3 / 37
∽1∽[誘惑]の事情
§03[偶然]
しおりを挟む
「掴まれ!」
強いけれど、思っていたよりもはるかに優しい衝撃と、力強い声。
それが、私と戦場 優馬さんの出会いの瞬間だ。
一年生、入学して間もないころ、休日にショッピングに出ていたとき、安全区域に一体の「神の使徒」……敵対アンドロイドが侵入した。
遠くから身一つで街中のアパートに引っ越してきたばかりとはいえ、街に流れるサイレンの意味は分かっていた。まだ慣れてはいなかったけど、避難所の場所も確認していた。ただ、「神の使徒」侵入なんて初めての事態に私はパニックになっていて、少し他の人たちから遅れてしまったのだ。
初めての誤算はもう一つ。教科書で見ていても話に聞いていても、実際に見たことのなかった私は、ミスを犯した。心のどこかで信じられなかったのかもしれない。恐怖を顔に浮かべて、必死な様子で駆けてくる近くの人が、人間じゃないなんて。
だから、転んだその「人」に手を差し伸べた。
後から散々怒られたところによると、転んだり気を引いて油断を誘うというのは、人間型の「使徒」のよくやる手段なのだそうだ。人工知能が導き出した、効率的に人間に爪を立てる手段。「使徒」侵入の避難時は、自分のことだけを考えること。転んだ人を助け起こしてはいけないーー身をもって知ることになった、この街の常識だった。
本当なら、その教訓は今後に活かされることはなかった。完全に油断してしまった私の手を掴んだその「人」の口が裂けて、中から銃口が出てくるまで、たった数秒だったのだから。
本当なら、死んでいた。心が折れていた。
「掴まれ!」
その時に、私の体を抱えこんで、「使徒」の手を払いのけ、盾を構えて守ってくれたヒーローが、いなかったら。
すれ違いざまに「使徒」を撃ち抜いて、制圧するまで、私に怖いものが見えないよう庇って、優しく支えてくれていなかったら。
私は、外傷はなかったものの、心のケアとしてしばらく入院することになった。当然その間、学校はお休み。友達はよく来てくれたけど、多くの時間は病室で独り。委員会に入る時期とか部活動入部の時期もことごとく逃せば、新しい友達はできない。
それでも挫けたり捻くれたり、恐怖に負けてしまわなかったのは、優馬さんがお見舞いに来てくれたからかもしれない。
「よっ。また暇そうだな」
学生でありながらもう日常的に戦っている人だなんて信じられないほど、優馬さんは明るく、優しく、穏やかな空気を作る人だった。時々、思わず寝てしまったくらい。起きて慌てて謝る私に、また優しく笑ってくれた。忙しいのに暇を見つけては来てくれるその声が待ち遠しくなったのはいつからだろう。焦がれるようになったのはいつからだろう?
そして、退院から間もなくして、私は[一途]に選ばれた。
学期や年度の切れ目に適正者からランダムに配布されるものと違って、適正が発見されてすぐに[役割]が与えられることがある。どちらが良いというわけではないのだけど、私は、自分が後者だということを嬉しいと思ってしまう。
私は[役割]だから優馬さんを好きになった訳じゃない。[役割]を深く意識したこともなかった。ただ優馬さんを好きでいる、この気持ちだけで、[一途]と認められていることが、誇らしい。
……誰にも言ったことはないけど。
「それで、考えてみた?」
数学の授業が終わった後の教室はだいたい溶けた生徒か苦痛から解放されてやけに元気な生徒に二極化する。溶けた組の私たちはおとなしく教科書を片付けながら話をする。
「考え……てはみたけど……」
「『いつの間にか寝てた』って顔に書いてあるね」
「睡眠導入剤にしたわけじゃないけど……なんか、すこぶる無為な時間を過ごしました……」
「おお、苦行と瞑想の結果なぜか語彙レベルが上がってる……」
側から見ると数学の授業のことを話してるようにも聞こえる。もちろん、悲しく終わった3x-4y+zの話じゃない。
「だって、[一途]を演じる、とか[誘惑]への対策って言われても……」
「うん、[笑顔]より難しいのは分かるけどさ。あいつ、本当にヤバイよ? あれを放置するのは、実力テストに無策で挑むようなものだって。……今日、さっそくなんでしょ」
「何かあると決まった訳じゃないよ」
「いや、絶対あるって。あーもう、今からでも替わってもらおうか」
「大丈夫」
もらおうか、ってことは、友達自身が私と替わってくれることはないみたい。この友達にここまで嫌われている、というだけで、勝手に恐怖心が煽り立てられているのは否定しがたい。……こわい。
でも、他のクラスの人とは面識が薄くて話しづらいし、友達の方が私より不安そうにしているのに、替わって、なんて言えなかった。
だから私は、
「やあ」
ただの昼休みの図書館で、ドラマチックな展開なんかあり得ないような初の図書貸出業務に挑む。あれだけ怖がっておいて、実態はこれだ。
この時期の図書館は静やかに賑わう。新年度が始まって間もないから一年生はまだあまり来ないけれど、春休みに借りていた本を返したり、入荷したての本を探しに来る人たちがちらほらといる。
そして貸出カウンターの中に、円居先輩がいた。
「……よろしくお願いします」
私は間隔を空けて椅子に座る。狭いカウンター内ではほとんど意味がない。
「手続きの方法は?」
「絵美里がやってる時に教えてもらったので問題ありません」
「そ。じゃあ次の生徒の返却と貸出はやってもらおうかな」
「……?」
先輩らしい小柄な男子が、少し緊張した様子でふらっと私の方へ歩いてきた。
「すみません、ちょっと返却日間違えてて……もしかしたら期限過ぎちゃったかなー、なんて」
「…………先輩、すみません。こういう時にはどうすれば良いでしょうか」
「ん」
先輩は「分かってた」といった笑みを浮かべて、私から当番を代わった。
「ひっ!」
円居先輩を見て小さく悲鳴をあげた生徒は、恐る恐る本を差し出す。
「あー、この本、さっき借りようとしてた子がいたな。探し回ってカウンターまで来て聞いてきた」
「うっ」
「続き物の本だからね、早く読みたかったんだろうな。春休み中丁寧に読み直した上巻の続きがやっと読めると思って来たら延滞で無かったなんて、可哀想だよね? 小折 文孝?」
「あっ、その、いやー」
「何か言うことは?」
「……わ、悪かったよ」
「分かればいいよ、本当に分かったなら。じゃ貸出禁止期間一週間。よろしく」
「……」
落ち込んだ様子で生徒は出て行った。
「分かった?」
「……手続きの方法は分かりました」
「貸出禁止期間だけ言えばいいから」
「はい。……あの」
「何?」
「どうして言われる前から、さっきの人が本の返却を延滞してるって分かったんですか?」
私は、つい聞いていた。
「目と態度」
「めとたいど?」
「僕は自分がカウンターにいる時には必ず脅しをかけることにしてるからね、延滞者には。ビビってたでしょ? それに、あいつは常習犯だから顔を覚えておいて損はない」
そう言って、わるーい笑みを浮かべた。[笑顔]の友達でもしないようなバリエーションの顔だ。
「返却期限、大事ですからね」
先ほどの生徒には悪いと思いつつ、本好きとしては溜飲が下がる脅しだった。
何となく言ってから、はっとする。普通にこの先輩と楽しく会話をしてしまった。危ない。私は少し背を伸ばす。横からぬるい視線が、ずっと私を見ていた。
「……そんなに緊張しなくても、取って食ったりはしないよ」
「[誘惑]はするんですよね?」
「仕事だからね」
「仕事……」
思いがけない言葉に、私は彼を見た。
「[役割]と仕事がセットになることがあるのは、知ってるだろ?」
「……戦場さん」
[勇敢]の優馬さんは、「使徒」と戦う戦闘部隊に籍を置いてる。私は詳しくないけれど、[勇敢]の素質との相性があるらしい。[勇敢]を与えられるということは、徴兵もセットでついてくるということだ。
「[誘惑]は、先輩のやっていることは、お仕事なんですか」
「まあね。今のところは評価くらいしか大した給料はないけど」
あっさりとした肯定だったけど、色々な感情が含まれているように聞こえた。
「良かった」
「何が?」
「仕事じゃないのにこんなことしなきゃいけなかったら、悲しいので……えっと……変なこと言ってすみません」
言いながら見ると、先輩は顔をしかめていた。学食のスープの中に変な食感、いや感触のものが入っていたような顔だ。
「別にいいけど、その感想が最初に出てくるんだ。ふうん」
とろけた具材の正体を確かめようとするみたいに私を見る。
「変ですか?」
「まあ。よく言われるのは、『たかが自分の評価が下がるだけのことのために、あんなことをしてるのか』『どんな神経してるんだ』とか」
平然とした顔で言った。
「たかがって……」
「まあそいつらは[役割]無しだったし」
[役割]がこなせなくて評価が下がるのは、普通の学力とか体力の判定が悪いのとは明らかに違う。傷がいつまでも残ってしまう。しかも仕事、つまり義務としてすることがはっきり定められているなら、「やらない」なんて選択肢はない。徴兵に応じないようなものだから。
「後は、『仕事と言い訳すれば何でもできるなんて、良いご身分だ』とか……あ、もっと聞く?」
「いいえ」
そういった言葉は、もうこの人は具材として受け止め、飲み込んでいるみたいだった。表情も変わらないし、低く通る声もぶれたり感情を含んだりしない。
「この中に『悲しい人』が加わるだけだ」
「そういうつもりで言ったわけでは、ないです」
「じゃあどういうつもりで?」
そのとき、カウンターに大きな本を抱えた一年生が来た。
「返却と貸出お願いします」
「はい」
私は手続きをしながら、少し安心していた。安心してしまっていた。さっき、とっさに答えられる気がしなかったから。
この人に怯えていたのは事実だけど、傷つけたいとは思っていなかった。ホラーハウスのお化け役みたいに、仕事でやっていることなら、仕方がないと思った。仕方がないというのは多分、被害者も、先輩もだ。先輩の境遇を「悲しい」と思ったのは、否定できない。
どうして「そうなんですね」で終わらせてしまわなかったのか。どうして同情的な気休めなんて言ったんだろう。私は、どんなものを先輩のスープの中に投げ込んでしまったんだろう。
頰に当たっていたぬるい視線が、いつの間にか消えていた。手続きを終えて見ると、今度は円居先輩の方に人が。昼休みの終わりが近づいて、次々に人が来ていた。
(こんなタイミングで)
人がようやく落ち着いた時には、問いの答えを返すには時間が経ち過ぎていた。
「時間だね。オツカレ」
先輩がぱっと立ち上がる。あの飄々とした態度で、また、言うだけ言って、置いて行ってしまう気だ。私は思わず、先輩を呼び止めていた。
「さっき話したのは、……私と話をしてくれたのは、[役割]の、仕事のためなんですか?」
「……そうだよ」
声がワントーン下がった。
「きみの面白いデータは見たけど、それだけじゃ材料が足りなかったからね。これからも隙があれば、探ることもある」
「今日同じ当番になったのも、そのためですか?」
「それは偶然だよ。偶然。きみの周りでやけに多い、他の偶然と同じだ」
からかうような口調を、信用はできなかった。
「……失礼します」
少し[誘惑]について知れたけれど、円居先輩がどういう人なのかは、全く分からない。知ろうとなんて思っていなかったはずなのに、そのことが気にかかっていた。
「偶然、ね。それはもちろん、そうだろうね。襲撃を操作なんて普通ならできるはずないんだから」
強いけれど、思っていたよりもはるかに優しい衝撃と、力強い声。
それが、私と戦場 優馬さんの出会いの瞬間だ。
一年生、入学して間もないころ、休日にショッピングに出ていたとき、安全区域に一体の「神の使徒」……敵対アンドロイドが侵入した。
遠くから身一つで街中のアパートに引っ越してきたばかりとはいえ、街に流れるサイレンの意味は分かっていた。まだ慣れてはいなかったけど、避難所の場所も確認していた。ただ、「神の使徒」侵入なんて初めての事態に私はパニックになっていて、少し他の人たちから遅れてしまったのだ。
初めての誤算はもう一つ。教科書で見ていても話に聞いていても、実際に見たことのなかった私は、ミスを犯した。心のどこかで信じられなかったのかもしれない。恐怖を顔に浮かべて、必死な様子で駆けてくる近くの人が、人間じゃないなんて。
だから、転んだその「人」に手を差し伸べた。
後から散々怒られたところによると、転んだり気を引いて油断を誘うというのは、人間型の「使徒」のよくやる手段なのだそうだ。人工知能が導き出した、効率的に人間に爪を立てる手段。「使徒」侵入の避難時は、自分のことだけを考えること。転んだ人を助け起こしてはいけないーー身をもって知ることになった、この街の常識だった。
本当なら、その教訓は今後に活かされることはなかった。完全に油断してしまった私の手を掴んだその「人」の口が裂けて、中から銃口が出てくるまで、たった数秒だったのだから。
本当なら、死んでいた。心が折れていた。
「掴まれ!」
その時に、私の体を抱えこんで、「使徒」の手を払いのけ、盾を構えて守ってくれたヒーローが、いなかったら。
すれ違いざまに「使徒」を撃ち抜いて、制圧するまで、私に怖いものが見えないよう庇って、優しく支えてくれていなかったら。
私は、外傷はなかったものの、心のケアとしてしばらく入院することになった。当然その間、学校はお休み。友達はよく来てくれたけど、多くの時間は病室で独り。委員会に入る時期とか部活動入部の時期もことごとく逃せば、新しい友達はできない。
それでも挫けたり捻くれたり、恐怖に負けてしまわなかったのは、優馬さんがお見舞いに来てくれたからかもしれない。
「よっ。また暇そうだな」
学生でありながらもう日常的に戦っている人だなんて信じられないほど、優馬さんは明るく、優しく、穏やかな空気を作る人だった。時々、思わず寝てしまったくらい。起きて慌てて謝る私に、また優しく笑ってくれた。忙しいのに暇を見つけては来てくれるその声が待ち遠しくなったのはいつからだろう。焦がれるようになったのはいつからだろう?
そして、退院から間もなくして、私は[一途]に選ばれた。
学期や年度の切れ目に適正者からランダムに配布されるものと違って、適正が発見されてすぐに[役割]が与えられることがある。どちらが良いというわけではないのだけど、私は、自分が後者だということを嬉しいと思ってしまう。
私は[役割]だから優馬さんを好きになった訳じゃない。[役割]を深く意識したこともなかった。ただ優馬さんを好きでいる、この気持ちだけで、[一途]と認められていることが、誇らしい。
……誰にも言ったことはないけど。
「それで、考えてみた?」
数学の授業が終わった後の教室はだいたい溶けた生徒か苦痛から解放されてやけに元気な生徒に二極化する。溶けた組の私たちはおとなしく教科書を片付けながら話をする。
「考え……てはみたけど……」
「『いつの間にか寝てた』って顔に書いてあるね」
「睡眠導入剤にしたわけじゃないけど……なんか、すこぶる無為な時間を過ごしました……」
「おお、苦行と瞑想の結果なぜか語彙レベルが上がってる……」
側から見ると数学の授業のことを話してるようにも聞こえる。もちろん、悲しく終わった3x-4y+zの話じゃない。
「だって、[一途]を演じる、とか[誘惑]への対策って言われても……」
「うん、[笑顔]より難しいのは分かるけどさ。あいつ、本当にヤバイよ? あれを放置するのは、実力テストに無策で挑むようなものだって。……今日、さっそくなんでしょ」
「何かあると決まった訳じゃないよ」
「いや、絶対あるって。あーもう、今からでも替わってもらおうか」
「大丈夫」
もらおうか、ってことは、友達自身が私と替わってくれることはないみたい。この友達にここまで嫌われている、というだけで、勝手に恐怖心が煽り立てられているのは否定しがたい。……こわい。
でも、他のクラスの人とは面識が薄くて話しづらいし、友達の方が私より不安そうにしているのに、替わって、なんて言えなかった。
だから私は、
「やあ」
ただの昼休みの図書館で、ドラマチックな展開なんかあり得ないような初の図書貸出業務に挑む。あれだけ怖がっておいて、実態はこれだ。
この時期の図書館は静やかに賑わう。新年度が始まって間もないから一年生はまだあまり来ないけれど、春休みに借りていた本を返したり、入荷したての本を探しに来る人たちがちらほらといる。
そして貸出カウンターの中に、円居先輩がいた。
「……よろしくお願いします」
私は間隔を空けて椅子に座る。狭いカウンター内ではほとんど意味がない。
「手続きの方法は?」
「絵美里がやってる時に教えてもらったので問題ありません」
「そ。じゃあ次の生徒の返却と貸出はやってもらおうかな」
「……?」
先輩らしい小柄な男子が、少し緊張した様子でふらっと私の方へ歩いてきた。
「すみません、ちょっと返却日間違えてて……もしかしたら期限過ぎちゃったかなー、なんて」
「…………先輩、すみません。こういう時にはどうすれば良いでしょうか」
「ん」
先輩は「分かってた」といった笑みを浮かべて、私から当番を代わった。
「ひっ!」
円居先輩を見て小さく悲鳴をあげた生徒は、恐る恐る本を差し出す。
「あー、この本、さっき借りようとしてた子がいたな。探し回ってカウンターまで来て聞いてきた」
「うっ」
「続き物の本だからね、早く読みたかったんだろうな。春休み中丁寧に読み直した上巻の続きがやっと読めると思って来たら延滞で無かったなんて、可哀想だよね? 小折 文孝?」
「あっ、その、いやー」
「何か言うことは?」
「……わ、悪かったよ」
「分かればいいよ、本当に分かったなら。じゃ貸出禁止期間一週間。よろしく」
「……」
落ち込んだ様子で生徒は出て行った。
「分かった?」
「……手続きの方法は分かりました」
「貸出禁止期間だけ言えばいいから」
「はい。……あの」
「何?」
「どうして言われる前から、さっきの人が本の返却を延滞してるって分かったんですか?」
私は、つい聞いていた。
「目と態度」
「めとたいど?」
「僕は自分がカウンターにいる時には必ず脅しをかけることにしてるからね、延滞者には。ビビってたでしょ? それに、あいつは常習犯だから顔を覚えておいて損はない」
そう言って、わるーい笑みを浮かべた。[笑顔]の友達でもしないようなバリエーションの顔だ。
「返却期限、大事ですからね」
先ほどの生徒には悪いと思いつつ、本好きとしては溜飲が下がる脅しだった。
何となく言ってから、はっとする。普通にこの先輩と楽しく会話をしてしまった。危ない。私は少し背を伸ばす。横からぬるい視線が、ずっと私を見ていた。
「……そんなに緊張しなくても、取って食ったりはしないよ」
「[誘惑]はするんですよね?」
「仕事だからね」
「仕事……」
思いがけない言葉に、私は彼を見た。
「[役割]と仕事がセットになることがあるのは、知ってるだろ?」
「……戦場さん」
[勇敢]の優馬さんは、「使徒」と戦う戦闘部隊に籍を置いてる。私は詳しくないけれど、[勇敢]の素質との相性があるらしい。[勇敢]を与えられるということは、徴兵もセットでついてくるということだ。
「[誘惑]は、先輩のやっていることは、お仕事なんですか」
「まあね。今のところは評価くらいしか大した給料はないけど」
あっさりとした肯定だったけど、色々な感情が含まれているように聞こえた。
「良かった」
「何が?」
「仕事じゃないのにこんなことしなきゃいけなかったら、悲しいので……えっと……変なこと言ってすみません」
言いながら見ると、先輩は顔をしかめていた。学食のスープの中に変な食感、いや感触のものが入っていたような顔だ。
「別にいいけど、その感想が最初に出てくるんだ。ふうん」
とろけた具材の正体を確かめようとするみたいに私を見る。
「変ですか?」
「まあ。よく言われるのは、『たかが自分の評価が下がるだけのことのために、あんなことをしてるのか』『どんな神経してるんだ』とか」
平然とした顔で言った。
「たかがって……」
「まあそいつらは[役割]無しだったし」
[役割]がこなせなくて評価が下がるのは、普通の学力とか体力の判定が悪いのとは明らかに違う。傷がいつまでも残ってしまう。しかも仕事、つまり義務としてすることがはっきり定められているなら、「やらない」なんて選択肢はない。徴兵に応じないようなものだから。
「後は、『仕事と言い訳すれば何でもできるなんて、良いご身分だ』とか……あ、もっと聞く?」
「いいえ」
そういった言葉は、もうこの人は具材として受け止め、飲み込んでいるみたいだった。表情も変わらないし、低く通る声もぶれたり感情を含んだりしない。
「この中に『悲しい人』が加わるだけだ」
「そういうつもりで言ったわけでは、ないです」
「じゃあどういうつもりで?」
そのとき、カウンターに大きな本を抱えた一年生が来た。
「返却と貸出お願いします」
「はい」
私は手続きをしながら、少し安心していた。安心してしまっていた。さっき、とっさに答えられる気がしなかったから。
この人に怯えていたのは事実だけど、傷つけたいとは思っていなかった。ホラーハウスのお化け役みたいに、仕事でやっていることなら、仕方がないと思った。仕方がないというのは多分、被害者も、先輩もだ。先輩の境遇を「悲しい」と思ったのは、否定できない。
どうして「そうなんですね」で終わらせてしまわなかったのか。どうして同情的な気休めなんて言ったんだろう。私は、どんなものを先輩のスープの中に投げ込んでしまったんだろう。
頰に当たっていたぬるい視線が、いつの間にか消えていた。手続きを終えて見ると、今度は円居先輩の方に人が。昼休みの終わりが近づいて、次々に人が来ていた。
(こんなタイミングで)
人がようやく落ち着いた時には、問いの答えを返すには時間が経ち過ぎていた。
「時間だね。オツカレ」
先輩がぱっと立ち上がる。あの飄々とした態度で、また、言うだけ言って、置いて行ってしまう気だ。私は思わず、先輩を呼び止めていた。
「さっき話したのは、……私と話をしてくれたのは、[役割]の、仕事のためなんですか?」
「……そうだよ」
声がワントーン下がった。
「きみの面白いデータは見たけど、それだけじゃ材料が足りなかったからね。これからも隙があれば、探ることもある」
「今日同じ当番になったのも、そのためですか?」
「それは偶然だよ。偶然。きみの周りでやけに多い、他の偶然と同じだ」
からかうような口調を、信用はできなかった。
「……失礼します」
少し[誘惑]について知れたけれど、円居先輩がどういう人なのかは、全く分からない。知ろうとなんて思っていなかったはずなのに、そのことが気にかかっていた。
「偶然、ね。それはもちろん、そうだろうね。襲撃を操作なんて普通ならできるはずないんだから」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
役立たず霊能者の私が、警視庁怪異特殊対策室に拾われた話 ~そこはヤンデレだらけのイケメンハーレムだった件~
季未
恋愛
ブラック企業で万年ビリの社畜、月島 零(24)。
彼女には昔から、他人の呪いや怪異が視えてしまう不遇な体質があった。
そのせいで会社を理不尽にクビになった金曜日の夜。
新宿駅の地下で最悪の怪異空間に引きずり込まれた彼女を救ったのは、最高級のスーツを着た漆黒の男——警視庁特殊怪異対策室の室長・神宮寺だった。
「お前の眼には価値がある」
命の保証と引き換えに、月給100万の専属鑑定士兼・囮役(!?)として強制契約を結ばされる零。
配属先は、ドSで俺様な神宮寺室長をはじめ、狂犬ハッカー、解剖マニアの変態ドクターなど、顔面偏差値だけは異常に高いハイスペック異常者たちの巣窟で……!?
「俺以外の痕がついているのが気に入らん。次は一秒で助ける」
命がけの怪異事件を解決するたび、逃げ場のない溺愛と執着はエスカレートしていく!
現代オカルト×限界突破の溺愛ホラーサスペンス!
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる