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第19話 脂ぎった提案
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妖精たちがメロンパンに群がった騒動から数日。
『陽だまり亭』の評判は、もはや辺境の町ノルドだけでなく、近隣の領地にまで轟き始めていた。
「『聖霊も踊り出すパン』だってさ。大げさだねぇ」
「でも、本当に食べると元気が湧いてくるのよ!」
連日、開店前に行列ができるほどの大盛況。
私は嬉しい悲鳴を上げながら、毎日ひたすら小麦粉と格闘していた。
しかし、光が強ければ影も濃くなるもの。
その日の午後、店の前に一台の派手な馬車が横付けされた。
金箔で飾られた車体にけばけばしい塗装。
質実剛健なこの辺境の町には、これっぽっちも馴染まない代物だ。
「……なんだか、嫌な予感がするわね」
私が眉をひそめていると、馬車の扉が開き、小太りの男が降りてきた。高そうなシルクの服を腹の肉でパツパツに張り詰めさせ、指には下品なほど大きな宝石の指輪をいくつも嵌めている。
顔は脂ぎっており、細い目を三日月のように歪めて笑っていた。
カランカラン。
「おやあ、ここですか。噂の『陽だまり亭』というのは」
男は店内に入ってくるなり、ハンカチで鼻を押さえ、値踏みするように周囲を見回した。
その視線には、明らかな侮蔑の色が混じっている。
「いらっしゃいませ。お食事でしょうか?」
「食事? まさか。こんな庶民の餌、私の舌に合うわけがないでしょう」
男は鼻で笑うと、私の前に名刺を差し出した。
『ゴルツ商会 会頭 ゴルツ』。
聞いたことがある。
王都を中心に手広くやっている商会だが強引な買収や法外な高利貸しで悪名高い、いわゆる「悪徳商人」だ。
「単刀直入に言いましょう、レティシアさん。貴女、元公爵令嬢だそうですね? こんなド田舎で油まみれになって働くなんて同情しますよ」
「……私はこの仕事に誇りを持っていますので」
「フン。強がりはいいんです。そこでだ、私は貴女に救いの手を差し伸べに来たんですよ」
ゴルツはニタリと笑い、カウンターにドンと書類の束を置いた。
「この店の権利と、貴女の持つ『回復効果のある
のレシピ。全て我が商会に譲りなさい。金なら弾みますよ?」
「……は?」
「貴女はレシピだけ提供してくれればいい。あとは工場で大量生産し、王都の富裕層向けに『奇跡の美容食』として高値で売りさばくのです。こんな薄汚い冒険者相手に小銭を稼ぐより、よほど儲かるでしょう?」
私は書類を一目した。
そこに書かれていた金額は確かに大金だった。けれど、条件には「今後、レティシア個人での調理・販売を禁ずる」とある。
私の料理を、お金儲けの道具にする?
お腹を空かせた人たちから、この場所を奪う?
(……ふざけないで)
私の中でプチンと何かが切れる音がした。
「お断りします」
「……はい?」
「私の料理は、今日一日を頑張った人たちに『お疲れ様』を言うためのものです。高いお金を払える人だけのためのものではありません。お引き取りください」
私がきっぱりと言い放つと、ゴルツの顔から笑みが消えた。
脂ぎった額に青筋が浮かぶ。
「……生意気な小娘だ。元公爵令嬢といっても、今はただの平民だろう? 後ろ盾のない女が一人で店をやるのがどれだけ危険か、分かっているのかね?」
脅しだ。彼は指をパチンと鳴らした。
すると、店の外で待機していた屈強な護衛の男たちがドカドカと店内に入ってきた。
客として来ていた町の人々が怯えて縮こまる。
「この辺境では、不運な『事故』や『火事』が多いと聞きますからなぁ……。明日の朝、この店が灰になっていない保証はないんですよ?」
ゴルツがねっとりとした声で囁く。
私は拳を握りしめた。
怖い。足がすくみそうになる。けれど、ここで引いたら大切な場所を守れない。
「脅すつもりですか? 騎士団に通報します!」
「騎士団? ハッ、証拠もなしに動くものですか。それに私は王都の有力者とも繋がりがある。田舎の騎士風情に何ができると――」
「――ほう。田舎の騎士風情、か」
その時、店の奥から地獄の底から響くような冷徹な声が聞こえた。
室内の温度が一瞬にして氷点下まで下がる。
ゴルツがビクリと肩を震わせて振り返る。
そこには、いつもの席で静かに何かの書類を読んでいた――はずの最強の常連客が立ち上がっていた。
「私の領地で、私の料理人を脅迫するとは。……いい度胸だ、豚野郎」
蒼い瞳に殺気を漲らせた『氷の騎士』がゆっくりと歩み寄ってくる。
『陽だまり亭』の評判は、もはや辺境の町ノルドだけでなく、近隣の領地にまで轟き始めていた。
「『聖霊も踊り出すパン』だってさ。大げさだねぇ」
「でも、本当に食べると元気が湧いてくるのよ!」
連日、開店前に行列ができるほどの大盛況。
私は嬉しい悲鳴を上げながら、毎日ひたすら小麦粉と格闘していた。
しかし、光が強ければ影も濃くなるもの。
その日の午後、店の前に一台の派手な馬車が横付けされた。
金箔で飾られた車体にけばけばしい塗装。
質実剛健なこの辺境の町には、これっぽっちも馴染まない代物だ。
「……なんだか、嫌な予感がするわね」
私が眉をひそめていると、馬車の扉が開き、小太りの男が降りてきた。高そうなシルクの服を腹の肉でパツパツに張り詰めさせ、指には下品なほど大きな宝石の指輪をいくつも嵌めている。
顔は脂ぎっており、細い目を三日月のように歪めて笑っていた。
カランカラン。
「おやあ、ここですか。噂の『陽だまり亭』というのは」
男は店内に入ってくるなり、ハンカチで鼻を押さえ、値踏みするように周囲を見回した。
その視線には、明らかな侮蔑の色が混じっている。
「いらっしゃいませ。お食事でしょうか?」
「食事? まさか。こんな庶民の餌、私の舌に合うわけがないでしょう」
男は鼻で笑うと、私の前に名刺を差し出した。
『ゴルツ商会 会頭 ゴルツ』。
聞いたことがある。
王都を中心に手広くやっている商会だが強引な買収や法外な高利貸しで悪名高い、いわゆる「悪徳商人」だ。
「単刀直入に言いましょう、レティシアさん。貴女、元公爵令嬢だそうですね? こんなド田舎で油まみれになって働くなんて同情しますよ」
「……私はこの仕事に誇りを持っていますので」
「フン。強がりはいいんです。そこでだ、私は貴女に救いの手を差し伸べに来たんですよ」
ゴルツはニタリと笑い、カウンターにドンと書類の束を置いた。
「この店の権利と、貴女の持つ『回復効果のある
のレシピ。全て我が商会に譲りなさい。金なら弾みますよ?」
「……は?」
「貴女はレシピだけ提供してくれればいい。あとは工場で大量生産し、王都の富裕層向けに『奇跡の美容食』として高値で売りさばくのです。こんな薄汚い冒険者相手に小銭を稼ぐより、よほど儲かるでしょう?」
私は書類を一目した。
そこに書かれていた金額は確かに大金だった。けれど、条件には「今後、レティシア個人での調理・販売を禁ずる」とある。
私の料理を、お金儲けの道具にする?
お腹を空かせた人たちから、この場所を奪う?
(……ふざけないで)
私の中でプチンと何かが切れる音がした。
「お断りします」
「……はい?」
「私の料理は、今日一日を頑張った人たちに『お疲れ様』を言うためのものです。高いお金を払える人だけのためのものではありません。お引き取りください」
私がきっぱりと言い放つと、ゴルツの顔から笑みが消えた。
脂ぎった額に青筋が浮かぶ。
「……生意気な小娘だ。元公爵令嬢といっても、今はただの平民だろう? 後ろ盾のない女が一人で店をやるのがどれだけ危険か、分かっているのかね?」
脅しだ。彼は指をパチンと鳴らした。
すると、店の外で待機していた屈強な護衛の男たちがドカドカと店内に入ってきた。
客として来ていた町の人々が怯えて縮こまる。
「この辺境では、不運な『事故』や『火事』が多いと聞きますからなぁ……。明日の朝、この店が灰になっていない保証はないんですよ?」
ゴルツがねっとりとした声で囁く。
私は拳を握りしめた。
怖い。足がすくみそうになる。けれど、ここで引いたら大切な場所を守れない。
「脅すつもりですか? 騎士団に通報します!」
「騎士団? ハッ、証拠もなしに動くものですか。それに私は王都の有力者とも繋がりがある。田舎の騎士風情に何ができると――」
「――ほう。田舎の騎士風情、か」
その時、店の奥から地獄の底から響くような冷徹な声が聞こえた。
室内の温度が一瞬にして氷点下まで下がる。
ゴルツがビクリと肩を震わせて振り返る。
そこには、いつもの席で静かに何かの書類を読んでいた――はずの最強の常連客が立ち上がっていた。
「私の領地で、私の料理人を脅迫するとは。……いい度胸だ、豚野郎」
蒼い瞳に殺気を漲らせた『氷の騎士』がゆっくりと歩み寄ってくる。
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