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(異ファ/戦記)蒼墨のロジスティシャン 〜事務屋の勝利確定計算〜
第2話:合理的な準備
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帝国軍拠点に隣接する軍需市場は、季節外れの熱気に包まれていた。
出陣を目前に控えた兵士たちの昂揚。彼らを当てにする商人たちの呼び声。それらが混ざり合い、冬の冷気を押し返している。
騎士たちは「勝利の加護」を謳う高価なお守りを買い求め、若手将校たちは己の武威を飾るための鮮やかな羽飾りを品定めしていた。
平和。そして、無知。
彼らの多くが、数日後に自分が何を求めて泣き叫ぶことになるのか、想像すらしていない。
「――吹雪を裂くは帝国の剣、飢えを蹴散らすは将軍の誇り!」
広場の中央で、ひときわ高い歓声が上がった。
人だかりの中心には、小柄で桃色の髪を揺らす、愛らしい吟遊詩人の少女がいた。彼女は軽快にリュートを弾き、バルバロス将軍の「冬山越え」を古の英雄譚になぞらえた壮大な賛歌を歌い上げている。
「すごい盛り上がりです……。皆の士気が目に見えて上がっていますね」
同行する少女剣士ティナが、感心したように呟いた。
ロジ・カルクは足を止めず、大きめの銀縁丸メガネを光らせて広場を一瞥した。
「内容は阿呆そのものだ。精神で熱量が補填できるわけがない。……だが、民衆の感情を一定方向に誘導する手法としては、極めて効率がいい」
ロジは懐から青墨の万年筆を取り出し、手帳に短くメモを記した。
「それに、あの吟遊詩人は歌が上手い。発声の安定感、旋律の構成。一級の加護だ。内容に価値はないが、彼女の腕は正当に評価すべきだろうな」
ロジにとって、世界は「数字」と「契約」で構成されている。感情的な熱狂など、計算式の外にあるノイズに過ぎない。
二人は賑わう中央通りを外れ、市場の最果てへと向かった。
そこは、食肉解体所から流れる血の臭いと、古布商が積み上げた埃っぽい山が支配する場所だ。華やかな騎士たちは、汚れることを嫌って決して足を踏み入れない。
ロジは解体屋の裏手に山積みにされた、悪臭を放つ木樽を指差した。
「店主、この脂身をすべて譲ってくれ」
「はあ? あんた、正気か。それは家畜の腐りかけや内蔵の残りカスだ。石鹸の材料にもならねえゴミだぞ」
解体屋の主人が鼻を摘みながら嘲笑した。ロジは動じず、万年筆のキャップを外した。
「ゴミかどうかは俺が決める。一樽につき銅貨三枚だ。この場のすべてを買い取る。……ティナ、積め」
ロジの断定的な口調に、主人は呆れながらも銅貨を受け取った。
次にロジが向かったのは、湿ってカビの生えた麻袋や、穴の開いたボロ布を扱う露店だった。彼はそれらを二束三文で買い叩き、次々と荷馬車へ放り込ませる。
「ロジ様、これでは行軍の邪魔になるだけではありませんか? ただでさえ酒樽で馬車が減らされたのに……」
重い脂身の樽を運びながら、ティナが不安げに尋ねた。無理もない。これから急峻な雪山を越えようという時に、積荷の大半がゴミなのだ。
ロジは万年筆のキャップをカチリと閉め、青いマントを翻して彼女に向き直った。
「三日後、この脂身は金塊より高価になる。そしてこの布切れは、兵士を救う聖遺物へと変わる。……お前は俺の計算に疑義を挟むのか?」
ロジの丸メガネの奥にある瞳は、一点の曇りもなく未来を見据えていた。
ティナは息を呑んだ。かつて、飢えに喘ぐ自分たちを救ったのは、この男が導き出した「一グラム単位の配分」だった。
「……いいえ。ロジ様の計算に、間違いはありません。私はあなたの『計算』に救われたのですから」
ティナは力強く頷き、最後のボロ布を積み込んだ。
出発の鐘が鳴り響く。
拠点正門を、バルバロス将軍の本隊が通り過ぎようとしていた。
豪華な彫刻が施された馬車。その屋根には、ロジの警告を無視して積まれた巨大な酒樽が、誇らしげに鎮座している。
馬車の窓から、バルバロスが顔を出した。彼はロジたちの貧相な荷馬車と、そこに積まれた汚物の山を見て、腹を抱えて爆笑した。
「気でも触れたか? 精鋭騎士団は極上のワインで暖を取るが、貴様は腐った油を啜るつもりか! せいぜいその『ゴミ』と一緒に、雪の中で冷たくなれ!」
「果たして冷たくなるのはどちらでしょうかな? まあ、バルバロス閣下が長年の不摂生で蓄えたその皮下脂肪は役に立つと思われますが」
「貴様……まあよい。貴様の殉死は確定したようなものだ。吠えさせてやろう」
馬車は雪を跳ね上げ、傲慢に去っていく。
ロジは冷めた目で、遠ざかる馬車の轍を見つめていた。車輪が沈む深さ、泥の跳ね方。すべてが、彼が算出した「過負荷」の数値通りだ。
「ロジ様……その二言多い皮肉はおやめください。私がヒヤヒヤしてしまいます」
「ふん、気にするな豚の耳に念仏だ。よし、……確かめ算完了」
ロジは青いマントの襟を立て、銀縁の丸メガネを指先で直した。
市場の喧騒が遠のき、代わって北から吹き付ける死の風が唸り始める。
「さあ、世界から熱が消える時間が来るぞ」
軍列の最後尾、ゴミと嘲笑を積んだ一台の馬車が、静かに地獄へと轍を刻み始めた。
出陣を目前に控えた兵士たちの昂揚。彼らを当てにする商人たちの呼び声。それらが混ざり合い、冬の冷気を押し返している。
騎士たちは「勝利の加護」を謳う高価なお守りを買い求め、若手将校たちは己の武威を飾るための鮮やかな羽飾りを品定めしていた。
平和。そして、無知。
彼らの多くが、数日後に自分が何を求めて泣き叫ぶことになるのか、想像すらしていない。
「――吹雪を裂くは帝国の剣、飢えを蹴散らすは将軍の誇り!」
広場の中央で、ひときわ高い歓声が上がった。
人だかりの中心には、小柄で桃色の髪を揺らす、愛らしい吟遊詩人の少女がいた。彼女は軽快にリュートを弾き、バルバロス将軍の「冬山越え」を古の英雄譚になぞらえた壮大な賛歌を歌い上げている。
「すごい盛り上がりです……。皆の士気が目に見えて上がっていますね」
同行する少女剣士ティナが、感心したように呟いた。
ロジ・カルクは足を止めず、大きめの銀縁丸メガネを光らせて広場を一瞥した。
「内容は阿呆そのものだ。精神で熱量が補填できるわけがない。……だが、民衆の感情を一定方向に誘導する手法としては、極めて効率がいい」
ロジは懐から青墨の万年筆を取り出し、手帳に短くメモを記した。
「それに、あの吟遊詩人は歌が上手い。発声の安定感、旋律の構成。一級の加護だ。内容に価値はないが、彼女の腕は正当に評価すべきだろうな」
ロジにとって、世界は「数字」と「契約」で構成されている。感情的な熱狂など、計算式の外にあるノイズに過ぎない。
二人は賑わう中央通りを外れ、市場の最果てへと向かった。
そこは、食肉解体所から流れる血の臭いと、古布商が積み上げた埃っぽい山が支配する場所だ。華やかな騎士たちは、汚れることを嫌って決して足を踏み入れない。
ロジは解体屋の裏手に山積みにされた、悪臭を放つ木樽を指差した。
「店主、この脂身をすべて譲ってくれ」
「はあ? あんた、正気か。それは家畜の腐りかけや内蔵の残りカスだ。石鹸の材料にもならねえゴミだぞ」
解体屋の主人が鼻を摘みながら嘲笑した。ロジは動じず、万年筆のキャップを外した。
「ゴミかどうかは俺が決める。一樽につき銅貨三枚だ。この場のすべてを買い取る。……ティナ、積め」
ロジの断定的な口調に、主人は呆れながらも銅貨を受け取った。
次にロジが向かったのは、湿ってカビの生えた麻袋や、穴の開いたボロ布を扱う露店だった。彼はそれらを二束三文で買い叩き、次々と荷馬車へ放り込ませる。
「ロジ様、これでは行軍の邪魔になるだけではありませんか? ただでさえ酒樽で馬車が減らされたのに……」
重い脂身の樽を運びながら、ティナが不安げに尋ねた。無理もない。これから急峻な雪山を越えようという時に、積荷の大半がゴミなのだ。
ロジは万年筆のキャップをカチリと閉め、青いマントを翻して彼女に向き直った。
「三日後、この脂身は金塊より高価になる。そしてこの布切れは、兵士を救う聖遺物へと変わる。……お前は俺の計算に疑義を挟むのか?」
ロジの丸メガネの奥にある瞳は、一点の曇りもなく未来を見据えていた。
ティナは息を呑んだ。かつて、飢えに喘ぐ自分たちを救ったのは、この男が導き出した「一グラム単位の配分」だった。
「……いいえ。ロジ様の計算に、間違いはありません。私はあなたの『計算』に救われたのですから」
ティナは力強く頷き、最後のボロ布を積み込んだ。
出発の鐘が鳴り響く。
拠点正門を、バルバロス将軍の本隊が通り過ぎようとしていた。
豪華な彫刻が施された馬車。その屋根には、ロジの警告を無視して積まれた巨大な酒樽が、誇らしげに鎮座している。
馬車の窓から、バルバロスが顔を出した。彼はロジたちの貧相な荷馬車と、そこに積まれた汚物の山を見て、腹を抱えて爆笑した。
「気でも触れたか? 精鋭騎士団は極上のワインで暖を取るが、貴様は腐った油を啜るつもりか! せいぜいその『ゴミ』と一緒に、雪の中で冷たくなれ!」
「果たして冷たくなるのはどちらでしょうかな? まあ、バルバロス閣下が長年の不摂生で蓄えたその皮下脂肪は役に立つと思われますが」
「貴様……まあよい。貴様の殉死は確定したようなものだ。吠えさせてやろう」
馬車は雪を跳ね上げ、傲慢に去っていく。
ロジは冷めた目で、遠ざかる馬車の轍を見つめていた。車輪が沈む深さ、泥の跳ね方。すべてが、彼が算出した「過負荷」の数値通りだ。
「ロジ様……その二言多い皮肉はおやめください。私がヒヤヒヤしてしまいます」
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