辺境の無能領主、聖女と信者に領地を魔改造されて聖地と化した件〜俺はただ、毎日ジャガイモを食って昼寝したいだけなんだが?〜

咲月ねむと

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3章 聖地の恵み、隣領に漏れ出す

27話 増えすぎた羊の問題

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 長く厳しい冬が終わり、ヴァルハラ領にようやく本格的な春が訪れた。
 雪解け水が谷を駆け下り、地面からは緑の若芽が一斉に顔を出す。信者たちは、春の訪れを神に感謝し、新たなシーズンの畑仕事の準備に、活気づいていた。

 俺の生活も、冬眠から覚めた熊のように再び縁側での日向ぼっこが中心となっていた。

 シュタイン領との関係は、驚くほど平穏だった。冬の間に、行商人マルコが仲介役となり、うちの領地で生産された『聖麻布』をシュタイン領が正式に買い付ける、という話がまとまったらしい。
 そのおかげで、うちの領地には、ささやかながらも、安定した収入がもたらされるようになった。まあ、俺の懐に入るわけではないので、どうでもいいが。

 その取引の手土産として、マルコが大陸中から探し出してきたという、最高品質の「羊」が数十頭、このヴァルハラ領にやってきた。 
 信者たちは、これを『神の教えを体現する、聖なる獣』と呼び、手厚く世話を始めた。

 最初は、俺も物珍しさもあって遠巻きに眺めているだけだった。
 モコモコした毛皮は、確かに暖かそうだ。いずれ、あれでセーターでも編んでもらえれば、冬の昼寝が、さらに快適になるだろう。

 だが、春が過ぎ、夏が近づくにつれて、俺は、ある異変に気づき始めた。

「……なんか、うるさくないか?」

 俺が縁側でうたた寝をしていると、どこからともなく、絶え間なく、のどかでありながら神経に障る鳴き声が聞こえてくるのだ。

「メェー、メェー、メェー、メェー……」

 羊だ。
 最初は、数えるほどだったその鳴き声が、日に日に、その数を増している。
 それもそのはず。ヴァルハラ領の栄養満点の牧草と清らかな水を腹一杯食べた羊たちは、驚異的な繁殖力で、その数を増やしていたのだ。

 それを見た信者たちは、

「おお、神の祝福だ!」
「聖地が、新たな命で満たされていく!」

 と手放しで喜んでいる。

 だが、俺にとっては、たまったものではない。この鳴き声は、俺の聖域であるべき「昼寝」の時間を確実に蝕み始めていた。

「セバス……。なんとかならんのか、あれは」

「アッシュ様、生命の誕生は、喜ばしきことにございます。領地が豊かになっている証拠でもありますし……」

 セバスは、そう言って困ったように微笑むだけだ。
 そして、問題は、騒音だけではなかった。
 増えすぎた羊たちは、牧草地の草をものすごい勢いで食べ尽くし始めた。信者たちは、慌てて、新たな牧草地を開墾しているが、羊の増えるスピードに、追いついていない。

 その結果、腹を空かせた一部のやんちゃな羊が柵を飛び越え、信者たちが丹精込めて育てている野菜畑や麻畑にまで侵入し始めるようになったのだ。

「ああーっ! 俺のジャガイモが!」

「こらーっ! そっちは、聖女様が大事に育てておられる、薬草畑だぞ!」

 領内のあちこちで、そんな悲鳴が上がり始めた。のどかだった聖地に、初めて「獣害」という、現実的な問題が発生したのだ。

 その日、俺が、羊の鳴き声から逃れるように領主館の奥の部屋で耳を塞いでいると、セレスティアと、今度は牧畜を担当する信者たちが、深刻な顔で相談にやってきた。

「アッシュ様……。神の祝福により、増え続ける羊たちですが、このままでは、領内の畑が、全て食い尽くされてしまいます。かといって、神の祝福である、この命を、我らの手で、減らすわけにもまいりません……。どうか、我らにお知恵を……」

 彼らは、完全に板挟みになっていた。
 豊かさの象徴である羊を、どう扱うべきか。その答えを、神である俺に、求めに来たのだ。

 俺は心底うんざりしていた。
 うるさいし、畑は荒らすし、もういいことなしだ。

 俺は不機見に、ただ一言呟いた。

「……食っちまえば、いいだろ」

「…………え?」

 セレスティアも、信者たちも、俺が言った言葉の意味が一瞬理解できなかったようだった。
 俺はイライラしながら続けた。

「だから、うるさいし、畑を荒らすなら、その前に食っちまえ、って言ってるんだ。肉はうまいだろ。皮は、なめして、服か何かにすればいい。骨は、スープの出汁にでもなるんじゃないのか。何一つ、無駄になるものはない。違うか?」

 俺の、あまりに合理的で即物的な、身も蓋もない解決策。
 それは、彼らが、神聖なものとして、触れることすらためらっていた「羊」を、ただの「食料」であり、「資源」であると、断言するものだった。

 信者たちは衝撃に言葉を失ったようだ。

 聖なる獣を、食べる? 
 神の祝福を、我らの腹に、収める?

 その発想は、彼らには全くなかったらしい。

 だが、セレスリィアは、違った。
 彼女は、俺の言葉の奥にある深遠なる真理を、またしても見抜いたのだ。

「……! そうでしたか……!」

 彼女は、ハッと目を見開くと、固まっている信者たちに向き直った。

「皆さん、お聞きなさい! 神は、我らに、自然の『循環』という、大いなる摂理をお示しくださったのです!」

「じゅ、循環……?」

「その通りです! ただ、命が増えることを、手放しで喜ぶだけでは、いずれ全てが破綻する。生まれた命は、いつか、土に還る。そして、その命を、我らが『糧』としていただくことで、我らは、また新たな命を育むことができる。草が、羊の命となり、その羊が、我らの命となり、我らの労働が、また、新たな草を育てる……! この、完璧なる、生命のサイクル! それこそが、この聖地を、永遠に豊かにするための、神の教えだったのです!」

 そのあまりに壮大で哲学的な解説。
 それを聞いた信者たちは、目から鱗が落ちる思いだったらしい。

「な、なるほど……! 命をいただくことは、罪ではなかったのだ!」

「それこそが、自然の摂理……! 神の教え……!」

「ありがとう、羊さん……! 君たちの命は、我らが、ありがたく、いただくぞ!」

 信者たちの迷いは完全に消え去った。
 彼らは、その日のうちに、領内で最初の「屠殺とさつ」を行い、神への感謝の祈りを捧げた後、生まれて初めて羊の肉を口にした。

 俺は、その夜、生まれて初めて食べた羊肉の串焼きのジューシーな味わいに、ただ舌鼓を打っていた。

「うん。うまいな、これ。ジャガイモとは、また違う美味さだ」

 俺の安眠を妨害する騒音問題が思いがけず、領地の食文化を進化させた瞬間だった。
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