19 / 29
第二章
18 僕が婚約者ってこと、誰か覚えてる?
しおりを挟む――事態は、思いがけない急展開を迎えた。
グロリアーナが、妊娠したのだ。
おそらく、相手は愛人のうちの誰かだろう。
だがそんなことは、僕にとって些細な問題だった。
「このタイミングで、婚約破棄……」
口ではそう呟きつつ、僕の脳内では狂喜乱舞の祝賀パレードが開催されていた。
けれど表向きは、悲しみに沈んだ令息の顔を装い、グロンダン侯爵家を訪れる。
応接室に通されると、グロリアーナは華奢な肩を震わせ、真珠のような涙をこぼしていた。
まるで芝居じみた悲劇のヒロインのように――。
「ごめんなさい、ベルナ……。こんなことになるなんて……っ」
俯いたまま、白く細い手を腹に添えて震える姿は、確かに哀れを誘うものだった。
だがその隣では、ベリアスとシャックスが、どちらの子かを巡って火花を散らしている。
「リアーナ……っ、どうして私にすぐ言ってくれなかったんだ」
青髪をかきあげながら、ベリアスは誰にともなく問いかけるように呟いた。
鏡があれば、すぐにでも自分の表情を確認したがりそうなその姿は、どこまでも優雅で、どこまでも自分本位だ。
けれど、その目の奥には、確かに苦悩の色が宿っていた。
「何を言ってる! あの夜のことを思い出せ! どう考えても俺の子だ!」
がばりと椅子から立ち上がり、赤髪を逆立てて吠えるように言ったのはシャックスだ。
情熱的というより、ただの脳筋。
拳で解決するタイプで、繊細な話をするには不向きすぎる。
それでもどこか自信満々で、誇らしげな表情を浮かべていた。
(ふたりとも、自分の子だと確信してるあたり、ほんとすごいな……)
何より気になるのは、彼らが今この場においても僕の“婚約者”であるグロリアーナを、自分たちの女のように扱っていることだった。
(……ねえ、僕が婚約者ってこと、誰か覚えてる?)
もうひとり、部屋の片隅で無言を貫くオリウィエルもいるが、彼の視線は壁の一点に定まったまま動かない。
その態度が、逆に何かを隠しているようで、非常に怪しかった。
「ベルナ。わたくしたちの結婚式を、早めましょう」
「……えっ?」
てっきり婚約破棄の話が出ると思っていた僕は、唐突な提案に目をまんまるにする。
言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。
今、なんと言った?
「この子を、ベルナの子として世間に出すの。そうすれば、問題にならないでしょう?」
「…………」
グロリアーナは真剣そのものだった。
だが、それは正気の沙汰とは思えなかった。
確かに、グロンダン家の後継者にはグロリアーナの血が必要だ。
けれど、他の男の子どもを、僕の子として認知しろとは、冗談にしても度が過ぎている。
「……怒ってるの? ねえ、ベルナ。わたくしのこと、もう嫌いになったの?」
彼女は不安げな顔で僕を見上げてきた。
その姿に、少しでも心を揺らがせる者がいるのなら、それは確かに罪な美しさかもしれない。
けれど、僕は静かに笑った。
「謝らないでください、グロリアーナ様……。いえ、グロンダン侯爵令嬢」
「っ……」
その瞬間、グロリアーナの顔から血の気が引いた。
呼び方を変えることで、僕は彼女に明確な線を引いたのだ。
「お腹のお子様のためにも、僕は婚約者の座を降りようと思います」
「……ちょ、ちょっと待って……! それって、どういう意味なの?」
この場でそれを歓迎したのは、ベリアスとシャックスだけだった。
一方のグロリアーナは、なぜかショックを受けたように唇を震わせていた。
「では、ここからは今後の話し合いとなりますので、グロンダン侯爵令嬢はご退出いただけますか?」
「はあ!? なぜだ? グロリアーナは当事者だろう!」
苛立ちを露わにしたのはシャックスだった。
そんな彼に、僕は冷ややかな目を向けた。
「……では、はっきり申し上げます。これから“慰謝料の話”をするからです」
バサリと音を立てて、僕は手元の書類をテーブルに置いた。
「っ……」
「はっ……!?」
ベリアスとシャックスが、揃って顔を引きつらせる。
ふたりとも、まさか慰謝料を請求されるとは思っていなかったのだろう。
開いた口がふさがらない様子に、僕は呆れたように肩を竦めた。
「本当なら、マリシャス様にお話しするつもりでしたが……」
そう前置きして、僕は静かに本来の目的を告げた。
「グロンダン侯爵令嬢には、元気なお子を産んでいただきたいと思っております。ですので、金銭的な慰謝料は請求しません」
「っ、ベルナ……」
「ただ、僕の指名する護衛たちをお譲りいただきたいのです」
その言葉に、グロリアーナはハッとする。
「……まさか、あの奴隷たちでいいの?」
「はい。僕は、いずれ彼らの“主人”になるのだと豪語していましたからね? その願いだけでも、叶えさせてもらえませんか?」
「…………」
少しは僕への罪悪感はあるようで、グロリアーナは何も言えなくなっていた。
僕はゆっくりと立ち上がり、丁寧に言葉を重ねる。
「ですので、グロンダン侯爵令嬢の護衛を務めていた『奴隷四人』を、僕にお譲りください。それをもって、僕への慰謝料といたします」
たった四人の奴隷を譲るだけ――
それが婚約破棄に対する慰謝料だというのなら、世間的には破格もいいところだろう。
けれど、僕にとってロキ様たちは、そんな“価値”の尺度では測れない存在だった。
883
あなたにおすすめの小説
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第1巻 - 婚約破棄と一族追放
大の字だい
BL
王国にその名を轟かせる名門・ブラックウッド公爵家。
嫡男レイモンドは比類なき才知と冷徹な眼差しを持つ若き天才であった。
だが妹リディアナが王太子の許嫁でありながら、王太子が心奪われたのは庶民の少女リーシャ・グレイヴェル。
嫉妬と憎悪が社交界を揺るがす愚行へと繋がり、王宮での婚約破棄、王の御前での一族追放へと至る。
混乱の只中、妹を庇おうとするレイモンドの前に立ちはだかったのは、王国騎士団副団長にしてリーシャの異母兄、ヴィンセント・グレイヴェル。
琥珀の瞳に嗜虐を宿した彼は言う――
「この才を捨てるは惜しい。ゆえに、我が手で飼い馴らそう」
知略と支配欲を秘めた騎士と、没落した宰相家の天才青年。
耽美と背徳の物語が、冷たい鎖と熱い口づけの中で幕を開ける。
猫の王子は最強の竜帝陛下に食べられたくない
muku
BL
猫の国の第五王子ミカは、片目の色が違うことで兄達から迫害されていた。戦勝国である鼠の国に差し出され、囚われているところへ、ある日竜帝セライナがやって来る。
竜族は獣人の中でも最強の種族で、セライナに引き取られたミカは竜族の住む島で生活することに。
猫が大好きな竜族達にちやほやされるミカだったが、どうしても受け入れられないことがあった。
どうやら自分は竜帝セライナの「エサ」として連れてこられたらしく、どうしても食べられたくないミカは、それを回避しようと奮闘するのだが――。
勘違いから始まる、獣人BLファンタジー。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
のほほんオメガは、同期アルファの執着に気付いていませんでした
こたま
BL
オメガの品川拓海(しながわ たくみ)は、現在祖母宅で祖母と飼い猫とのほほんと暮らしている社会人のオメガだ。雇用機会均等法以来門戸の開かれたオメガ枠で某企業に就職している。同期のアルファで営業の高輪響矢(たかなわ きょうや)とは彼の営業サポートとして共に働いている。同期社会人同士のオメガバース、ハッピーエンドです。両片想い、後両想い。攻の愛が重めです。
異世界転移してΩになった俺(アラフォーリーマン)、庇護欲高めα騎士に身も心も溶かされる
ヨドミ
BL
もし生まれ変わったら、俺は思う存分甘やかされたい――。
アラフォーリーマン(社畜)である福沢裕介は、通勤途中、事故により異世界へ転移してしまう。
異世界ローリア王国皇太子の花嫁として召喚されたが、転移して早々、【災厄のΩ】と告げられ殺されそうになる。
【災厄のΩ】、それは複数のαを番にすることができるΩのことだった――。
αがハーレムを築くのが常識とされる異世界では、【災厄のΩ】は忌むべき存在。
負の烙印を押された裕介は、間一髪、銀髪のα騎士ジェイドに助けられ、彼の庇護のもと、騎士団施設で居候することに。
「αがΩを守るのは当然だ」とジェイドは裕介の世話を焼くようになって――。
庇護欲高め騎士(α)と甘やかされたいけどプライドが邪魔をして素直になれない中年リーマン(Ω)のすれ違いラブファンタジー。
※Rシーンには♡マークをつけます。
【BL】魔王様の部下なんだけどそろそろ辞めたい
のらねことすていぬ
BL
悪魔のレヴィスは魔王様の小姓をしている。魔王様に人間を攫ってきて閨の相手として捧げるのも、小姓の重要な役目だ。だけどいつからかレヴィスは魔王様に恋をしてしまい、その役目が辛くなってきてしまった。耐えられないと思ったある日、小姓を辞めさせてほしいと魔王様に言うけれど……?<魔王×小姓の悪魔>
愛していた王に捨てられて愛人になった少年は騎士に娶られる
彩月野生
BL
湖に落ちた十六歳の少年文斗は異世界にやって来てしまった。
国王と愛し合うようになった筈なのに、王は突然妃を迎え、文斗は愛人として扱われるようになり、さらには騎士と結婚して子供を産めと強要されてしまう。
王を愛する気持ちを捨てられないまま、文斗は騎士との結婚生活を送るのだが、騎士への感情の変化に戸惑うようになる。
(誤字脱字報告は不要)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる