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第26話 不器用なナイトガード
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王都の使者たちが逃げ去った後、店内に重苦しい沈黙が降りていた。
私はカウンターの中で、まだ少し震えている自分の手を反対の手でギュッと握りしめていた。
(怖かった……)
気丈に振る舞ってはいたけれど、相手は腐っても王家の使いだ。
もしジーク様がいなかったら、力ずくで馬車に押し込まれていたかもしれない。かつての私が、何の力もない「お飾り令嬢」だった頃の無力感が蘇りそうになる。
「……レティシア」
不意に目の前に大きな影が落ちた。
顔を上げると、カウンター越しにジーク様が私を覗き込んでいる。その瞳は、先ほどまでの氷のような鋭さを潜め、不器用なほど優しく揺れていた。
「顔色が悪い。……椅子に座れ。水を持ってくる」
「あ、いえ、自分で……」
「いいから座っていろ」
彼は私を椅子に座らせると、慣れない手つきで水を汲み、差し出してくれた。コップを受け取る時、彼の指先が私の手に触れた。
ひんやりとしているのに、そこから伝わる体温が凍りついた私の心を溶かしていくようだ。
「……すまない。私の領地でありながら、あのような不快な思いをさせた」
「ジーク様が謝ることではありません。悪いのはあの方達です」
「だが、奴らはまた来るだろう。王太子は自分の欲したものを手に入れるまでは手段を選ばん男だ」
ジーク様は悔しそうに拳を握りしめた。
ミシミシ、と音が聞こえるほど強く。
「……レティシア。今日からしばらく、店に泊まり込む」
「えっ?」
水を吹き出しそうになった。
「と、泊まり込むって、ここにですか?」
「ああ。城からの騎士を常駐させると言ったが、やはり私が一番確実だ。……お前が寝ている間に連れ去られる可能性もゼロではない」
大真面目な顔だ。
辺境伯様が一介の定食屋で寝泊まりする? 前代未聞だ。
「で、でも、ジーク様には領主としてのお仕事が……」
「執務など、書類を持ってくればどこででもできる。……それに」
彼は少し視線を逸らし、ボソリと言った。
「お前が不安で眠れないなら、私がそばにいてやりたい」
――ドキン。
心臓が大きく跳ねた。
そんなことを言われて断れるはずがない。
「……ご迷惑でなければ、お願いしてもいいですか?」
「うむ。任せておけ」
こうして奇妙な同居生活が始まった。
……といっても、ジーク様は客席の椅子を並べて簡易ベッドを作り、そこで寝るという。
さすがに申し訳ないので、私は予備の毛布と枕を引っ張り出してきた。
「ふかふかだな。城のベッドより寝心地が良さそうだ」
「お世辞が上手ですね。……あの、ジーク様」
「なんだ」
私は毛布を渡しながら、ずっと聞きたかったことを口にした。
「どうして、ここまでしてくださるんですか? ただの料理人のために、国と喧嘩をしてまで……」
美味しいご飯のため、というのは分かる。
でも、それだけにしては、彼の行動はあまりに献身的すぎる。
ジーク様は少し考えるように沈黙し、やがて静かに口を開いた。
「……私の世界は、ずっと灰色だった」
「灰色?」
「ああ。強すぎる魔力は常に頭痛をもたらし、食事は砂の味、睡眠は浅く、ただ義務として生きてきた。……だが」
彼は真っ直ぐに私を見た。
「お前の料理を食べた時、世界に色が戻ったんだ。痛みが消え、温かさが満ちて……生きていてよかったと、初めて思えた」
その言葉は、どんな愛の告白よりも熱く、私の胸を貫いた。
「だから、これは私のエゴだ。私の世界から『色』を奪おうとする奴らは、誰であろうと許さん」
私は言葉を失い、ただ熱くなる目頭を押さえた。料理人として、これほど嬉しい言葉があるだろうか。
『ワフッ!』
空気を読まないルルが、二人の間に割って入ってきた。
ジーク様の膝に前足を乗せ、「俺もいるぞ」とアピールしている。
「ふっ……分かっている。お前もここを守りたいんだな」
ジーク様がルルの頭を撫でる。
その光景を見て、私は涙を拭いて笑った。
そうだ。怖がっている場合じゃない。
王都の人たちが私を不幸にしようとするなら、私はもっともっと幸せになって、美味しい料理を作り続けてやる。
それが私にできる一番の復讐だ。
「ジーク様。私、決めました」
「何をだ?」
「王都の方々に見せつけてやるんです。私がここでの生活を、どれだけ楽しんでいるか。だから明日は……」
私は厨房のフルーツバスケットを見た。
色とりどりの果物たち。
明日は、これを使って最高に華やかで見るだけで笑顔になれるメニューを作ろう。
「明日は、貴族の奥様方も垂涎の『キラキラ・スイーツ』で、店をもっと繁盛させちゃいます!」
私の宣言にジーク様は頼もしそうに口角を上げた。
「いい度胸だ。……楽しみにしている」
私はカウンターの中で、まだ少し震えている自分の手を反対の手でギュッと握りしめていた。
(怖かった……)
気丈に振る舞ってはいたけれど、相手は腐っても王家の使いだ。
もしジーク様がいなかったら、力ずくで馬車に押し込まれていたかもしれない。かつての私が、何の力もない「お飾り令嬢」だった頃の無力感が蘇りそうになる。
「……レティシア」
不意に目の前に大きな影が落ちた。
顔を上げると、カウンター越しにジーク様が私を覗き込んでいる。その瞳は、先ほどまでの氷のような鋭さを潜め、不器用なほど優しく揺れていた。
「顔色が悪い。……椅子に座れ。水を持ってくる」
「あ、いえ、自分で……」
「いいから座っていろ」
彼は私を椅子に座らせると、慣れない手つきで水を汲み、差し出してくれた。コップを受け取る時、彼の指先が私の手に触れた。
ひんやりとしているのに、そこから伝わる体温が凍りついた私の心を溶かしていくようだ。
「……すまない。私の領地でありながら、あのような不快な思いをさせた」
「ジーク様が謝ることではありません。悪いのはあの方達です」
「だが、奴らはまた来るだろう。王太子は自分の欲したものを手に入れるまでは手段を選ばん男だ」
ジーク様は悔しそうに拳を握りしめた。
ミシミシ、と音が聞こえるほど強く。
「……レティシア。今日からしばらく、店に泊まり込む」
「えっ?」
水を吹き出しそうになった。
「と、泊まり込むって、ここにですか?」
「ああ。城からの騎士を常駐させると言ったが、やはり私が一番確実だ。……お前が寝ている間に連れ去られる可能性もゼロではない」
大真面目な顔だ。
辺境伯様が一介の定食屋で寝泊まりする? 前代未聞だ。
「で、でも、ジーク様には領主としてのお仕事が……」
「執務など、書類を持ってくればどこででもできる。……それに」
彼は少し視線を逸らし、ボソリと言った。
「お前が不安で眠れないなら、私がそばにいてやりたい」
――ドキン。
心臓が大きく跳ねた。
そんなことを言われて断れるはずがない。
「……ご迷惑でなければ、お願いしてもいいですか?」
「うむ。任せておけ」
こうして奇妙な同居生活が始まった。
……といっても、ジーク様は客席の椅子を並べて簡易ベッドを作り、そこで寝るという。
さすがに申し訳ないので、私は予備の毛布と枕を引っ張り出してきた。
「ふかふかだな。城のベッドより寝心地が良さそうだ」
「お世辞が上手ですね。……あの、ジーク様」
「なんだ」
私は毛布を渡しながら、ずっと聞きたかったことを口にした。
「どうして、ここまでしてくださるんですか? ただの料理人のために、国と喧嘩をしてまで……」
美味しいご飯のため、というのは分かる。
でも、それだけにしては、彼の行動はあまりに献身的すぎる。
ジーク様は少し考えるように沈黙し、やがて静かに口を開いた。
「……私の世界は、ずっと灰色だった」
「灰色?」
「ああ。強すぎる魔力は常に頭痛をもたらし、食事は砂の味、睡眠は浅く、ただ義務として生きてきた。……だが」
彼は真っ直ぐに私を見た。
「お前の料理を食べた時、世界に色が戻ったんだ。痛みが消え、温かさが満ちて……生きていてよかったと、初めて思えた」
その言葉は、どんな愛の告白よりも熱く、私の胸を貫いた。
「だから、これは私のエゴだ。私の世界から『色』を奪おうとする奴らは、誰であろうと許さん」
私は言葉を失い、ただ熱くなる目頭を押さえた。料理人として、これほど嬉しい言葉があるだろうか。
『ワフッ!』
空気を読まないルルが、二人の間に割って入ってきた。
ジーク様の膝に前足を乗せ、「俺もいるぞ」とアピールしている。
「ふっ……分かっている。お前もここを守りたいんだな」
ジーク様がルルの頭を撫でる。
その光景を見て、私は涙を拭いて笑った。
そうだ。怖がっている場合じゃない。
王都の人たちが私を不幸にしようとするなら、私はもっともっと幸せになって、美味しい料理を作り続けてやる。
それが私にできる一番の復讐だ。
「ジーク様。私、決めました」
「何をだ?」
「王都の方々に見せつけてやるんです。私がここでの生活を、どれだけ楽しんでいるか。だから明日は……」
私は厨房のフルーツバスケットを見た。
色とりどりの果物たち。
明日は、これを使って最高に華やかで見るだけで笑顔になれるメニューを作ろう。
「明日は、貴族の奥様方も垂涎の『キラキラ・スイーツ』で、店をもっと繁盛させちゃいます!」
私の宣言にジーク様は頼もしそうに口角を上げた。
「いい度胸だ。……楽しみにしている」
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