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しおりを挟む翌朝、どんな顔でベアテルに会えばいいのかと、そわそわとしながら死の森に向かったレヴィは、胸がほっこりとする光景を目撃していた。
緊張であまり眠れなかったレヴィよりも早く来ていたベアテルが、番犬に囲まれていたのだ。
「行くぞ」
ベアテルが森に向かって木の棒を投げると、犬たちが一斉に走り出す。
レヴィの目には軽く投げたように見えたが、随分と遠くまで飛んでいった。
レヴィが驚いている間に、棒切れを咥える犬が、全速力でベアテルのもとまで戻って来る。
「よくやった、アムル。ご褒美だ」
『ベアテル! ホンキ、ダセヨ!』
滑らかな黒い短毛に包まれた筋肉質な犬の頭を、ベアテルが褒めるように撫でる。
(早く起きて、犬たちと遊んであげてたんだ……)
動物をこよなく愛するレヴィにとって、ベアテルの行動はとても好ましく映っていた。
そしてベアテルはベリーの実を用意したのだが、アムルと呼ばれた犬は、早く木の棒を投げて遊んで欲しそうにしている。
(ふふっ。ベアテル様、また勘違いしてるっ)
大きくしなやかな体付きの番犬たちは、オヤツよりもベアテルと遊びたいのだ。
『ハヤク、ナゲテ!』
『ツギ、ボクノバン!』
「わかったわかった、まずは落ち着け。順番にオヤツをやるから――」
はっはっと息を荒げている犬たちに、おもちゃ代わりの木の棒を、早く投げろと催促されているのだが、「俺の分がなくなる……」と呟くベアテルは、ポケットを漁っている。
レヴィ以外には犬の声が聞こえないのだから、理解できなくても仕方がない。
それでもレヴィの目には、ベアテルが可愛く見えてしまう。
(…………でも、素敵)
動物と触れ合う時のベアテルは、普段より表情が柔らかい。
その優しい横顔に目を奪われていたレヴィがうっとりとしていれば、ベアテルがレヴィに気付く。
黄金色の瞳と視線が交わっただけで、レヴィは落ち着かない気持ちになっていた。
「っ、お、おはようございます……」
「――……ああ」
ドキドキとうるさい胸を押さえるレヴィと、なにか言いたげに口を開閉するベアテル。
ふたりの間では、普段とは違った空気が流れる。
『フタリ、ソワソワシテル……』
『シーーーーッ!!!!』
『ジャマ、ダメ!』
(……もしかして、この子たちに気を遣われてる?)
はしゃいでいた番犬たちは、いつのまにか大人しくお座りをしていた。
おそらく暖かな目で見守ってくれているであろう犬たちを、レヴィは優しく撫でる。
「ご迷惑をおかけしてしまって、申し訳ありませんでした……。今日からまた、僕にできることはしていきたいと思っています」
「…………ああ、無理はしないように」
固い声で告げたベアテルに、レヴィは苦笑いを浮かべていた。
(心配してくれてはいるみたいだけど……。やっぱり僕に、辺境伯夫人としての仕事は全うしてほしいんだよね……)
ベアテルが、レヴィを気にかけてくれていることがわかって嬉しいはずなのに、なんとも言えない気持ちになる。
溜息を堪えるレヴィは、辺境伯邸を守る犬たちにベリーの実を与え、癒やしてもらう。
肉球もいい香りだが、レヴィは犬の頭の香ばしい匂いを嗅ぐことが好きだった。
夢中ですんすんしていると、レヴィに犬を取られて手持ち無沙汰になったベアテルが、ひとつ咳払いをする。
「あとで、湖に行かないか……?」
突然のベアテルからの誘いに、ほっこりとしていたレヴィは、思わずびくりと反応する。
死の森の奥にある湖は、かつてドラゴンの休息の地だった場所。
そこに、動物に好かれやすいレヴィを誘うということは、ベアテルはドラゴンに会うことが目的なのだろう。
ドラゴンの姿を一目見られただけでも奇跡だが、稀少なドラゴンの鱗を手に入れ、国に献上すれば、ベアテルは名声を手に入れることになる――。
「犬たちも連れて……散歩に――」
「わかりました」
(っ、そんなに必死になって、言い訳を考えなくたっていいのに……っ)
功績を挙げたベアテルの褒美として、レヴィは伴侶に選ばれた。
レヴィに拒否権などない。
了承したものの、レヴィはじわじわと涙が込み上げてきていた。
「っ……」
オロオロし始めたベアテルは、どうしてレヴィが悲しんでいるのかなど、わかっていないのだろう。
それでもマリアンナたちの声が聞こえてきた瞬間、レヴィはベアテルに手を引かれ、森に向かっていた――。
無言で歩くふたりの背後には、番犬たちがついてきている。
辺りはさくさくと、落ち葉を踏む小気味の良い音だけが響いていた。
(どこまで行くんだろう……? もしかして、このまま湖まで連れていかれるのかな?)
引き返したい気持ちは山々なのだが、繋いでいる手を見つめたレヴィは、ベアテルについていく。
傍から見れば、今のふたりは、手を繋いで朝の散歩をする仲の良い夫夫だ。
もしそうであったなら、どれだけ幸せだっただろうか。
少し前を歩く頼もしい背を見上げるレヴィは、胸がぎゅっと締め付けられていた。
「あなたが離縁したがると予想はしていたが……。まさか、俺に他の相手をあてがおうとするとは思わなかった。――そうまでして、テレンスに会いたいか?」
「…………え? テリー?」
「いや、聞くまでもなかったな」
咄嗟に答えられなかったレヴィに対して、ベアテルが自嘲気味に笑う。
だが、レヴィの脳内は、ベアテルのことでいっぱいだった――。
テレンスのことなど考える余裕すらなかったというのに、答えられるはずがない。
しかし、繋いでいた手が離れた瞬間、レヴィは声を上げていた。
「――第二王子殿下には、会いたい」
レヴィが呼び方を正した瞬間、ひとり歩き出していたベアテルが足を止めた。
「アカリ様と結ばれたことを、祝福したい……」
とても小さな声だったが、ベアテルが勢いよく振り返った。
どうしてか信じられないような表情で、レヴィを見つめている。
「あ、あと、指輪をどうしたらいいのかも、聞きたい」
「…………俺が捨てろと言ったら、捨ててくれるのか?」
微かに聞こえてきた声は、どこか懇願するような響きだった。
予想外の返答に、レヴィは目をぱちぱちとさせ、ベアテルは後悔したように顔を背ける。
「今のは、聞かなかったことに――」
「捨てるには勿体無いかな、って……。まだ一度も身につけていない、新品です」
「っ、」
(……あ。でも、王子様と勇者様だから、きっとお金持ちだよね? 指輪はいらないかあ……。でもアカリ様なら、指輪を換金して、領民のためにぱあっと使ってくれるかも……?)
スザンナやマリアンナから、テレンスの所業を聞いた今。
さすがにもう大切に保管しておきたいとは思わないが、処分するにも困る品物だ。
悩むレヴィに、ベアテルが歩み寄る。
「あなたは、もう、テレンスのことを、愛してはいないのか……?」
恐る恐るといったように、ベアテルが小声で問いかける。
婚約中に裏切られていたとしても、レヴィにとってテレンスは、今も大切な存在だ。
他の人との婚姻を祝福できる、家族のように大切な存在――。
(でも、ベアテル様は違う……)
ぎゅっと胸元で手を握りしめたレヴィは、ベアテルを見上げる。
冷たい風が吹き、落ち葉が舞う。
さらりと風避けになってくれるベアテルが、レヴィの髪にそっと触れた。
乱れた髪を直してくれただけだというのに、レヴィの顔はたちまち熱くなる。
(ベアテル様が、僕以外の誰を選んだとしても、僕はきっと、祝福できない――)
なんと醜い、悪魔のような人間に成長してしまったのだろうか。
これは早々に、神様から治癒の力を取り上げられてもおかしくはない、とレヴィは思った。
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