月鏡の畔にて

ruri

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第十一話 あかつきとみぞれ様

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 湖東の針葉樹林の中、松葉杖をついた私と大荷物を抱えた御影が並び立つ。私たちが相まみえるのは、不思議な雰囲気のある二階建ての家だ。つたに覆われた外見から人の気配はまるで感じられず、家の前に申し訳程度の花壇?菜園?のようなものはあるが雑草で荒れ放題。いろいろと想像を掻き立てられる、超メルヘンなおうちである。

「化け物屋敷だってさ」

 私はずっこけかける。心配して慌てる御影をなだめて、一旦気を取り直してから、テイク2。

「幽霊や魔女がいるとか言って、よく子どもが遊びに来るんだ。適度におどかして追い返してやってるよ」
「肝試し! 期待大ね」
「……我ながら洒落しゃれにならないと思うよ」
「俄然楽しみだわ」
「君が全快したらね」

 御影が苦笑して合鍵を扉に差し込む。私はもううわつくのを隠さず、先日のことを思い出しながら、家に入る彼の後に続いた。

『同居するならあんたの家よ。前に言ってたでしょ、森の中の小屋に住んでるって』
『……最近帰れてなくて、整頓が』
『あんたにも苦手なことあんのね~』
『欠点に目を瞑る才能が卓越している』
『無駄よ。押し掛けるわ』
『参ったな……』

 ――ということである。アピールにアピールを重ねて見事大勝利した。私の実家で長期生活するより、安全性や気分の面で何倍も良いから。

 ちなみに彼の家は食事部屋や水回りの生活圏内に関しては綺麗だった。ちらっと見せてもらった研究部屋のほうは、足場はあれど埃と本の魔窟。

「掃除しろよ~。気おかしくするわよ」
「却下だ。時間が無いし、いじると所在が分からなくなる」
「これで把握してんの!?」
「一応は。頻繁に見る資料なんでね」
「意外だわ。潔癖っぽいのに」
「潔癖症が泥を被ってまで野外踏査フィールドワークなんてやれるか」
「手袋してんじゃないの」

 私が揚げ足とりみたく言うと、彼は「もう必要ないんだよ」と裸の手をひらひらさせた。茶目っ気溢れる仕草が可愛い、なんて思ってしまう。

 *

 再現実験だとか言ってレシピ本片手にお手本通りの料理を振る舞ってもらい、一番風呂をいただいた後。すっかり化粧を落とした私は、食事部屋のアンティークテーブルの一角に陣取り、考え事に耽っていた。
 同居初日の夜を迎えて分かったのは、人間感が無い、というか実際に中身が神様な彼も、食事も風呂も睡眠も一般的な生活を送っているということ。ちなみに多忙だと研究部屋に籠ってめちゃくちゃな過ごし方をするらしい。泉さんに怒られそうだ。
 あ、彼がお風呂から上がってきた。灰色のガウンを纏って、水気を帯びた銀髪からはとんでもない色気が立っている。
 
「ほんっと美人。これは魔法使って隠れたくもなるわ」
「……美人なのはだろ」

 彼が微妙な面持ちで『御影じぶん』自身の整いきった顔を指す。

「あんたが大切にしたからでしょ」

 そこまで言ったところで、彼の表情が明らかに曇った。私は乱暴に席を立つと、ずかずかと距離を詰めて彼の腕を掴み上げる。袖が滑り落ちた素肌に包帯は無く、傷痕もぱっと見では分からなくなっていた。

「治ってるわね」
「言ったろ、治りかけって」
「次無茶したら三日……いや一週間無視。報告・連絡・相談が義務よ!」

 ほぼ思考放棄して、勢い任せで御影の体にひっついた。彼も、「君も約束は破るなよ」と冗談に聞こえない脅しをちらつかせて、私の背を撫でた。

 *

 就寝準備を整えてから、足を引きずり壁伝いに向かったのは、一階にある掃除の行き届いた客人用寝室だ。しばらくの間はここが私の部屋になる。
 彼は私のプライバシーやパーソナルな部分を尊重してくれるらしい。悪戯とか吹っ掛けてくるかと思いきや、めちゃくちゃ清純だ。なんか逆に淋しい。

「お姫様かよ!!」

 これは御影の腕に抱えられて、ふかふかのベッドに横たわったときの私の叫び。お姫様なのは事実なので全然相手にされなかった。「この細腕でも持てる軽さだ」とか宣う始末。なんやそれ。
 あー落ち着かない。ちょっと後悔してる。だって元々枕が変わっただけでも眠れなくなるタイプの私が、『彼』とひとつ屋根の下なんて。

「……寝れるかっての」
「前におれが泊まったときはどうだった?」
「ダメね。今はもっとだけど。だってあんた、この国で一番偉い神様だし」

 御影がベッドに手をついて私を覗き込む。枕元から夜晶石灯が淡い青の光を放ち、そのつくりものめいた端正な顔に青白い陰影を作る。

「おれが恐い?」

 純粋な疑問だと言わんばかりに投げられた声。

「…………こわい???」

 私には全く意図が理解できなくて、ポンコツみたいな反応が出た。

「こわいって、どのへんがよ。すぐどっか行くとことか?」

 天候を自由自在に操れて、国中の信仰を集めていて、二百年間『御影』の役を全うし続けていて……。
 どれも尊敬に値して、恐怖や敬遠なんてあり得ない。むしろ、それらを思うだけで身体のあちこちが甘い傷みを訴えて、理性が欲望に屈しそうになる。

「……君に訊く必要はなかったね」

 ふ、と笑う息遣いが聞こえた。壁を築いた気がしたのが、なんとなく許せなかった。

「せめて私の前でくらい、本当のあんたでいてほしいわ」
「……」
「泣いたのも見てんのよ」

 彼の瞳が細かに揺れる。夜晶石の放つ光を凝縮して閉じ込めたかのような、目が覚めそうなほどに彩度の高い青。あれは水神さまの持ち物だ。『本物』の死後に神が憑いたことでこの色になったのだろう、と本人が語っていた。御影の肉体が不老長寿になった頃――つまり生前は淡い赤色だったらしいけど、今は見る影もない。

「きみちかさん、か……」
「暁?」
「ひようさんか…………」

 私の口からたどたどしくこぼれ落ちる。彼が少し眉をひそめて、目つきを悪くした。

「……急になんなんだ」
「よ、呼んだだけよ。悪い?」

 私もツンとすましておく。すると彼は、久々に生きてる気がする、なんて穏やかに言った。そんな台詞を聞いたら、彼を遠くに行かせないための我儘わがままが軽い弾みで口をつく。

「横にいて、霏鷹ひよう

 一瞬の硬直を挟み、彼が黙ってベッドに腰を下ろした。心なしか表情が柔らかくて、こんなにも愛しい。いよいよ私の悪い部分が疼きだす。心地が良すぎて気がれそうだ。

「じゃあ、君は呼び続けてくれ」
「……え? うん」
「名は約束なんだ」

 私はもう、事の重大さから目を逸らして、この刺激に毒されるしかないらしい。
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