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第四章

94 逃げ出したい

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 この世の終わりのような表情をする美丈夫を前に、俺の胸は張り裂けそうだった――。

 俺ならわかるが、なんでエリオット様がそんな顔をするんだよ。

 だって考えてもみろ。

 慰め合いのお誘いを一度断ってはいるが、エヴァさんがいる期間のエリオット様は、俺に何の接触もして来なかった。

 むしろ、昔より距離を置かれていたんだ。

 要するに、エヴァさんに俺との関係を知られたくなかったから遠ざけていたんだと思う。

 それで二人の間で愛が芽生えなかったのかはわからないが、明日でエヴァさんがいなくなるから、また肌を重ねたいと言われている。

 エリオット様にとっての俺は、都合の良い、体だけの相手だということだ。

 いろいろと頭の中で整理しているうちに、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。

 それに、今まで浮かれていた自分への苛立ちと、虚しい気持ちで胸がいっぱいになる。

 単なる慰め合いの相手を俺に選んだエリオット様は、全く悪くないのに憎らしく思ってしまう。


 そっと頬に手を伸ばしてくるエリオット様を射るような目で見れば、魔物を前にしても躊躇しない腕は、空を彷徨った。

「もう出て行って下さい」
「っ、イヴ……」
「エリオット様が出て行かないなら、俺が出て行きます」

 立ち上がろうとすると、今度は腕を強く掴まれる。

「離して下さい」
「一つ、確認したい」
「…………なんですか」

 意を決したように俺を見つめるエリオット様は、真剣な表情に切り替わる。

「イヴは、ジュリアス殿下から、何も聞いていないのか?」
「…………何を?」
「はあ、そうか……。てっきり、馬車の中で話を聞いていたのかと」
 
 話が読めずに眉を顰めると、エリオット様が謝罪する。

「極秘の任務だったんだ、エヴァに近付いていたのは……」
「任務、ですか?」
「ああ。今も、正直話して良かったのだろうかと迷ってはいるが、イヴには誤解されたくない」

 そう語ったエリオット様は、状況を理解出来ていない俺の手を引いて、自身が休む村人の家へと導いた。

 周囲で休む騎士達に話を聞かれたくないのだろうと察してついて行くが、俺の手を握る節くれ立つ手は、手を繋いでいるというより、逃げないように拘束されているように感じた――。



 部屋に入っても手の拘束は緩まないが、気にせずエリオット様を見上げる。

「一ヶ月程前。第四の救護班を乗せた馬車が、アルベニアに向かったと目撃情報が入った。エヴァと共に来た御者が、裏で手を回した可能性があったんだ。それでエヴァが間者である可能性が高いと判断し、何の目的で私たちの元に来たのかを探る必要があったんだ。ゴッドやグリフィンは顔に出やすいから、私が極秘で任務を請け負うことになった」
 
 無表情のまま話を聞いている俺は、エヴァさんが間者であることは知っていたが、皆が一ヶ月も前から怪しんでいたことに驚いた。

「ジュリアス殿下からは、過去に一度……イヴが辛い目にあっているから、今度は絶対に巻き込まないようにしろと指示を出されていたんだ。だから私は、エヴァを見張りつつ、極力イヴに近付かないようにしていた」
「っ…………そう、だったんですか」

 エリオット様に避けられていると思っていたが、守ってくれていたことを知った俺は、勘違いをしていた己を恥じた。

 公私混同をしないところがエリオット様らしいのだけど、任務だったとはいえ、少しくらい話してくれても良かったんじゃないかと思う。

 俺は口が固いが、エリオット様的にはそういう以前の問題なのだろうけど、信頼されていないような気がして、少しだけ寂しく感じていた。

「話してくれてありがとうございました」
「ああ……」
「でも、俺の気持ちは変わりません」

 小窓から覗く僅かな月明かりを浴びるエリオット様が、ごくりと喉を鳴らす音が響く。

 任務だったことについて話してくれたのは嬉しかったが、正直もう遅いとしか思えなかった。

 だって俺は、自分の気持ちに薄々気付いてしまっているのだから……。

 これからもエリオット様と慰め合いをし続けることになれば、今回のように胸が苦しくなる未来は何度も訪れるだろう。

 以前のような、ただの師弟関係に戻りたい。

 そうでないと、俺の精神が安定しないから、癒しの力を使う時に支障が出る。

 紋章を授かったからには全力を尽くしたいし、明日にはクラリッサ王女様の治癒もある。

 エヴァさんやギルバート様の為にも、明日は絶対に失敗出来ないのだから、今はそっとしておいて欲しい。


 葛藤している俺の一番の本音は、今まで持ち合わせたことのない己の感情から逃げ出したいのだ――。


「考え直してくれないか」
「もう決めたことですから」
「頼む」 

 漆黒色の瞳から俺を求めるような視線を浴びて、心がぐらついてしまう。

 繋いでいる手を強く握られて、俺は必死に唇を噛んで堪える。

「エリオット様……お願いします」
「……無理だ」
「っ、俺は、エリオット様と……離れたいっ」

 尻すぼみになる声は、本当は離れたくないと願っているような声色で、自分が情けなくなった。

 心の中がぐちゃぐちゃで、涙が溢れそうになる。

 そっと手を離したエリオット様は、俯く俺を優しく抱きしめた。

(もうやめたいと言っているのに、なんで抱きしめたりするんだよ……)

 硬い胸元を押し返すが、微動だにしなかった。

 その分、強く抱きしめられて、ついに俺の涙腺が崩壊する。

 しゃくりあげる俺の背を優しく撫でるエリオット様は、「すまない」と謝罪し続けていた。

「悪いと思うなら、もう俺にかまわないでっ」
「それだけは死んでも出来ない」
「っ、我儘! エリオット様なんて、大っ嫌いっ!!」

 叫ぶ俺を抱きしめていた体がぴくりと反応する。

 ようやく拘束を解いてくれた美丈夫は、両手で俺の頬を包み込んで、涙を拭った。

 顔を上げれば、俺に大嫌いだと言われた張本人は、すごく優しい表情で仏頂面の俺を眺めていた。

「……もう、戻ります」
「それは許可出来ない。イヴが傍にいると言ってくれたから、私は無敵でいられる。私には、イヴが必要なんだ。私の心には、いついかなる時もイヴがいる。なによりも大切で、かけがえのない……私の宝だ」

 甘く囁くエリオット様は、慰め合いの相手を手放したくないからと、我儘を言っているのではないように思えた。

 心から俺を大切に想っていることが伝わってきて、どうしたら良いかわからなくなる。

 ふっと柔らかに笑うエリオット様は、視線を彷徨わせる俺の額に、自身の額を合わせた。

「自分の信念を曲げてまで、イヴに真実を話したんだぞ? イヴだってわかっているだろう? 私が融通の利かない人間だということを」
 
 そこは素直に頷くと、くつくつと喉を鳴らす。

「どうしてもと言うなら、一旦保留にしよう」
「…………はい、」
「だが。今日はイヴと一緒に居たい」
「……なにもしないなら」
「ククッ、それは無理だ」

 破顔したエリオット様が、棒立ちになっていた俺を抱き上げる。

「ほ、保留って言った!」
「一ヶ月もイヴと離れていたんだ。我慢なんて出来るわけがないだろう」
「そこは我慢して下さいっ!」
「イヴの願いならなんでも叶えてやりたいが……。それだけは無理だな」
 
 暴れる俺を寝台に寝かせ、覆い被さるエリオット様は、さっそく俺に口付けようとしてくる。

 咄嗟に顔を背けると、薄い唇は目尻に触れる。

「やるならさっさとして下さい。あと、後ろからにして」
 
 エリオット様に口付けられると、俺の意思が鈍ってしまう。

 今いつものような慰め合いをしてしまえば、エリオット様を困らせるようなことを言ってしまいそうで、淡々とお願いした。

 急に動かなくなった美丈夫をちらりと見れば、さっきまでの笑顔が消え去っていた――。
















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