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4章 坂の上のひかるさん
坂の上のひかるさん
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仕事以外は、ほとんど外に出ないで過ごした。
今日も外が雨だから、という理由にしておこう。そうじゃないと、かっこ悪い。いつまでも、あいつをひきずっているなんて。
出しっ放しの赤いパンツは、ずっとそこにある。正直、どうしていいかわからなかった。捨てればいいのはわかっている。なのに、出来ないでいた。
風が強い。雨が窓をパシンパシンと叩いている。
「どっか、消えちゃえばいいのに」
呟いて、カーテンを閉めた。
見ない。見ないふり。
缶ビールを出そうと冷蔵庫を開けると、中が空だったことに気がついた。仕方ないと思いつつも、お酒なしに眠れる気がしなかった。
「あーもう」
動くのは億劫だったが、仕方がない。この雨だけれど、坂の下にあるコンビニまで行けばいいだけだ。坂を下りるだけ。
伸びた髪を1つに結び、Tシャツとジーンズに着替える。化粧はしてないけれど、この雨だ問題ないだろう。
玄関を出ると、ひどい雨だった。風が容赦なく背中を押す。
早く、早く先へ行けと言ってるみたいで、腹が立った。
コンビニの袋をぶら下げて、坂を登る時にはもう、傘の骨が1本折れていた。ビニール傘に猫の模様が描いてある、お気に入りだった傘。
あいつのビニール傘と区別をつけるために、模様付きのビニール傘を買ったんだった。それを今になって思い出す。
坂の上に住居を決めたことを少し後悔する。下りるのはいいけれど、上るのはつらい。息が切れる。
折れた傘の骨が、プラプラ目の前で揺れている。そこから容赦なく風と雨が吹き付けて、顔を叩いた。
新しい傘を買わないと、と思いながら見上げたその瞬間、心臓が潰れるくらいの衝撃をうけた。
「嘘でしょ」
あたしは、駆け出す。
「嘘!」
折れた傘は邪魔で、濡れるのを構わずに走り出す。アパートの階段で足を滑らせたが、なんとか踏みとどまった。
「だめ。いなくなっちゃ、だめだってば! いなくならないで!」
ほとんど懇願だった。靴を脱ぐのも忘れて、ベランダへ駆け寄る。
ない。
あいつが、いない。
ベランダにずっと放置されていた、赤パンツがいなくなっていた。
「ひどい、ひどい!」
雨に向かって叫んだ。坂の下から風が吹き上げて、あたしの足元をふらつかせた。
確かに消えちゃえばいいと言ったけれど、そんな急に。どうして、勝手に消えたのか。何か、何かしら一言言って出ていけば、こんなにも苦しくないはずなのに。
傘も持たずに、再び外に飛び出す。
ベランダの下にも、アパートの周りにも、あの鮮やかな赤色は見当たらなかった。周りの景色が、灰色に見えた。それなのに、赤色はいない。
呆然とした頭で、アパートに帰る。まるでゾンビだ。涼という人物に縛られて、ずっと彷徨っている。
「また、おいていかれた……」
体が震えるのは、雨に打たれたからだろうか。そういうことにしておこう。そのままあたしは小さくうずくまる。
小さく、小さく……。
このまま、消えてしまいたい。
目が覚めると、気分は最悪だった。雨に濡れたままの髪の毛は軋んでいるし、手や足に砂がついている。何より、ずぶ濡れの服は変な匂いがした。
「こういう時、ドラマとか漫画だと、風邪をひくはずなんだけどな」
薄く笑って、自分のタフさにげんなりする。どんなに苦しくても、どんなに悲しくっても、お腹は空くし、喉は乾くし、眠れば目が覚めるのだ。
あいつのいないベランダを見る。淡い日差しが入り込んできている。空は透明な水の色。昨日の雨が、嘘みたいだ。
不思議と心が静まっていくのを感じていた。
朝日に照らされて、ほこりが舞っている。それが、きらきら輝いて、この小っぽけなアパートが、現実の世界ではないように感じられた。
あたしは立ち上がって、シャワーを浴びた。それから、綺麗な服に着替えて、窓を開けた。
海の香りがちょっぴり漂う、さわやかな風が部屋を通り抜ける。
目の前は、海。水の上で、光が瞬いていた。穏やかな朝が、そこにあった。
「あんな雨の後なのに。海は、ずっと綺麗だな」
あたしは、ぼんやり呟いた。
やっぱり好きな場所は、遠くから見るものだと思った。遠くに行ってしまったからこそ、憧れるのだ。たぶん、永遠に。
今日も外が雨だから、という理由にしておこう。そうじゃないと、かっこ悪い。いつまでも、あいつをひきずっているなんて。
出しっ放しの赤いパンツは、ずっとそこにある。正直、どうしていいかわからなかった。捨てればいいのはわかっている。なのに、出来ないでいた。
風が強い。雨が窓をパシンパシンと叩いている。
「どっか、消えちゃえばいいのに」
呟いて、カーテンを閉めた。
見ない。見ないふり。
缶ビールを出そうと冷蔵庫を開けると、中が空だったことに気がついた。仕方ないと思いつつも、お酒なしに眠れる気がしなかった。
「あーもう」
動くのは億劫だったが、仕方がない。この雨だけれど、坂の下にあるコンビニまで行けばいいだけだ。坂を下りるだけ。
伸びた髪を1つに結び、Tシャツとジーンズに着替える。化粧はしてないけれど、この雨だ問題ないだろう。
玄関を出ると、ひどい雨だった。風が容赦なく背中を押す。
早く、早く先へ行けと言ってるみたいで、腹が立った。
コンビニの袋をぶら下げて、坂を登る時にはもう、傘の骨が1本折れていた。ビニール傘に猫の模様が描いてある、お気に入りだった傘。
あいつのビニール傘と区別をつけるために、模様付きのビニール傘を買ったんだった。それを今になって思い出す。
坂の上に住居を決めたことを少し後悔する。下りるのはいいけれど、上るのはつらい。息が切れる。
折れた傘の骨が、プラプラ目の前で揺れている。そこから容赦なく風と雨が吹き付けて、顔を叩いた。
新しい傘を買わないと、と思いながら見上げたその瞬間、心臓が潰れるくらいの衝撃をうけた。
「嘘でしょ」
あたしは、駆け出す。
「嘘!」
折れた傘は邪魔で、濡れるのを構わずに走り出す。アパートの階段で足を滑らせたが、なんとか踏みとどまった。
「だめ。いなくなっちゃ、だめだってば! いなくならないで!」
ほとんど懇願だった。靴を脱ぐのも忘れて、ベランダへ駆け寄る。
ない。
あいつが、いない。
ベランダにずっと放置されていた、赤パンツがいなくなっていた。
「ひどい、ひどい!」
雨に向かって叫んだ。坂の下から風が吹き上げて、あたしの足元をふらつかせた。
確かに消えちゃえばいいと言ったけれど、そんな急に。どうして、勝手に消えたのか。何か、何かしら一言言って出ていけば、こんなにも苦しくないはずなのに。
傘も持たずに、再び外に飛び出す。
ベランダの下にも、アパートの周りにも、あの鮮やかな赤色は見当たらなかった。周りの景色が、灰色に見えた。それなのに、赤色はいない。
呆然とした頭で、アパートに帰る。まるでゾンビだ。涼という人物に縛られて、ずっと彷徨っている。
「また、おいていかれた……」
体が震えるのは、雨に打たれたからだろうか。そういうことにしておこう。そのままあたしは小さくうずくまる。
小さく、小さく……。
このまま、消えてしまいたい。
目が覚めると、気分は最悪だった。雨に濡れたままの髪の毛は軋んでいるし、手や足に砂がついている。何より、ずぶ濡れの服は変な匂いがした。
「こういう時、ドラマとか漫画だと、風邪をひくはずなんだけどな」
薄く笑って、自分のタフさにげんなりする。どんなに苦しくても、どんなに悲しくっても、お腹は空くし、喉は乾くし、眠れば目が覚めるのだ。
あいつのいないベランダを見る。淡い日差しが入り込んできている。空は透明な水の色。昨日の雨が、嘘みたいだ。
不思議と心が静まっていくのを感じていた。
朝日に照らされて、ほこりが舞っている。それが、きらきら輝いて、この小っぽけなアパートが、現実の世界ではないように感じられた。
あたしは立ち上がって、シャワーを浴びた。それから、綺麗な服に着替えて、窓を開けた。
海の香りがちょっぴり漂う、さわやかな風が部屋を通り抜ける。
目の前は、海。水の上で、光が瞬いていた。穏やかな朝が、そこにあった。
「あんな雨の後なのに。海は、ずっと綺麗だな」
あたしは、ぼんやり呟いた。
やっぱり好きな場所は、遠くから見るものだと思った。遠くに行ってしまったからこそ、憧れるのだ。たぶん、永遠に。
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