月鏡の畔にて

ruri

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第五話 烏頭白くして、馬角を生ず

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 約束の夜になった。
 私は例の質素なバーへ一直線に向かって、ひとり先に席に着いた。強めのお酒を注文して、水のように飲みながら『彼』を待つ。彼の指定した時間まではあと三十分はあるけど、そんなことは気にしない。なんて一途いちずなのかと自分でも思う。
 日頃の不満を喉へ押し流すように一心不乱に飲み続けていると、彼よりも先に眠気がやってきた。
 そして、うたた寝の合間に夢を見た。

 *

 湖北に面する白い大理石の社、その境内けいだいを茶髪の少女が好奇心のままに駆ける。森の小道を抜け、眼前に現れた未知の世界と不思議な空気感にうきうきしながら走り回るのは、十歳にもならない小さな頃の私だ。

「わ、どこからきたの」

 前方の声に私は顔を上げる。社務所から出てきたらしい若い男の人がひとり、そこに立っていた。
 白衣に白袴、雪模様があしらわれた丈の長い羽織のような服。額や耳や手首にはきらびやかな宝石の装飾が覗き、高身長のてっぺんに乗った頭にはラフマッシュの銀髪が星のように光っている。
 神聖な雰囲気を漂わせており、とにかく非現実的だった。佇まいすべてが子供心に綺麗だと思った。神様がいるとしたら、きっとこんな感じなんだろう、と。

 その人は、身長の小さな私に合わせてしゃがみこみ、無邪気に笑んだ。身に着けたアクセサリーのどの宝石よりも美しく透き通る青眼に覗き込まれて、感嘆の声をあげたことを覚えている。

「わあ……きれい……」
「この格好のことかな。ありがとう。一体どうしたの、君はどこの子?」
「探検してるの。何があるのかなーって」

 幼い私が拙い口調で夢見心地に答えると、その人は困ったように苦笑した。そして、絵本のように棘ひとつないやさしい言葉で私を諭したのだ。

「こんなとこまで来るもんじゃないよ。ここは神殿だからさ、普通の人は入っちゃダメなんだ」
「神さまがいるから?」
「そうそう」
「お兄さんは?」
「俺は良いの。特別だから」
「神さまなの?」

 すると、その妙に得意げな顔が唖然と表情を失った。

「……面白いこと言うね。水神さまに見える?」
「うん。とってもきれいだから」

 私が大きく頷くと、男の人は少し目を丸くした。やがて、端正な顔に悪戯いたずらっぽい笑みが浮かぶ。

「……ふふ、よく分かったね。実は俺、水神さまなんだ」
「そうなの!?」
「二人だけの秘密にしよっか。誰にも言っちゃいけないよ。さ、他の人に見つからないように家にお帰り」
「イヤだ!」
「イヤ? どうして」
「もっと知りたいし……神さまと離れたくない」

 私は駄々をこねて俯いた。ただ、頭にぽんと軽く触れられる感覚があって、再び顔を上げた。

「大丈夫。俺はいつだって君のこと見守ってる」
「ほんとに?」
「ほんと。いつもそばに居るよ。寂しいなんて思わないで」
「うん。でも、絶対また喋ろ!」
「約束ね。ほら、もう行きな」

 さとす声と笑顔は柔らかかった。実は正体が神様だとか、私を喜ばせるために荒唐こうとう無稽むけいな嘘までついてくれた。当時の私は本気でそれを信じたし、約束通り誰にも話さなかった。
 私をきつく叱ることなく寄り添ってくれたその人のことは、今でも大好きだ。あれから二度と会えなかった、と信じ込んでいたけれど。

 ――あれは御影だったんじゃないかと思う。姿形は今とほとんど変わらない。口調も態度も似ても似つかないが、今思い出してみると、そうだとしか考えられない。

 つまり、私が小さい頃にも確実に『彼』に会ったことがある。
 そしてこの夢には彼の隠す真実の答えが現れている。変わらない容姿に、なに食わぬ顔で神殿にいるワケ――――
 思った矢先に、鮮明な夢は終幕する。
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