一人語り

木ノ下 朝陽

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駅前のカラオケルームにて(七)・祖母の救急搬送

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私、やっとの思いで、自分の左腕だけに祖母を掴まらせて、その上で、自分の綿入れのかポケットから、何とか携帯電話を取り出して、救急に通報しました。携帯電話は自分の体温で温かくなっていたのに、その時の私の右手の指は異様に冷たくて、しかも何だかひどく強張っていて、いつもの自分の右手のはずなのに、全然言うことを聞いてくれなくて、救急の番号を打ち込んで通話ボタン押すっていう、たったそれだけの作業なのに、物凄く難儀したのを覚えています。
通報を終えて、ポケットに携帯電話を仕舞って、救急の方が到着するまで、私は、ただ、大丈夫、大丈夫、って、呪文を唱えるように繰り返しながら、空いた右手で、ずっと祖母の背中を擦り続けました。その間、祖母は、うわ言みたいに私の名前を呼び続けながら、溺れかかった人がそばに浮いているブイか何かに掴まるみたいに、私の左腕を掴んで離しませんでした。
随分長く感じましたが、きっとそれほど経っていなかったのでしょう。サイレンの音が近付いて来て、うちのすぐそばで止まりました。続いて慌ただしい気配と一緒に玄関のチャイムが鳴り、間を置かずに「立花さん!?」と言う声とともに、戸が叩かれる音が聞こえました。
私は、難破船から脱出する人みたいに、祖母に声を掛けて、抱き抱えて立たせ、そのまま玄関に向かいました。抱き抱えた祖母の体は、まるで骨と皮ばかりで出来ているかのように、何だか妙にすかすかと軽い手触りで、これがあの私のお祖母ちゃんかと思ってぞっとしました。
私は先に立って土間に降り、自分は突っ掛けを、祖母には私の、突っ掛けて履くことのできるスニーカーを夢中で履かせて、玄関を開けました。いつもの祖母なら、「こんな不粋なもの、嫌だ」くらいのことは言いそうなものなのに、その時の祖母は、一言の文句も言わずに、私にされるままになっていました。
救急の方は、門の前にストレッチャーを待機させていました。祖母をお任せして、簡単に状況と祖母の症状をご説明してから、私も車輌の方にって言われたので、じゃ貴重品取ってきます、って、家の中に戻ろうとすると、そんなものは後でいい、とにかく早くって…。私は、じゃあ鍵だけでも、って、台所の茶箪笥の引き出しから、玄関の鍵と、一緒の引き出しに入っていた、いつも祖母が買い物に持って行くお財布、それと、祖母の保険証を取り出して、それを、こちらも祖母が買い物の時に持ち歩く手提げ袋に念入りに仕舞って、それから、綿入れを脱いで、玄関のコート掛けから自分のコートを二枚取って、そのうちの一枚、膝丈のダッフルコートを羽織ってから、玄関の灯りを点けて、ちゃんと灯りが点いたのを確認してから、今度は自分の紐なしのスニーカーを履いて外に出て、鍵を締めました。
雨戸は、先ほど私が立てて回ったばかりでしたし、それに真冬の二月のことで、家の窓はどれも閉め切られて鍵が掛かっていたので、他の戸締まりの心配のないのだけが幸いでした。
明滅する赤い灯りを頼りに、私が駆け寄って行くと、救急の方が「早く!急いで!」って…。私が乗り込むのとほぼ同時にドアが閉まって、すぐに救急車は発信しました。
けたたましくサイレンが鳴る中で、祖母の「…葵、…葵…」って言う声が、妙にはっきり聞こえました。私は慌てて腕に抱えていたコートのうち、腰下丈のダウンのコートを祖母に掛けて、差し出された祖母の右手を、自分の両手で握り締めました。
祖母は、いつもの半纏を羽織っていましたし、既に救急の方に毛布を掛けて頂いていましたが、いくらかの気休めにはなるだろうし、それにダウンのコートは、祖母を連れて帰る時にも、膝掛けとして使えるだろうって思いました。
…冷静、ですか?いえ、咄嗟のことでしたから…。でも、そうですね。もしかしたら私、祖母の体が弱ってきた頃から、無意識のうちに、いつか、そう遠くない未来に、こんなことが起こるんじゃないか、って、想像して、起こった時にはどうすれば良いか、何度も繰り返しシミュレーションしていたのかも…。
やっぱり私、意気地なしです。そんなことぐだぐだ考えている間に、それこそお祖母ちゃんの首根っ子掴んで、お祖母ちゃんがいくら嫌がろうが、力ずくでも病院に連れて行けば良かったんです!そしたらお祖母ちゃん、今でも生きててくれてたかも知れなかった!手は掛かるかも知れないけれど、私の目の前で、にこにこ笑ってくれて、私のこと、「葵は本当に良い子だね」って…。
……本当に、…何度もごめんなさい…。本当に、今日、私、変なんです…。もしかしたら、随分久し振りに、こうやって、自分の話を聞いて頂けて、その、…いつもより少し、気が高ぶっているのかも知れません。
…大丈夫でしょうか?…いえ、私がじゃなくて、伍代さんが。
あの、ちゃんと取材になっていますか?……大丈夫、ですか?…え、もっと酷い状態の人って…。それって、…一体、どんな感じなんですか…?
…いえ、ライターさんも、その、守秘義務、ですか?そういう類いの約束は、取材される側の方とされるんでしょうけれど…。まあ、正直、半分以上、怖いもの見たさですけれど。
…え、取材の途中からひたすら泣きっぱなしで、時々間欠泉みたいに叫んでいた、って…。その方には失礼ですけれど、良く伍代さんご無事で…。あ、そういう訳ではなかったんですね、むしろ積極的に取材に応じて下さる方だったんだ。良かった…。
じゃあ、私みたいなのは、まだ扱いやすい部類に入るんですね?…良かったです。ちょっとだけ安心しました。
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