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第1章:物語の始まり
日常1
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「これが今の世界の始まりなんだって。ジンはこの話どう思う?」
明るい声で15歳ほどの少女が読んでいた本から目を離し、その膝に頭を乗せて甘えてきた7歳ほどの男の子の黒髪を撫でながら話しかけた。しかしその男の子はいつの間にか眠ってしまっていた。遊び疲れていたのだろう。
「ふふっ、寝ちゃったか」
少女は自分の大切な弟であるジンを眺めながら優しく微笑み、指輪をはめた右手で彼の髪を撫でながらいつものように母親が歌っていた子守唄を口にする。だが突然彼女はゴホ、ゴホッと咳き込み始めた。
「ごめんねジン。お姉ちゃんを許してね」
これがジンの姉、ナギの最近の口癖であった。口を覆っていたその手には血がついていた。
しばらくしてジンが起きた。彼は眠たそうな目をこすりながらナギを見つめる。くうっという可愛らしいお腹の音がした。
「姉ちゃん、晩御飯なに?」
ナギはそれを聞いて、満面の笑みを浮かべる。
「今日は奮発してうさぎのお肉を手に入れてきたよ。みんなと一緒にご飯ができるまで待っててね。腕によりをかけて美味しいのを準備してあげるから」
ジンはそれを聞いて大喜びした。いつも食べる肉はドブ臭いネズミの肉ばかりだった。つい先日にはネズミを食べていた近くに住むおじさんが病気にかかり死んでしまったことも思い出した。それを考えるといったい姉がどのような手段で肉を手に入れたのか、少し気になりはしたが『まあ、どこかでもらったんだろう』と割り切った。スラムに暮らしているとはいえ、彼女の力を持ってすれば当たり前のことである。
彼らが住んでいるのはキール神聖王国という、フィリア教を国教に置く国のオリジンという都市の南端の一角にあるスラム街であった。キール神聖王国はアルケニア大陸の中央部に位置し、東側にはキール神聖王国と属国関係にあるリュカ王国、西側には複数の部族が集まってできているメザル共和国、北には広大な国土を有し、厳しい環境で屈強な軍隊を保有するアルケニア王国、そして南には魔界との境界線である大結界が存在していた。
王国は温暖な気候と豊かな穀倉地帯を有していたが、数年前の天災により国力を落とし、その地を狙ってアルケニア帝国から度々の侵略を受けていた。その結果、治安が悪化したオリジンではスラムの住人が増加する傾向にあった。常に漂う異臭が鼻を麻痺させ、そこら中に病がはびこり、道の脇には屍体が転がりそれをネズミやら野犬やらがかじりついている。それが彼らの住処であった。
ジンはそんな中でも明るく、綺麗で、優しい自分の姉を誇りに思っていた。彼女は少々胸回りが寂しかった(というよりは絶壁である)が、綺麗なアッシュグレーの髪に、茶色の瞳、薄汚れてはいるがとても白い肌、そしてスラムにいるとは思えないほどのいい匂いをしていた。
10人が見たら10人が振り返るような容姿の彼女を、しかし犯そうとする愚か者はこのスラムにはいなかった。なぜならナギは法術の中でもごく少数の者しか扱うことができないとされる光法術の卓越した使い手だったからだ。病以外ならたとえ致命傷であったとしても彼女の力であれば、生きている限り治癒できた。
そんな彼女は常に自分より年の低い子供達のために自分の分の食料を分け与え、誰に対しても公平な態度を取り、スラムの人々に対して無償の治療を行っているのだ。国からも見放された人々にとって、彼女はまさに聖女に等しかった。そうして誰からも慕われていた。手を出そうものなら周囲の人間に殺されるというのがスラムにおける暗黙の了解だった。ジンとしてはそれがとても誇らしくもあり、自分の姉なのに他人のために、構ってくれないことが多々あるので寂しくもあった。
姉の料理ができるまでジンは自分の住処である2階建ての廃墟に一緒に住んでいる友達のレイとザックを探しに行った。この住処はスラムの中でも一番綺麗で1階は姉の治療院として解放され、また彼らの食堂も兼ねていた。ジンとナギ、そしてあと3人の子供が2階に住んでいた。レイはくすんだ金髪の少年である。年齢はジンの一つ上ではあるが、三人の中で一番身長が高く、落ち着いていて、常に微笑しながらいたずらの計画をよく考える3人の中の参謀役だった。
一方でザックは12歳という最年長ながらも、身長はジンよりも少し高い程度である。しかし趣味が筋トレであるためか、その体はがっしりとしており、家ではいつも力仕事をして頼りになるのだが、非常にお調子者であった。そのため『こいつは多分俺より子供だよな』とジンは常々思っていた。二人はジンの親友で、ナギの次の次に大切な存在だった。
いつものように家から少し離れた空き地で、騎士になるための修行をしているのだろう。そう思ったジンは家の外に出て空き地に向かった。都に住むほとんどの男の子たちにとって騎士は憧れの職業だった。スラムに住む彼らとてそれは同じことだ。法術と剣術を巧みに用いて魔物や魔獣から人々を守る騎士は英雄として讃えられていた。
目的地に近づくと気合の入った声と、木の棒がぶつかる音、そして法術のぶつかり合う音が聞こえてきた。そっと様子を伺うと案の定二人は向かい合って剣を模した木の棒で戦っていた。
『そういえば、危ないことしちゃダメだって、前に姉ちゃんに怒られたっけ。修行すれば姉ちゃんを守れるようになるのにどうしてダメなんだろう?』
そんなことをぼんやりと考えながら、レイとザックに声をかけようとしたところでもう一人、女の子がいることに気がついた。もう一人の同居人、同い年のミシェルだ。煤けた赤い髪に、少し汚れてはいるが小麦色に日焼けした肌、鼻にはそばかすがあり、笑顔はヒマワリの花のようだ。多分このスラムでナギの次に可愛い子だとジンは常々思っている。
彼女こそ、彼にとってナギの次に大切な存在だった。彼は彼女の前では素直になれず、どうしてもカッコつけてしまうのだ。はにかんだ笑顔を向けられると、顔が熱くなり、よくそれをザックにからかわれた。ジンはその度に思いっきりすねを蹴り上げる。それなのに執拗にからかってくるザックはやはり頭が悪いのだろう。
ジンは急いで髪と服を整え、流れるようにその手をズボンのポケットに突っ込んだ。
「よっ、みんな、俺も修行に混ぜてよ。っていうより、なんで声かけてくれなかったんだよ」
レイとザックはその声で手を止めてジンを見る。
「お前、ナギ姉さんに甘えて寝たじゃん」
微笑みながら言うレイとは対照的に、ザックはニンマリといやらしい顔を浮かべる。
「そうだよ羨ましい。むしろ代われよこのシスコンが」
ザックはナギとも歳が近いためか、彼女に惚れているらしかった。だがジンは『こいつに姉ちゃんは渡さない』と密かに思っていた。彼は自分より1歳上のレイにも、5歳上のザックにも一度も(法術を抜きにすれば)喧嘩でも剣術でも負けたことがなかったからだ。自分よりも弱い相手に大切な姉を任せることはできない。というよりも、よりにもよってミシェルの前で人のことをシスコンと言うとは何事だ。彼はシスコンと呼ばれるのが心底嫌いなのだ。
「姉ちゃんはお前にはもったいない。その辺の女の子で満足しとけよ間抜け」
そこからはいつものように売り言葉に買い言葉で、殴りあいに発展するのだが、今日はそうしようとした直前にミシェルがジト目をしながらからかうように声をかけてきた。
「ふふっ。ジンはナギお姉ちゃんが大好きだもんねー。いっつもお姉ちゃんにべったりしてるし。甘えん坊だもんね」
この援護射撃にはジンはたまらず、舌打ちをしながら顔を真っ赤にする。
「っ、そんなことねーし。お、お前馬鹿じゃないの。ちゃんと目えついてんのかよ。頭おかしいんじゃね!?」
「なによ、事実じゃない」
だがミシェルはニヤニヤ笑いながら言い返してきた。カッとなったジンはつい彼女がいつも気にしていることを言ってしまうった。
「ば、ばーかばーか! このそばかすおばけ!!」
ジンにはよくわからないが、ミシェルはシミひとつないナギの顔とそばかすのある自分の顔とを比べてコンプレックスを抱いているようなのだ。それを指摘されるとひどく傷ついて、いつも泣いてしまう。案の定ミシェルの目にみるみる涙が溜まっていき、顔を赤くしていった。
「ジンのばかー!!」
そう言って彼女は走り去ってしまった。そんな後ろ姿を見て、『やってしまった』という後悔を顔ににじませて渋い顔を浮かべたジンの肩を組んで、ザックがいやらしい笑みを浮かべた。
「ジンくん、ミシェルに『そばかす』は禁句だよ。帰ったらお前、ナギさんのスペシャル折檻コースだな」
それを聞いてジンは憂鬱な表情を浮かべる。
「姉ちゃんと絡む絶好の機会だよ? 変わってあげようか?」
一応聞いてはみたが、当然のようにザックは断ってきた。レイはそんなジンたちを見ながら二人を諌める。
「今のはジンが悪いよ。女の子にはもっと優しくしないと。それとザックはジンをあんまりからかうなよ。ナギ姉さんの印象が悪くなるかもよ?」
ジンはもう修行する気分でもなくなり、さっさと切り上げて家に帰ることにした。そんなジンに付いて2人も帰ることにしたらしく、片付け始めた。
明るい声で15歳ほどの少女が読んでいた本から目を離し、その膝に頭を乗せて甘えてきた7歳ほどの男の子の黒髪を撫でながら話しかけた。しかしその男の子はいつの間にか眠ってしまっていた。遊び疲れていたのだろう。
「ふふっ、寝ちゃったか」
少女は自分の大切な弟であるジンを眺めながら優しく微笑み、指輪をはめた右手で彼の髪を撫でながらいつものように母親が歌っていた子守唄を口にする。だが突然彼女はゴホ、ゴホッと咳き込み始めた。
「ごめんねジン。お姉ちゃんを許してね」
これがジンの姉、ナギの最近の口癖であった。口を覆っていたその手には血がついていた。
しばらくしてジンが起きた。彼は眠たそうな目をこすりながらナギを見つめる。くうっという可愛らしいお腹の音がした。
「姉ちゃん、晩御飯なに?」
ナギはそれを聞いて、満面の笑みを浮かべる。
「今日は奮発してうさぎのお肉を手に入れてきたよ。みんなと一緒にご飯ができるまで待っててね。腕によりをかけて美味しいのを準備してあげるから」
ジンはそれを聞いて大喜びした。いつも食べる肉はドブ臭いネズミの肉ばかりだった。つい先日にはネズミを食べていた近くに住むおじさんが病気にかかり死んでしまったことも思い出した。それを考えるといったい姉がどのような手段で肉を手に入れたのか、少し気になりはしたが『まあ、どこかでもらったんだろう』と割り切った。スラムに暮らしているとはいえ、彼女の力を持ってすれば当たり前のことである。
彼らが住んでいるのはキール神聖王国という、フィリア教を国教に置く国のオリジンという都市の南端の一角にあるスラム街であった。キール神聖王国はアルケニア大陸の中央部に位置し、東側にはキール神聖王国と属国関係にあるリュカ王国、西側には複数の部族が集まってできているメザル共和国、北には広大な国土を有し、厳しい環境で屈強な軍隊を保有するアルケニア王国、そして南には魔界との境界線である大結界が存在していた。
王国は温暖な気候と豊かな穀倉地帯を有していたが、数年前の天災により国力を落とし、その地を狙ってアルケニア帝国から度々の侵略を受けていた。その結果、治安が悪化したオリジンではスラムの住人が増加する傾向にあった。常に漂う異臭が鼻を麻痺させ、そこら中に病がはびこり、道の脇には屍体が転がりそれをネズミやら野犬やらがかじりついている。それが彼らの住処であった。
ジンはそんな中でも明るく、綺麗で、優しい自分の姉を誇りに思っていた。彼女は少々胸回りが寂しかった(というよりは絶壁である)が、綺麗なアッシュグレーの髪に、茶色の瞳、薄汚れてはいるがとても白い肌、そしてスラムにいるとは思えないほどのいい匂いをしていた。
10人が見たら10人が振り返るような容姿の彼女を、しかし犯そうとする愚か者はこのスラムにはいなかった。なぜならナギは法術の中でもごく少数の者しか扱うことができないとされる光法術の卓越した使い手だったからだ。病以外ならたとえ致命傷であったとしても彼女の力であれば、生きている限り治癒できた。
そんな彼女は常に自分より年の低い子供達のために自分の分の食料を分け与え、誰に対しても公平な態度を取り、スラムの人々に対して無償の治療を行っているのだ。国からも見放された人々にとって、彼女はまさに聖女に等しかった。そうして誰からも慕われていた。手を出そうものなら周囲の人間に殺されるというのがスラムにおける暗黙の了解だった。ジンとしてはそれがとても誇らしくもあり、自分の姉なのに他人のために、構ってくれないことが多々あるので寂しくもあった。
姉の料理ができるまでジンは自分の住処である2階建ての廃墟に一緒に住んでいる友達のレイとザックを探しに行った。この住処はスラムの中でも一番綺麗で1階は姉の治療院として解放され、また彼らの食堂も兼ねていた。ジンとナギ、そしてあと3人の子供が2階に住んでいた。レイはくすんだ金髪の少年である。年齢はジンの一つ上ではあるが、三人の中で一番身長が高く、落ち着いていて、常に微笑しながらいたずらの計画をよく考える3人の中の参謀役だった。
一方でザックは12歳という最年長ながらも、身長はジンよりも少し高い程度である。しかし趣味が筋トレであるためか、その体はがっしりとしており、家ではいつも力仕事をして頼りになるのだが、非常にお調子者であった。そのため『こいつは多分俺より子供だよな』とジンは常々思っていた。二人はジンの親友で、ナギの次の次に大切な存在だった。
いつものように家から少し離れた空き地で、騎士になるための修行をしているのだろう。そう思ったジンは家の外に出て空き地に向かった。都に住むほとんどの男の子たちにとって騎士は憧れの職業だった。スラムに住む彼らとてそれは同じことだ。法術と剣術を巧みに用いて魔物や魔獣から人々を守る騎士は英雄として讃えられていた。
目的地に近づくと気合の入った声と、木の棒がぶつかる音、そして法術のぶつかり合う音が聞こえてきた。そっと様子を伺うと案の定二人は向かい合って剣を模した木の棒で戦っていた。
『そういえば、危ないことしちゃダメだって、前に姉ちゃんに怒られたっけ。修行すれば姉ちゃんを守れるようになるのにどうしてダメなんだろう?』
そんなことをぼんやりと考えながら、レイとザックに声をかけようとしたところでもう一人、女の子がいることに気がついた。もう一人の同居人、同い年のミシェルだ。煤けた赤い髪に、少し汚れてはいるが小麦色に日焼けした肌、鼻にはそばかすがあり、笑顔はヒマワリの花のようだ。多分このスラムでナギの次に可愛い子だとジンは常々思っている。
彼女こそ、彼にとってナギの次に大切な存在だった。彼は彼女の前では素直になれず、どうしてもカッコつけてしまうのだ。はにかんだ笑顔を向けられると、顔が熱くなり、よくそれをザックにからかわれた。ジンはその度に思いっきりすねを蹴り上げる。それなのに執拗にからかってくるザックはやはり頭が悪いのだろう。
ジンは急いで髪と服を整え、流れるようにその手をズボンのポケットに突っ込んだ。
「よっ、みんな、俺も修行に混ぜてよ。っていうより、なんで声かけてくれなかったんだよ」
レイとザックはその声で手を止めてジンを見る。
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微笑みながら言うレイとは対照的に、ザックはニンマリといやらしい顔を浮かべる。
「そうだよ羨ましい。むしろ代われよこのシスコンが」
ザックはナギとも歳が近いためか、彼女に惚れているらしかった。だがジンは『こいつに姉ちゃんは渡さない』と密かに思っていた。彼は自分より1歳上のレイにも、5歳上のザックにも一度も(法術を抜きにすれば)喧嘩でも剣術でも負けたことがなかったからだ。自分よりも弱い相手に大切な姉を任せることはできない。というよりも、よりにもよってミシェルの前で人のことをシスコンと言うとは何事だ。彼はシスコンと呼ばれるのが心底嫌いなのだ。
「姉ちゃんはお前にはもったいない。その辺の女の子で満足しとけよ間抜け」
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「ふふっ。ジンはナギお姉ちゃんが大好きだもんねー。いっつもお姉ちゃんにべったりしてるし。甘えん坊だもんね」
この援護射撃にはジンはたまらず、舌打ちをしながら顔を真っ赤にする。
「っ、そんなことねーし。お、お前馬鹿じゃないの。ちゃんと目えついてんのかよ。頭おかしいんじゃね!?」
「なによ、事実じゃない」
だがミシェルはニヤニヤ笑いながら言い返してきた。カッとなったジンはつい彼女がいつも気にしていることを言ってしまうった。
「ば、ばーかばーか! このそばかすおばけ!!」
ジンにはよくわからないが、ミシェルはシミひとつないナギの顔とそばかすのある自分の顔とを比べてコンプレックスを抱いているようなのだ。それを指摘されるとひどく傷ついて、いつも泣いてしまう。案の定ミシェルの目にみるみる涙が溜まっていき、顔を赤くしていった。
「ジンのばかー!!」
そう言って彼女は走り去ってしまった。そんな後ろ姿を見て、『やってしまった』という後悔を顔ににじませて渋い顔を浮かべたジンの肩を組んで、ザックがいやらしい笑みを浮かべた。
「ジンくん、ミシェルに『そばかす』は禁句だよ。帰ったらお前、ナギさんのスペシャル折檻コースだな」
それを聞いてジンは憂鬱な表情を浮かべる。
「姉ちゃんと絡む絶好の機会だよ? 変わってあげようか?」
一応聞いてはみたが、当然のようにザックは断ってきた。レイはそんなジンたちを見ながら二人を諌める。
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