一人語り

木ノ下 朝陽

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駅前のカラオケルームにて(五)・当初の卒業後の進路希望

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大学時代のこと、ですか?
卒論は、月並みですけれど、『源氏』を選びました。…ええ、そうです。『源氏物語』です。
資格は、学芸員を。一応、教職や、司書も考えたんですが、結局、一番自分に向いていると思ったので。私、お道具の、…ええと、お茶の道具、のことです。…あ、すみません。余計な注釈でしたね。…とにかく、そういうものの扱いは、勿論祖母からも仕込まれていますし、きちんと取り扱える自信がありましたから…。それに、今まで仕入れてきた知識が役に立つんじゃないか、って考えて決めました。
金沢、…北陸の金沢にありますよね?中村記念美術館って。…あ、ご存じないですか?失礼しました。ええと、お茶道具専門の美術館なんです。規模は決して大きくないんですけれど、私のような人間にとっては、それこそ夢のような空間です。
私、大学の卒業旅行で、一人で金沢に行ってきたんです。随分前から計画立てて、お宿も自分で決めて、新幹線の切符も予約して。旅行の費用は、こちらも随分前から。学生科で紹介してくれる、一日とかの短期の、世間知らずの私でもできそうなアルバイト、こまめに探してこつこつ貯めて。祖母も「いいねぇ、私も行きたいねぇ」って言っていましたけれど、お稽古を放り出すわけにもいかないって。「行って、しっかり自分の目で見てきなさい。可愛い子には旅をさせよ、ってね」って言って、送り出してくれました。…私、それまで、一人で旅行したこと、一度もなかったんです。本当に世間知らずそのもので、お恥ずかしいんですけれど…。
あちらは北国で、一応、重装備はして行ったんですけれど、三月半ばなのに、相当に寒かったのを覚えています。…いえ、幸い雪はそれほど…。あちらの方に伺いましたけれど、最近ではあちらでも、昔ほど雪が降らない、って…。
三泊四日っていう、限られた時間内でしたけれど、中村記念美術館はもちろん、県立美術館の雉の香炉や、他にも前田家、加賀のお殿様ですね、…あ、また余計な注釈でしたね…。その前田家秘蔵の、この世に滅多にはないような、様々なお道具や宝物も見られましたし、あの旅行には、ただ満足の印象しかありません。
すみません、話が脱線しましたね。別に鉄道絡みの話だから、ってわけではないですけれど。…ええとですね、本筋に戻しますと、その、中村記念美術館みたいな、そういうところにお勤めできたら素敵だろうな、って思ったんです。
それは、…今のご時世ですし、世間はそう甘くないってことくらい分かっています。実際、学芸員は狭き門ですし…。でも、人生一回こっきりって決まっているんですから、試してもいないうちから諦めるだなんて、そんなの悔しいじゃないですか。伍代さんだって、諦めないでこのお仕事を続けたからこそ、今のキャリアがあるんでしょう?違います!?
……すみません、馴れ馴れしい口を叩きました。私…いつもこうなんです。いい子を装っているくせに、頭に血が昇ると我慢できなくなるんです。そのせいで損をするって、分かっていても止められないんです。大変失礼いたしました。
…そうですか?本当に怒っておられない?…私の言ったこと、本当に間違っていませんか?……良かったあ…。
いえ、後藤さんのご紹介ですし、それに、…こんな風に私の話を聞いて下さる方、他にいませんから…。伍代さんがお気を悪くして帰られたらどうしよう、って。…ありがとうございます。本当に失礼を申し上げました。

学芸員になるには、学位が上の方が有利、っていうのは聞いていましたから、早くから、卒業後はそのまま院に進むことにしていました。
当然のことですけれど、祖母にも相談しました。…またまたお金が掛かる上に、就職だって遅くなる。研究で忙しくなるだろうから、少なくとも当分は教室を継ぐどころか、後継者になるための修行そのものが無理だと思う…。私、その時、許状…免状、免許のことです。許状こそ持っていましたけれど、それまで忙しさにかまけて、きちんと人を教えたこと、なかったんです。祖母もそういうの、たとえ私が孫だからって、…いえ、私が孫だからこそ、全く実際経験のない人間に、安易に自分の教室を継がせるようなこと、考える人じゃありませんでした。結局最後まで…。
……すみません、また私…。…ええと、どこまでお話ししましたっけ。…そうそう。それに院を出たって、希望の学芸員になれる保証なんか、何処にもない。結婚だって、…高学歴の女性って、やはり婚活市場では敬遠されるらしいですね?…とにかく、婚期を逃すどころか、結婚そのものすらできないかも知れない。それでもいい?って、…私、畳に正座して、祖母に相対して、真剣に尋ねました。
祖母はね、
「構やしないよ。そりゃ葵の花嫁姿を見られないのも、この教室を継いでもらえないのも、寂しいのは寂しいけれどさ。葵の人生は葵のものなんだよ。私の好きにして良いものじゃない。それに、学問は若いうちだよ。しっかりおやり」
って。…私、その場で祖母の膝にすがって、お祖母ちゃんありがとうって、おいおい泣きました。お祖母ちゃん…祖母は、「もう小さい女の子じゃないんだよ。いい年の娘なんだ。別嬪さんが台無しだよ」って、背中撫でてくれました。
……何度もすみません、…本当に、今日、…私、変なんです…。本当に、今まで、…祖母のことでは、泣きたくても、泣けなかったはず、なんです…。……すみません、…もう少しで落ち着きますから…。

本当に失礼しました。お見苦しいところを…。
…随分なお祖母ちゃん子、ですか?
そうですね、自分でもそう思います。でも…考えてみてください。父にも母にもいらないって、…正確には、「一緒には暮らせない。葵のことは、大事だし愛してる。でも、動かせない事情がある。分かってくれ」って。…これは父が言ったことですけれど。母にも、…実際、同じことを言われたようなものです。
とにかく、そんな私を祖母は、…祖母だけが私を見棄てなかったんです。それだけじゃない。申し上げた通り、ただ可哀想がってべたべた甘やかす人では決してありませんでした。それどころか、他人の目に付くところでのお行儀が明らかに悪かったり、嘘をついたり、…子供のことですから、しまってあったお菓子、こっそりつまみ食いして知らんぷり、なんていうのが関の山ですけれど、そういう時にはこっぴどく叱られました。畳、…時によっては板の間の上に、直に正座させられて、ほんのちょっと動くのも許してくれなくて。目の前に、自分と同じように直に正座したまま、「動かざること山の如し」じゃありませんけれど、それこそ山…独立峰の、まるで富士か筑波の峰みたいに、そんな時でも、こちらが思わず惚れ惚れするくらい、形良くぴたりと、それこそ身動ぎひとつしない祖母に、「「お菓子を食べたのが悪いんじゃない。黙って食べたこと、それに一番悪いのは、そのことを、嘘をついて誤魔化そうとしたことだ」って。自分も悪いことをしたっていう自覚がありますから、祖母の意見は身に染みました。
……ええと、…また話が脱線しましたね?…ええ、本当に、昔気質の人だったんです。だから、一旦「自分が育てる」って言った私のことは、本当に最後まで見棄てなかった。…見棄てたのは、私の方です。
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