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第二章
14 恋? ロキに? やめてくれよ、ジノ 《ロキ視点》
しおりを挟む大規模な夜会を終えてグロンダン家へ戻ると、行きとは打って変わって、屋敷は不穏な気配に包まれていた。
空気が張りつめ、冷たい風が足元を這うように流れている。
まずは、任務どおり、グロリアーナを彼女の部屋まで送り届ける。
その折、屋敷の奥にある当主の部屋から、怒声が響いた。
「いない? ……どういうことだ。なぜ“あの子”がいない!!」
俺たちクロム民族の戦士は、聴力に優れる。
距離があっても、マリシャス・グロンダンの怒りがはっきり聞こえた。
「も、申し訳ありません、気づいたときにはもう……」
「この役立たずがっ! 探し出せ!! あの子を見つけるまで、帰ってくるなッ!!」
ガシャーン!
何かを叩きつけるような音。
怒号とともに響いたその音に、廊下を行き交う使用人たちが一斉に顔を伏せ、足早に通り過ぎてゆく。
マリシャスがここまで取り乱すなど、滅多にあることではない。
(なにか、まずいことが起きたんだな)
嫌な予感を抱えたまま、俺は仲間たちを連れて当主の部屋を訪れた。
「戻りました」
「……おや、お前だったか」
マリシャスは、驚きと焦燥をごまかすように、平静を装っていた。
だが、その手は机の端を強く握り、爪が白く浮かんでいる。
「お前の弟の具合が思わしくなくてね。大きな療養所に移したところだ」
俺たちは互いに目を見交わした。
その言葉が嘘であることに、全員が即座に気づく。
(あの男が、自分の管理下からシャノンを手放すわけがない)
俺たちは全員、同じ結論に至っていた。
シャノンは連れ去られたのだ。
「ひとまず、もう今日は休め」
そう言って俺たちを追い出したマリシャスの顔には、もはや余裕の色はなかった。
夜の帳が落ちた家畜小屋は、湿った藁の匂いと、獣の体臭が混ざり合っていた。
わずかな隙間から差し込む月光が、朽ちかけた木壁を照らす。
俺たちは身を寄せ合い、足音を殺すようにその場に座っていた。
だが、空気は不穏にざわついていた。
「……誰が、シャノン様を?」
俺の右腕であるゼクトが、低く問いかけた。
銀髪の剣士は、いつも冷静沈着な男だ。
だが今、その眼差しの奥には、確かな怒りが灯っている。
「俺は昨日の夜、シャノン様が連れ去られる夢を見たんだ。……現実になっちまったか」
赤いドレッドを揺らし、ジノが舌打ち混じりに呟く。
その見た目だけなら、荒くれの戦士か、傭兵上がりの暴れ者にも見えるだろう。
だが、実際のジノは真逆だ。
料理好きで、子どもに甘く、誰よりも情に厚い。
シャノンをまるで家族のように可愛がっていた。
「どんな人間が来ても、あそこからシャノン様を連れ出すことは難しい。……内部に協力者がいた。そう考えるのが自然だな」
冷静な声を発したライナスは、眼鏡の縁を軽く押し上げた。
青い髪が爽やかな容姿のライナスだが、警戒心は誰よりも強い。
特にルシス国の人間――つまり俺たちを奴隷とした民族を、彼は微塵も信じていない。
「どうする? ロキ」
全員の視線が俺に向けられる。
俺の判断が、これからの行動を決める。
「シャノンは、この国の誰よりも“価値”がある。もし本当に連れ去られたなら、それはもう、ただの騒動じゃ済まされない」
俺にとって、シャノンはただの弟じゃない。
クロム民族、最後の正統な王子。
王位継承権第一位を持つ、“最後の光”――。
俺の母親は、正妃の信頼する侍女だった。
なかなか子ができなかった正妃に頼まれ、側妃となって俺を産んだ。
『いいかい、ロキ。お前は、シャノン様の盾になるために生まれたの。あのお方の命を、誰よりも守りなさい』
だからこそ、俺のそばにいる仲間たちも、皆シャノンを命より大切にしている。
この身は、シャノンを守るためにある。
そう信じて、ここまで生きてきた。
だが、そんな俺たちの結束を、脅かす声が上がる。
「そもそも! こんなことになったのは、ベルナ・セザンヌのせいだろ!」
ライナスの怒気を孕んだ声が、小屋の梁を揺らす。
その声に、ジノが一瞬だけ眉を動かした。
「アイツが、俺たちにアバズレ女の護衛を命じなければ……。誰かひとりでもここに残っていれば、シャノン様の危機に気づけたのに……。クソッ!」
ライナスは苛立ちを隠しもせず、寝藁を思いきり蹴り上げる。
乾いた音とともに、埃が舞い、淡い光の中でちらついた。
「……本当に、あの人のせいだと思ってるのか?」
静かにそう呟いたのは、ジノだった。
「あの人は、ロキのことを気に入ってると思う。だから、俺たちにも良くしてくれるんだ。余り物と見せかけて、いつも飯を持ってきてくれるし……」
言葉の選び方に迷いながらも、ジノの瞳には確かな温度があった。
その優しさは、荒々しい外見からは想像もつかないほど静かで、あたたかかった。
「は? あいつがロキにかまうのは、利用価値を見極めようとしてるだけさ。表情を見ればわかる。いつも俺たちにまで飯を持ってくるのも“計算”だよ。け・い・さ・ん!」
ライナスは鼻で笑いながら言い捨て、眼鏡の奥に潜む冷たい光をこちらに向けた。
「……俺には、ただの恋するおぼっちゃまに見えるんだけど?」
ジノがぽつりと呟いた瞬間、時が止まったように空気が変わった。
だがそれは、俺を“戦力”として見る眼差し。
使える駒として、そばに置きたいだけの感情。
そうに決まっている。
(……それ以上のものを期待して、何になる)
望むな。
勘違いするな。
奴隷に向けられる貴族の優しさに、意味を求めるな。
それが、自分を守る唯一の手段だった。
「ぷっ……恋? ロキに? やめてくれよ、ジノ。お前、恋愛の観察眼は皆無なんだから」
ライナスが小さく腹を抱えて笑い出す。
隣のゼクトは何も言わず、静かに一度だけ頷いた。
いつも通りの無言の同意。
だがジノだけは、納得していない様子で眉根を寄せた。
「だって、あの人……この前、ロキが剣を手入れしてるのを、すっごい優しい目で見てたんだぜ……?」
――優しい目。
……確かに、視線は感じていた。
けれどそれを、「美しい貴族の青年が、俺のような奴隷に恋をしている」などと解釈するほど、俺は愚かではなかった。
「それは“観察”だよ。恋じゃない。……ああ見えて、ベルナ・セザンヌは、きっと腹の中にもう一つの顔を持ってる。俺たちクロム民族を“利用”するつもりなんだ、間違いない」
ライナスの声は、いつになく静かだった。
それだけに、言葉の一つひとつが鋭く突き刺さった。
(――わからない)
ベルナ・セザンヌが、何を考えているのか。
あの微笑が、どこまで本物なのか。
ただの気まぐれなのか、それとも……。
わからないから、心がざわつく。
でも、今はそれよりも大切なことがある。
――シャノンのことだ。
議論は尽きなかった。
けれど、俺たちはまだ“所有物”だ。
首に繋がれたこの鎖が、そのことを何よりも雄弁に物語っていた。
どれほど怒りを燃やしても、結局この立場ではできることが限られている。
このまま動けば、俺たち自身だけじゃない。
シャノンや仲間たちまでも、もっと大きな危険に晒すことになる。
だから俺たちは、ただその夜を、噛み殺すようにやり過ごした。
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