江戸夢草紙 〜仇討ちから始まる町人革命〜

鈴武謙

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賭けに出た三百文

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「商いとは戦。敵を知り、地を読むことじゃ」
石川屋源左衛門の言葉を胸に、惣一郎は再び浅草の朝市に立った。
だが、前回のように乾物を並べる姿は、もうそこにはなかった。

――惣一郎が手にしたのは、唐辛子だった。

「……なぜ唐辛子なんだ?」と、信次郎が首をかしげる。

「最近、長屋で流行っている“うどん屋の汁”がやけに辛い。
それを気に入って真似する者が増えた。だが、唐辛子はどの店も扱いが雑。
小袋にして売れば、女たちも手に取りやすい」

惣一郎は前夜、一晩かけて紙袋を手作りし、唐辛子を細かく小分けにしていた。
そして今朝――近隣の料理屋に試供として無料で配って回っていたのだ。

「辛さは舌に残る。忘れられない刺激になる」

その言葉通り、惣一郎の唐辛子は瞬く間に評判を呼び、朝市で列ができた。

「これ、あの“赤い粉”かい?」「うちの亭主が気に入っててねぇ」

たった一日で三百文が千文に化けた。



「やるじゃねぇか、兄ちゃん……!」

信次郎が満面の笑みを浮かべたそのときだった。

バシッ!と机を叩く音が、彼らの背後で響く。

「これは……加賀屋が仕入れた唐辛子ではないか?」

振り向くと、そこには加賀屋の手代・大河内清兵衛が立っていた。
加賀屋の下で流通を仕切る若き実力者。
その眼差しには、明らかな敵意があった。

「下手人が出てきたな。無断で商いに用いた罪、町奉行所にて問いただしてもらおうか」
「待て、これは市場で買い付けた唐辛子だ。何ら違法性はない!」

「証はあるか?」

その瞬間、周囲の空気が凍りつく。

惣一郎は、一瞬たじろいだ――だが、踏みとどまった。

「証人なら、ここにおります」

唐辛子を仕入れた農家の老人が、自らその場に現れたのだ。

「この若ぇのは、真っ当な金で買っていったよ。加賀屋が独占だって言う筋は、ねぇんじゃねぇか?」

市井の者たちが、惣一郎の周囲に集まり始める。

「この子のおかげで、うちの店も繁盛してるんだ」「加賀屋さん、独占は卑怯だよ」

押し黙る清兵衛。
その瞳に、一瞬「焦り」がよぎる。

(こいつ……ただの武家崩れじゃない)
(このまま放っておけば、厄介な芽になる)

清兵衛は静かに踵を返した。

「いずれ、後悔するぞ」

そう呟き、去っていった。



夕刻、石川屋に戻った惣一郎は、千文を手に頭を下げる。

「利益、三倍以上。……これで、次の戦に挑む資格を頂けますか?」

源左衛門はゆっくりと立ち上がり、惣一郎の背を軽く叩いた。

「よくやった。次は……一町規模の商いだ。いよいよ、江戸の大商人どもと肩を並べる時が来る」

惣一郎の胸に宿るのは、次の戦いへの情熱。
だが、加賀屋もまた、その芽を摘まんと動き始めていた――。
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