黎明を告げる

Undine

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はじまり

1.はじまり

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「隠し事なんて...してないよな?」


講義室の端の席に座り、頬杖をついて窓の外を眺めながら昨夜の出来事を振り返った。
普段は憎たらしいほど無表情なあいつが珍しく表情を見せたと思えば、掛けられた言葉は「隠し事は人の信頼を失うぞ」だった。


...え、なんかしました?
考えれば考えるほど分からなくなってきた。なんならこの無駄な思考を止めた方が利口なのでは無いかと思い始めたとき、シャーペンで腕をつつかれた。


どうやら独り言が漏れてしまっていたようだ。隣の席に座った田辺たなべが睨みながらこちらを見てくる。


「おい独り言のボリュームちょっと下げろ」


なんか少しツッコミどころが違うとも思ったが、小声で謝っておく。田辺は満足したようで板書を書き写す作業を再開しはじめた。


こんな平和な時間がずっと続けばいいのにな...もし俺がそこら辺にいる一般人だったら...。そんな呑気なことを考えながら少し機嫌の悪そうな田辺のノートを横から奪い、ノートにシャーペンを走らせた。




***




俺の名前は城下幸生じょうした こうき、19歳。都内の私立大学に通う普通の大学生だ。という自己紹介から入りたかったが、普通と言うには程遠い仕事をしている。


ここで殺し屋とか言える人生だったらもっと女子にモテていたのだろうか。残念ながらそんなカッコイイものではなく情報屋という地味な事をやっている。


よく洋画で見かける情報屋といえばポテトチップスを乱雑に口に入れ、片手にコーラ、手元に漫画を置き、常にパソコンと向かい合っているようなやつを思い浮かべるだろう。
映画の中で絶対にいいやつと相場が決まっているが恐らく実家暮らしで母親には勝てない。あとお母さん呼びじゃなくて、ママ呼び。


...圧倒的脇役!主人公になることは無い。
主人公に抜擢されがちな職業である殺し屋とかスパイとか金持ちになりたかった。性格的にはたぶん向いている。人の懐に入ることなんて朝飯前だし。


そんな劣等感MAXの情報屋にくる商売客はもちろん嫉妬してやまない殺し屋だとかスパイとかいう奴らが大半である。


だがその中で特に最近気に食わないやつがいる。そう、授業中に俺の頭を悩ませていた「憎たらしいほど無表情なあいつ」である。


名前は夜撫ヨナ。本名でないことは分かるが詮索はしない。情報屋の名において本気になれば調べることも出来るだろうが、無駄な争いは避ける主義である。世渡りは上手な方だと自覚している。


他の客は超良質な情報を提供、そして明るく愛想のいい俺に好感度を持ってくれるため、すぐ仲良くなることが出来る。


しかし夜撫は思ったようにいかなかった。何も読み取れない無表情はもちろん、声も小さいし目つきも鋭い。美形が好きな俺にとって顔は100点と言っていいほど美丈夫なのだがとにかく愛想がない。


そのくせ基本的になんでもこなし、忍耐力、強運にも恵まれている。夜撫に「俺は諦めた方がいいと思うけどね!」と大口を叩き、情報提供した組が一日で全滅
したときには驚きを隠せなかった。


興奮気味に侵入経路や手口を聞いてみても、躱されてばかりで結局何も分からない。
他の人にどう言うやつか聞いたことがあったが、「控えめなやつだと思って話しかけたら普通に明るくて良いやつだったぞ。殺し屋には見えないな」と思い描いていたものとは違う答えが返ってくるばかりだった。


嫌われてる...?この俺が?!


上っ面だけの対人関係には自信のあった俺が久しぶりに苦渋を 嘗めている。しかも他の人とは違う態度ときた。完全に嫌われているとしか思えない。そんなに嫌われるようなことをした覚えは無いがどうも気に食わない。


とりあえず距離を縮めていくととから始めようと決意を固めた。


***


今日は2限からだったよな...。


眠い目をこすりながらスマホ画面の時計を確認する。いつも家を出る時間まであと20分のところで起きてしまった。


「10分でシャワー浴びて...5分で乾かして...よし!いけるな!」


瞬時に水を飲み、目を覚醒させてからベットから飛び起きる。


寝起きに弱い俺だが、起きた瞬間に水を飲むことで目が覚めることを最近発見した。それより前は、スマホのカメラの内カメで自分の寝起きの顔を見つめてみるなど色んな方法を試したが、今のところ水を飲むことがベストである。


バタバタとアパートの玄関を出て鍵を閉めようとするとスーツを着たお隣さんも出てきた。軽く挨拶をして小走りで駅まで走った。


***


「走ってきたのか?顔赤くなってるぞ」
「え、まじ?ちょっと飲み物買ってくる」


講義室につくと一足先に田辺たなべが席について待っていた。ピッという機械音を立てて落ちてきた水のペットボトルを素早く手に取ると頬に当てる。冷たくて気持ちいい。


田辺って顔は良いから「顔赤くなってるぞ」とか女子が聞いたら卒倒するだろうな。なんであいつ彼女いないんだ?やっぱり性格が─...


教室より少し涼しい廊下で涼みながら思考にける。自分の事ももちろん、他人の分析をついしてしまうのは職業柄なのだろう。体の熱が下がってきたことを確認してから教室に戻っていった。



***



「コウ。久しぶりだなあ」

「川崎の兄ちゃん!会いたかったよ!この前の任務にでも手こずってたんですか?」

「早めに終わらせた金で気になる漫画全巻買って籠城してた」

「いいなあ~今度漫画貸してくださいよ」

「仕事があるだろうお前は」

「兄ちゃん知らないんですか?読書も立派な情報収集ですよ」

「ハイハイ」


夜。俺の職業は学生から情報屋に変わる。昼の名前は幸生こうきだが、夜は適当に名前の最初の2文字をとって、コウと呼ばれている。
もちろん俺の本名を知る人はいない。


裏の世界では知る人ぞ知る、確実な情報提供をすることで有名である。そんな所に来る者もまた、手練の殺し屋だ。


だいたい2,3ヶ月スパンで次の依頼の情報を求めに来るが5ヶ月も経てばだいたい依頼に失敗して殺されていることが多い。


どのように失敗したのかどの組織に殺されたのか、それを調べるのも俺の仕事であり趣味である。
数ヶ月前まで楽しく世間話をしていた人の死に様を調べるなど、常人にとっては理解できないだろう。


だが今の時代、情報が全てである。情報を制するものは世界を制する。そして新しい情報を常に把握するためには底なしの知識欲が必要不可欠だ。


だから俺はあいつに近づき仲良くなる...
そしたら...勝ちだ!


「...あいつなんかずっと企み顔してるけど、なんかあったのか?」

「なんか愛想悪いやつが気に食わないらしくて。コウも躍起にやってるんですよたぶん。」


何やらコソコソ話をしているのが聞こえるが知らないフリを貫き通す。


川崎の兄ちゃんと話しているのは田辺だ。
俺と同じく、大学では普通の大学生を演じる情報屋である。情報を集める時に必ず行動を共にする相棒であるため、お互いのことはなんでも知っている。
もちろん俺が夜撫よなと仲良くなるために躍起になっていることも。


言ったからには協力しろと詰め寄ったが、触らぬ神に祟りなしと言い捨てられてから何も返事をしてくれない。


机に頬を付けてリラックスしながら川崎の兄ちゃんと田辺の話を聞いているとドアのきしむ音とともに黒い服に身を包んだ男が入ってきた。


───噂をすればなんとやらだ。

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