朝焼色の悪魔 Evolution

黒木 燐

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第一部 第三章 潜伏

4.プロフェッサー

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 ギルフォード教授登場。
 

「教授ってば、またそのブログを見ておられたんですの?」
 彼の横で書類整理をしていた女性が言った。細身で日本的な、なかなかの美人だ。年の頃は二十代後半、艶のあるまっすぐな黒髪を軽く後ろで束ね、短めのペパーミントグリーンのTシャツに、黒のスキニージーンズと黒いローヒールのパンプスを履いている。
「教授は話すほうの日本語は九十点以上ですが、書くほうはからっきしですから。最初はどうしてもコメントを書きたいからっておっしゃるので、わたくしが代筆して差し上げましたでしょ。教授の奇天烈キテレツな作文でコメントされ続けたら、そりゃあブロックもしたくなるでしょうね」
 件の教授は座ったまま椅子をくるりと回転させ、彼女の方を向くと言った。
「相変わらずキビシイですねえ。それから何度も言いますけど、教授なんて堅苦しい呼び方やめて、『アレク』ってもっとフレンドリーに呼んでくれませんか?」
「フレンドリーに? ですが……、わたくしは教授の秘書ですから、そういうわけにはまいりません。私の美学に反しますわ」
 と、美人秘書は淡々と書類整理を続けながらクールに答えた。
「んー、『アレク』が嫌なら、『プロフェッサー・ギル』でもいいですケド」
 教授は足を組み、机に片肘を載せ頬杖をつきながら、面白そうに彼女を見つめて言った。
「もう、いったいどこでそんなネタを……」
 秘書はため息をつきながら言った。
「わかりましたわ、アレクサンダー・ライアン・ギルフォード。それより、午後から研究室のメンバーが集まって資料作成をする予定でしょう? 急いで準備しないと間に合いませんわよ」
「Oh! サヤさん、フルネームはやめてクダサイ。なんだか怒られた様な気がします!」
 予想外の答えに、ギルフォードは肩をすくめて言った。
「そりゃあ、怒られてるんだと思うぜ、ギルフォード先生」
 急に男の声がしたのでギルフォードは驚いて立ち上がった。立ち上がると身長は優に百八十センチを超えている。紗弥の資料整理する手が止まり、直後に一瞬構えるような仕草をしたが、相手の顔を確認すると、にっこり笑って言った。
「あら、長沼間ながぬまさんでしたのね。気配を消して来られるのはやめてくださいまし」
「驚かしてすまんな。つい癖でな。とりあえずドアは閉めておいた方がいいぜ」
 と、教授室の入り口を指さしながら中年男性が入って来た。黒のスーツを着て手には厚めの書類封筒を持っている。背は百七十センチ半ばくらい、痩せ狼を連想させる体形だがよく見ると筋肉質で、かなり身体を鍛えているようだ。髪は整髪料で軽く後ろに流してセットしているが、一房程前髪が額に垂れており、濃いめのサングラスをかけている。少し長めの顔はハンサムとまでは行かないが悪くはない。ただ、鼻の下が若干長いのが特徴的だった。
「オー、ナガヌマさん! 日曜なのにご苦労様です」
「まあ、職業柄俺には曜日はあまり関係ないけどな」
「僕らも似た様なものです。しかし、相変わらずMEN IN BLACKメニンブラックみたいな格好ですねえ。あ、M町の資料持って来られたんですか。PDFファイルなんだからメールで良かったのに」
「近くに用があったからついでだ。それに、官庁のネットワークも信用ならなくてな」
「官庁のデータ流出は、必ずしもファイル共有ソフトだけのせいじゃないんですケドね」
 長沼間のぼやきに、ギルフォードは軽くウインクして言った。
「それを言われると恥ずかしいよ、先生。ま、これも平和ボケってヤツだな」
「それはともかく、資料どうもありがとうございマシタ。プリントアウトの手間も省けます。最近個人情報保護法とやらで、なかなかカルテも集めにくくて……」
「ただし、これも結構な箇所が黒く塗りつぶされてるからな、どこまで役に立つかわからないぞ」
「そうですか。公安警察の……」
「おいおい、おおっぴらにそれを言うなよ?」
 長沼間に言われてギルフォードは言いなおした。
「お役人様のあなたでもこれが限界ですか」
「あのな」
「でもまあ、だいたいの場所がわかればなんとか……。家族構成がわかればもっといいのですが」
「悪いな。犯罪と結びついていることならば、君の立場ならもっと正確な情報が手に入れてやれるんだが」
「資料、お預かりしますわ」
 資料を持ったままギルフォードと話し込む長沼間にしびれをきらしたのか、紗弥が声をかけた。
「おっと、すまないねぇ、ねえさん」
鷹峰たかみね紗弥さやですわ。そろそろ覚えてくださいね」
 紗弥の顔は、にこやかに笑っていたが、言葉には微かだが明らかにトゲを含んでいた。
わたくしは研究室の方でこのカルテのコピーを地域別に分類しておきます。研究生たちが来るまでもう少し時間がありますから、お二方はごゆ~っくりなさっていてくださいな」
 というと、彼女はさっさと教授室から出て行った。
「恐いな」
 長沼間はこっそりギルフォードに耳打ちすると、ギルフォードも小声で答える。
「恐いです。この研究室の影のドンですから」
 うんうん、と長沼間がうなづき二人はぶははと笑った。

「サヤさんいなくなっちゃったんで、今日は僕が特製コーヒーを淹れてきます。とりあえず、そこら辺に座っていてください」
 ギルフォードに促され、長沼間は彼の机に近い方のソファに陣取った。
「じゃ、チョット待ってて」
 と言いながらギルフォードが出て行くと、手持ち無沙汰になった長沼間は、ギルフォード研究室、通称ギル研の名物教授の部屋の中を見回した。しかし、すでに何度か足を運んでいる長沼間には、さほど珍しいものは無かった。しかし、ギルフォードのパソコンに開いたままになっているサイトを見て、少し驚いた表情をした。しばらくすると、ギルフォードがコーヒーを運んできた。
「ゴールドブレンドですが」
「特製じゃなかったのか?」
「違いの判る男のコーヒーですから」
「いつのコマーシャルだよ」
 と言いながら、長沼間はコーヒーを口に運んだが、小さい声で「あち」と言って机に置き続けて言った。
「猫舌なんだ。もう少ししていただくよ。ところで……」
 長沼はギルフォードのパソコン画面を指さして言った。
「このブログ、いつも見てるのか?」
「ええ、最近。M町のインフルエンザについて検索していて、ヒットしたブログです。ここの管理人さんもあれに罹って大変な目にあわれたようですけど」
「なるほど」
「それで、毎日立ち寄るようになりました。日本での妙齢のご婦人の会社における微妙な立場とかわかって面白いですよ」
 長沼間は目の前の外国人が『妙齢のご婦人』とか『微妙な立場』とか言うのを聞いて、改めて妙な感じがした。ただし、『妙齢』については、使用法が違うと思ったが。少なくとも三十代の女性に使う言葉ではない。多分『微妙な年齢』と言いたかったんだろう。
(それにしても……)
 長沼間は思った。
(イギリス人の教授が、三十代独身OLのブログウォッチを日課にしてるという図ってのも結構アヤシイもんだな。おまけにこいつは……)
「ひょっとして、ナガヌマさんもこれをご存知だったんですか?」
 と、ギルフォードは長沼間が黙っているので我慢できずに質問した。
「あ……? ああ」
 長沼間は我に返ると声を潜めて言った。
「実はな、俺が今追っている男がいるんだが、そいつの愛人と接触した女性がいたんで、彼女についても色々調査したんだ。その女性が作ったブログということで、一応チェックしたというわけだ」
「はあ、関係者と接触しただけで、ブログまで探られるんですか……。恐いトコロですねえ」
「当然だ。疑わしきは全部疑え、が基本だからな。だが、件の男とはまったく無関係だったようだ」
「そりゃそうでしょうねえ。……あ、と言うことは……」
 ギルフォードはワクワクして言った。
「ナガヌマさんは、彼女との連絡方法を知ってるんですよね!」
「直接連絡したことはないが、しようと思えば出来るだろうな」
「実は、是非彼女と連絡を取りたいと思ってたんですケド……」
「却下」
 長沼間は速攻で答えた。
「捜査上の個人情報を無関係の人間お前さんに漏らすワケにはいかんだろう? 職権乱用だ」
「ケチ」
「ケチ……って、あのね、協力できるところは充分してるだろう?」
「今、半分は情報を漏らしたくせに」
「…………」
 痛いところを突かれ、長沼間は一瞬絶句した。こいつと話していると調子が狂う……。
「わかった。機会があったら教えることにする。たとえば、彼女が君の近くにいるとかね」
 そういうと、長沼間はコーヒーを飲み干した。すでにぬるくなっていた。
「確率低そうですねぇ……」
 ギルフォードはぼやいてコーヒーをすすったが、すぐに顔をしかめて言った。
「しまった、お砂糖を入れ忘れてマシタ!」
「砂糖を入れるのか???」
 長沼間が驚いて言った。ギルフォードは、うえ~という顔をしながら答えた。
「僕はイギリス人ですから、コーヒーはどうも……」
(なら、飲むなよ……!)
 長沼間は心の中でツッコミを入れた。

「ところで、M町のインフルエンザになんで興味を持ったんだ? これがあんたの専門とどう関係するんだ?」
「うーん、たまたま偶然だったんですよね」
 ギルフォードは前置きをして言った。
「これは、かなり局地的なインフルエンザの流行でした。だから、学生達にもアウトブレイク感染爆発時に感染源を特定する訓練になると思って、感染経路を調べ始めたんです。すると、妙なことに気づきました」
「妙?」
「なんか、感染の仕方が食中毒に似てるんですよ。と言っても何かにあたったという意味ではありませんよ。最初の感染が、ある保育園に限定されていたんです。そこの園児が4月も終わろうかという頃、いっせいにインフルエンザを発症したんです。まるで誰かがヴァイラ……ウイルスを撒いたみたいに」
「誰かが意図的に保育園へウイルスをばら撒いたってか? いったい何のメリットがあるっていうんだ?」
「今の段階ではなんともいえません。だからあなたにもっと多くの資料をお願いしたのです。可能性としては、生き残りのウイルスがたまたま遅れた流行を起こしただけ、というほうが合理的です。僕にもそんなことをする理由がわかりませんね、特撮の悪役じゃないんですから……。目的があるとすれば……」
 ギルフォードはそこで言葉を止めた。
「あるとすれば?」
 と、長沼間。
「世界征服?」
「おい!」
「ジョークですヨ、ジョーク。いちおうウイルスの分析をしてもらうため、CDC米国疾病予防管理センターに送ってますけど」
「CDC? アレクサンダー、君ならフォート・デトリックの方かと思ってたが?」
 長沼間がそう言うと、ギルフォードの笑顔が一瞬固まった。
「たしかに駆け出しの頃ことはありますが……」
 しかし、すぐに悪戯っぽくにやりと笑って言った。
「こういうときはCDCと相場が決まってますでしょ。でも、結果はいつになるかわかりませんね。新型のA型H1N1騒ぎもすっかり終息しましたし、トリインフルエンザとかならまだしも、季節性のA型インフルエンザじゃあ僕がいくら変だと言って『知り合い』に頼んでも、どうしても後回しにされてしまうでしょうから。でも、長沼間さんもこの件ではなにか情報があるのではないですか?」
「なんでそう思うんだ?」
「だって資料を持ってくるの早かったじゃん……」
「あのな、だからいつも出来るところは協力してるだろうが」
「そうですかねえ。――ところで……」
 ギルフォードは立ち上がりながら言った。
「そろそろ学生が集まって来たようなので、こちらの作業を始めたいのですが……」
「あ、ああ……」
 気がつくと教授室のドア付近で学生が数名、興味津々で立っている様子だった。
「おっと、オレもあまり油を売っているわけにはイカンな」
 長沼間も立ち上がった。
「じゃあな、また何かあったら言ってくれ」
 と言うと、長沼間はさっさと研究室を出て行った。
「今の、どなたでっか?」
 と、学生たちの一人が待っていましたとばかりに尋ねてきた。
「僕の授業の優秀な聴講生ですよ。今日使う資料を持ってきてくれたんです」
「あ、そうでっか」
 その大阪弁なまりの学生は少し安心たように言うと、頭を掻きながら自分の席に向かい小声で言った。
「仲よさそうやったし、僕はまた、てっきり先生の……」
 その途中でドアがいきなり開いたので彼は飛び上がった。長沼間が引き返してきたのだ。
「あ、伝言があったのを忘れてたよ、アレクサンダー。K大の勝山先生が、あす司法解剖するのに気になることがあるから、立ち会ってくれってさ。例のK市の異常死体の件」
 そういうと、長沼間は今度こそ帰って行った。
「解剖?」「司法解剖だって」「すげ、先生。本格的やん」
 学生達がざわついた。しかし、ギルフォードは少しお冠で言った。
「解剖って……。何も伝言じゃなくたって電話してくれればい~じゃん」
「教授が電話じゃいい返事をなさらないからでしょう?」
 と、いつの間にか別室から出てきた紗弥が言った。
「司法解剖……、苦手なんですよね……」
 ギルフォードは憂鬱そうに額に手を当て、首をゆっくり振りながら言った。
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