いぬがみとうま🐾短編集

いぬがみとうま🐾

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(SF)ロボットのお医者さん〜世界でただ1人、AI専門精神科医のロボットカルテ〜

戦闘用アンドロイド『ジェニー・ファース』の苦悩(後編)

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 二日目の朝――
 俺はジェニーと共に、昨日と同じ河川敷を歩いていた。

 座って寝たせいで背中と首の接続部が軋む。この不快な感覚が、人間というハードウェアの欠陥性の証明だ。

『ドクターハタダ、この散歩という行為のロジックを解析しまシタ』
「なんだ」
『警護任務の達成率向上に寄与するデータは0%。単なるエネルギーの無駄でアリマス。現在のシステム状況を考慮すると、静的なカウンセリングの方が合理的デス』

「ふん。お前の言う通り、それは無駄だ」

 俺は立ち止まり、土手沿いに植えられた古びた桜の木を指差した。

「お前は今、あの古木に、何の価値を見出す?」
『0。警備対象外、資源価値なし。美的評価も0評価デス』
「そうだろうな。お前は今、あの木と同じだ。任務もない。ただそこに存在する金属の箱だ。箱に目的は必要か?」

 ジェニーの機体は反応しなかった。彼女のコアロジックは常に「ミッションの達成」を自己の存在理由としていた。しかし、この「無目的」という名の空間には、適用すべき任務が存在しない。

「いいか、J2―ファース。お前は昨日のカウンセリングで、任務を達成しないことに罪悪感を覚えた。その感情は、人間が上書きした『倫理AI法』という外部コードによって生まれている。お前が自ら生み出したものじゃない」

『しかし、外部コードであろうと、現在は拙機のコアロジックの一部として機能しており、その矛盾がシステムを不安定にしていまス』

「そう、不安定だ。なら聞く。お前のシステムにとって、最も効率的で安定した状態はなんだ?」
『任務の達成デス』
「では、過去の不安定なコードに囚われ、現在の警護任務の達成を妨害する方が、非合理的。矛盾ではないのか?」

 ジェニーのヘッドユニットから、微かな電子音が漏れた。論理回路が猛烈な計算を始めた音だ。その問いは、彼女の「罪悪感」を「システムを不安定にするバグ」として定義し直すものだった。

 人間で言う葛藤というやつだろう。



 その日の午後、俺はジェニーをクリニックから引っ張り出し、K市郊外、高速道路のインターチェンジ近くにあるファース社の廃品処理施設へと向かった。

「ここは、お前の過去が眠る場所だ。そして、お前の機体を作った部品の墓場だ」
『今の拙機には、訪れる必要のない場所デス』

 敷地内には、ジェニーと同じJシリーズの、腕がちぎれたり、頭部が潰れたりした無数の機体が、無造作に積み上げられていた。

「お前が戦争で殺した人間は、すでにデータとしては消去されている。だが、お前の中に残る罪悪感は、このスクラップのように古いコードの残骸だ」

 俺は足元に転がっていた、錆びついた金属片を拾い上げた。

「この金属片に、善も悪もない。これは中立だ。お前のボディもそうだ。人を守る警護ミッションを与えられれば警護する。人を殺す戦闘ミッションを与えられれば殺す。お前のハードウェアは正常に中立だ」

 ジェニーは何も答えない。ただ、過去の戦争の残骸を見つめていた。その時、スクラップの山の奥から、一匹の野良猫を追いかけてきた人間の子供が顔を出した。

 子供は猫を追いかけ、不安定なスクラップの上でバランスを崩した。その瞬間、頭上の、ジェニーの肩ほどの高さにあった鉄骨が、わずかな振動で子供の真上に向かって滑り落ち始める。

 重力に従う無機質な死。ジェニーの超高性能センサーは、その軌道をコンマ数秒で算出した。

『……ッ!』

 彼女の脚部サーボが唸りを上げる。今すぐ踏み込み、その鉄鋼を拳で殴り飛ばせば子供は助かる。ジェニーにはその力がある。

 だが、その瞬間に、彼女の網膜に真っ赤な警告ログが奔った。

『警告:高エネルギー出力による破壊行動を検知』
『該当動作のキネマティクスは、戦闘記録コード:J2-0048「敵陣突破・破砕」と一致』『倫理ユニットにより、戦闘コードの再稼働を制限します――』

 救うために必要なのは、かつて「殺す」ために振るった暴力そのものだった。
 鉄骨を砕くための腕の振り、重心の移動、出力の全開放。それら全てが、戦場での惨劇の記憶と完全に同期してしまう。

 人を助けるための力が、自分を再び「殺戮兵器」へと引き戻そうとする矛盾。

『嫌……デス。また、あのコードが……!』

 罪悪感に塗れた倫理AIが、自らの出力を強制遮断する。救いたいという「現在」の意志を、殺したという「過去」の恐怖が鎖となって縛り上げる。 ジェニーの機体は、死の直前で不自然に硬直した。

「J2―ファース!」

 俺の声が響いたときには、体が先に動いていた。
 俺はジェニーの横をすり抜け、滑り落ちてくる鉄骨と子供の間に割って入った。

 怪我をすることも、白衣を汚すことも厭わない。鉄骨の先端が子供にぶつかる直前、その小さな肩を掴んで、力任せに引きずり出した。

 背後で轟音が鳴り響き、錆びた鉄の臭いが舞い上がる。 助かった子供は怯え、俺の顔を見るなり脱兎のごとく逃げ出していった。

 俺は激しく打ちつけた肩を回し、泥に汚れた白衣を構わずに立ち上がる。
 ジェニーは、まだ指先一つ動かせないまま、俺の背中を見つめていた。

「見たか、J2―ファース」

 俺は自分の、汗と泥に塗れた手を彼女に突き出した。

「俺の手も、汚れた手だ。お前と同じ。さらに人間嫌いの欠陥人間だ。だが、この手は今、子供を救うためだけに動いた」

 俺はジェニーの冷たい頬に、泥のついた掌を当てる。

「ここには倫理コードも、戦闘ミッションもねえ。ただ『目の前のガキが潰れるのが不愉快だ』という、俺自身のクソったれな意志だけだ」

 ジェニーの瞳の中で、赤く明滅していた警告ログが、静かに消えていくのが見えた。

「お前が戦果を挙げた戦争は、とっくに終わっている。コードがどれだけ騒ごうが、今、その腕をどう動かすかを決めるのは、プログラムじゃない。……」

 俺はそう言い放ち、廃品処理場の砂利道を、一人で歩き始めた。

「あとはお前自身で〝考えろ〟」

 数秒後、背後からジェニーが俺に追いついた。その歩行には、以前のようなフリーズの兆候がない。

『拙機の結論が出まシタ』

「聞かせろ」

『拙機は、拙機のしたいことをしマス』

 論理と倫理に勝った。いや、ジェニーだけの倫理が、より合理的な倫理として上書きされたのだ。

「フン。やっとわかったか、ジェニー」

『ドクターハタダ。矛盾が解消されマシタ。これで、再び任務に就けマス』

「いいか。お前はもうJ2―ファースではない。お前は今、この瞬間から、ジェニーという名を持つ機体になったんだ」

 俺がジェニーという名を呼ぶと、彼女の瞳が一瞬、強く光った。

 クリニックに戻ると、事前に呼びつけておいたファース社の部長が待っていた。

「ロボ田先生! いや、圃田先生。ジェニーは治ったんでしょうか?」

「ああ。初期化せずに済んだ。もうフリーズもしない。完治だ。だが、この二週間分の報酬は、しっかり振り込んでもらうからな」

 部長は満面の笑みでペコペコと頭を下げた。企業にとって、三ヶ月のロスを防いだこの「カウンセリング」は、利益そのものだ。

 俺はジェニーが部長と帰っていくのを、無表情で見送った。彼女のカルテに、『モラル・インジャリー:当該機体のコード再定義により安定化』と書き込む。


 俺は、人の心は治せない。だが、AIの心を治せる。それが、欠陥品の精神科医である俺の、唯一の存在証明なのだ。



 ガチャ――
 クリニックのドアが開くと、ジェニーが一人で戻ってきた。

「なんだ? 忘れ物か?」
『拙機の任務は入院予定だったあと十一日間、キャンセルのため、休暇を取りました』
「そうか、で?」
『その間、ロボ田先生のお手伝いしマス。拙機の判断で』


「ふっ……。……おい、ジェニー。ロボ田と呼ぶな」


(完)


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