触れられ触れて、人になる。

佐倉 悦巳(さくら えつみ)

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「ようやく、だなぁ」
  オフィスを見回して感慨にふける俺に、
「ゴールだけど、スタートでもあるんだよ?文人」
  そう言って秋久が釘を刺す。
「分かってるよ」
  意外と手厳しいのは、自分にも妥協を許さない秋久だからこそだ。
  そんな彼が、二人でオフィスを構えるに当たって譲らなかったのが、俺の両親へ挨拶をしに行くことだった。
  逃げていた訳ではない。
  けれど、積極的に話そうとしてこなかったのも事実だ。
  俺がなかなか帰郷しないことや、逆に母が来ようとするたびに何かしら理由を作って断ること、それらを不審がる両親に同居人がいることは伝えてある。しかし、それが誰であるかを、二人は知らない。
「……ご両親が僕に何を言っても、何をしても、文人くんは止めないで欲しい」
  揃っての帰省を数日後に控えたある日、秋久は俺の隣に座ってそう言った。
  驚いて勢いよく振り向いた俺に、彼はふにゃりと笑う。
「大丈夫。あの時と同じ気持ちで言ってるわけじゃないよ」
  まるで子供をあやすように、温かい手が俺の頭をぽんぽんと叩いた。
「自分が楽になるために、傷つけてもらおうとしてるんじゃない。それに、ご両親に僕を傷つけさせたいわけでもない。だってそんなことをさせてしまったら、きっとご両親は後になって苦しむでしょう?」
「でも……」
「大丈夫。何があっても、僕は傷ついたりしないよ」
  言いかけた俺の言葉を遮って、秋久は続けた。
  そんなことは初めてで、決意の強さを感じ取った俺は口をつぐんだ。
「受け止めたいんだ、全部」
  そう言って、彼は真っ直ぐ俺に視線を向けた。
「二人で仕事をすることも、僕たちの関係も、すぐに認めてもらえるとは思ってない。文人くんは前に、ご両親に受け入れてもらえなくても、僕と一緒にいることを選ぶって言ってくれたでしょう?」
  俺は頷いた。気持ちに嘘はなかったし、変わってもいない。
「すごく嬉しかった」
  俺の反応を確認して、秋久はにこりと微笑んだ。
「あの日よりももっと、文人くんが好きだよ。だからこそ、ちゃんと向き合いたい。どんなことを言われても何をされても、それがご両親の気持ちなら、僕は逃げない。文人くんは、キミの大事な人を一緒に大切にして欲しいって言って僕を救ってくれた。だから、文人くんが大事に思っている僕以外の人も、大切にしたい。だから、その機会をください」
  ——本当に、強くなった。
  自分の恋人がどんどん魅力的になっていくのを、俺は嬉しくも不安な気持ちで見つめる。こんなに強くて優しい人を、どうして好きにならずにいられるだろう。
  見せびらかしたい。でも、誰にも見つけられたくない。
  ……子供じみた独占欲だって分かってる。
「俺だってそうだよ」
「え?」
「必死で秋久さんを口説いたあの日より、もっと好きになってる」
  思わず強く抱きしめて、肩口に顔を埋めた。
「好きだよ、秋久さん。本当に、好き」
  言葉で表現しきれない感情が、出口を探して狂おしいほどに暴れる。
  突然腕の中に収められてしまった秋久は、少しの時間をおいて、くすりと笑った。
  抱きしめ返した彼がくすぐったそうに告げた。
「うん、僕も、好き」
  持て余すほどの熱い思いは、背中に回しあった手から、そっと重ねた唇から、お互いへと伝わるのだと知った。
  
  ——結論から言えば、俺の親はどこまでも、俺を育てた人たちだった。
「人生の中でこんなに親を尊敬したことも、敵わないと思ったこともなかったわ」
  実家に話をしに行った帰り道。揺れる電車の中、ぐったりと背もたれに寄りかかり、俺は言った。
  隣で秋久が愉快そうに笑う。
「秋久だって緊張してたくせに」
  面白がられたことが不服で物言いをつけると、
「僕と文人とじゃ意味が違うからね。緊張もするよ」
  なんてさらりと認められてしまい、揶揄からかうはずが、勢いをそがれてしまう。
「分かってる?」
  スッと、耳元に秋久の唇が近づいて、囁くように告げた。
「今日の僕は、文人さんを僕にください……って状況でもあったんだけど?」
「!?」
「なぁんて、ご両親があんな風に接してくださらなかったら、こんな風に軽口をたたいたりはできなかったね。正直言うと、僕も文人と同じ」
  きっと顔どころか耳まで赤くなってしまっているであろう俺を見て、同じように背もたれへと沈み込んだ。
「結局、もらわれたのは僕だったけどね」
  ヘッドレストに頭を預けた秋久は、ぽつりとつぶやいた。
「あぁ、今気を抜いたら、もう立ち上がれない気がする」
  顔を仰向けて目を閉じるその目元には、なるほど隈ができている。本当に随分緊張していたのだろう。
「少し眠ればいい。近くなったら起こすよ」
  俺の言葉にこくりと頷いてしばらくすると、隣からは穏やかな寝息が聞こえてきた。
  
「何でもっと早く言わないの!」
  寝入ってしまった秋久を見つめていると、ついさっき聞いたばかりの母の声がよみがえる。
「馬鹿ね、文人のことだから、きっといっぱい悩んだんでしょう」
  そう言って、彼女は俺を抱きしめた。親に抱きしめられるなんて、一体いつ以来だろう。
「ごめんね、きっと私は世間から見たらダメな母親だわ。でも、私は、文人が幸せならどんな形だって構わないのよ。私も、もっと早く伝えておけば良かった」
  ……母は、ちゃんと自分が大事にしたいものを見つけ、人の目を気にせずに選び取れる人だった。そして、その大事なものの中に俺を入れてくれていた。
「本当に馬鹿だな。子供の変化に親が気づかないと思ったか?」
  そう言って、にやりと笑ったのは父だった。
「人間らしくなったよ、文人。話し方も前よりずっと柔らかくなったし、何より幸せそうだ」
  秋久に視線を向けて、父は言葉を続ける。
「真臣や私たち親がどれだけ言っても頑として自分を変えなかった文人が、こんなに変わるんだから、よほどいい出会いがあったんだろうと妻と話していたんです。まさか、相手があなただとは思いませんでしたけど」
  思わず身体をこわばらせた秋久に、父は微笑みかけた。
「狭山さんが誠実な方なのは謝罪に来て下さった日にもう分かっています。文人が私たちと距離を置いてまであなたと一緒にいようとしたこと、そして今の文人の様子を見れば尚のこと、どれだけあなたを必要としているのかもよく分かる」
「違うんです!あの日のことは、自分が楽になりたかっただけで……っ!」
「もし本当にそれだけであったのなら、文人は今、あなたと一緒にはいないと思います」
  そう言い切った父に、秋久が言葉に詰まる。
  俺はというと、初めて聞く父の言葉に、随分信用してくれているものだと、むずがゆい気分になった。
「だから、負い目を持つのは終わりにしましょう。確かに真臣はあなたとの事故で亡くなりました。けれど、今もう一人の大事な息子を幸せにしてくれているのも、あなたでしょう?私も妻も、それで十分です」
  信じられない、と言った様子で秋久が父を見る。
「真臣は真臣で、私たちの大切な息子なの。これからもずっとね。それはこの子もおんなじ」
  母が俺を見て優しく笑う。小さい頃から変わらない、子供を安心させる特効薬だ。
  ぎしり、と音が聞こえるかと思うほどにぎこちない動きで、秋久が視線を母に移した。その先で、彼女は俺に向けたのと同じ笑顔を秋久へと向ける。
「だからって、息子がもう一人増えちゃいけないってことはないのよ?」
「……っ」
  言葉の意味を理解した秋久の頬を、ついさっき、言葉と一緒に飲み込んだはずの物が伝っていく。
「ありがとう、ございます……!」
  なんとか絞り出した声は、震えていた。
  両親は、秋久の過去を知らない。親に捨てられたことも、ずっと誰にも心を開けずに生きて来たことも。だから母の言ったことは、俺たちが報告した、二人で仕事を始めること、そしてパートナーとして生きていくことへの返事に過ぎないのだと思う。けれどその言葉が、どれだけ秋久を救ってくれただろう。これから先、どれだけ秋久を支えてくれるだろう。
  もちろん、一緒にいることも二人で事業を立ち上げることも、諦めるつもりはなかった。いつか理解してもらえる日がくるのなら、どれだけ時間がかかっても構わないと思っていた。それが、説得するまでもなく受け入れてもらえるだなんて……。
(親って……すごいよなぁ)
  自分が今までどれだけ大きな愛で包んで育ててもらってきたのか、この年になってようやく気づく。
  今の時代、色んな形の家族があるのは知っている。いつの日にか、俺たちが正式に家族となって、親になる時もやってくるのだろうか。秋久が望むのなら二人の子供として養子縁組を行うことも考えなくはないけれど、今の時点で子供を持つことは想像できない。まずは秋久が親から得られなかった分も、彼を愛したい。
  けれど、もしいつかそんな日が来るのであれば……両親のような親に、なりたいと思った。

  がたん、がたん、と電車が揺れる。
  特急から在来線へと乗り換えた車両の中は、ほどよく暖房が効いている。心地よい暖かさと揺れで、眠ってしまっていたようだ。
  左肩に重さを感じて見やると、在来線に乗るなり再び寝入ってしまった秋久が寄りかかってきていた。
「……本当によく寝る。どれだけ緊張してたんだか」
  その様子を見ながら、初めて秋久とこの電車に乗った日のことを思い出した。
  あのときの彼は、兄をひき殺した報復として、殺されることすら覚悟していたと言った。
  俺たち遺族がそうしなかったとしても、自ら命を絶とうとしていたとも。
  秋久が、見ている人間の方が辛くなるほどに淋しい目をしていたのは事実だ。けれど、無理矢理同居を押しつけてまでこの人を死なせたくないと思ったのは、一体どうしてだったのか、今となってはもうはっきりと思い出せない。
  まさかこんな関係になるなどとは夢にも思わなかったけれど、あの日、実家を後にした彼を追いかけて本当に良かった。
  ……優しいこの人を、独りのままで逝かせずに済んだ。それがたまらなく嬉しい。
  口元が緩むのを自覚してうつむいた時、電車のアナウンスが、最寄り駅に着くことを告げた。
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