12 / 19
第12話 揺れる黄金のプリン
しおりを挟む
翌日。
私は開店前の厨房で、砂糖と格闘していた。
小鍋に入れた砂糖と少量の水。火にかけてじっと待つ。やがて大きな泡が立ち、ふわりと甘い香りが漂い始める。さらに加熱を続けると、色が狐色から褐色へ。
ここだ、という瞬間に熱湯を小さじ一杯。
ジュッ!! という音と共に、ほろ苦い香ばしさが厨房を満たす。
「よし、カラメルソースは完璧!」
次はプリン液だ。
たっぷりの卵黄と全卵、温めた牛乳、砂糖、そして風味付けのバニラエッセンス。
気泡が入らないように静かに混ぜ、裏ごしをして滑らかにする。
それをカラメルを敷いた型に流し込み、オーブンでじっくりと蒸し焼きにする。
――数十分後。
『陽だまり亭』の厨房は、卵とバニラの幸せな香りで満たされていた。
◇
午後三時。
ランチの喧騒が去り、店内が静けさを取り戻したその時。
まるで計ったかのようにドアベルが鳴った。
「……いるか」
入ってきたのは、もちろんジークフリート様だ。
今日もフードを深く被っているが、その足取りは心なしか昨日よりも軽い。そして視線が、私の手元ではなく、冷蔵庫の方へチラチラと向いている。
「いらっしゃいませ、ジーク様。……お待ちしておりましたよ」
「た、たまたま通りかかっただけだ。……だが、約束だからな。試食をしてやらんこともない」
素直じゃない。
私は彼をいつものカウンター席へ案内すると、冷蔵庫から冷やしておいた『それ』を取り出した。型からお皿へと、慎重にひっくり返す。
プッチーン。
空気の入る音と共に黄金色の山が姿を現した。
「お待たせいたしました。『昔ながらの濃厚カスタードプリン』です」
コトッ、と彼の目の前に置く。
その瞬間、プリンがプルルンッと愛らしく揺れた。
頂上には艶やかな琥珀色のカラメルソース。
側面はスベスベで、卵の黄色が濃い。
最近流行りのトロトロ系ではない、スプーンを入れるとしっかりとした弾力が返ってくる、喫茶店風の固めプリンだ。
「……これが、菓子か?」
ジーク様は、まるで未知の生物を見るような目でプリンを凝視している。
そして、おもむろに銀のスプーンを手に取り、プリンの横腹に突き立てた。スッ、という抵抗感。そのまま掬い上げると、断面は絹のように滑らかだ。
彼はそれを口へと運んだ。
パクッ。
一瞬の静寂。そして――。
(……あ、溶けた)
私は見た。
『氷の騎士』と呼ばれる彼の表情が春の日差しを浴びた雪だるまのように、ふにゃりと崩れる瞬間を。
「……美味い」
その声は震えていた。
「濃厚な卵の風味が……舌の上で滑らかに溶けていく。甘い、だが甘すぎない。この焦げ茶色のソースの苦味が絶妙に絡み合って……」
彼はもう、私に言い訳をするのも忘れて、二口、三口とスプーンを進めた。プルプルのプリンが、次々と彼の口の中へと吸い込まれていく。
その顔は、眉間のシワなどどこへやら、幼い子供のように無防備で幸せそうだ。
あんなに厳めしい軍服を着て、腰に剣を差しているのに、口元には少しカラメルがついている。
なんて破壊力のあるギャップだろう。
「……ん?」
私の視線に気づいたのか、ハッとしたように彼が動きを止めた。皿の上は、すでに空っぽだ。名残惜しそうにスプーンで残ったカラメルを掬っているところを見られてしまった。
「コ、コホン! ……悪くない味だった」
彼は慌ててナプキンで口元を拭い、威厳を取り戻そうと背筋を伸ばした。
けれど、耳まで真っ赤だ。
「ありがとうございます。頭痛の方はいかがですか?」
「……ああ。不思議なことに、甘味が脳に染み渡り、霧が晴れたようだ。貴様の料理は、本当に……」
彼は言いかけて言葉を濁した。
そして、カウンターに身を乗り出し、誰にも聞こえないような小声で囁いた。
「……明日も、あるか?」
私は吹き出しそうになるのを必死で堪え、満面の笑みで頷いた。
「ええ、もちろん。ジーク様のためにお取り置きしておきますわ」
彼は満足そうに頷くと、金貨一枚を置いて逃げるように去っていった。その背中は、来た時よりも五歳くらい若返っているように見えた。
最強の騎士様の弱点は「プルプルのプリン」だったようだ。
これは、私だけの秘密にしておいてあげよう。
私は開店前の厨房で、砂糖と格闘していた。
小鍋に入れた砂糖と少量の水。火にかけてじっと待つ。やがて大きな泡が立ち、ふわりと甘い香りが漂い始める。さらに加熱を続けると、色が狐色から褐色へ。
ここだ、という瞬間に熱湯を小さじ一杯。
ジュッ!! という音と共に、ほろ苦い香ばしさが厨房を満たす。
「よし、カラメルソースは完璧!」
次はプリン液だ。
たっぷりの卵黄と全卵、温めた牛乳、砂糖、そして風味付けのバニラエッセンス。
気泡が入らないように静かに混ぜ、裏ごしをして滑らかにする。
それをカラメルを敷いた型に流し込み、オーブンでじっくりと蒸し焼きにする。
――数十分後。
『陽だまり亭』の厨房は、卵とバニラの幸せな香りで満たされていた。
◇
午後三時。
ランチの喧騒が去り、店内が静けさを取り戻したその時。
まるで計ったかのようにドアベルが鳴った。
「……いるか」
入ってきたのは、もちろんジークフリート様だ。
今日もフードを深く被っているが、その足取りは心なしか昨日よりも軽い。そして視線が、私の手元ではなく、冷蔵庫の方へチラチラと向いている。
「いらっしゃいませ、ジーク様。……お待ちしておりましたよ」
「た、たまたま通りかかっただけだ。……だが、約束だからな。試食をしてやらんこともない」
素直じゃない。
私は彼をいつものカウンター席へ案内すると、冷蔵庫から冷やしておいた『それ』を取り出した。型からお皿へと、慎重にひっくり返す。
プッチーン。
空気の入る音と共に黄金色の山が姿を現した。
「お待たせいたしました。『昔ながらの濃厚カスタードプリン』です」
コトッ、と彼の目の前に置く。
その瞬間、プリンがプルルンッと愛らしく揺れた。
頂上には艶やかな琥珀色のカラメルソース。
側面はスベスベで、卵の黄色が濃い。
最近流行りのトロトロ系ではない、スプーンを入れるとしっかりとした弾力が返ってくる、喫茶店風の固めプリンだ。
「……これが、菓子か?」
ジーク様は、まるで未知の生物を見るような目でプリンを凝視している。
そして、おもむろに銀のスプーンを手に取り、プリンの横腹に突き立てた。スッ、という抵抗感。そのまま掬い上げると、断面は絹のように滑らかだ。
彼はそれを口へと運んだ。
パクッ。
一瞬の静寂。そして――。
(……あ、溶けた)
私は見た。
『氷の騎士』と呼ばれる彼の表情が春の日差しを浴びた雪だるまのように、ふにゃりと崩れる瞬間を。
「……美味い」
その声は震えていた。
「濃厚な卵の風味が……舌の上で滑らかに溶けていく。甘い、だが甘すぎない。この焦げ茶色のソースの苦味が絶妙に絡み合って……」
彼はもう、私に言い訳をするのも忘れて、二口、三口とスプーンを進めた。プルプルのプリンが、次々と彼の口の中へと吸い込まれていく。
その顔は、眉間のシワなどどこへやら、幼い子供のように無防備で幸せそうだ。
あんなに厳めしい軍服を着て、腰に剣を差しているのに、口元には少しカラメルがついている。
なんて破壊力のあるギャップだろう。
「……ん?」
私の視線に気づいたのか、ハッとしたように彼が動きを止めた。皿の上は、すでに空っぽだ。名残惜しそうにスプーンで残ったカラメルを掬っているところを見られてしまった。
「コ、コホン! ……悪くない味だった」
彼は慌ててナプキンで口元を拭い、威厳を取り戻そうと背筋を伸ばした。
けれど、耳まで真っ赤だ。
「ありがとうございます。頭痛の方はいかがですか?」
「……ああ。不思議なことに、甘味が脳に染み渡り、霧が晴れたようだ。貴様の料理は、本当に……」
彼は言いかけて言葉を濁した。
そして、カウンターに身を乗り出し、誰にも聞こえないような小声で囁いた。
「……明日も、あるか?」
私は吹き出しそうになるのを必死で堪え、満面の笑みで頷いた。
「ええ、もちろん。ジーク様のためにお取り置きしておきますわ」
彼は満足そうに頷くと、金貨一枚を置いて逃げるように去っていった。その背中は、来た時よりも五歳くらい若返っているように見えた。
最強の騎士様の弱点は「プルプルのプリン」だったようだ。
これは、私だけの秘密にしておいてあげよう。
2
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
悪役令嬢まさかの『家出』
にとこん。
恋愛
王国の侯爵令嬢ルゥナ=フェリシェは、些細なすれ違いから突発的に家出をする。本人にとっては軽いお散歩のつもりだったが、方向音痴の彼女はそのまま隣国の帝国に迷い込み、なぜか牢獄に収監される羽目に。しかし無自覚な怪力と天然ぶりで脱獄してしまい、道に迷うたびに騒動を巻き起こす。
一方、婚約破棄を告げようとした王子レオニスは、当日にルゥナが失踪したことで騒然。王宮も侯爵家も大混乱となり、レオニス自身が捜索に出るが、恐らく最後まで彼女とは一度も出会えない。
ルゥナは道に迷っただけなのに、なぜか人助けを繰り返し、帝国の各地で英雄視されていく。そして気づけば彼女を慕う男たちが集まり始め、逆ハーレムの中心に。だが本人は一切自覚がなく、むしろ全員の好意に対して煙たがっている。
帰るつもりもなく、目的もなく、ただ好奇心のままに彷徨う“無害で最強な天然令嬢”による、帝国大騒動ギャグ恋愛コメディ、ここに開幕!
「何の取り柄もない姉より、妹をよこせ」と婚約破棄されましたが、妹を守るためなら私は「国一番の淑女」にでも這い上がってみせます
放浪人
恋愛
「何の取り柄もない姉はいらない。代わりに美しい妹をよこせ」
没落伯爵令嬢のアリアは、婚約者からそう告げられ、借金のカタに最愛の妹を奪われそうになる。 絶望の中、彼女が頼ったのは『氷の公爵』と恐れられる冷徹な男、クラウスだった。
「私の命、能力、生涯すべてを差し上げます。だから金を貸してください!」
妹を守るため、悪魔のような公爵と契約を結んだアリア。 彼女に課せられたのは、地獄のような淑女教育と、危険な陰謀が渦巻く社交界への潜入だった。 しかし、アリアは持ち前の『瞬間記憶能力』と『度胸』を武器に覚醒する。
自分を捨てた元婚約者を論破して地獄へ叩き落とし、意地悪なライバル令嬢を返り討ちにし、やがては国の危機さえも救う『国一番の淑女』へと駆け上がっていく!
一方、冷酷だと思われていた公爵は、泥の中でも強く咲くアリアの姿に心を奪われ――? 「お前がいない世界など不要だ」 契約から始まった関係が、やがて国中を巻き込む極上の溺愛へと変わる。
地味で無能と呼ばれた令嬢が、最強の旦那様と幸せを掴み取る、痛快・大逆転シンデレラストーリー!
完璧すぎると言われ婚約破棄された令嬢、冷徹公爵と白い結婚したら選ばれ続けました
鷹 綾
恋愛
「君は完璧すぎて、可愛げがない」
その理不尽な理由で、王都の名門令嬢エリーカは婚約を破棄された。
努力も実績も、すべてを否定された――はずだった。
だが彼女は、嘆かなかった。
なぜなら婚約破棄は、自由の始まりだったから。
行き場を失ったエリーカを迎え入れたのは、
“冷徹”と噂される隣国の公爵アンクレイブ。
条件はただ一つ――白い結婚。
感情を交えない、合理的な契約。
それが最善のはずだった。
しかし、エリーカの有能さは次第に国を変え、
彼女自身もまた「役割」ではなく「選択」で生きるようになる。
気づけば、冷徹だった公爵は彼女を誰よりも尊重し、
誰よりも守り、誰よりも――選び続けていた。
一方、彼女を捨てた元婚約者と王都は、
エリーカを失ったことで、静かに崩れていく。
婚約破棄ざまぁ×白い結婚×溺愛。
完璧すぎる令嬢が、“選ばれる側”から“選ぶ側”へ。
これは、復讐ではなく、
選ばれ続ける未来を手に入れた物語。
---
幼馴染に振られたので薬学魔法士目指す
MIRICO
恋愛
オレリアは幼馴染に失恋したのを機に、薬学魔法士になるため、都の学院に通うことにした。
卒院の単位取得のために王宮の薬学研究所で働くことになったが、幼馴染が騎士として働いていた。しかも、幼馴染の恋人も侍女として王宮にいる。
二人が一緒にいるのを見るのはつらい。しかし、幼馴染はオレリアをやたら構ってくる。そのせいか、恋人同士を邪魔する嫌な女と噂された。その上、オレリアが案内した植物園で、相手の子が怪我をしてしまい、殺そうとしたまで言われてしまう。
私は何もしていないのに。
そんなオレリアを助けてくれたのは、ボサボサ頭と髭面の、薬学研究所の局長。実は王の甥で、第二継承権を持った、美丈夫で、女性たちから大人気と言われる人だった。
ブックマーク・いいね・ご感想等、ありがとうございます。
お返事ネタバレになりそうなので、申し訳ありませんが控えさせていただきます。
ちゃんと読んでおります。ありがとうございます。
甘そうな話は甘くない
ねこまんまときみどりのことり
ファンタジー
「君には失望したよ。ミレイ傷つけるなんて酷いことを! 婚約解消の通知は君の両親にさせて貰うから、もう会うこともないだろうな!」
言い捨てるような突然の婚約解消に、困惑しかないアマリリス・クライド公爵令嬢。
「ミレイ様とは、どなたのことでしょうか? 私(わたくし)には分かりかねますわ」
「とぼけるのも程ほどにしろっ。まったくこれだから気位の高い女は好かんのだ」
先程から散々不満を並べ立てるのが、アマリリスの婚約者のデバン・クラッチ侯爵令息だ。煌めく碧眼と艶々の長い金髪を腰まで伸ばした長身の全身筋肉。
彼の家門は武に長けた者が多く輩出され、彼もそれに漏れないのだが脳筋過ぎた。
だけど顔は普通。
10人に1人くらいは見かける顔である。
そして自分とは真逆の、大人しくか弱い女性が好みなのだ。
前述のアマリリス・クライド公爵令嬢は猫目で菫色、銀糸のサラサラ髪を持つ美しい令嬢だ。祖母似の容姿の為、特に父方の祖父母に溺愛されている。
そんな彼女は言葉が通じない婚約者に、些かの疲労感を覚えた。
「ミレイ様のことは覚えがないのですが、お話は両親に伝えますわ。それでは」
彼女(アマリリス)が淑女の礼の最中に、それを見終えることなく歩き出したデバンの足取りは軽やかだった。
(漸くだ。あいつの有責で、やっと婚約解消が出来る。こちらに非がなければ、父上も同意するだろう)
この婚約はデバン・クラッチの父親、グラナス・クラッチ侯爵からの申し込みであった。クライド公爵家はアマリリスの兄が継ぐので、侯爵家を継ぐデバンは嫁入り先として丁度良いと整ったものだった。
カクヨムさん、小説家になろうさんにも載せています。
「予備」として連れてこられた私が、本命を連れてきたと勘違いした王国の滅亡フラグを華麗に回収して隣国の聖女になりました
平山和人
恋愛
王国の辺境伯令嬢セレスティアは、生まれつき高い治癒魔法を持つ聖女の器でした。しかし、十年間の婚約期間の末、王太子ルシウスから「真の聖女は別にいる。お前は不要になった」と一方的に婚約を破棄されます。ルシウスが連れてきたのは、派手な加護を持つ自称「聖女」の少女、リリア。セレスティアは失意の中、国境を越えた隣国シエルヴァード帝国へ。
一方、ルシウスはセレスティアの地味な治癒魔法こそが、王国の呪いの進行を十年間食い止めていた「代替の聖女」の役割だったことに気づきません。彼の連れてきたリリアは、見かけの派手さとは裏腹に呪いを加速させる力を持っていました。
隣国でその真の力を認められたセレスティアは、帝国の聖女として迎えられます。王国が衰退し、隣国が隆盛を極める中、ルシウスはようやくセレスティアの真価に気づき復縁を迫りますが、後の祭り。これは、価値を誤認した愚かな男と、自分の力で世界を変えた本物の聖女の、代わりではなく主役になる物語です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる