灰の傭兵と光の園~人型巨大兵器が灰の戦場を駆ける。守ったのは誰だ。生き残ったのは誰だ。

青羽イオ

文字の大きさ
3 / 11
第一章 白帯を歩く子どもたち

第1話 白帯、歩き出す

しおりを挟む
 まだ外は青黒いままで、廊下の常夜灯だけがぼんやり光っている時間だった。
 いつもなら、あと1時間は静かなはずの《光の園》に――天井のスピーカーから、少しかすれた女の声が流れた。

『白い避難路(白帯)を通って、後方ハブ(集結地点)へ避難してください。繰り返します――』

 白帯。ハブ。
 聞き慣れない単語が続いた瞬間、心臓の動きが一瞬だけ変わった。

 天井の蛍光灯が、ぱち、と短く明滅する。
 それだけで、さっきまで静かだった建物の空気がざわつきだす。遠くの廊下で誰かが椅子を引く音、職員室の戸が開く音。日常の音なのに、全部が少し違って聞こえた。

 サキは、指先にじわりと力が入るのを自覚する。

(……来た)

 訓練で何度も聞かされた「その時」が、本当に目の前まで来てしまった。

 そう心の中で言い切ってから、サキは椅子を押しやり、立ち上がった。
 事務室のドアを開け放ち、廊下へ出る。スリッパの音が走っていく。

 子ども部屋の前で一度だけ足を止める。
 慌てた顔は見せたくない。息を1つ整えてから、ドアノブを回した。

「みんな、起きて。避難するよ」

 声をかけた途端、布団の中の気配がいくつも動いた。
 毛布から顔だけ出してこちらを見る子。布団を頭までかぶったまま、もぞもぞと手だけ伸ばしてくる子。まだ目をこすりながら、「えっ」と小さく声を漏らす子。

 眠そうな目が、一つずつサキのほうを向く。
 10人分の視線が集まってくるのを感じて、背筋が自然と伸びた。

「白帯を歩いて、ハブってところまで行くの。昨日も練習したよね?」

 できるだけ、いつもの“お散歩”の説明と同じ調子で言う。
 怖い言葉を混ぜないように、頭の中で言い回しを一度選び直す。

 部屋の電気をつけると、白い光が一斉に子どもたちの顔を照らした。
 まぶしそうにしかめた小さな背中を、サキは順番に撫でていく。大丈夫だよ、起きて、行くよ――そう声をかけながら。

「難しい話はいいから。先生の言うとおりに歩けばいいよ」

 自分に向けて言い聞かせているみたいだな、と少しだけ苦笑する。
 でも今は、それくらいがちょうどいい。

 ――白帯を歩けば助かる。

 子どもたちにも、自分にも、同じ言葉を心の中で繰り返す。
 先のことは分からない。それでも、今この瞬間に必要なのはただ一つ。

 この子たちに、「大丈夫」と言える大人でいること。
 サキはそう決めて、布団から起き上がろうとしている小さな手を、順番に引き上げていった。

 *

 玄関ロビーには、非常用バッグが山みたいに積まれている。
 別の職員たちは、すでに低学年グループや乳児たちをそれぞれの班にまとめていた。

 サキは、自分の持ち場である10人分のバッグだけを確認する。
 その中からひとつを肩にかけ、カルテの束を脇に抱えた。指先に汗がにじんで紙が滑りそうになり、慌てて握り直す。

「名札、見せて。順番に並んで」

 玄関先に10人を並ばせ、名札を指で追いながら1人ずつ数えていく。
 1人読むたびに、頭の中で小さく「いる」と刻んでいった。

「よし。全員いるね。行くよ」

 制服の袖を、小さな指先がつまむように触れてくる。
 その手を、サキは1つずつ確かめるみたいに握り返した。

 自動ドアが開き、冷たい風といっしょに灰の匂いが入り込んでくる。

 建物の前の道路には、白い帯がまっすぐ引かれていた。
 緊急時だけ使われる避難路――白帯だ。

 両側では、警備隊《ラインガード》の隊員たちが杭灯を打ち込み、点滅を確かめているところだった。
 白い灯りが進行方向を示し、その上を避難民の列がゆっくりと伸びていく。

 盾を構えた隊員が、半歩だけ白帯の外に出る。
 そこが、「ここから先は守る」と決めた場所なんだとサキは思った。

 サキは白帯の手前で一度立ち止まり、子どもたちを振り返る。

「ここからは列ね。先生の後ろ、2人1組で」

 先頭にリノ、その手をミナが握る。
 その後ろにタクトとミユが続き、ほかの子も順番に列へ入っていった。

「白帯では、子どもは真ん中。大人は外側。走らないで、手を離さない」

 言い聞かせながら、サキは白い線の上へ一歩を踏み出す。

 *

 足もとで、細い光が規則正しく点いては消える。
 そのたびに靴の先をかすめるように、白い揺れが走った。

 サキはそのリズムを見下ろしながら、息をひとつ飲む。

(この10人を、なんとしてもハブまで連れて行く。誰も落とさない。手を離さない)

 列の前後に揺れが出ないように、肩がこわばっている子には目を合わせて小さくうなずく。
 足が重そうな子の横へ、自然と歩みを寄せる。

 子どもたちの間を行ったり来たりしているうちに、自分の呼吸も少しずつ落ち着いていくのが分かった。

「先生、白帯って、あったかいの?」

 袖口がくいっと引かれた。幼い声が、マスク越しにこちらをのぞき込んでくる。

「うん。みんなで助け合って進む道だから、あったかいよ」

 マスクごしでも伝わるように口角を上げて、足もとを指さす。

「あの光から外れないで歩こうね」

 灰霧が少しずつ濃くなり、前を行く背中の輪郭がぼやけていく。
 周りでは、荷物を背負った大人や家族が、同じ方向へ黙ったまま歩いていた。

 列の前のほうで、子どもがひとり、足を取られてよろける気配が走る。

「危ない」

 サキは反射的に腕を伸ばし、つないでいた子どもの体をぐっと引き寄せた。
 その勢いで、すぐそばの見知らぬ子どもが、列の外側へ一歩、押し出されるようによろめいてしまう。

 驚いた顔と目が合う。
 泣き出しそうな目。片足だけ、白い線から外にはみ出していた。

(今、自分が押してしまった。10人を守るために、ほかの子を1人、外へ出しかけた)

 その自覚だけで、胸の奥が冷える。

「ごめんね」と言いたいのに、声がうまく出てこない。
 息だけが、形にならないまま漏れる。

 ここで足を止めたら、握っている手がばらばらにほどけてしまう気がした。
 一度外に出た子は、そのまま戻ってこられないような気がして、サキは列の歩みに合わせて足を前へ運び続ける。

(それでも――今は、この10人の手を離さないほうを選ぶしかない)

 握っている手の数を確かめるみたいに指を絡め直し、子どもたちを列の内側へそっと寄せる。
 灰に汚れた顔には疲れがにじんでいるが、誰も大きな声は出さなかった。

 銃声は、まだここまでは届いていない。
 それでも、導く光と人と燃料の匂いに引かれて、灰霧の奥から“何か”が近づいてきている気配だけは、はっきり感じられた。

 *

 やがて、白帯の外側に、大きな影が立ち上がった。

 見慣れたラインガードのRF(人型巨大兵器)とは、どこか輪郭の感じがちがう。
 角ばった肩の形。背に抱えた武装。灰で汚れてもはっきり残っている濃いマーキング。

 ひと目で、ラインガードとは別の隊の機体なんだと分かった。

「先生、あれ……ほかのロボットとちがうよ?」

 袖口をつまむ小さな手に、さっきより強く力がこもった。

 サキは、自分がまだ子どもだった頃のことをふっと思い出す。

 避難の列の中で立ちすくんで、泣き声も出ないまま動けなくなっていたとき。
 白帯の外側にいた誰かの手が、ぐっと腕をつかんで内側へ押し戻してくれた。

 よろけた肘の痛みよりも、その瞬間に「中にいろ」と言われた気がして、少しだけ落ち着いたのを覚えている。

 あのときも、白帯をかばうみたいに、巨大なRFが何度も前へ出て道を切り開いてくれていた。
 すぐ外で、灰を蹴り上げながら前に出て、黒い波を押し返して、進む場所を残してくれた。

 誰の顔も覚えていないのに、「進んでいい」「ここを歩いていい」と言われたあの感じだけは、今でも消えずに残っている。

「大丈夫。あれも、みんなを守るロボットだよ」

 そう口にしたとたん、さっきまで遠い出来事みたいに思い出していた光景が、急に今と地続きになる。
 腕をつかまれたときの強さと、白帯の内側に押し戻された心細さが、ごちゃまぜになる。

「今日はね、外で戦う人たちが助けに来てくれてるの」

 目の前の子どもを安心させるために言った言葉なのに、白帯の外に立つ影を見上げる自分の視線には、少しだけ憧れが混じっている――と、サキはそこでようやく気づく。
 あのとき、道を開き続けてくれた誰かと、同じ場所に今も誰かが立ってくれている。

 風がふとやみ、白帯の上の空気がぴんと張りつめた。

 白帯の外側で、前衛のRFがゆっくりと起動する。
 巨体の関節が動き出すわずかな震えが、地面越しに足元へ伝わってきた。

 それを感じながら、サキは小さく息をのみ、隣の子どもの肩をそっと抱き寄せた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...