11 / 44
ミヤコはある日、森の中、熊の魔獣さんに出会った
第3章:診断名は「誤飲による毛玉詰まり」
しおりを挟む
私は、震える子熊の傍らに膝をついた。
その体からは、冬の凍てつく風のような冷たい呪いの気配が立ち上っている。
普通なら、触れるだけで魂が凍りついてしまうような、濃密な死の瘴気。
「ちょっとごめんね。痛いところ、見せてちょうだい」
私は、そっと子熊の膨れ上がったお腹に手を当てた。
手のひらから伝わってきたのは、生き物の温もりではなく、石のように冷たくて硬い感触。
まるで、氷を触っているかのようだった。
「あらあら、カチカチじゃない。これじゃあ、お腹が張って苦しいわね」
私の診断を聞いたなら、王都の幻獣錬金術師たちは目を剥いて驚いたに違いない。
この子が飲み込んだ『影ネズミ』は、内側から呪いを増殖させ、あらゆる生体機能を停止させる「死の宣告」そのもの。
それを「お腹が張っている」などと、まるで毛玉が詰まっている程度の診断。
(でも、理屈は同じだもの。本来流れるべきものが、外から来た不純物でせき止められている……。まさしく毛玉よ。猫の毛球症と同じ)
かつて幻獣保護センターの廃棄処理係として働いていた頃、私は何度もこういう場面を見てきた。
呪いだろうが、毛玉だろうが、私の目にはすべて「溜まった汚れ」に見える。
排水管に詰まった毛玉を取り除くように、適切な手順で掃除してあげれば、命は必ず助かる。
「変なものを拾い食いして、毛玉みたいに詰まっちゃってるのね。研修の時に対処法を習っておいて良かったわ。……ねえ、モップ。この子、うちで『洗浄』してあげましょう」
「わふっ?(マジ?)」
モップは少し困ったように鼻先を鳴らした。
私の腕の中にいる子熊を見つめる彼の瞳には、心配の他に、ほんの少しだけのやきもちの色が混じっている。
いつも自分だけを磨いてくれる私の手が、他所の子を抱き上げているのが、少しだけ面白くないらしい。
「ふふ、大丈夫よ。あなたへのブラッシングを忘れたりしないから。……さあ、急ぎましょう。この汚れは、時間が経つほど落ちにくくなっちゃうもの」
「さ、お店に連れて帰りましょう」
私が立ち上がると、倒れていた親熊がハッとしたように顔を上げた。
彼女はまだ、私という人間を完全に信用したわけではないのだろう。
喉の奥で「グルゥ……」と、我が子を奪われまいとする本能的な警告の音が漏れる。
「――グルル……」
けれど、その警告は、モップの一睨みで霧散した。
モップが低い唸り声を上げ、巨躯を揺らして親熊の前に立ちはだかる。
その瞳に宿るのは、「俺の主の決定に従え。さもなくば頭蓋骨を噛み砕くぞ」という、逃れようのない威圧。
Aランクの森の王者が、神話の終焉の獣を前にして、文字通り蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
やがて、親熊は力なく首を垂れ、私に子熊を託すことを選んだ。
「いい子ね。……モップ、背中を貸してくれる?」
「わふんっ(仕方ないな)」
モップは姿勢を低くし、私たちが乗りやすいようにしてくれた。
私は冷たくなった子熊を大切に抱き抱え、モップの銀色の背中へと跨がる。
空はいつの間にか、燃えるようなオレンジ色の夕焼けに染まり始めていた。
こうして、奇妙な行列が始まった。
夕闇が迫る森の獣道を、白銀の巨狼がゆったりとした足取りで進む。
その背中には、小さな命を抱いた少女。
そしてその後ろを、三メートルを超える赤兜熊が、申し訳なさそうに、トボトボとついてくる。
道中、森の小動物たちがその光景を見て、目を丸くして逃げ出していく。
伝説のフェンリルと、森の王者、赤兜熊。
その二頭を従えている私の姿は、きっと、この森の誰よりも風変わりに見えたことだろう。
(お腹の詰まりを流して、それからお母さんの毛並みも整えてあげなきゃ。あんなに泥だらけだと、病気になっちゃうもの)
私は子熊の背中を優しく撫でながら、これからの『洗浄プラン』を組み立てる。
背中越しに伝わってくるモップの温かさが、私の心を勇気づけてくれた。
オレンジの香りが立ち込める森を抜け、私たちは我が家――『ミヤコ幻獣トリミング』へと急いだ。
その体からは、冬の凍てつく風のような冷たい呪いの気配が立ち上っている。
普通なら、触れるだけで魂が凍りついてしまうような、濃密な死の瘴気。
「ちょっとごめんね。痛いところ、見せてちょうだい」
私は、そっと子熊の膨れ上がったお腹に手を当てた。
手のひらから伝わってきたのは、生き物の温もりではなく、石のように冷たくて硬い感触。
まるで、氷を触っているかのようだった。
「あらあら、カチカチじゃない。これじゃあ、お腹が張って苦しいわね」
私の診断を聞いたなら、王都の幻獣錬金術師たちは目を剥いて驚いたに違いない。
この子が飲み込んだ『影ネズミ』は、内側から呪いを増殖させ、あらゆる生体機能を停止させる「死の宣告」そのもの。
それを「お腹が張っている」などと、まるで毛玉が詰まっている程度の診断。
(でも、理屈は同じだもの。本来流れるべきものが、外から来た不純物でせき止められている……。まさしく毛玉よ。猫の毛球症と同じ)
かつて幻獣保護センターの廃棄処理係として働いていた頃、私は何度もこういう場面を見てきた。
呪いだろうが、毛玉だろうが、私の目にはすべて「溜まった汚れ」に見える。
排水管に詰まった毛玉を取り除くように、適切な手順で掃除してあげれば、命は必ず助かる。
「変なものを拾い食いして、毛玉みたいに詰まっちゃってるのね。研修の時に対処法を習っておいて良かったわ。……ねえ、モップ。この子、うちで『洗浄』してあげましょう」
「わふっ?(マジ?)」
モップは少し困ったように鼻先を鳴らした。
私の腕の中にいる子熊を見つめる彼の瞳には、心配の他に、ほんの少しだけのやきもちの色が混じっている。
いつも自分だけを磨いてくれる私の手が、他所の子を抱き上げているのが、少しだけ面白くないらしい。
「ふふ、大丈夫よ。あなたへのブラッシングを忘れたりしないから。……さあ、急ぎましょう。この汚れは、時間が経つほど落ちにくくなっちゃうもの」
「さ、お店に連れて帰りましょう」
私が立ち上がると、倒れていた親熊がハッとしたように顔を上げた。
彼女はまだ、私という人間を完全に信用したわけではないのだろう。
喉の奥で「グルゥ……」と、我が子を奪われまいとする本能的な警告の音が漏れる。
「――グルル……」
けれど、その警告は、モップの一睨みで霧散した。
モップが低い唸り声を上げ、巨躯を揺らして親熊の前に立ちはだかる。
その瞳に宿るのは、「俺の主の決定に従え。さもなくば頭蓋骨を噛み砕くぞ」という、逃れようのない威圧。
Aランクの森の王者が、神話の終焉の獣を前にして、文字通り蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
やがて、親熊は力なく首を垂れ、私に子熊を託すことを選んだ。
「いい子ね。……モップ、背中を貸してくれる?」
「わふんっ(仕方ないな)」
モップは姿勢を低くし、私たちが乗りやすいようにしてくれた。
私は冷たくなった子熊を大切に抱き抱え、モップの銀色の背中へと跨がる。
空はいつの間にか、燃えるようなオレンジ色の夕焼けに染まり始めていた。
こうして、奇妙な行列が始まった。
夕闇が迫る森の獣道を、白銀の巨狼がゆったりとした足取りで進む。
その背中には、小さな命を抱いた少女。
そしてその後ろを、三メートルを超える赤兜熊が、申し訳なさそうに、トボトボとついてくる。
道中、森の小動物たちがその光景を見て、目を丸くして逃げ出していく。
伝説のフェンリルと、森の王者、赤兜熊。
その二頭を従えている私の姿は、きっと、この森の誰よりも風変わりに見えたことだろう。
(お腹の詰まりを流して、それからお母さんの毛並みも整えてあげなきゃ。あんなに泥だらけだと、病気になっちゃうもの)
私は子熊の背中を優しく撫でながら、これからの『洗浄プラン』を組み立てる。
背中越しに伝わってくるモップの温かさが、私の心を勇気づけてくれた。
オレンジの香りが立ち込める森を抜け、私たちは我が家――『ミヤコ幻獣トリミング』へと急いだ。
309
あなたにおすすめの小説
婚約破棄されたので、隠していた聖女の力で聖樹を咲かせてみました
Megumi
恋愛
偽聖女と蔑まれ、婚約破棄されたイザベラ。
「お前は地味で、暗くて、何の取り柄もない」
元婚約者である王子はそう言い放った。
十年間、寡黙な令嬢を演じ続けた彼女。
その沈黙には、理由があった。
その夜、王都を照らす奇跡の光。
枯れた聖樹が満開に咲き誇り、人々は囁いた。
「真の聖女が目覚めた」と——
遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)
スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」
唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。
四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。
絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。
「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」
明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは?
虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!
ヒロインと結婚したメインヒーローの側妃にされてしまいましたが、そんなことより好きに生きます。
下菊みこと
恋愛
主人公も割といい性格してます。
アルファポリス様で10話以上に肉付けしたものを読みたいとのリクエストいただき大変嬉しかったので調子に乗ってやってみました。
小説家になろう様でも投稿しています。
年増令嬢と記憶喪失
くきの助
恋愛
「お前みたいな年増に迫られても気持ち悪いだけなんだよ!」
そう言って思い切りローズを突き飛ばしてきたのは今日夫となったばかりのエリックである。
ちなみにベッドに座っていただけで迫ってはいない。
「吐き気がする!」と言いながら自室の扉を音を立てて開けて出ていった。
年増か……仕方がない……。
なぜなら彼は5才も年下。加えて付き合いの長い年下の恋人がいるのだから。
次の日事故で頭を強く打ち記憶が混濁したのを記憶喪失と間違われた。
なんとか誤解と言おうとするも、今までとは違う彼の態度になかなか言い出せず……
「憎悪しか抱けない『お下がり令嬢』は、侍女の真似事でもやっていろ」と私を嫌う夫に言われましたので、素直に従った結果……
ぽんた
恋愛
「おれがおまえの姉ディアーヌといい仲だということは知っているよな?ディアーヌの離縁の決着がついた。だからやっと、彼女を妻に迎えられる。というわけで、おまえはもう用済みだ。そうだな。どうせだから、異母弟のところに行くといい。もともと、あいつはディアーヌと結婚するはずだったんだ。妹のおまえでもかまわないだろう」
この日、リン・オリヴィエは夫であるバロワン王国の第一王子マリユス・ノディエに告げられた。
選択肢のないリンは、「ひきこもり王子」と名高いクロード・ノディエのいる辺境の地へ向かう。
そこで彼女が会ったのは、噂の「ひきこもり王子」とはまったく違う気性が荒く傲慢な将軍だった。
クロードは、幼少の頃から自分や弟を守る為に「ひきこもり王子」を演じていたのである。その彼は、以前リンの姉ディアーヌに手痛い目にあったことがあった。その為、人間不信、とくに女性を敵視している。彼は、ディアーヌの妹であるリンを憎み、侍女扱いする。
しかし、あることがきっかけで二人の距離が急激に狭まる。が、それも束の間、王都が隣国のスパイの工作により、壊滅状態になっているいう報が入る。しかも、そのスパイの正体は、リンの知る人だった。
※全三十九話。ハッピーエンドっぽく完結します。ゆるゆる設定です。ご容赦ください。
行き遅れ王女、重すぎる軍団長に肉で釣られる
春月もも
恋愛
25歳、独身、第四王女システィーナ。
夜会でも放置されがちな行き遅れ王女の前に、ある夜突然現れたのは、ローストビーフを差し出す重すぎる第三軍団長だった。
形のない愛は信じない。
でも、出来立ての肉は信じてしまう。
肉に釣られ、距離を詰められ、気づけば下賜され、そして初夜へ。
これは、行き遅れ王女が重たい愛で満たされるまでの、ちょっとおかしなお話。
後妻の条件を出したら……
しゃーりん
恋愛
妻と離婚した伯爵令息アークライトは、友人に聞かれて自分が後妻に望む条件をいくつか挙げた。
格上の貴族から厄介な女性を押しつけられることを危惧し、友人の勧めで伯爵令嬢マデリーンと結婚することになった。
だがこのマデリーン、アークライトの出した条件にそれほどズレてはいないが、貴族令嬢としての教育を受けていないという驚きの事実が発覚したのだ。
しかし、明るく真面目なマデリーンをアークライトはすぐに好きになるというお話です。
さよなら王子、古い聖女は去るものなのです
唯崎りいち
恋愛
元聖女の私は、自分が無能だと思い、有能な新しい聖女に任せるために王都を去ることを選んだ。しかし幼なじみの王子は、私を追いかけてくる。王子の真剣な想いと、自分の無自覚な力が国や人々に影響を与えていることに気づき、私は王都へ戻る決意をする。こうして二人は互いの気持ちを確かめ合い、結ばれる――自己評価の低い少女が本当の価値と愛に気づく、ハッピーラブファンタジー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる