もしもバブル崩壊がなかったら

鈴武謙

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兆しの時代

利上げ前夜

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1989年の年の瀬。霞が関はまだ正月休暇には早く、各省庁の窓からは深夜まで明かりが漏れていた。
その中で、大蔵省の理財局だけは異様な緊張感に包まれていた。

「日銀、来月にも公定歩合を引き上げる方針だとさ」

小宮が苦い顔で囁く。
「3.25%を3.5%、それとも……もっと上か?」

「問題は“数字”じゃない。市場心理だ。奴らが“下げない”と信じてる間は、何も起きない」

透は、机の上に置かれた国債の利回り推移グラフを指差した。

「だが利上げを見越した先物の空売りが、もう始まっている。市場は賢い」

「じゃあ、止められないってことか」

「いや、まだだ」

透はファイルを取り出した。中には、独自に作成した「信用乗数モデル」の試算結果が並んでいる。
彼が提唱するのは、「選択的信用規制」。つまり、全体を締めるのではなく、**リスク分散型の“過熱制御”**という新たなアイデアだった。

「利上げという”刃物”を使わず、圧力だけを市場に伝える。信認を損なわずに過熱を鎮めるにはこれしかない」

その案は、すでに財務次官の耳に届いていた。
しかし、日銀はそれに強く反発していた。なぜなら、それは金融政策の主導権が財務省に移ることを意味するからだ。

「日銀とぶつかる気か、透……」

「これは、戦争じゃない。覇権の選択だ」



翌朝。透は財務次官秘書官を通じて呼び出され、赤坂の料亭に向かった。
そこに待っていたのは、予想を超える人物だった。

「……貴方が、私の案に“興味を持った”とは」

そこにいたのは、次期日銀総裁候補・園部泰男。
長年、金利政策のタカ派として知られる老練な男が、じっと透を見つめていた。

「君の案は、興味深い。だが、危険だ」
「どこが危険ですか?」
「君は、“経済を創れる”と思っている。だが、経済は生き物だ」

透は、少しだけ笑った。

「ならば私は、“飼い主”になるまでです」
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