一人語り

木ノ下 朝陽

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駅前のカラオケルームにて(八)・閑話休題。

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……ふうぅ…。……すみません、せっかくのジンジャエール、温くした上に一気飲みしたりして…。
あはは、そうですね、…それは確かに、自分が飲むために注文したんですけれど…。
あの、私、本当に物知らずで申し訳ないんですけれど、…こういうところって、持参のペットボトルの水とか、飲んで良いものなんでしょうか?
ええ、一応、持って歩いてるんです。あの事件の最中、水もろくろく飲まないで歩き回って、それでまた酷い目に遭いましたから…。買い物、宅配でお願いする度に、数本単位で注文して、こまめに補充しています。…あ、やっぱり、ケースでお願いした方が、単価考えるなら安上がりですか?重たそうだから、ケースで持って来て頂くの、気が引けて。
え、…あ、そうですね。確かにネット通販なんかでも日用品、洗剤やらなんやら、重たそうなもの、扱ってますもんね。そうか、そういうふうに考えれば良いんだ。そうですよね…。
ええ、確かに、うち、スペースの問題はないんです。…そうですね、後は気分の問題、ですね。
それはともかく、持参の水なんて…。あ、そうですよね。こういうところって、それでご商売されているんですもんね…。
ええと、それじゃ私、後で自分の分はお支払いしますから、また何か飲み物、お願いしても構いませんか?あと、何かちょっとつまめるものも。
…ええ、いえ、一応、腹拵えはしたんですけれど、私、あれから、…あの事件以来、一回一回の食事、それほど食べられなくて…。ええ、病院の先生には、このことも。でも、お腹は減るので、ちょこちょこつまむしかないんです。変でしょう?
…そうですか?ありがとうございます。
あ、ありがとうございます。…ええと、サンドイッチなんてありますか?…ええ、本当に、簡単につまめるものが良いんです。
よろしければ、伍代さんもご一緒にいかがですか?一人で頂くのは気詰まりですし、…それに、本当にあまり入らないんです。昔は祖母に「あんたは痩せの大食いだね」って言われていたくらいなのに…。……すみません、本当に何度も…。ええ…ええ、大丈夫です…。
……あ、注文、お願いします。ええと、…このミックスサンドを。あと、飲み物ですね。…オレンジジュースと、あと、一緒にお冷やを、…伍代さんもお冷や、頼まれます?
じゃ、お冷や二つ。オレンジジュースは氷抜きでお願いします。

……すみません。人心地つきました。
ええ、ご覧の通り、本当に入らないんです。食べ散らかすみたいで、非常に申し訳ないんですけれど。…あの、私、ゆっくり頂きますので、本当にもしよろしければ、伍代さんも手を伸ばして下さいね。どうぞご遠慮なさらず。
あと、代金、ちゃんとお支払いしますね。
…え、経費、ですか?
そういうのは、その、…ちゃんと採算が取れる場合だけでしょう?…え、そうなんですか?本当にそういうものなんですか?
いいんですか?…私、このまま、すっかりご馳走になってしまいますよ…?
本当に大丈夫なんですね?…私の話…?…本当に、本当にそれでいいんですね?
何だか、自分の話を聞いて頂ける上に、ご馳走にまでなれるだなんて、話が旨過ぎるような気がしますけれど…。
分かりました。伍代さんはお大尽で、私は芸人なんだと思うことにします。芸人ったって、せいぜい前座身分が良いところですけれど。立て板に水どころか、横板に餅の、拙い芸ではございますけれども、精一杯相務めさせて頂きます。
…約御一名様よりの盛大な拍手、誠にありがとうございます。
……うふふ、お分かり頂けます?
良かった。やっぱりこういうの、分かって頂けないと、ただ恥ずかしいばかりじゃなくて、寂しく…って言うより、虚しくなりますから。
あの人、…ええ、その、例のあの人です。あの人ね、こういう、落語を始めとする寄席演芸は分かるらしいんですけれど、古典文学やら、それから歌舞伎とか、寄席演芸以外の、いわゆる伝統芸能全般、全く興味ない人で…。「ねぶとうなる」なんて言うんですよ。あの人、京都の出身なのに…。
あ、出身地なんか、あまり関係ありませんね。単純に、個人の資質の問題ですね…。とにかく、その時ばかりは、っていう訳でもありませんけれど、私、がっかりしちゃいました。
ええ、ぜひ勉強して好きになってくれ、なんて言うつもりは、端から、毛頭ありませんでした。そりゃ確かに、自分の好きなものが、相手も好きで、一緒に楽しめたら素敵だろうな、とは思いますけれど、…でも、いちいちそういうの、相手と擦り合わせようなんて思ったら、その間に人間一人分の一生なんかあっさり終わっちゃいますよ。
それよりは、相手の好きなものと、自分の好きなもの、互いに尊重し合って、それぞれ、お互いの好きなものの領域には必要以上に干渉しない…って、そういう風に決めて置く方が、よっぽど建設的だと思いますけれど…。
伍代さんもそう思われます?良かった。
あの、…大変失礼な質問ですけれど、伍代さん、ご結婚は…?
あ、そうなんですね?そうか、…伍代さんの旦那様って、どんな方なんだろう…。きっと格好良い、素敵な方なんでしょうね?
…ええ!?…仕事中はともかく、家じゃトドみたい、って…。随分な仰り様ですね。…事実、って…。きっと旦那様、今頃くしゃみなさっておいでですよ?

ええ、私、大好きなんです。寄席も歌舞伎も。
…正確には、大好きだった、なのかな。
あのね、私が、歌舞伎や寄席を好きになったの、多分予想はついておいでだと思いますけれど、祖母の影響なんです。
だから、なのかな。…祖母が亡くなってから、歌舞伎も、寄席演芸も、一切観たくなくなってしまいました。
ええ、これも、担当の先生にはお話ししています。
どんなに面白そうな演目が上演されていても、どんなに贔屓だった役者さんや芸人さんが出ていても、劇場や寄席に足を運ぶどころか、テレビやラジオで放送していても視聴したくない、…って言うより、視聴する気が起きないんです。
…まあ、一生このままって決まった訳ではないでしょうし、昔の歌の文句じゃないですけれど、そのうち何とかなるだろう、とは思っていますけれども。
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