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第二章 守る者たち
第4話 避難艦、今夜だけ町
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3機は白帯の縁を回り込み、それぞれの持ち場へ戻っていく。
さっきまでそこにいた重さの名残と、赤く光るシールドの破片、排熱で揺れる空気だけが、白い道の輪郭をかろうじて見せていた。
導光はまだ途切れていない。それだけを、心の中でもう一度たしかめる。
サキは、どれくらい歩いたのか分からなくなっていた。
もう一時間は歩き続けている気がする。
足音はだんだん重くなって、列の間隔がじりじりと伸びていった。
一番年下のミユが、かかとをかばうようにして歩幅を小さくする。
すぐ後ろのタクトも、無言のままふくらはぎをさすっていた。靴の底がすり減った子もいて、足を前に出すたびに 路面をこする音 が混じる。
「もう少しだけ。……ね? ほら、あそこまで行ったら一回休めるって、さっき言われたでしょ」
そう言いながらも、サキ自身にも確かな見当はなかった。
地図もなく、時間の感覚も曖昧で、「あそこ」が本当に近いのかどうかも分からない。
それでも、立ち止まると言ってしまったら、その場で座り込んでしまいそうで、足は止めなかった。
前の子の足が何度もつまずきかけ、そのたびにサキは背中へそっと手をあてる。
止めてしまいたい気持ちと、「ここで止まったら、もっと動けなくなる」という怖さがせめぎ合う。
それでも「止まろう」とは言えず、子どもの背を前へ出し続けた。
ほどなく灰の向こうに、かすかな灯りがいくつか揺れているのが見えた。
しばらく進むと、風に乗ってスープとパンの焼けた匂いが届き、乾いた喉がいっそう気になってくる。
白帯が少し広くなった場所に、炊き出し用のテントがいくつも張られていた。
通路脇の兵士が手を上げて合図し、「休憩所だ。うちと町の連中で回してる。ここで一度、食べて休んでいけ」と短く告げる。
声は素っ気なかったが、その一言を聞いてサキはほっとした。
配食係の若者が、紙の器をてきぱきと並べながら、声を張り上げた。
「みんな、しっかり食べていけよ! ――おっと、子どもが先だ。ほら、持ってけ!」
子どもたちはおそるおそる、それでもうれしそうにパンとスープを受け取っていく。
熱さに指先をびくりと震わせるが、両手でしっかり椀を抱え込んでいた。
スープの匂いに、目を丸くしている子もいる。
ちゃんと食べているか、こぼしていないか、一人ひとりの顔色を確かめながら、さっきまで張り詰めていた肩の力が、ほんの少しだけ抜けていく。
けれど、列の先に立つ杭灯は、まだ、指で数えきれないくらい先まで続いている。
次の休憩所までは、ここからもう一度、同じくらい歩くのかもしれない――そう思うと、気持ちがまた重くなる。
「こっち、通路の端まで寄ろうか」
サキは声をかけ、すぐそばの空きスペースへ子どもたちを移動させる。
通路の端に寄せて、一人ずつ座らせながら、ひざに掛け直す毛布の位置を整えた。
「熱いから気をつけてね。こぼさないように、ゆっくり食べようね」
紙椀を渡すたび、スープの湯気が子どもたちの顔にかかる。
「いただきます」がばらばらに重なって、小さなスプーンの音があちこちで鳴り始めた。
自分の分の紙椀を、そっと両手で持ち上げる。
手のひらにじわじわと熱がしみてきて、そこでようやく、自分もちゃんとお腹が空いていたんだと気づく。
「……いただきます」
小さくつぶやいて、スープを一口、口に運んだ。
塩気と温かさが広がっていくのを感じながら、サキはもう一度だけ子どもたちの方を見回した。
*
同じころ、陸上戦艦グレイランスのブリッジでは、監視パネルの隅に赤い警告灯が、一定の間隔で点いたり消えたりをくり返していた。
薄暗いブリッジの中で、その小さな赤だけが妙に目につく。
ジル・ハートマンは端末に肘をついたまま、その光をにらみつけた。
「……出たか」
別モニタに切り替えると、白帯沿いの監視カメラ映像が映し出される。
ハブ手前には、灰にまみれた避難民がぎっしりと列を作っていた。荷物を抱えた大人の肩と肩の隙間に、背の低い子どもたちの頭がのぞく。
本来なら、この時間帯の白帯は、トラックや企業の列車が順番にやって来て、列を少しずつ先へ運んでいるはずだった。
だが今は、どちらの姿もない。白い道だけが、列の下でだらだらと光っている。
〈ブリッジ〉「こちらグレイランス通信長、ジル・ハートマン。ハブ前面で列の滞留を確認。輸送便はまだか?」
少し間を置いて、通信回線から硬い声が返ってくる。
事務的で、どこにも感情の乗っていない声だった。
〈FDC(前線防衛委員会)〉『効率化のため、明朝にまとめて運行します』
「効率ね……」
(都合のいいセリフだな。運ぶときもまとめて、死なせるときもまとめてか)
喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、ジルは息をひとつ吐いた。
ため息なのか、呼吸を整えただけなのか、自分でもよく分からない。
〈ブリッジ〉「このままだと白帯が詰まる。そっちで――」
〈FDC〉『そちらに一時収容をお願いしたい、との要請が出ています』
予想どおりの答えだ。
ああ、やっぱりこっちに投げてきた、とジルは心の中でだけ舌打ちする。
〈ブリッジ〉「了解。今夜だけ受ける。ベッドとスープは全部そっちに請求する」
(弾薬は、さっきどうにか目途がついたところなのに。今度はベッドとスープか)
補給報告の数字なら、多少のごまかしはいくらでもきく。
書類の上では「足りていること」にだってできる。
けれど、モニタの中の列の長さだけはごまかせない。
受け入れを減らしたところで、この人数が勝手に消えてくれるわけじゃない。
やるかやらないかで言えば、やるしかない。
ジルは避難民受け入れ手順のファイルを呼び出し、優先順位の欄に目を走らせた。
「子ども連れ、病人、高齢者……。順番は変えられないな」
ハブ前の映像をもう一度拡大する。
同じ制服と名札をつけた子どもたちを真ん中に抱え込む集団がひとつ、目に留まった。
その前で、若い女が何度も振り返りながら子どもたちを数えている。
(孤児院か……。まとまった人数だな)
ジルはその列の位置に印をつけ、近くの通信士に声をかけた。
「ハブ前の誘導に連絡。今入ってきた孤児院の一団、優先でうちの収容区画に回して。子ども10人と引率1人まで、簡易ベッドを確保する」
「了解。伝えます」
決めた以上、あとは流れを作るだけだ。
ジルは次の通信ボタンに指を伸ばす。
「医療班に通達。今から子どもが10人乗ってくる。高熱の子が混じってるかもしれない。診察の準備を」
収容一覧の更新を横目で眺めながら、医療区画のカメラ映像を呼び出す。
側面ハッチ前のモニタには、ラインガードと艦のクルーが避難民を左右に振り分ける様子が映っていた。
「子ども連れは左! 大人だけは右の列だ!」
声が飛ぶたび、人の流れが少しずつ整理されていく。
その中に、さっき印をつけた孤児院の一団が見えた。
同じ制服の子どもが10人。その前に、さっきの若い女が一人。
『光の園。職員1人と、子ども10人です』
マイク越しに、女の声が聞こえる。疲れているはずなのに、言葉をはっきり区切ろうとしている声だった。
『子ども10人分の簡易ベッドは確保済み。それ以外は床になる』
『床でかまいません。子どもたちが横になれるなら』
ジルはそのやりとりを聞きながら、生活区のベッド残数をもう一度確認する。
数字の列は、さっきよりさらに窮屈になっていた。
(……言い方を変えさせる手もあったが、まあいいか。あの口調なら、自分の分は最初から諦めてるな)
カメラは医療区画近くの一室に切り替わる。
天井の低い部屋に、簡易ベッドがぎっしりと並べられていた。
「ここが今夜の区画です。光の園の子どもたちは、こちらの10床を」
クルーの説明に合わせて、子どもたちが順番にベッドに腰を下ろしていく。
女は一人ひとりの顔をのぞき込み、短く何か声をかけていた。聞き取れないが、子どもの表情が少しずつゆるむ。
「体温だけ測りますね」
看護師が子どもの額に体温計を当てていく。
モニタの隅に、平熱より少し高い数字が順番に表示される。
最後の一人だけ、表示がゆっくり上がった。
「……38.7」
看護師の表情が引き締まる。マイク越しに、落ち着いた声が聞こえた。
「この子は医務室で一晩見ます。呼吸も荒いですね」
『付き添いは――』
「1人まででお願いします。スペースの都合もありますから」
女は一瞬だけほかの子どもたちを見回し、それからうなずいた。
『分かりました。私が付き添います』
子どもたちの口が一斉に動く。「先生」と呼ぶ声が、マイクにかすかに拾われた。
『大丈夫。みんなはここにいて。ちゃんと、この人たちが見てくれるから』
モニタの中で、子どもたちは不安そうな顔のまま、それでも小さくうなずいて見せた。
*
少し間をおいてジルが医務室のカメラに切り替えると、小さなベッドに少年が横たわり、そのそばの椅子には女が静かに座っていた。
女は少年の手を握り、自分の胸の前で軽く上下させている。
呼吸のリズムを合わせてやっているのだろう、少年の肩がそれに合わせて静かに動いていた。
(付き添い1。子ども10。孤児院光の園。……明日まで、なんとかもってくれよ)
ジルは収容状況の一覧を開き、並んだ数字をもう一度追った。
医療区画、生活区、予備スペース。いくつもの欄が、今夜の数字で埋まっていく。
今夜のグレイランスは、それだけで小さな町ひとつ分になっていた。
「ジル、VOLK-2の補給、ひとまず完了した」
背後から声がかかる。ジルは端末から目を離さずに応じた。
「了解。ヒロたちはいつ戻る?」
「現在、別任務で出撃中です。本日夜に帰艦予定です」
「じゃあ帰ってきたら、生活区のベッドは子ども優先って伝えといて。大人は今夜、廊下で我慢」
「了解。どうせ文句言いながら床で寝ますよ、あの人たち」
苦笑まじりの返答に、ジルも小さく息を漏らした。
冗談半分でもそう言えるだけ、まだ余裕は残っている。
モニタの隅には、医務室のカメラ映像。
白いシーツのベッドにマスクをつけた小さな男の子と、その横で椅子に座る若い女の姿が映っている。
名前も所属も一覧の文字でしかないが、白帯の上で子どもたちを数えていた姿は、まだ目に残っていた。
(明日、ちゃんと輸送便が来ればいいけどな)
ジルは白帯の監視画面に目を戻す。
疲れた列がゆっくりと進み、ハブ手前の膨らみはまだ残っているが、ぎりぎり通り道は保たれている。
白い道は途切れていない。
今夜ぶんのベッドとスープも、今のところは足りている。
「……明日は知らんがな」
小さな独り言が、ブリッジの隅でこぼれた。
ジルは椅子に深く座り直し、ため息を飲み込むようにして、次の通信ログへと目を移した。
さっきまでそこにいた重さの名残と、赤く光るシールドの破片、排熱で揺れる空気だけが、白い道の輪郭をかろうじて見せていた。
導光はまだ途切れていない。それだけを、心の中でもう一度たしかめる。
サキは、どれくらい歩いたのか分からなくなっていた。
もう一時間は歩き続けている気がする。
足音はだんだん重くなって、列の間隔がじりじりと伸びていった。
一番年下のミユが、かかとをかばうようにして歩幅を小さくする。
すぐ後ろのタクトも、無言のままふくらはぎをさすっていた。靴の底がすり減った子もいて、足を前に出すたびに 路面をこする音 が混じる。
「もう少しだけ。……ね? ほら、あそこまで行ったら一回休めるって、さっき言われたでしょ」
そう言いながらも、サキ自身にも確かな見当はなかった。
地図もなく、時間の感覚も曖昧で、「あそこ」が本当に近いのかどうかも分からない。
それでも、立ち止まると言ってしまったら、その場で座り込んでしまいそうで、足は止めなかった。
前の子の足が何度もつまずきかけ、そのたびにサキは背中へそっと手をあてる。
止めてしまいたい気持ちと、「ここで止まったら、もっと動けなくなる」という怖さがせめぎ合う。
それでも「止まろう」とは言えず、子どもの背を前へ出し続けた。
ほどなく灰の向こうに、かすかな灯りがいくつか揺れているのが見えた。
しばらく進むと、風に乗ってスープとパンの焼けた匂いが届き、乾いた喉がいっそう気になってくる。
白帯が少し広くなった場所に、炊き出し用のテントがいくつも張られていた。
通路脇の兵士が手を上げて合図し、「休憩所だ。うちと町の連中で回してる。ここで一度、食べて休んでいけ」と短く告げる。
声は素っ気なかったが、その一言を聞いてサキはほっとした。
配食係の若者が、紙の器をてきぱきと並べながら、声を張り上げた。
「みんな、しっかり食べていけよ! ――おっと、子どもが先だ。ほら、持ってけ!」
子どもたちはおそるおそる、それでもうれしそうにパンとスープを受け取っていく。
熱さに指先をびくりと震わせるが、両手でしっかり椀を抱え込んでいた。
スープの匂いに、目を丸くしている子もいる。
ちゃんと食べているか、こぼしていないか、一人ひとりの顔色を確かめながら、さっきまで張り詰めていた肩の力が、ほんの少しだけ抜けていく。
けれど、列の先に立つ杭灯は、まだ、指で数えきれないくらい先まで続いている。
次の休憩所までは、ここからもう一度、同じくらい歩くのかもしれない――そう思うと、気持ちがまた重くなる。
「こっち、通路の端まで寄ろうか」
サキは声をかけ、すぐそばの空きスペースへ子どもたちを移動させる。
通路の端に寄せて、一人ずつ座らせながら、ひざに掛け直す毛布の位置を整えた。
「熱いから気をつけてね。こぼさないように、ゆっくり食べようね」
紙椀を渡すたび、スープの湯気が子どもたちの顔にかかる。
「いただきます」がばらばらに重なって、小さなスプーンの音があちこちで鳴り始めた。
自分の分の紙椀を、そっと両手で持ち上げる。
手のひらにじわじわと熱がしみてきて、そこでようやく、自分もちゃんとお腹が空いていたんだと気づく。
「……いただきます」
小さくつぶやいて、スープを一口、口に運んだ。
塩気と温かさが広がっていくのを感じながら、サキはもう一度だけ子どもたちの方を見回した。
*
同じころ、陸上戦艦グレイランスのブリッジでは、監視パネルの隅に赤い警告灯が、一定の間隔で点いたり消えたりをくり返していた。
薄暗いブリッジの中で、その小さな赤だけが妙に目につく。
ジル・ハートマンは端末に肘をついたまま、その光をにらみつけた。
「……出たか」
別モニタに切り替えると、白帯沿いの監視カメラ映像が映し出される。
ハブ手前には、灰にまみれた避難民がぎっしりと列を作っていた。荷物を抱えた大人の肩と肩の隙間に、背の低い子どもたちの頭がのぞく。
本来なら、この時間帯の白帯は、トラックや企業の列車が順番にやって来て、列を少しずつ先へ運んでいるはずだった。
だが今は、どちらの姿もない。白い道だけが、列の下でだらだらと光っている。
〈ブリッジ〉「こちらグレイランス通信長、ジル・ハートマン。ハブ前面で列の滞留を確認。輸送便はまだか?」
少し間を置いて、通信回線から硬い声が返ってくる。
事務的で、どこにも感情の乗っていない声だった。
〈FDC(前線防衛委員会)〉『効率化のため、明朝にまとめて運行します』
「効率ね……」
(都合のいいセリフだな。運ぶときもまとめて、死なせるときもまとめてか)
喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、ジルは息をひとつ吐いた。
ため息なのか、呼吸を整えただけなのか、自分でもよく分からない。
〈ブリッジ〉「このままだと白帯が詰まる。そっちで――」
〈FDC〉『そちらに一時収容をお願いしたい、との要請が出ています』
予想どおりの答えだ。
ああ、やっぱりこっちに投げてきた、とジルは心の中でだけ舌打ちする。
〈ブリッジ〉「了解。今夜だけ受ける。ベッドとスープは全部そっちに請求する」
(弾薬は、さっきどうにか目途がついたところなのに。今度はベッドとスープか)
補給報告の数字なら、多少のごまかしはいくらでもきく。
書類の上では「足りていること」にだってできる。
けれど、モニタの中の列の長さだけはごまかせない。
受け入れを減らしたところで、この人数が勝手に消えてくれるわけじゃない。
やるかやらないかで言えば、やるしかない。
ジルは避難民受け入れ手順のファイルを呼び出し、優先順位の欄に目を走らせた。
「子ども連れ、病人、高齢者……。順番は変えられないな」
ハブ前の映像をもう一度拡大する。
同じ制服と名札をつけた子どもたちを真ん中に抱え込む集団がひとつ、目に留まった。
その前で、若い女が何度も振り返りながら子どもたちを数えている。
(孤児院か……。まとまった人数だな)
ジルはその列の位置に印をつけ、近くの通信士に声をかけた。
「ハブ前の誘導に連絡。今入ってきた孤児院の一団、優先でうちの収容区画に回して。子ども10人と引率1人まで、簡易ベッドを確保する」
「了解。伝えます」
決めた以上、あとは流れを作るだけだ。
ジルは次の通信ボタンに指を伸ばす。
「医療班に通達。今から子どもが10人乗ってくる。高熱の子が混じってるかもしれない。診察の準備を」
収容一覧の更新を横目で眺めながら、医療区画のカメラ映像を呼び出す。
側面ハッチ前のモニタには、ラインガードと艦のクルーが避難民を左右に振り分ける様子が映っていた。
「子ども連れは左! 大人だけは右の列だ!」
声が飛ぶたび、人の流れが少しずつ整理されていく。
その中に、さっき印をつけた孤児院の一団が見えた。
同じ制服の子どもが10人。その前に、さっきの若い女が一人。
『光の園。職員1人と、子ども10人です』
マイク越しに、女の声が聞こえる。疲れているはずなのに、言葉をはっきり区切ろうとしている声だった。
『子ども10人分の簡易ベッドは確保済み。それ以外は床になる』
『床でかまいません。子どもたちが横になれるなら』
ジルはそのやりとりを聞きながら、生活区のベッド残数をもう一度確認する。
数字の列は、さっきよりさらに窮屈になっていた。
(……言い方を変えさせる手もあったが、まあいいか。あの口調なら、自分の分は最初から諦めてるな)
カメラは医療区画近くの一室に切り替わる。
天井の低い部屋に、簡易ベッドがぎっしりと並べられていた。
「ここが今夜の区画です。光の園の子どもたちは、こちらの10床を」
クルーの説明に合わせて、子どもたちが順番にベッドに腰を下ろしていく。
女は一人ひとりの顔をのぞき込み、短く何か声をかけていた。聞き取れないが、子どもの表情が少しずつゆるむ。
「体温だけ測りますね」
看護師が子どもの額に体温計を当てていく。
モニタの隅に、平熱より少し高い数字が順番に表示される。
最後の一人だけ、表示がゆっくり上がった。
「……38.7」
看護師の表情が引き締まる。マイク越しに、落ち着いた声が聞こえた。
「この子は医務室で一晩見ます。呼吸も荒いですね」
『付き添いは――』
「1人まででお願いします。スペースの都合もありますから」
女は一瞬だけほかの子どもたちを見回し、それからうなずいた。
『分かりました。私が付き添います』
子どもたちの口が一斉に動く。「先生」と呼ぶ声が、マイクにかすかに拾われた。
『大丈夫。みんなはここにいて。ちゃんと、この人たちが見てくれるから』
モニタの中で、子どもたちは不安そうな顔のまま、それでも小さくうなずいて見せた。
*
少し間をおいてジルが医務室のカメラに切り替えると、小さなベッドに少年が横たわり、そのそばの椅子には女が静かに座っていた。
女は少年の手を握り、自分の胸の前で軽く上下させている。
呼吸のリズムを合わせてやっているのだろう、少年の肩がそれに合わせて静かに動いていた。
(付き添い1。子ども10。孤児院光の園。……明日まで、なんとかもってくれよ)
ジルは収容状況の一覧を開き、並んだ数字をもう一度追った。
医療区画、生活区、予備スペース。いくつもの欄が、今夜の数字で埋まっていく。
今夜のグレイランスは、それだけで小さな町ひとつ分になっていた。
「ジル、VOLK-2の補給、ひとまず完了した」
背後から声がかかる。ジルは端末から目を離さずに応じた。
「了解。ヒロたちはいつ戻る?」
「現在、別任務で出撃中です。本日夜に帰艦予定です」
「じゃあ帰ってきたら、生活区のベッドは子ども優先って伝えといて。大人は今夜、廊下で我慢」
「了解。どうせ文句言いながら床で寝ますよ、あの人たち」
苦笑まじりの返答に、ジルも小さく息を漏らした。
冗談半分でもそう言えるだけ、まだ余裕は残っている。
モニタの隅には、医務室のカメラ映像。
白いシーツのベッドにマスクをつけた小さな男の子と、その横で椅子に座る若い女の姿が映っている。
名前も所属も一覧の文字でしかないが、白帯の上で子どもたちを数えていた姿は、まだ目に残っていた。
(明日、ちゃんと輸送便が来ればいいけどな)
ジルは白帯の監視画面に目を戻す。
疲れた列がゆっくりと進み、ハブ手前の膨らみはまだ残っているが、ぎりぎり通り道は保たれている。
白い道は途切れていない。
今夜ぶんのベッドとスープも、今のところは足りている。
「……明日は知らんがな」
小さな独り言が、ブリッジの隅でこぼれた。
ジルは椅子に深く座り直し、ため息を飲み込むようにして、次の通信ログへと目を移した。
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