幻獣保護センター廃棄処理係の私、ボロ雑巾のような「ゴミ幻獣」をこっそり洗ってモフっていたら、実は世界を喰らう「終焉の獣」だった件について

いぬがみとうま🐾

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地下の掃き溜めと「汚れた毛玉」

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 地下三階の空気は、いつも湿った土と、どこか獣の脂が混じったような重苦しい匂いに満ちている。

 カビの生えたコンクリートの壁を、頼りない裸電球がオレンジ色に照らしていた。私の職場は、ここ「幻獣保護センター」の最下層にある廃棄処理エリア。

 世間では「幻獣を救う聖域」などと謳われているこの施設も、その実態は、美しく価値のある獣だけを選別し、残りを「ゴミ」として処分する冷徹な工場に過ぎない。

「おい、ぐずぐずするな。この役立たずの穀潰しが」

 背後から飛んできたのは、私の名前を呼ぶ声ではなく、石ころを投げるような無機質な罵倒だった。

 振り返ると、そこには脂ぎった顔を歪めた上司のゴンダが立っていた。センター長という肩書きを持ちながら、彼の瞳には命への慈しみなど欠片も宿っていない。あるのは、その幻獣がいくらで売れるかという、下卑た勘定だけだ。

「……申し訳ありません、ゴンダセンター長。すぐに終わらせます」

 私は静かに頭を下げた。
 私は、魔力が極端に低い。この国で幻獣と契約し、その力を引き出すためには高い魔力指数が必須とされる。魔力がない私は、幻獣を操ることも、その意思を読み取ることもできない「欠陥品」として、この地下に追いやられた。
 けれど、私には譲れないものがある。

「ふん。お似合いだな。ゴミがゴミを掃除する姿は」

 ゴンダは鼻で笑い、高級な革靴を鳴らして去っていった。
 彼の去った後、私は手にしたブラシを握り直す。

 確かに私には魔力がない。けれど、この手には長年培ってきた「清掃」と「手入れ」の技術がある。たとえ魔力がなくても、道具を愛し、手順を重んじ、細部まで磨き上げる生活魔法の応用は、誰にも負けない自信があった。

 その時だった。
 廃棄エリアの入り口にある、重い鋼鉄の扉が開いた。
 運び込まれてきたのは、一台の無骨な檻。その中に転がされていたのは、一目見ただけでは生き物かどうかも判別できない「塊」だった。

「……ひどい」

 私は思わず絶句した。

 それは、真っ黒なヘドロと凝固した油にまみれた、巨大なボロ雑巾のようだった。毛並みは汚れで固まり、あちこちに呪術的な封印の術式が焼き付いたような、赤黒い痣が見える。

 檻に添えられた鑑定票には、冷淡な文字が並んでいた。

【個体識別:未確認。鑑定ランク:測定不能(廃棄推奨)。処分理由:魔力反応皆無、外見著しく不潔につき商品価値なし】

 ゴミ。
 それが、この子が世界から下された審判だった。

 誰からも顧みられず、汚れにまみれたまま焼却炉へ放り込まれるのを待つだけの存在。
 その境遇が、あまりにも自分と重なって見えた。


 ふと、汚れの隙間から、一筋の光が私を射抜いた。
 それは、深くて静かな、夜の海のような色をした瞳だった。
 その瞳は悲しんでいるわけでも、怒っているわけでもなかった。ただ、世界のすべてを諦めたような、凍てつくほどの静寂を湛えていた。

 その瞬間、私の中の「清掃魂」が激しく火を吹いた。

「汚い……。これは、絶対に許せないわ」

 汚れは、命の輝きを曇らせる悪だ。
 たとえ明日、この子が処分される運命にあるとしても。せめて最後くらい、本来の姿でいさせてあげたい。

 私は業務用の強力な洗剤と、特注の馬毛ブラシを手に取った。
 生活魔法。それは戦闘には使えない、お茶を淹れたり埃を払ったりするためだけの、つつましい術。けれど、心を込めて編み上げられたその術は、時に高名な魔術師の結界さえも、優しく解きほぐすことがある。

「大丈夫だよ。今、綺麗にしてあげるからね」

 私は檻を開け、その汚れた塊に手を伸ばした。



 バケツに汲んだぬるま湯に、私特製の洗浄魔法を溶かす。
 ほのかにラベンダーの香りが広がり、地下の澱んだ空気がわずかに和らいだ。
 私は、その「汚れた毛玉」に、ゆっくりと魔法を乗せた水をかけていく。

「グルル……」

 喉の奥で、地鳴りのような低い音が響いた。威嚇、というよりは、あまりの未知の感触に対する戸惑いのようだ。
 私は気にせず、ゴシゴシとブラシを動かした。

「ここ、油汚れがひどいわね。どんな生活をしていたら、こんなに毛玉になっちゃうの? 痛かったでしょう、これ。皮膚が引っ張られてかわいそうに」

 私は独り言を言いながら、丹念に汚れを落としていく。
 普通の職員が見れば、ただのゴミを洗う狂人の姿に映っただろう。事実、通りがかった同僚たちは、クスクスと指を差して笑っていた。

「おい、ミヤコ。そんなドブネズミを洗って何になるんだ? 焼却炉が汚れるだけだぞ」

「魔力がないと、時間の使い道まで無駄になるんだな。滑稽だよ」

 彼らの言葉は、私の耳には届かない。

 私の集中力は、今、この子の毛の一本一本に向けられていた。
 不思議なことが起きたのは、洗い始めてから三十分が経過した頃だった。
 頑固な黒いヘドロの下から、パキリ、と何かが割れるような音がしたのだ。

 それは、この子を縛り付けていた「呪いの封印」だった。

 本来、解封師が何日もかけて儀式を行わなければ解けないはずの極悪な呪詛。それが、私の「油汚れを落とす」という純粋な意図を込めた生活魔法によって、あろうことか『不純物』として分解され、洗い流されていく。

「あら、意外と素直な毛質ね。トリートメント、多めに使いましょうか」

 私は、汚れと一緒に剥がれ落ちる黒い術式の残滓を、「しつこい泥」として排水溝へ流し込んだ。

 汚れが落ちるたび、その子の姿は変貌を遂げていった。
 漆黒の闇だと思っていたそれは、実は、光を吸い込むほどに純粋な、銀の輝き。
 泥にまみれた短い脚だと思っていたのは、しなやかで力強い、獣の四肢。

 三時間に及ぶ「洗濯」が終わったとき。
 そこには、私の膝の高さほどもある、一頭の美しい幼狼が座っていた。
 月光を織り上げたような、透き通る銀色の毛並み。その美しさに、私は思わず息を呑んだ。

「……綺麗。あなた、本当はこんなに美しかったのね」

 濡れた毛を生活魔法の温風でふわふわに乾かしてあげると、その子は不思議そうに自分の前足を見つめていた。

 そして、私の手のひらに、濡れた鼻先をそっと押し当ててきた。
 ざらりとした舌の感触。
 私は、カバンの中に忍ばせておいた鶏の唐揚げを取り出した。

「お腹、空いてるでしょ? はい、これ。私の夜食だけど、半分こしましょう」

 銀色の狼――私は彼を「モップ」と名付けた――は、唐揚げを一口で頬張ると、金色の瞳を細めて、初めて幸せそうに目を細めた。



 それからの数日間、私とモップだけの秘密の時間が続いた。
 地下の廃棄エリアは、誰も来ない。
 私はモップをこっそり広いケージに移し、毎日ブラッシングをして、美味しいものを食べさせた。

 モップは私にだけは、お腹を見せて「クゥン」と甘えるようになった。
 けれど、一度だけ、掃除に来た別の職員が私を突き飛ばしたことがあった。その時、モップが放った一瞬の気配を、私は忘れない。

 背後の空気が、絶対的な零度まで冷えたような感覚。
 突き飛ばした職員は、悲鳴すら上げられず、その場に崩れ落ちて失禁した。
 私は慌てて彼を介抱したが、モップは澄ました顔で、自分の尻尾を毛繕いしていた。

「もう、モップ。驚いたじゃない!」

 私が叱ると、彼は少しだけ申し訳なさそうに、耳を伏せるのだった。



 平穏は、突然の爆音と共に破られた。
 地下三階の重い扉が蹴り開けられ、何人もの靴音が響き渡る。

「おい、ゴミ清掃員! どこだ!」

 現れたのは、ゴンダセンター長だった。
 その後ろには、武装した警備隊と、数人のバイヤーらしき男たちが控えている。ゴンダの顔は、焦燥と苛立ちで赤黒く充血していた。

「センター長? 一体何事ですか」
「黙れ! 裏取引のSランク幻獣が、移送中に死にやがった。代わりの『商品』が今すぐ必要なんだ。どこかに見栄えのいい珍種はいなかったか!」

 ゴンダは血走った眼で廃棄エリアを見渡した。
 そして、彼の視線が、私の足元でくつろいでいたモップに止まった。

「……ほう。なんだ、その獣は」

 ゴンダの目が、卑屈な輝きを帯びた。
 ブラッシングと栄養満点の食事によって、今のモップは神々しいまでの美しさを放っている。その銀色の毛並みは、地下の貧相な明かりの下でも、自ら発光しているかのように見えた。

「これは……測定不能だったはずのゴミか? まさか、化けたのか。ミヤコ、貴様、こっそり隠し持っていたな!」

「隠していたわけではありません。処分の前に、せめて綺麗にしてあげようと思っただけで……」

「黙れ! この美しさなら、金持ちの貴族に高値で売れる。おい、その犬をこっちへ渡せ」

 ゴンダが強引に、私が紐で作った簡易的なモップの首輪を掴もうとした。
 その瞬間、モップの喉から、これまで聞いたこともないような不気味な低音が漏れた。
 空気そのものが、びりびりと震える。

「……グルアァ……」
「ひっ! な、なんだ、この威圧感は……!?」

 ゴンダがたじろぐ。
 けれど、彼はすぐに強気を取り戻し、懐から「強制従属の杖」を取り出した。幻獣に苦痛を与えて無理やり従わせる、悪趣味な道具だ。

「生意気な獣だ! 躾が必要だな!」
「やめてください!」

 私は咄嗟にモップを抱き寄せ、その前に立ちはだかった。
 ゴンダの杖から放たれた電撃のような衝撃が、私の肩を打つ。
 熱い痛みが走った。けれど、私は退かなかった。

「この子は、商品じゃありません。意思を持った、ひとつの命です。まだブラッシングの途中なんです。終わっていないのに、連れて行くなんて許しません!」

「この、穀潰しがぁ!」

 ゴンダが逆上した。
 彼は私を蹴り飛ばすと、部下たちに命じた。

「その獣を捕らえろ! あまりに狂暴なら、もういい。焼却処分してやる」

 警備員たちが一斉に襲いかかる。
 私は床に這いつくばりながら、必死に手を伸ばした。
 けれど、モップは冷たい鉄の網を被せられ、無理やり焼却炉の入り口へと引きずられていく。
 私の視界が、怒りと悲しみで赤く染まった。

 なぜ。
 なぜ、この人たちは、こんなに「不潔」なのだろう。

 心も、やり方も、言葉も。すべてがドブ川の泥よりも汚れている。
 そんな汚い手で、私のモップに触れないで。
 私の大切なモップを、これ以上、汚さないで――。

「モップ……っ! 逃げて……!」

 叫び声と同時に、モップが焼却炉の燃え盛る炎の中へと放り込まれた。
 ゴンダが下劣な笑い声を上げる。

 その瞬間。
 世界から、音が消えた。


 ドォォォォォォン!!

 爆発ではなかった。
 それは、存在そのものが空間を押し広げるような衝撃。
 焼却炉の鉄扉が、まるで紙細工のように弾け飛んだ。
 噴き出したのは、炎ではない。
 すべてを無に帰す、純粋な「虚無」の黒い霧。

「な、なんだ……!? 何が起きている!」

 ゴンダの悲鳴が響く。
 霧の中から現れたのは、小さな幼狼ではなかった。

 天井を突き破り、地下三階から地上の獣舎、さらには遥か上空の雲までを貫く、巨大な銀色の影。
 ビルよりも巨大なその狼は、四本の脚でこの腐った施設を文字通り踏み潰していた。

 周囲の壁が、風圧だけで粉々に砕け散る。
 警備員たちの魔力銃も、防壁魔法も、その巨大な存在の前では羽虫の羽ばたきほどの影響も与えられない。

 銀狼の瞳は、今は燃えるような深紅に染まっていた。
 その背後には、次元の裂け目のような漆黒の穴がたゆたっている。

 それこそが、神話に語られる終焉の象徴。
 世界を喰らい、すべてを虚空へと導く災厄級幻獣――「フェンリル・ヴォイド」。

「ば、馬鹿な……。伝説の……『終焉の獣』だと……!?」

 ゴンダは腰を抜かし、股間を濡らしながら震えていた。
 鑑定結果が「測定不能」だったのは、彼がゴミだったからではない。
 人類が作り出した鑑定システムという矮小な物差しでは、その強大すぎる力を測ることすらできなかったのだ。

 あまりの汚れのひどさに、誰もその本質に気づけなかった。
 ただ一人、それを「汚れ」として丹念に洗い流した、無才の少女を除いて。

『………………』

 銀狼が、ゆっくりと首を下げた。
 その巨大な口が開かれる。
 鋭い牙の一本一本が鋭く輝いている。
 ゴンダは死を悟り、真っ青な顔で天を仰いだ。

「助けて……助けてくれミヤコ! お前のペットだろう!? 止めろ! 止めてくれぇぇ!!」

 銀狼の喉が鳴る。
 すべての汚濁を飲み込み、この不潔な施設ごと消滅させようとする、破壊の咆哮が放たれようとしたその時。

「――こら! モップ!!」

 私の声が、破壊の静寂を切り裂いた。
 
 全員が、凍りついた。
 銀狼も、その動きをぴたりと止めた。
 私は立ち上がり、膝についた泥を払いながら、巨大な鼻先を指差した。

「ダメでしょ、そんな汚いものを口に入れようとしたら! お腹壊すよ!」

 私は一歩一歩、死の気配を撒き散らす獣へと歩み寄った。
 周囲の人間は「正気か」という目で私を見ている。けれど、私にはわかる。
 この子は、ただ怒っているだけなのだ。私を傷つけ、自分を蔑んだ不潔なものたちに。

「それに見て。せっかく綺麗にブラッシングしたのに、そんな大きい姿になったら毛が逆立ってボサボサじゃない。また毛玉になっちゃうよ? いいの?」

 銀狼――モップの瞳が、微かに揺れた。
 彼はしばし、私の顔と、怯えるゴンダを交互に見比べた。
 そして。

「クゥーン……」

 世界の終わりを告げるはずだった巨躯が、しゅるしゅると縮んでいく。
 光の粒子が舞う中で、彼は再び、あのふわふわの銀色の幼狼へと姿を変えた。
 そして私の足元に駆け寄り、ゴロンと横になって「お腹を撫でて」と甘え始めたのである。

「もう……。手がかかるんだから」

 私は溜息をつき、その柔らかい腹毛を優しく撫でた。
 その光景を、生き残った職員たちは、ただ呆然と見守るしかなかった。



 事件の後、幻獣保護センターの腐敗はすべて白日の下にさらされた。
 
「センター長。モップが『ここには不潔な証拠がいっぱいある』って教えてくれましたよ」

 私は、へたり込んだまま動けないゴンダを見下ろした。
 モップが「散歩」と称して地下の壁をいくつか破壊した際、そこから出てきたのは、裏取引の帳簿や、不正な魔力抽出の装置、そして犠牲になった幻獣たちの記録だった。

「助けてくれ、なんでもする! 金ならある! その化け物を遠ざけてくれ!」

「お断りします。私、不潔なものは消毒しなきゃいけないって、教わったんです」

 私は冷ややかに言い放ち、あらかじめ呼んでおいた監査局の人間たちに合図を送った。
 ゴンダは無様に引きずられていき、センターは即座に閉鎖が決まった。



 数ヶ月後。
 私は、王都から遠く離れた静かな山間の村にいた。
 
 窓を開ければ、澄んだ空気と、せせらぎの音が聞こえる。
 そこには、新しく建てた小さな平屋――「ミヤコ幻獣トリミングサロン」がある。

「はい、次の子。入っていいわよ」

 私が声をかけると、入り口から、おずおずと一頭の「魔獣」が入ってきた。
 それは、かつて一つの国を滅ぼしたと言われる「双頭の毒蛇――ヒュドラ」だった。けれど今の彼は、鱗の間に挟まった泥を気にして、ひどくしょんぼりしている。

「あらあら、沼地で遊んできたの? 鱗の間、しっかり磨かないと痒くなるわよ」

 ヒュドラは二つの頭を器用に下げて、私に「お願いします」と挨拶する。
 その足元では、看板犬(?)のモップが、威風堂々と他の待ち行列を監視していた。

 行列に並んでいるのは、どれもこれも「伝説級」や「災厄級」と呼ばれる、世界中から恐れられている魔物たちだ。


 彼らは知っている。
 ここには、どんな強力な魔法よりも心地よい「清潔さ」と、どんな秘薬よりも癒される「ブラッシング」があることを。

 そして何より、自分たちを一つの「命」として扱ってくれる、温かい手があることを。

「もう、みんな泥だらけにして……。順番に並んで! モップ、割り込みしようとした子を注意してあげて」

「ワンッ!」

 モップが誇らしげに吠える。
 私はブラシを手に取り、今日最初のお客さんの鱗を磨き始めた。

 世界を救うとか、滅ぼすとか。そんな大きなことは私にはわからない。
 けれど、目の前の大切な存在を綺麗にして、幸せそうな顔を見ること。
 それだけで、私の毎日は、この銀色の毛並みのようにきらきらと輝いている。

 ――さて、次はトリートメントの準備をしなくっちゃ。


(完)

スピンオフをちょこちょこ書いていきます。
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