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氷樹の森の大賢者
28.彼女の常識、私の非常識
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「リーシア、もう一度聞くわ……何をしたの?」
「え? だからアラクネの攻撃力を強化しただけだよ」
「……どうやって?」
どうやって、って……おかしいことだろうか?
私が使ったのは確かに魔法であり、この世界の刻印魔術ではない。
けれど、刻印にも同じように"強化"があるのだ、同じような使い方ができる以上それほどおかしく思われることではないと思うのだが……。
しかしアラクネは険しい表情のままで、何を言っても引き下がりそうには見えない。
今のところ"探知"で周囲に敵の反応は無いが、あまり悠長にしていられる状況でもないというのに。
「……どうやら本気で自覚が無いようだから言うけど。貴女は今、印を刻まずに術を行使したのよ?」
アラクネの言葉にハッとしてしまい、その私の反応を見てアラクネは確信を持ったようだった。
そういえばあのミノタウロスにも同じことを言われていた。
刻印魔術を使うには、印を刻む必要がある。
物理的に、あるいは魔術的に。
それはつまり、周りから使おうとしている術がある程度見れるということなのだ。
そして、私のゲーム時代のスキルである"魔法"は刻印を必要としない。
それを見られた以上、もはや言い逃れはできないだろう。
片方はスペルキャストに込めておいたものだが、すでに反応してしまっている以上それでごまかし通すこともたぶん、彼女にはできない。
私にとっては刻印を使わない術が当たり前であると、すでに悟られているはずだ。
「私が刻印魔術を高度に行使できるだけ、なんて言っても信じてはくれないよね」
「無理ね、貴方の術は強いけれど高度という表現は当てはまらない。発想の原点のようなものが違う印象は受けるからそれはそれで興味があるけどね」
それは確かに、前提とする知識が異なっているからあるだろう。
それは置いておくとして……。
「確かに私がさっき使った術は刻印魔術ではないわ、あの技術を当時の人は……魔法と呼んだ」
「魔法……」
と言うかゲームシステムなんだけどね……。
流石にそんなことは言えないので緩くぼかす、彼女は一言私の言葉を反復するようにつぶやいたあと、少しの間ぼうっとしていた。
やがてその目に輝きが戻ってくると、その表情に喜びが混ざる。
それはまるで宝物を見つけた子供のようなものだった。
「魔法……本当に、あったのね」
「貴方が認識しているものと同じか、というのはわからないけどね。少なくとも私たちはそう呼んでいた」
「ねえ、この一件がおわったら……それ、ゆっくり見せてもらえないかしら?」
「魔法の事?」
私の言葉に彼女は頷いてみせる。
正直あんまりゲーム時代の物を見せて回りたくはないのだが……マギカも気にするなとは言っていたしなぁ。
「……誰にも話さない、って条件付きなら」
「約束するわ。見たものは私の中だけに留めておく、だから……」
「わかった、それじゃあ……アイゼルネをなんとかしないとね」
アラクネとの会話で先ほどの悪寒がようやく薄れてきた。
背後ではマナの霧散が始まっていた。
エウリュアレに近い敵を狩り、それ以外を少し離れた森へ誘導してから離脱する。
そうすることによって、意図的に報告を偏らせ誘導する予定だった。
アイゼルネが全敵の殲滅を目的とするのであれば、こうした露骨な誘導にも応じてくるのではないかというのがアラクネの見解である。
うまくいくといいのだが。
私の"雷影閃"以外、アイゼルネ兵士への止めはアラクネが担当していた。
そのほうが効率がいい、と言うのは確かだ。
だが、それを言い訳にしている自覚はあった。
スペル・キャストなら無理でも、聖剣ホーリエルを使えば十分に刃は通るだろう、だというのにそれをしない自分がいる。
まだ、人の形をしたものを斬るのは躊躇がある。
手に残るだろう感触を、受け止めきれる自信が無い。
つくづく中途半端だなぁ、私。
「撤退を始めた、か……こちらの誘いに乗ると思う?」
「きっとくるわよ、敵と見れば追わずには居られない連中だもの」
私にはアイゼルネの連中の思考パターンが読めないからあとは祈るのみとして、とりあえず皆と合流するべく私達も移動を開始した。
「そういえばさ、あいつらなんかブツブツと喋ってなかった?」
「何か言っているらしいというのは聞いたことがあるけど、私は貴方ほどあいつらに近づいていないからわからないわね、何か意味のあるつぶやきだったの?」
「んー……いや、なんていうか……」
私も何かつぶやいている程度にしか聞き取れなかったのだけれど、それが耳に微かに届いた時、背筋がぞくりと粟立った……んだよね。
それは理性的な恐怖と言うよりは本能的、生理的な恐怖に近かったような気がする。
私は正直、得体のしれない気味悪さを感じていた。
「説明のしようが無いね」
「それじゃ分かりようがないわよ」
早々に説明を諦めた私にアラクネは呆れたようにツッコミを入れるのだった。
「そういえばさ、こっちは探知の刻印魔術で相手の居場所をある程度調べて動いてるけど、同じことをされる心配ってないの?」
「わからないけど、たぶん大丈夫だと思うわ」
「……そう判断する理由を聞いてもいい?」
流石に、これは聞いておかないと嘘だろう。
私の問いかけに彼女は少しの間言葉をまとめる時間を取ったのか、考えこむ様子だった。
「私達にとって当たり前の物が、彼らに取って当たり前ではないということかしらね。彼らは刻印魔術を使わない、使えないのかもしれないけれど、今までそれを使ったという情報は無いわ」
「へぇ……術体系が違うのかな?」
「かもしれないわ、だから探知の刻印魔術によって位置を特定される可能性は薄いと思う。彼らはなんというか……ひどく原始的に暴力的だから。位置を特定して丁寧に叩こうとするぐらいなら、森に火を放つぐらいの方がらしいわね」
それもまたとんでもない可能性だなぁと、私は小さくため息を吐いたのだった。
しばらく森のなかを抜けて戻ってみれば、十数人ほどのウィルヘルムの騎士たちがノフィカの手当を受けているところだった。
状況としてみればあまり芳しくないのかもしれない、近くにはガヴィルさんも腰をおろしており、怪我こそ無いものの何やら精神的に疲弊しているように見える。
斧も近接武器だし、私達が見たようなものを見聞きしていたのなら無理もないか。
「二人共無事だったようで何よりだ」
「ユリエルさん、首尾はどうです?」
「まずまずと言った所だな、ノフィカが居なかったら少々まずかったかもしれん」
ふむ、となるとノフィカが戻ったのは良い判断だったのかな。
「リーシア、連中がどう動いているのかわかるか?」
「ん? あー、ちょっと"探知"みるわ」
効果をずっと発動させっぱなし、という事はできないためかけ直す必要もあり、刻印を展開していく。
アイゼルネの本隊まで確認できなければならないから少々大規模なものにして"探知"の刻印に"増幅"の刻印を重ねてその範囲を広げる。
マナを多く注ぎこむことでも補える部分なのだが、そこはそれ用の刻印を重ねてやったほうが効率がよいのと、複数の刻印を同時に起動する練習である。
「ふむ……今はほぼ海岸線に分布してるわね。動いてる小隊と思われるものもないし、夜営するつもりなのかしら」
「数はわかるか?」
「んー、流石に範囲広すぎるから細かいカウントは無理かな。軽く見積もってでいいなら、最低でも私達の5~6倍はありそうだけど」
探知されている私達の反応──細かい個体識別ができないため集まると大きな反応になるのだが、アイゼルネはそれがそのぐらい大きいというだけ。
もっと精度を上げることも本当ならできるのだろうが、まだ刻印魔術に慣れていない今の私にはこれぐらいが限界のようで微調整が利かない。
「最低でそれか、やはり厳しいな……何かいい手は無いものか。ああ、二人はもう休んでくれ、ノフィカにも休むよう伝えてほしい」
「わかった、行こうアラクネ」
「……そうね」
ノフィカのところへ足を運んでみれば、彼女はちょうど最後の一人の治療を終わらせたところのようだった。
かなりの人数だったためか流石に疲れた様子が見て取れる。
礼を言う兵士に声をかけて杖を手に立ち上がった所でこちらに気がついたようだった。
「リーシア様、アラクネさんもご無事だったのですね、よかった……」
「なんとかね、ユリエルさんが休むようにって言ってたよ。食事にしましょう」
「……もうこんな時間なんですね」
周りのことを気にする余裕もなかったのか、木々の隙間から見える星空を見上げてノフィカは小さくつぶやく。
煙をあげないようにするため魔術による光だけであたりが照らされており、すっかり暗くなった森の中、自分を抱きしめるようにした彼女は少し震えているようだった。
少し離れた場所に腰をおろし、腰に下げている袋の中──と見せかけてインベントリからドライフルーツとナッツ類を取り出し二人に渡す。
干し肉でも作っておけばよかったなぁとインベントリの中にあるスプリントボアやミノタウロスの肉のことを思い出した。
加工するタイミングが無かったのが悔やまれる。
* * *
袋の中に手を入れて、中からナッツやドライフルーツの類を取り出したリーシアを見ながら、やはりおかしいと私は確信していた。
袋にそれだけの量がはいっているようには到底見えない。
というか、取り出す前と後で袋がこれといって変化していない、普通中身が減ったなら萎むだろうに。
何から何まで、彼女と一緒に行動するだけで自分の持っていた常識が崩れていく音が聞こえてきそうでため息が出る。
神話の時代の存在であるからなのか、それとも彼女が特別なのか……正直彼女が特別なのであって欲しいと、心の何処かで願わずには居られない。
あんなのが常識だと言われたらそれこそ今の私達の文明はなんなのかと考えてしまう。
私たちは過去からどれだけ多くのものを失ったのか、と。
魔法を使い、どこからとも無く物を取り出す、契約獣というお伽話の中の存在としか思われない獣を使役して、それでいて彼女は私達と同じ場所に経とうと必死になっているように見えた。
「うーん、干し肉に加工しておけばよかったなぁ」
などとつぶやく彼女は、きっと自分の言っていることの意味をわかっていないのだ。
干し肉に加工しておけばよかった、などという、生肉ならあるのにと言わんばかりの物言いは、それだけでそう思って聞けば疑える言動だ。
「リーシアは不用心だわ」
「アラクネさんに同意します」
「えぇー……?」
ノフィカがさらりと同意し不満そうな声を漏らすリーシアは、それでもなんでそんなことを言われたのかわからない様子だった。
今がこんな時でないのなら、一つ一つ彼女に忠告をしている所だ。
決定的に、現代における常識が欠落……いや、乖離しているというべきか。
「加工する肉とやらはどこにあるのかしら?」
「……おおぅ」
おどけてみせる彼女だが、どうやら本気でどこかに生肉を"持っている"ようだ。
本当に得体が知れない……けれど不安や恐怖といった負の印象はまるで感じなくて、だからなおさら、私はよくわからなくなる。
一度目の出会いは街中で、ぼうっと立ち尽くす彼女を横目に通り過ぎた。
二度目の出会いは酒場で、席がなくて立ち尽くす彼女と相席した。
三度目の出会いで私たちは、こうして肩を並べて戦っている。
果たして、彼女を私達の同志として招くべきなのか否か。
得体のしれなさすぎる何かを、懐に入れて良いものだろうか、と。
「アラクネも食べておかないと持たないよ?」
そう言って彼女は私にドライフルーツとナッツを差し出してくる。
礼を言って受け取ったものを口に運ぶ、意外といいものを見繕ったのか長旅で食べるようなものよりもずっと美味しかった。
「そういえばノフィカ、杖の使い勝手はどう?」
「とても良いです、以前より強い"治癒"の刻印魔術が扱えるようになりましたし、使える回数も増えましたから。無かったらきっとまだ治療が終わっていなかったと思います、あるいは終えられなかったかも」
「そっか、体感できるぐらい有用なのね」
「体感? その杖、付与でも掛かってるのかしら?」
「神打なんです、私が持っていていいものか未だに不安なんですが」
ノフィカの答えに対してリーシアが呆れたような表情になっているのを、私は見逃さなかった。
神打といえば確かに非常に特殊な、そして有用なものが多いため彼女の言い分もわかるのだが、どうやらリーシアにとっては少し違うらしい。
「それのおかげで今日いろいろと助かってるんでしょ、自信もって使ってなさいな」
「それは……そうですが」
「道具は使われなければただのモノなんだから、しっかり使ってやりなさい。グランさんもそのほうが喜んでくれるでしょ」
ため息混じりのリーシアの言葉に、ノフィカが少し困ったような、それでいて嬉しそうな曖昧な表情で頷いてこの話は終了となった。
楽しそうに話していた二人を見て、何故か少しだけ落ち着かない気分になる。
私もそういった何かしらの話題があればいいのだろうが、出会ったばかりでそんな話の種があるわけもない。
革袋の水を飲みつつ聞く側に回っているつもりだった。
「そういえばアラクネってさ」
「んんぐっ」
突然話しかけられて水が変なところに入りそうになった。
変なふうに詰まってのどの奥が痛い。
「尻尾ちょっとぱさついてるように見えるけど、ちゃんと手入れしてる?」
「言うに事欠いて話題がそれ?」
「いやぁ、触ったら気持ちよさそうだなーっておもったんだけど、ちょっとぱさついてるように見えたからさ、触るなら手触りいいほうがいいよね」
「……あなたね」
そんな出会ったばかりの人にホイホイ触らせる気なんて無いわよ。
視線を耳にやるな耳に、目を見なさい目を。
そんなことを考えながら尻尾を彼女と反対側に逃すと、リーシアは少し残念そうな表情になった。
「まったく……そういえばリーシア、正直もう驚かないけど、あなたいくつ刻印が使えるの?」
「……六つぐらいだよって言っておけばいい?」
「嘘はよくないわね。あなた水系と風系、それに強化に探知、収束、具現、追跡、この時点で七つよ」
「ありゃ、そうか……アラクネは刻印を見ればわかるぐらいの術者なんだっけ」
しまったなぁ、とつぶやいてリーシアはなんと答えるのか考え始める。
私を騙そうと言うよりは、いかに当り障りのない答え方をするかを考えているようなその彼女の様子に、私は追求を放棄することにした。
たぶん、それを聞いたら本当に私の常識が崩れそうだ。
「今すぐに教えてくれとは言わないわ。そのうち、話してもいいと思ったら話してくれればいい」
「そう? たすかるわー……じゃあ私も、そのうち触らしてもいいと思ったら触らせてくれればいいわ」
「何言ってるのあなた?」
露骨に尻尾の方に向いている視線をみて、私はため息を漏らすのだった。
「え? だからアラクネの攻撃力を強化しただけだよ」
「……どうやって?」
どうやって、って……おかしいことだろうか?
私が使ったのは確かに魔法であり、この世界の刻印魔術ではない。
けれど、刻印にも同じように"強化"があるのだ、同じような使い方ができる以上それほどおかしく思われることではないと思うのだが……。
しかしアラクネは険しい表情のままで、何を言っても引き下がりそうには見えない。
今のところ"探知"で周囲に敵の反応は無いが、あまり悠長にしていられる状況でもないというのに。
「……どうやら本気で自覚が無いようだから言うけど。貴女は今、印を刻まずに術を行使したのよ?」
アラクネの言葉にハッとしてしまい、その私の反応を見てアラクネは確信を持ったようだった。
そういえばあのミノタウロスにも同じことを言われていた。
刻印魔術を使うには、印を刻む必要がある。
物理的に、あるいは魔術的に。
それはつまり、周りから使おうとしている術がある程度見れるということなのだ。
そして、私のゲーム時代のスキルである"魔法"は刻印を必要としない。
それを見られた以上、もはや言い逃れはできないだろう。
片方はスペルキャストに込めておいたものだが、すでに反応してしまっている以上それでごまかし通すこともたぶん、彼女にはできない。
私にとっては刻印を使わない術が当たり前であると、すでに悟られているはずだ。
「私が刻印魔術を高度に行使できるだけ、なんて言っても信じてはくれないよね」
「無理ね、貴方の術は強いけれど高度という表現は当てはまらない。発想の原点のようなものが違う印象は受けるからそれはそれで興味があるけどね」
それは確かに、前提とする知識が異なっているからあるだろう。
それは置いておくとして……。
「確かに私がさっき使った術は刻印魔術ではないわ、あの技術を当時の人は……魔法と呼んだ」
「魔法……」
と言うかゲームシステムなんだけどね……。
流石にそんなことは言えないので緩くぼかす、彼女は一言私の言葉を反復するようにつぶやいたあと、少しの間ぼうっとしていた。
やがてその目に輝きが戻ってくると、その表情に喜びが混ざる。
それはまるで宝物を見つけた子供のようなものだった。
「魔法……本当に、あったのね」
「貴方が認識しているものと同じか、というのはわからないけどね。少なくとも私たちはそう呼んでいた」
「ねえ、この一件がおわったら……それ、ゆっくり見せてもらえないかしら?」
「魔法の事?」
私の言葉に彼女は頷いてみせる。
正直あんまりゲーム時代の物を見せて回りたくはないのだが……マギカも気にするなとは言っていたしなぁ。
「……誰にも話さない、って条件付きなら」
「約束するわ。見たものは私の中だけに留めておく、だから……」
「わかった、それじゃあ……アイゼルネをなんとかしないとね」
アラクネとの会話で先ほどの悪寒がようやく薄れてきた。
背後ではマナの霧散が始まっていた。
エウリュアレに近い敵を狩り、それ以外を少し離れた森へ誘導してから離脱する。
そうすることによって、意図的に報告を偏らせ誘導する予定だった。
アイゼルネが全敵の殲滅を目的とするのであれば、こうした露骨な誘導にも応じてくるのではないかというのがアラクネの見解である。
うまくいくといいのだが。
私の"雷影閃"以外、アイゼルネ兵士への止めはアラクネが担当していた。
そのほうが効率がいい、と言うのは確かだ。
だが、それを言い訳にしている自覚はあった。
スペル・キャストなら無理でも、聖剣ホーリエルを使えば十分に刃は通るだろう、だというのにそれをしない自分がいる。
まだ、人の形をしたものを斬るのは躊躇がある。
手に残るだろう感触を、受け止めきれる自信が無い。
つくづく中途半端だなぁ、私。
「撤退を始めた、か……こちらの誘いに乗ると思う?」
「きっとくるわよ、敵と見れば追わずには居られない連中だもの」
私にはアイゼルネの連中の思考パターンが読めないからあとは祈るのみとして、とりあえず皆と合流するべく私達も移動を開始した。
「そういえばさ、あいつらなんかブツブツと喋ってなかった?」
「何か言っているらしいというのは聞いたことがあるけど、私は貴方ほどあいつらに近づいていないからわからないわね、何か意味のあるつぶやきだったの?」
「んー……いや、なんていうか……」
私も何かつぶやいている程度にしか聞き取れなかったのだけれど、それが耳に微かに届いた時、背筋がぞくりと粟立った……んだよね。
それは理性的な恐怖と言うよりは本能的、生理的な恐怖に近かったような気がする。
私は正直、得体のしれない気味悪さを感じていた。
「説明のしようが無いね」
「それじゃ分かりようがないわよ」
早々に説明を諦めた私にアラクネは呆れたようにツッコミを入れるのだった。
「そういえばさ、こっちは探知の刻印魔術で相手の居場所をある程度調べて動いてるけど、同じことをされる心配ってないの?」
「わからないけど、たぶん大丈夫だと思うわ」
「……そう判断する理由を聞いてもいい?」
流石に、これは聞いておかないと嘘だろう。
私の問いかけに彼女は少しの間言葉をまとめる時間を取ったのか、考えこむ様子だった。
「私達にとって当たり前の物が、彼らに取って当たり前ではないということかしらね。彼らは刻印魔術を使わない、使えないのかもしれないけれど、今までそれを使ったという情報は無いわ」
「へぇ……術体系が違うのかな?」
「かもしれないわ、だから探知の刻印魔術によって位置を特定される可能性は薄いと思う。彼らはなんというか……ひどく原始的に暴力的だから。位置を特定して丁寧に叩こうとするぐらいなら、森に火を放つぐらいの方がらしいわね」
それもまたとんでもない可能性だなぁと、私は小さくため息を吐いたのだった。
しばらく森のなかを抜けて戻ってみれば、十数人ほどのウィルヘルムの騎士たちがノフィカの手当を受けているところだった。
状況としてみればあまり芳しくないのかもしれない、近くにはガヴィルさんも腰をおろしており、怪我こそ無いものの何やら精神的に疲弊しているように見える。
斧も近接武器だし、私達が見たようなものを見聞きしていたのなら無理もないか。
「二人共無事だったようで何よりだ」
「ユリエルさん、首尾はどうです?」
「まずまずと言った所だな、ノフィカが居なかったら少々まずかったかもしれん」
ふむ、となるとノフィカが戻ったのは良い判断だったのかな。
「リーシア、連中がどう動いているのかわかるか?」
「ん? あー、ちょっと"探知"みるわ」
効果をずっと発動させっぱなし、という事はできないためかけ直す必要もあり、刻印を展開していく。
アイゼルネの本隊まで確認できなければならないから少々大規模なものにして"探知"の刻印に"増幅"の刻印を重ねてその範囲を広げる。
マナを多く注ぎこむことでも補える部分なのだが、そこはそれ用の刻印を重ねてやったほうが効率がよいのと、複数の刻印を同時に起動する練習である。
「ふむ……今はほぼ海岸線に分布してるわね。動いてる小隊と思われるものもないし、夜営するつもりなのかしら」
「数はわかるか?」
「んー、流石に範囲広すぎるから細かいカウントは無理かな。軽く見積もってでいいなら、最低でも私達の5~6倍はありそうだけど」
探知されている私達の反応──細かい個体識別ができないため集まると大きな反応になるのだが、アイゼルネはそれがそのぐらい大きいというだけ。
もっと精度を上げることも本当ならできるのだろうが、まだ刻印魔術に慣れていない今の私にはこれぐらいが限界のようで微調整が利かない。
「最低でそれか、やはり厳しいな……何かいい手は無いものか。ああ、二人はもう休んでくれ、ノフィカにも休むよう伝えてほしい」
「わかった、行こうアラクネ」
「……そうね」
ノフィカのところへ足を運んでみれば、彼女はちょうど最後の一人の治療を終わらせたところのようだった。
かなりの人数だったためか流石に疲れた様子が見て取れる。
礼を言う兵士に声をかけて杖を手に立ち上がった所でこちらに気がついたようだった。
「リーシア様、アラクネさんもご無事だったのですね、よかった……」
「なんとかね、ユリエルさんが休むようにって言ってたよ。食事にしましょう」
「……もうこんな時間なんですね」
周りのことを気にする余裕もなかったのか、木々の隙間から見える星空を見上げてノフィカは小さくつぶやく。
煙をあげないようにするため魔術による光だけであたりが照らされており、すっかり暗くなった森の中、自分を抱きしめるようにした彼女は少し震えているようだった。
少し離れた場所に腰をおろし、腰に下げている袋の中──と見せかけてインベントリからドライフルーツとナッツ類を取り出し二人に渡す。
干し肉でも作っておけばよかったなぁとインベントリの中にあるスプリントボアやミノタウロスの肉のことを思い出した。
加工するタイミングが無かったのが悔やまれる。
* * *
袋の中に手を入れて、中からナッツやドライフルーツの類を取り出したリーシアを見ながら、やはりおかしいと私は確信していた。
袋にそれだけの量がはいっているようには到底見えない。
というか、取り出す前と後で袋がこれといって変化していない、普通中身が減ったなら萎むだろうに。
何から何まで、彼女と一緒に行動するだけで自分の持っていた常識が崩れていく音が聞こえてきそうでため息が出る。
神話の時代の存在であるからなのか、それとも彼女が特別なのか……正直彼女が特別なのであって欲しいと、心の何処かで願わずには居られない。
あんなのが常識だと言われたらそれこそ今の私達の文明はなんなのかと考えてしまう。
私たちは過去からどれだけ多くのものを失ったのか、と。
魔法を使い、どこからとも無く物を取り出す、契約獣というお伽話の中の存在としか思われない獣を使役して、それでいて彼女は私達と同じ場所に経とうと必死になっているように見えた。
「うーん、干し肉に加工しておけばよかったなぁ」
などとつぶやく彼女は、きっと自分の言っていることの意味をわかっていないのだ。
干し肉に加工しておけばよかった、などという、生肉ならあるのにと言わんばかりの物言いは、それだけでそう思って聞けば疑える言動だ。
「リーシアは不用心だわ」
「アラクネさんに同意します」
「えぇー……?」
ノフィカがさらりと同意し不満そうな声を漏らすリーシアは、それでもなんでそんなことを言われたのかわからない様子だった。
今がこんな時でないのなら、一つ一つ彼女に忠告をしている所だ。
決定的に、現代における常識が欠落……いや、乖離しているというべきか。
「加工する肉とやらはどこにあるのかしら?」
「……おおぅ」
おどけてみせる彼女だが、どうやら本気でどこかに生肉を"持っている"ようだ。
本当に得体が知れない……けれど不安や恐怖といった負の印象はまるで感じなくて、だからなおさら、私はよくわからなくなる。
一度目の出会いは街中で、ぼうっと立ち尽くす彼女を横目に通り過ぎた。
二度目の出会いは酒場で、席がなくて立ち尽くす彼女と相席した。
三度目の出会いで私たちは、こうして肩を並べて戦っている。
果たして、彼女を私達の同志として招くべきなのか否か。
得体のしれなさすぎる何かを、懐に入れて良いものだろうか、と。
「アラクネも食べておかないと持たないよ?」
そう言って彼女は私にドライフルーツとナッツを差し出してくる。
礼を言って受け取ったものを口に運ぶ、意外といいものを見繕ったのか長旅で食べるようなものよりもずっと美味しかった。
「そういえばノフィカ、杖の使い勝手はどう?」
「とても良いです、以前より強い"治癒"の刻印魔術が扱えるようになりましたし、使える回数も増えましたから。無かったらきっとまだ治療が終わっていなかったと思います、あるいは終えられなかったかも」
「そっか、体感できるぐらい有用なのね」
「体感? その杖、付与でも掛かってるのかしら?」
「神打なんです、私が持っていていいものか未だに不安なんですが」
ノフィカの答えに対してリーシアが呆れたような表情になっているのを、私は見逃さなかった。
神打といえば確かに非常に特殊な、そして有用なものが多いため彼女の言い分もわかるのだが、どうやらリーシアにとっては少し違うらしい。
「それのおかげで今日いろいろと助かってるんでしょ、自信もって使ってなさいな」
「それは……そうですが」
「道具は使われなければただのモノなんだから、しっかり使ってやりなさい。グランさんもそのほうが喜んでくれるでしょ」
ため息混じりのリーシアの言葉に、ノフィカが少し困ったような、それでいて嬉しそうな曖昧な表情で頷いてこの話は終了となった。
楽しそうに話していた二人を見て、何故か少しだけ落ち着かない気分になる。
私もそういった何かしらの話題があればいいのだろうが、出会ったばかりでそんな話の種があるわけもない。
革袋の水を飲みつつ聞く側に回っているつもりだった。
「そういえばアラクネってさ」
「んんぐっ」
突然話しかけられて水が変なところに入りそうになった。
変なふうに詰まってのどの奥が痛い。
「尻尾ちょっとぱさついてるように見えるけど、ちゃんと手入れしてる?」
「言うに事欠いて話題がそれ?」
「いやぁ、触ったら気持ちよさそうだなーっておもったんだけど、ちょっとぱさついてるように見えたからさ、触るなら手触りいいほうがいいよね」
「……あなたね」
そんな出会ったばかりの人にホイホイ触らせる気なんて無いわよ。
視線を耳にやるな耳に、目を見なさい目を。
そんなことを考えながら尻尾を彼女と反対側に逃すと、リーシアは少し残念そうな表情になった。
「まったく……そういえばリーシア、正直もう驚かないけど、あなたいくつ刻印が使えるの?」
「……六つぐらいだよって言っておけばいい?」
「嘘はよくないわね。あなた水系と風系、それに強化に探知、収束、具現、追跡、この時点で七つよ」
「ありゃ、そうか……アラクネは刻印を見ればわかるぐらいの術者なんだっけ」
しまったなぁ、とつぶやいてリーシアはなんと答えるのか考え始める。
私を騙そうと言うよりは、いかに当り障りのない答え方をするかを考えているようなその彼女の様子に、私は追求を放棄することにした。
たぶん、それを聞いたら本当に私の常識が崩れそうだ。
「今すぐに教えてくれとは言わないわ。そのうち、話してもいいと思ったら話してくれればいい」
「そう? たすかるわー……じゃあ私も、そのうち触らしてもいいと思ったら触らせてくれればいいわ」
「何言ってるのあなた?」
露骨に尻尾の方に向いている視線をみて、私はため息を漏らすのだった。
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