初恋を諦めたあなたが、幸せでありますように

ぽんちゃん

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2 世界の中心は私はじゃない

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 ふたりの名を口にすれば、日本人だった前世の記憶がよみがえった。

 私は平凡な容姿で、特別な才能もない、ごく普通の女子高生だった。
 家族は両親と妹の三人。
 仲は良好で、不満もなかった。
 ただ、男子と話すのが苦手という理由から女子校を選び、彼氏はできなかった。
 けれど、気の合う友達とワイワイ騒ぎ、十分に楽しい学生生活を送っていたと思う。

 そんなおぼろげな前世の記憶より、今はもっと大事なことがあった。


 ――目の前にいる幼い男女が、妹の好きだった恋愛漫画の登場人物にそっくりだということ。


 明るい茶髪の少年は、ロミオ・フルニエ。
 男爵家の子息だ。
 意志の強さを宿した琥珀色の瞳が印象的で、まさに正統派の美少年。
 けれど今は、その頬に痛々しい傷を負っている。
 母親を流行病で亡くし、酒に溺れた父親から虐待を受けているからだ。

 そんなロミオの支えとなるのが、パン屋の娘ブリトニー。

 ふわふわとした桃色の髪と瞳が愛らしい女の子で、いつも怪我をしているロミオに寄り添う健気な存在だった。
 八人兄妹の長女として、忙しい両親に代わって妹弟の面倒を見る日々。
 貧しい暮らしの中でも明るさを失わず、他者を思いやるブリトニーこそ、ヒロインに相応しい少女だ。


 身を寄せ合い、ひとつのパンを分けて食べる。
 そんなふたりが恋に落ちるのは、必然だった。

(そうよ、この世界の中心は私じゃない。あのふたりだわ!)


 ――『身分差婚。~愛され妻は、今日も甘いパンを焼く~』。


 平民の娘ブリトニーが、貴族の美青年ロミオに娶られるシンデレラストーリー。
 妹は、ふたりが結ばれるまでの恋模様を楽しんでいたけれど、私は結婚後のアフターストーリーに夢中だった。

 母の死と父からの虐待という悲しみを乗り越えたロミオは、立派なヒーローへと成長する。
 やがて功績を讃えられ、国王陛下より領地を任されるが、思うように経営は進まない。
 そんな時、妻ブリトニーは貴族の妻でありながら台所に立ち、パンを焼き続けた。
 「役立たず」と使用人から蔑まれ、辛い思いをしながらも、やがて彼女の作る甘いパンが、困窮する領地を救うのだ。

(頑張り屋で、とにかく応援したくなるふたりなんだよね)

 目の前にいる幼いふたりが、そんな物語の主人公であることを思い出し、胸が震える。
 勇者や魔法が活躍する壮大な冒険譚ではない。
 けれど、数ある恋愛漫画の中で私は課金してしまうほど夢中になった。


「…………どうしてふたりの名前を知っているの? ルキナ」


 大好きな兄様の声が届いても、私は興奮のあまり反応できなかった。
 目が離せない。

(そういえば……焼きたてパンの匂いがするブリトニーのことを、ロミオはいつも抱きしめたいと思っていたんだよね……)

 まだ幼い彼らに、恋心は芽生えていないだろう。
 けれど、互いにとって特別な存在であることは間違いなかった。

 私は主要人物ではなく、彼らの恋愛模様に巻き込まれる立場でもない。
 ただ特等席から物語を見守れる。

 ――これ以上の幸運があるだろうか。

 夢中で見つめ続けるうち、ひとつの違和感に気づいた。
 ロミオの腫れた頬である。


「……怪我の手当てをしなくて大丈夫かしら?」

「ああ。よく見たら、かなり腫れているね」

「っ……」


 独り言のつもりが返事をされ、思わずうろたえる。
 兄様が隣にいたのを、すっかり忘れていた。
 けれど、兄様はただ心配そうにロミオを見ており、挙動不審な私には気づいていない。


「口を開けるのも辛そう……。このままだと傷跡が残るかもしれないわ」

「そうだね。まともに食事も取れていないだろうし、治りも遅くなるかもしれない」


 眉を下げ、悲しげに言う兄様。
 見知らぬ少年を心から案じるその声色に、胸が締めつけられた。

(ジークレイン様……なんて優しい方なの……。私と血が繋がっているとは思えない)

 ロミオが主役の物語だと知っているけれど、兄様がヒーローを務める物語があってもいい――。
 そう思えるほど、彼は完璧だった。
 もしそんな物語があったなら、ぜひとも読みたい。

(はぁぁ……。兄様だってわかってるのに、直視できない……!)

 前世の記憶を思い出してからというもの、兄様の横顔が美しすぎてまともに見られない。
 声をかけるのも恐れ多い。
 けれど、ロミオとブリトニーのため、八歳児になりきって勇気を振り絞った。


「あっ! そうだわ。雨宿りのお礼に、お薬を残していくのはどうかしら?」


 遠乗りに出る際、心配性の母様が兄様に持たせる鞄には、さまざまな薬が入っている。
 湿布や痛み止めもあるはずだ。
 そう口にすると、兄様は眩しいものを見るように目を細めた。
 その柔らかな笑みに、胸が跳ねる。


「ルキナは優しいね。……君の言う通りにしよう。薬は使ってもらえるかわからないけど、湿布ならきっと役立つはずだ」


 そう言って薬と湿布を取り出した兄様は、扉の前にそっと書き置きを残す。

(本当なら、身分を明かして直接渡した方がいいのかもしれない。けど――あのふたりには余計な介入をせず、見守るのが正解よね)

 私が介入せずとも、ふたりがハッピーエンドを迎えるとわかっているのだ。
 余計なことはしない方がいいだろう。
 ロミオの傷が早く治りますようにと祈りながら、私たちは小屋をあとにした。


















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