幻獣保護センター廃棄処理係の私、ボロ雑巾のような「ゴミ幻獣」をこっそり洗ってモフっていたら、実は世界を喰らう「終焉の獣」だった件について

いぬがみとうま🐾

文字の大きさ
14 / 44
グリフォンと騎士団長

第1章:苦しみの咆哮と羽音と、血の匂い

しおりを挟む

 山あいに差し込む午後の光は、まるで薄く透いた蜂蜜のように甘く、穏やかだった。
 軒先に吊るしたハーブの束が、風に揺れては爽やかな香りを振りまいている。
 私は、足元で丸まっている銀色の大きな塊――看板犬のモップを、お気に入りのブラシで丁寧に梳いていた。

「いいお天気ね、モップ。今日は平和で、なんだか微睡んでしまいそう……」

 私の独り言に、モップは「わふん」と短く鼻を鳴らした。
 かつては世界を喰らう終焉の獣なんて呼ばれていたけれど、今の彼は、ブラッシングを心待ちにするただの甘えん坊な家族だ。

 銀色の毛並みが太陽の光を反射して、きらきらと眩しく輝く。
 このふかふかの手触りに癒やされている時が、私にとって何よりの幸福だった。

(……このまま、お湯を沸かして、ゆっくりお茶でも淹れられたら最高なんだけど)

 そんなことを考え、小さく欠伸を噛み殺した、その時。

 ――グケェェェェ!!

 山麓の方から、空気を震わせるような咆哮が響いた。
 窓ガラスをビリビリと伝う微かな振動。
 平和な鳥のさえずりが一瞬で止まり、森全体が息を潜めたような緊張感に包まれる。

「あら……? 今の音、雷かしら」

 空を見上げても、そこには雲一つない紺碧の景色が広がっているだけ。
 それまで私の膝に顎を乗せていたモップが、鋭く耳をそばだてて立ち上がった。
 彼の金色の瞳が、険しい山道を真っ直ぐに見据えている。

「グルルル……」

 喉の奥で鳴る、地鳴りのような唸り声。
 モップが、私を庇うように一歩前へ出た。

「モップ? どうしたの、そんなに毛を逆立てて」

「……グルルル(……血の匂いだ。それも、ひどく澱んだ、死の気配)」

 モップの声に、私の指先が微かに震えた。
 彼がこれほどまでに警戒するのは、ただ事ではない証拠。
 森の奥から、冷たい風が吹き抜けていく。
 

 平和な午後のまどろみは、その一瞬で不穏な色彩へと塗り替えられてしまった。



 それから数十分が過ぎた頃。
 店の前の急な坂道を、何かが這い上がってくる音が聞こえ始めた。
 重い鉄が擦れる音。荒い呼吸。
 そして、荷車が小石を弾く不快な音。

 霧の向こう側から現れたのは、泥と返り血に塗れた、一人の男だった。

 深い藍色のマントはあちこちが引き裂かれ、身に纏った銀の鎧は光を失い、どす黒く汚れている。
 彼は、自分の体の数倍はあろうかという巨大な荷車を、折れそうな腕一本で必死に引いていた。

「はぁ、はぁ……っ、ここか……。噂に聞く……『幻獣の聖域』というのは……っ」

 男は力なく膝をつき、血走った眼で私の店を見上げた。
 整った顔立ちは青白く、額からは汗と血が混じった雫が滴り落ちている。
 彼の腕からは、今も絶え間なく赤い雫が溢れ、足元の土を汚していた。

 けれど、私の視線は彼の背後にある荷車へと釘付けになった。

「なんてこと……!」

 荷台の上に横たわっていたのは、一頭の巨大なグリフォンだった。
 黄金色のはずの羽毛は、正体不明の黒い粘液にまみれて固まり、不気味な腐臭を放っている。
 左の翼は無惨に折れ曲がり、その付け根からは黒い霧のような煙がゆらゆらと立ち上っていた。

「助けて……くれ……。グリーが……俺の、相棒が……っ」

 男の声は、今にも消え入りそうなほど掠れていた。
 必死に荷車を引いてきたせいか、彼の指先は爪が剥がれ、無惨に剥き出しになっている。
 それでも彼は、自分自身の痛みなど眼中に無く、グリフォンの冷たくなっていく体を必死にさすっていた。

(……ひどい。こんな状態になるまで、どれほど辛い思いをしてきたの?)

 私の胸を締め付けたのは、恐怖ではなく、あまりにも「不憫」なその姿だった。
 幻獣が、こんなにも汚れたままにされているなんて。
 かつて宮廷の地下で、ボロ雑巾のように扱われる幻獣たちを見てきた私にとって、それは何より許しがたい光景だった。

(この汚れ……ただの泥じゃないわね。魔力の循環を止めて、内側から腐らせようとしている。……なんて強情で、意地の悪い汚れなのかしら!)

 お掃除好きとしての私の矜持が、静かに火を吹く。
 絶望に染まった騎士様の瞳には、今の私はどのように映っているだろうか。
 憐れみでも、恐怖でもない。ただ「汚れへの怒り」を湛えた、風変わりな店主にしか見えないかもしれない。


「モップ、すぐに準備を! 大急ぎでお湯を沸かさなきゃ!」

 私は迷わず、泥にまみれた男の元へと駆け寄った。
 男の瞳に、絶望の中に差し込んだ一筋の光のような、微かな希望が宿るのを私は見た。

「大丈夫ですよ、騎士様。……そんなに悲しい顔をしないで。まずは、そのひどい汚れを全部綺麗にしましょう」

 私の言葉に、王国の騎士団長・グレンと名乗った男は、震える唇を噛み締め、そのまま力尽きるようにして地面へ伏した。
 山あいの静かな午後は、血の匂いと、強い決意の泡の音に上書きされていった。


「モップ、その子|《グリフォン》を洗い場へ。……騎士様は、私が奥へ運ぶわ!」

 私は袖を捲り、手慣れた手つきで「洗浄」の準備を始めた。


しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

婚約破棄されたので、隠していた聖女の力で聖樹を咲かせてみました

Megumi
恋愛
偽聖女と蔑まれ、婚約破棄されたイザベラ。 「お前は地味で、暗くて、何の取り柄もない」 元婚約者である王子はそう言い放った。 十年間、寡黙な令嬢を演じ続けた彼女。 その沈黙には、理由があった。 その夜、王都を照らす奇跡の光。 枯れた聖樹が満開に咲き誇り、人々は囁いた。 「真の聖女が目覚めた」と——

遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)

スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」 唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。 四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。 絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。 「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」 明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは? 虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!

ヒロインと結婚したメインヒーローの側妃にされてしまいましたが、そんなことより好きに生きます。

下菊みこと
恋愛
主人公も割といい性格してます。 アルファポリス様で10話以上に肉付けしたものを読みたいとのリクエストいただき大変嬉しかったので調子に乗ってやってみました。 小説家になろう様でも投稿しています。

年増令嬢と記憶喪失

くきの助
恋愛
「お前みたいな年増に迫られても気持ち悪いだけなんだよ!」 そう言って思い切りローズを突き飛ばしてきたのは今日夫となったばかりのエリックである。 ちなみにベッドに座っていただけで迫ってはいない。 「吐き気がする!」と言いながら自室の扉を音を立てて開けて出ていった。 年増か……仕方がない……。 なぜなら彼は5才も年下。加えて付き合いの長い年下の恋人がいるのだから。 次の日事故で頭を強く打ち記憶が混濁したのを記憶喪失と間違われた。 なんとか誤解と言おうとするも、今までとは違う彼の態度になかなか言い出せず……

「憎悪しか抱けない『お下がり令嬢』は、侍女の真似事でもやっていろ」と私を嫌う夫に言われましたので、素直に従った結果……

ぽんた
恋愛
「おれがおまえの姉ディアーヌといい仲だということは知っているよな?ディアーヌの離縁の決着がついた。だからやっと、彼女を妻に迎えられる。というわけで、おまえはもう用済みだ。そうだな。どうせだから、異母弟のところに行くといい。もともと、あいつはディアーヌと結婚するはずだったんだ。妹のおまえでもかまわないだろう」 この日、リン・オリヴィエは夫であるバロワン王国の第一王子マリユス・ノディエに告げられた。 選択肢のないリンは、「ひきこもり王子」と名高いクロード・ノディエのいる辺境の地へ向かう。 そこで彼女が会ったのは、噂の「ひきこもり王子」とはまったく違う気性が荒く傲慢な将軍だった。 クロードは、幼少の頃から自分や弟を守る為に「ひきこもり王子」を演じていたのである。その彼は、以前リンの姉ディアーヌに手痛い目にあったことがあった。その為、人間不信、とくに女性を敵視している。彼は、ディアーヌの妹であるリンを憎み、侍女扱いする。 しかし、あることがきっかけで二人の距離が急激に狭まる。が、それも束の間、王都が隣国のスパイの工作により、壊滅状態になっているいう報が入る。しかも、そのスパイの正体は、リンの知る人だった。 ※全三十九話。ハッピーエンドっぽく完結します。ゆるゆる設定です。ご容赦ください。

行き遅れ王女、重すぎる軍団長に肉で釣られる

春月もも
恋愛
25歳、独身、第四王女システィーナ。 夜会でも放置されがちな行き遅れ王女の前に、ある夜突然現れたのは、ローストビーフを差し出す重すぎる第三軍団長だった。 形のない愛は信じない。 でも、出来立ての肉は信じてしまう。 肉に釣られ、距離を詰められ、気づけば下賜され、そして初夜へ。 これは、行き遅れ王女が重たい愛で満たされるまでの、ちょっとおかしなお話。

後妻の条件を出したら……

しゃーりん
恋愛
妻と離婚した伯爵令息アークライトは、友人に聞かれて自分が後妻に望む条件をいくつか挙げた。 格上の貴族から厄介な女性を押しつけられることを危惧し、友人の勧めで伯爵令嬢マデリーンと結婚することになった。 だがこのマデリーン、アークライトの出した条件にそれほどズレてはいないが、貴族令嬢としての教育を受けていないという驚きの事実が発覚したのだ。 しかし、明るく真面目なマデリーンをアークライトはすぐに好きになるというお話です。

さよなら王子、古い聖女は去るものなのです

唯崎りいち
恋愛
元聖女の私は、自分が無能だと思い、有能な新しい聖女に任せるために王都を去ることを選んだ。しかし幼なじみの王子は、私を追いかけてくる。王子の真剣な想いと、自分の無自覚な力が国や人々に影響を与えていることに気づき、私は王都へ戻る決意をする。こうして二人は互いの気持ちを確かめ合い、結ばれる――自己評価の低い少女が本当の価値と愛に気づく、ハッピーラブファンタジー。

処理中です...