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ミヤコ幼少期編
第9話:目覚める咆哮、凪いだ空気の衝撃
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巨大な影が、ミヤコの視界を真っ黒に塗りつぶした。
眼前に迫るのは、血に濡れたユニコリザードの顎。喉の奥から漏れ出すのは、腐った鉄と澱んだ魔力が混じり合った、吐き気を催すような熱気だった。
荒い吐息が、ミヤコの白銀の髪を乱暴になぶる。
逃げなければならない。けれど、石畳に縫い付けられた足は一歩も動かなかった。
(……ああ、あの日と、同じだわ)
鼻を突く血の匂いが、彼女の記憶の奥底に眠る「汚れた雨の日」の扉を乱暴に蹴開けた。
泥の中で冷たくなっていた母の手。
無惨に転がる父の体。
泥濘に沈み、形を失っていった幸福。
牙を剥く目の前の獣は、ミヤコにとって、自分の世界を再び残酷な闇へと引きずり戻そうとする、悪夢に他ならなかった。
嫌だ。
汚さないで。
私の大切なものを。
これ以上、汚さないで――!
ミヤコは瞳をカッと見開いた。
黄金色の双眸が、太陽のような鋭い光を帯びる。彼女は喉の奥から、自らの魂を絞り出すような絶叫を上げた。
「やめてーーッッ!! 汚さないでッッ!!」
その瞬間、世界の理が書き換えられた。
絶叫と共にミヤコの体を中心に放たれたのは、大気を震わせる衝撃波ではなかった。
それは、空間そのものを一瞬にして凪へと変えてしまう、透明な波。
――……ッッ
音が消失した。
逃げ惑う人々の悲鳴も、ユニコリザードの咆哮も、足音さえも。
全てが深い静寂の中へと吸い込まれ、時間がその場に凍りついたかのような錯覚。
ミヤコの背後に、巨大な白銀の幻影がゆらりと揺らめいた。
それはかつて神話に語られた、全ての獣を統べる終焉の獣の威容。
透明な波に呑み込まれた瞬間、暴れていた全てのユニコリザードたちが、糸が切れた人形のようにその場に縫い付けられた。
空中に飛散していた血しぶきや土埃さえもが重力を無視して静止する。
ミヤコの周囲だけが、まるで時間が切り取られた聖域のように、圧倒的な清浄さに包まれていた。
「……あ……」
ジョゼクは、数メートル先で立ち尽くしたまま、その光景を呆然と見つめていた。
音が消えた世界。大気が震え、自分の肌を撫でる空気が、これまでに感じたことがないほど澄み渡っている。
(なんだ、この光は……魔法か? この子が……大気を凪がせているのか?)
ミヤコがゆっくりと顔を上げた。
その瞳に宿っていた八歳の少女の怯えは、どこにもなかった。
代わりにそこにあるのは、不純な存在を一切許容しない、峻烈な「王」の風格。
彼女が静かに一歩、踏み出す。
その歩みに合わせて、空中で止まっていた泥や埃が、さらさらとした光の粉になって霧散していく。
眼前にいた狂暴な巨獣は、ミヤコの瞳に射抜かれた瞬間、戦意を完全に喪失していた。
咆哮を上げることも、牙を剥くこともできず、ただ圧倒的な畏怖によって全身をガタガタと震わせる。巨獣は力なく首を下げ、少女の足元に平伏するようにして頭を垂れた。
「い、い、 今だ、殺せ! 殺してしまえ!」
パニックに陥り、思考を放棄した衛兵たちが、動けなくなったユニコリザードへと群がった。
彼らが手にする槍の穂先が、夕闇の中で鈍く光る。
ドシュッ、という、肉を裂く不快な音が静寂を汚した。
ミヤコのすぐ側で、なす術もなく立ち尽くしていた二頭のユニコリザード。
その喉元を、衛兵たちの槍が無慈悲に貫く。
「……っ!?」
ミヤコの視界の端で、鮮やかな朱色が石畳に飛び散った。
幻獣から救おうとした命が、凶器となって幻獣の命を奪う矛盾。
殺された個体たちの瞳から光が消え、泥の上にその巨体が崩れ落ちる。
「……やめなさい。もう、これ以上、彼らを汚さないで」
ミヤコは、低く、凛とした声で呟いた。
その声の響きに、衛兵たちの動きが止まる。
「まさか……あれは、まるで、古い伝承にある『万獣を制する王の息吹』……?」
ジョゼクは、背筋を伝う戦慄を抑えることができなかった。
目の前の光景は、八歳の少女の所業とは思えない。それは、世界をひっくり返す、神聖な暴力にも似たものだった。
発動した力が、ゆっくりと収束していく。
耳の奥で、再び世界の色と音が戻り始めるのを感じた。
けれど、先ほどまでの殺伐とした気配はどこにもない。
残されたのは、ただ深く、凪いだ、冷ややかな空気だけ。
殺された二頭の死体から流れる血さえも、ミヤコの力によって清められたかのように、その不快な匂いを失っていた。
カラン、と。
ミヤコの指先から力が抜け、足元に落ちていた「角の破片」が音を立てた。
「ミヤコ! ミヤコ、無事か!?」
ジョゼクが、転がるようにして彼女の元へ駆け寄る。
彼は少女の肩を抱き寄せ、その無事を確かめるように何度も名前を呼んだ。
「……ああ、良かった。お前、今のは一体……」
ミヤコは弱々しく、微笑みを浮かべて、ジョゼクを見上げた。
彼女の白いワンピースについた血の汚れは、不思議なことに、薄桃色の魔力の余韻によっていつの間にか剥がれ落ち、元通りの白さを取り戻している。
「……ジョゼクさん。……綺麗に、なったわ」
掠れた声で、彼女は囁く。
ミヤコは、槍に貫かれた個体たちを見つめ、寂しげに瞳を伏せた。
王都へと続く街道。
深い静寂の中に、一人の少女と、彼女が救えなかった命の影。
伝説の咆哮が産声を上げたその場所には、夕闇を溶かしたような、夜の気配がただ静かに満ちていた。
眼前に迫るのは、血に濡れたユニコリザードの顎。喉の奥から漏れ出すのは、腐った鉄と澱んだ魔力が混じり合った、吐き気を催すような熱気だった。
荒い吐息が、ミヤコの白銀の髪を乱暴になぶる。
逃げなければならない。けれど、石畳に縫い付けられた足は一歩も動かなかった。
(……ああ、あの日と、同じだわ)
鼻を突く血の匂いが、彼女の記憶の奥底に眠る「汚れた雨の日」の扉を乱暴に蹴開けた。
泥の中で冷たくなっていた母の手。
無惨に転がる父の体。
泥濘に沈み、形を失っていった幸福。
牙を剥く目の前の獣は、ミヤコにとって、自分の世界を再び残酷な闇へと引きずり戻そうとする、悪夢に他ならなかった。
嫌だ。
汚さないで。
私の大切なものを。
これ以上、汚さないで――!
ミヤコは瞳をカッと見開いた。
黄金色の双眸が、太陽のような鋭い光を帯びる。彼女は喉の奥から、自らの魂を絞り出すような絶叫を上げた。
「やめてーーッッ!! 汚さないでッッ!!」
その瞬間、世界の理が書き換えられた。
絶叫と共にミヤコの体を中心に放たれたのは、大気を震わせる衝撃波ではなかった。
それは、空間そのものを一瞬にして凪へと変えてしまう、透明な波。
――……ッッ
音が消失した。
逃げ惑う人々の悲鳴も、ユニコリザードの咆哮も、足音さえも。
全てが深い静寂の中へと吸い込まれ、時間がその場に凍りついたかのような錯覚。
ミヤコの背後に、巨大な白銀の幻影がゆらりと揺らめいた。
それはかつて神話に語られた、全ての獣を統べる終焉の獣の威容。
透明な波に呑み込まれた瞬間、暴れていた全てのユニコリザードたちが、糸が切れた人形のようにその場に縫い付けられた。
空中に飛散していた血しぶきや土埃さえもが重力を無視して静止する。
ミヤコの周囲だけが、まるで時間が切り取られた聖域のように、圧倒的な清浄さに包まれていた。
「……あ……」
ジョゼクは、数メートル先で立ち尽くしたまま、その光景を呆然と見つめていた。
音が消えた世界。大気が震え、自分の肌を撫でる空気が、これまでに感じたことがないほど澄み渡っている。
(なんだ、この光は……魔法か? この子が……大気を凪がせているのか?)
ミヤコがゆっくりと顔を上げた。
その瞳に宿っていた八歳の少女の怯えは、どこにもなかった。
代わりにそこにあるのは、不純な存在を一切許容しない、峻烈な「王」の風格。
彼女が静かに一歩、踏み出す。
その歩みに合わせて、空中で止まっていた泥や埃が、さらさらとした光の粉になって霧散していく。
眼前にいた狂暴な巨獣は、ミヤコの瞳に射抜かれた瞬間、戦意を完全に喪失していた。
咆哮を上げることも、牙を剥くこともできず、ただ圧倒的な畏怖によって全身をガタガタと震わせる。巨獣は力なく首を下げ、少女の足元に平伏するようにして頭を垂れた。
「い、い、 今だ、殺せ! 殺してしまえ!」
パニックに陥り、思考を放棄した衛兵たちが、動けなくなったユニコリザードへと群がった。
彼らが手にする槍の穂先が、夕闇の中で鈍く光る。
ドシュッ、という、肉を裂く不快な音が静寂を汚した。
ミヤコのすぐ側で、なす術もなく立ち尽くしていた二頭のユニコリザード。
その喉元を、衛兵たちの槍が無慈悲に貫く。
「……っ!?」
ミヤコの視界の端で、鮮やかな朱色が石畳に飛び散った。
幻獣から救おうとした命が、凶器となって幻獣の命を奪う矛盾。
殺された個体たちの瞳から光が消え、泥の上にその巨体が崩れ落ちる。
「……やめなさい。もう、これ以上、彼らを汚さないで」
ミヤコは、低く、凛とした声で呟いた。
その声の響きに、衛兵たちの動きが止まる。
「まさか……あれは、まるで、古い伝承にある『万獣を制する王の息吹』……?」
ジョゼクは、背筋を伝う戦慄を抑えることができなかった。
目の前の光景は、八歳の少女の所業とは思えない。それは、世界をひっくり返す、神聖な暴力にも似たものだった。
発動した力が、ゆっくりと収束していく。
耳の奥で、再び世界の色と音が戻り始めるのを感じた。
けれど、先ほどまでの殺伐とした気配はどこにもない。
残されたのは、ただ深く、凪いだ、冷ややかな空気だけ。
殺された二頭の死体から流れる血さえも、ミヤコの力によって清められたかのように、その不快な匂いを失っていた。
カラン、と。
ミヤコの指先から力が抜け、足元に落ちていた「角の破片」が音を立てた。
「ミヤコ! ミヤコ、無事か!?」
ジョゼクが、転がるようにして彼女の元へ駆け寄る。
彼は少女の肩を抱き寄せ、その無事を確かめるように何度も名前を呼んだ。
「……ああ、良かった。お前、今のは一体……」
ミヤコは弱々しく、微笑みを浮かべて、ジョゼクを見上げた。
彼女の白いワンピースについた血の汚れは、不思議なことに、薄桃色の魔力の余韻によっていつの間にか剥がれ落ち、元通りの白さを取り戻している。
「……ジョゼクさん。……綺麗に、なったわ」
掠れた声で、彼女は囁く。
ミヤコは、槍に貫かれた個体たちを見つめ、寂しげに瞳を伏せた。
王都へと続く街道。
深い静寂の中に、一人の少女と、彼女が救えなかった命の影。
伝説の咆哮が産声を上げたその場所には、夕闇を溶かしたような、夜の気配がただ静かに満ちていた。
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