妖狐の嫁入り

山田あとり

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寄りそっていたいから

第30話 孤独に別れを告げる

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 そして後日。遥香は本の指南通り、西洋料理に挑戦してみた。なんとライスカレーだ。
 店では供されることも増えたカレーだが、まだまだ家庭では高級品。何しろカレー粉はイギリスC&B社の輸入品しか売っていないし、肉だって魚よりずっと高い。

「彰良はライスカレーが好きだって言ったらさあ、遥香さん絶対作りたいって」
「や、やめてください!」

 ちゃぶ台を囲んだところで告げ口されて、遥香はお盆の後ろに隠れた。顔が真っ赤になっている。だがそんなことを言われて彰良も反応に困った。

「まあ……カレーは好きだ」

 ぼそぼそと肯定した。
 帝都で食べさせたわけでもないのに彰良のために作ってくれたとなれば、それは嬉しい。

 ライスカレーは軍では馴染みの料理だった。でも遥香にとっては見知らぬ食べ物。作り方は書いてあるがどんな物やらわからない。
 材料の買い出しは喜之助がしてくれた。帝都で小間物屋に行かせた礼だそう。味見もすると言ってくれたのだが、遥香は遠慮した。

 だって、いちばんに食べてもらいたいのは彰良だから。

 自分で口にしたかぎりでは美味しいと思った。でもこの不思議な香り、正解はどんな味なんだろう。

「……よかったら試してください」

 蚊の鳴くような声で言われて彰良は神妙に手を合わせた。
 並んでいるのは丼に別々に盛られた飯とカレー。食欲をそそる匂いがした。作っている最中から家に広がっていた香りで、実はもう腹ペコだ。

「いただきます」

 ヒョイと少量のカレーを飯の上にかけ、匙を口に運ぶ彰良。遥香は心配そうに見守る。

「――うまい」
「ほんとですか?」
「ああ。食べた事もないのに、作り方がわかると作れるのか……」

 感心しきりの彰良に遥香は照れるしかない。でも味は問題なかったようで安心した。
 モリモリとライスカレーを食べる彰良と、ほほえんでそれを見ている遥香。喜之助はなんだか馬鹿々々しくなってきたが、自分も口にしてみる。確かに美味しかった。

「いいなあ、俺も嫁さん欲しい」

 しみじみつぶやいたら、さすがに彰良がガタッとちゃぶ台に膝をぶつけた。遥香も食べようとした匙を取り落としかける。
 彰良は殺しそうな目で喜之助をにらんだ。

「き、喜之助……ッ」
「ああ悪い。近ごろのおまえら、夫婦みたいに見えてきて」

 シュンとして喜之助はつぶやいた。
 相棒たちが幸せそうなのは嬉しいし、そう仕向けて面白がっていた自覚はある。だが自分にも春が来てほしいのだ。今の季節は秋だけど。
 だが夫婦などと言われて遥香は黙っていられなかった。内心ではつい喜んでしまったけれど――彰良から迷惑げにされたら、悲しくて死んでしまいそう。

「夫婦だなんてそんな、ずうずうしいです」
「何がずうずうしいのさ? そりゃ彰良はいいとこの坊ちゃんだけど、遥香さんとはこの世でいちばん釣り合う男だろ。半妖同士なんだから」
「喜之助」

 静かだが強く彰良が制止した。真面目な口調に、さすがの喜之助も黙る。

「――うん、悪かった。俺が言っていいことじゃないな」

 その後は全員が黙々と食事をした。もう味がしないんじゃないかと思ったが、香り高いカレーはそれでも美味しい。
 すこしずつカレーを口に運ぶ遥香を、彰良は胸が詰まる想いで盗み見ていた。



 ゆっくりゆっくりと、遥香は洗い物を片づけていた。
 台所から出たくない。彰良と顔を合わせるのが怖い。嫌そうににらまれるかもしれない。
 あんな冗談を真に受けるな、夫婦などと思われるのは心外だと釘を刺されたらどうすればいいだろう。
 そんな厳しい言い方を彰良がするわけはないと信じたかったが、最悪のことを考えてしまうのが遥香のくせだった。
 彰良は強く喜之助を制したのだし、あの話題を嫌がったのは間違いない。遥香に好意を持ってくれているだなんて期待してはいけないのだ。

 だって、遥香は狐の娘。人に忌まれてきた半妖だ。
 彰良だって半妖ではある。「この世でいちばん釣り合う」というのはそうかもしれない。だけどそんな禍々しい組み合わせ、彰良が選ぶはずはないと思う。
 彰良に似合うのは、おっとりと聡明で縫い物の得意なお嬢さん。魔物の血を薄めてくれる人間の女性だ。
 父である狼を憎んでいる彰良。そこに同じ魔物である狐の血を加えたいなんて思うわけがない。遥香と夫婦にというのは「この世でいちばんない」選択なのだった。

「――すこし、いいか」

 がちゃん。
 彰良の方から台所に来て声をかけられ、遥香は拭いていた匙を取り落とした。皿じゃなくてよかった。ふり向かずにこたえる。

「……なんでしょう」
「さっき、喜之助が言ったことだが」

 彰良は入り口に立って話す。そばに寄ろうとしない隔意に遥香の絶望が深まった。

「俺は元々、妻をめとる気がない。子を――残したくなかった」

 苦しげな声に、遥香は思わずふり返った。
 入り口の柱に寄りかかって話す彰良はとても寂しそうだ。思わず一歩、二歩と近づいたが、そこで止まる。
 他人を寄せつけないほどに、このひとは悲しいのだ。そう思った。

「――子、ですか」
「ああ」
「――わかる気がします」

 遥香は力なくほほえんだ。
 彰良が言うのは「血を薄める」ではなく「絶つ」ということ。
 そこまでの覚悟を彰良がしていたと遥香は知らなかった。女っ気がないと喜之助に言われていたが、ただ真面目なひとなのかと思っていた。

 子を産み、育てること。
 遥香自身はそもそも嫁入り先がなかろうとあきらめていた。でも彰良のように良家で育てば縁談もあるだろう。意思をもって断らなければならなかったのかもしれない。
 彰良はそうして孤独を選んできたのだ。
 受け身でひとりでいた遥香とは違う、断固とした孤独――その心が悲しくて、遥香はまたポロポロと泣いてしまった。あわてて自分の手拭いで目を押さえた。

「おい――」
「だいじょう、ぶです――彰良さんはすごいなと思って」

 遥香は涙を止めようと必死だった。
 だから気づかなかった。うっかり名を呼んだことに。
 心の中ではずっと呼んでいた名まえだから、あまりに自然に口をついてしまった。

 初めて「彰良さん」と言われ、その音のやさしさに彰良は高揚する。
 遥香に気持ちを伝えるために来たくせに最後まで迷っていた心が、決まった。

「――何もすごくない。そのつもりだったくせに俺は、おまえに惹かれてしまったんだ」
「え――」
「だが何も言えなかった。おまえを手に入れたいのに迷ってばかりの意気地なしだった。情けない」

 手拭いから顔を上げぼうぜんとする遥香は、苦しげに、だが愛おしげに見つめてくる彰良のまなざしに戸惑う。

「――それ、は」
「俺と一緒にいてくれないか」

 単刀直入に彰良は懇願した。
 そう。それが彰良の望むこと。
 もう抑えていられない、隠しきれない真実の恋心。

「あき、らさん、と。私が」

 驚きと喜びにこわばりながら、遥香は言われたことを確かめた。彰良は強くうなずく。

「そばにいてくれればそれだけでいい。子のことはともかく、結婚という形がふさわしければそうするし――あ」

 彰良はそこで焦りだした。こんな告白、したことがなくて勝手がわからない。

「いやもちろん――遥香が俺を好いてくれるなら、だ」
「は――」
「俺など嫌だというなら、帝都に戻れるよう本部にねじこむ。横浜から姿を消すぐらいのことはしてみせるから仕事のことは安心してくれ」
「ふ」

 早口の言い訳に遥香は吹き出した。こんどは嬉しくて涙があふれる。

 ――「遥香」と。そう呼んでくれるの?

「何を泣くんだ」

 弱り果てた顔の彰良なんてものも初めてだ。遥香はとびきりの笑顔を向け、ポロポロと泣いた。
 その頬に彰良はおそるおそる手をのばす。涙にふれる。そして、腕に包まれても遥香は逃げなかった。

 ――遥香は。彰良は。もうひとりではない。

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