付いていた。
坑道の奥から、かすかに立ちのぼる白い蒸気。
足元に広がる湿り気を帯びた土。
そして、肌を撫でるような心地よい温かさ――。
(この硫黄の匂い……そういうことだったのね!)
思わず膝をつき、手で掬った水は、ぬるりとした独特の感触を持っていた。
冷たい秋風の中で、それは確かに湯気を立てている。
「ジーク様、ロミオ! 鉱石なんて、もうどうでもいいわ!」
二人が驚いたように振り返る。
「この地に眠っているのは、鉱石じゃない……温泉よっ!!」
その言葉を口にした瞬間、胸が高鳴った。
不毛の地と蔑まれ、硫黄臭くて誰も寄りつかなかった場所。
けれどここには、病を癒し、人を集め、経済を回す――真の宝が眠っていたのだ。
(そうよ……『見捨てられた地』なんかじゃない。ここは、未来の楽園になる!)
領地の方針はすぐに決まった。
ネグレア領は、温泉を活かした療養地として開発されることになったのだ。
リヴィエール公爵家から人員が派遣され、ジークレイン様が指揮を執り、ロミオも傍らで支えた。
その隣には、ブラッドの姿もある。
「ロミオ様。……今回は、私の意見を聞いてくださるのですね?」
ブラッドの問いかけに、ロミオはわずかに肩を揺らした。
短い沈黙ののち、押し出すように言葉が零れた。
「っ……あのときは、悪かったよ」
その言葉に、ブラッドは「冗談です」と、真顔で告げる。
何が冗談なのか、私にはわからない。
けれど、二人の間にだけ流れる空気があるのは確かだった。
一時的な共闘とはいえ、互いを見やる横顔は、不思議と晴れやかに見えた。
けれど私にできるのは、工事を進めるふたりを見守ることではなく、屋敷で領地の未来を考えること。
記録を整理し、食料の備蓄を数え、使用人たちと方策を練る。
そんな日々を重ねながら、私は新たな一歩を模索していた。
「温泉が完成したら、まずは領民の方々を招待したいわ」
「そうですね。きっと喜ばれると思います」
使用人たちと未来を語らう時間は、どこか夢のようで心が温かくなる。
領民を幸せにしてこそ、立派な領主――そう信じて疑わなかった。
「……ですが、冬を越せるでしょうか」
重苦しい問いかけに、私は唇を結んでから答える。
「ネグレア領民が冬を越せるだけの食料は、すでに確保してあるわ。けれど……毎年その分を公爵領から運ぶようでは、いずれ不満が出てしまうでしょう。だからこそ、彼らが工事に参加してくれれば、賃金を払うことができるのだけど……」
温泉事業の協力者を募っても、領民の反応は冷ややかなものだった。
これまで王家も他の領主も手を差し伸べなかったのだから、無理もない。
救われる未来などあるはずがないと、誰もが諦めてしまっているのだ。
「領民たちが、自ら立ち上がってくれるような、何かきっかけがあればいいのだけど……」
「ルキナ様。我ら料理班に、ひとつ案があるのですが――」
珍しく声を上げたのは、料理人たちだった。
「なにかしら?」
「以前、ルキナ様が考案した『揚げパン』。今は幻となってしまったパンを、みんなで作って領民に配るのはどうですか?」
「っ……それは……」
みんなが大好きな揚げパン。
本来なら、そのパンを焼くのはブリトニーの役割だった。
けれど今、私が決断を迫られている。
「あの革命的なパンは、領民の心を必ずや掴むはずです!! ルキナ様、やりましょう!!」
料理班だけでなく、使用人たちの勢いに押されて、私は決断する。
「では、専門家を呼びましょう」
「「「おおおお!!」」」
私はブリトニーに連絡を取ることにした。
けれど、ずっとブリトニーの実家のパン屋を見守ってきた使用人たちは、驚きと戸惑いの表情を浮かべる。
「……ザック様をお呼びすべきではありませんか?」
パン屋を継いだ兄――ザックを呼ぶべきだという意見が、使用人たちの間で圧倒的に多かった。
そのため私は、ヒロインではなく、彼女の兄ザックに連絡を取ることに決めた。
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