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第3章 宿敵の家と宿敵でなくなってから
第184話 とある街の惨劇未遂事件について
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王国南側にあるヨークテイム。人々が穏やかな日常を過ごす中規模程度の領地だ。南側の代表であるフォルス家が存在するサリアの街ほど栄えてはいないものの、自然豊かな地は好まれていて、訪れる人もそれなりに多い。
とくに領主の屋敷のある領地の中央周辺は最近の発展がすさまじく、露店や人の行き来が頻繁に行われていた。
笑顔で商談を行う者や買い物に訪れた者、ただ散歩をしているだけの者、そういった穏やかな者達で通りは溢れていた。
けれど悲しいかな、誰もが穏やかというわけではない。いつも通りの日常が流れる通りを、その人物は外套にフードという姿で歩いていた。
「…………」
無言ながらもフードの影から覗く瞳は血走っていて、正気ではない。たった一人、背格好から男性なのは分かる。彼が誰で、今までどのような人生を送ってきて、そして何があったのかは誰にも分からない。
仕事に嫌気がさしたか、国の情勢を憂いたか、大切な人を失ったか、それを分かる者もいない。
ただその者はもう壊れていた。狂気に落ちた果てで自らもろとも破滅することを望むくらいには堕ちていた。
「はぁー……はぁー」
通りの真ん中で立ち止まり、荒い呼吸を繰り返す男。見開いた目の瞳は小刻みに揺れ、体は細かく震え、聞こえる程の息遣いに周りも何事だと気づき始める。
けれどそのような状態になっても男はただ前を向くのみ。いや、その瞳には何も映っていないのかもしれない。
普段、様子がおかしい人が居たらどうするか。そのことを心配し、声をかけるだろう。
「おいあんた……大丈夫か?」
今回もまた、たまたま通りかかった男性が案ずるように尋ねた。その対応は普通ならば正解だろう。男が体調不良で倒れそうなら、どこか休める場所に連れていこうとしたであろう男性は褒められるべきだ。
だが今回ばかりは対応を間違えた。
男は声を聞いて目線を通りかかった男性に向ける。狂気に満ちた瞳が男性を射抜いた瞬間。
「あああああああああああああ!!!」
外套の下から刃の短い剣を取り出し、急に斬りつけた。突然の行動に男性は目を見開き、そして。
「う、うわああああ!」
焼けるような激痛に悲鳴を上げる。その声を聞いて周りの人達も何事かとそちらを見れば、誰もが非常事態に気付き始めた。
「きゃあああああああ!」
「うわああああ! 逃げろぉ!」
「誰か! 誰か警備の人を呼んでくれ!」
阿鼻叫喚の地獄に早変わりする大通り。倒れた男性には目もくれずに、男は次の獲物を見つけてすぐに斬りかかる。ただ買い物に来ているだけの人が急に現れた刃物を持つ男に敵うわけもない。しかも人々は突然の事に混乱していて、淀みなく逃げることも出来ない状態だ。
男性が、女性が、女性が、男性が、次々と斬られて倒れていく。刃物には魔法がかかっているのか、どれだけ切り裂いても切れ味が落ちることはない。他者を傷つける刃が大通りで踊り続ける。
「ふ、ふざけんじゃねえ!」
そう声を上げて出てきたのは売り物である剣を手にした男性だった。この凶行を見逃せない彼は警備が到着するまで時間を稼ぐ算段だった。いやむしろ自分がこの狂った男を止めることすら一時期は考えた。
しかし。
「ひっ……」
血を浴びた男と目を合わせて彼は震えあがった。男は歪んだ笑顔を浮かべていて、この状況を楽しんでいた。もうこれで死んでもいいという気持ちが痛いほど伝わってくるくらいの、異常な者がそこに居た。
「嘘……だろ……」
彼はこの大通りで武器を売っているものの、武器そのものの扱いに長けているわけではない。振るったことは何度かあるものの、それを人に向けたことすらない。ましてや人を斬ったことなど。
「ああああああああああああ!!」
「う、うわああああああ!」
全速力で笑いながら襲い掛かる狂人相手に、武器を持っただけの商人が出来ることなど何もない。迫りくる恐怖に対応することなど出来る筈はなく、狂人に深く切り裂かれ、勇敢にも立ち向かった商人は地へと倒れていく。
たった一撃での、あっさりとした終わりだった。
「あひゃひゃひゃひゃ!」
狂ったように叫ぶ男はまだ狩りを終えていない。周りには腰を抜かした獲物たちが震えて無防備な姿をさらしている。
まだ時間があることを狂人は分かっていた。だから犯行現場にこんな場所を選んだ。これがサリアの街だったなら、きっと素早く警備の者達に取り押さえられていただろう。
だから狂人は、さらにこの殺戮を楽しもうとして。
「あひゃひゃ……はぁ?」
気づいてしまった。自分が先ほど斬り倒した商人の傷が治り始めていることに。周りで震えていただけの獲物たちが我先にと逃げていくことに。状況が少しずつ変わり始めていることに。
そして背後に、何者かが立っていることに。
「…………」
恐る恐る、振り返る。警備が来るには早すぎる。いったい誰が? そう思って姿を確認し、狂人は絶句した。
立っていたのは一人の女性だった。ぞっとするほど美しい姿をした、たった一人の女性。彼女が状況を変えたのは明白だった。今まで狂人が斬ってきた獲物たちを緑色の光が包み、傷を癒している。彼女が、癒している。
「……私はただ夕飯の材料を買いに来ただけなのですが」
狂人が作り出した地獄の中に居てもなお、まるで日常のようにため息を吐く女性。輝くばかりの銀色の髪に、灰色の瞳が呆れたように狂人を見つめていた。
「な……ななな……」
女性は見かけ上は非力に見える。少なくとも遠くから見る限りでは先ほどの商人の方が強そうだ。けれど狂人は襲い掛かることが出来なかった。動くことすらできなかった。
次の瞬間には狂人は白目をむき、地面に倒れた。誰が何をしたのか、少なくとも現れた女性以外に分かる人は居なかった。
それからすぐ、三人の警備の者達が通りに駆け付けた。彼らが見たのは、無傷だが通りに倒れ込んでいる被害者たちと、気絶した犯人。彼の近くには落としたのか、刃物が無造作に投げ出されている。そしてそれ以外には不審な者も人影も、何も見つからなかった。
地獄を終わらせた灰色の瞳を持つ女性が何の痕跡もなく消えていることに、結局この時、気づける人は誰もいなかったのである。
とくに領主の屋敷のある領地の中央周辺は最近の発展がすさまじく、露店や人の行き来が頻繁に行われていた。
笑顔で商談を行う者や買い物に訪れた者、ただ散歩をしているだけの者、そういった穏やかな者達で通りは溢れていた。
けれど悲しいかな、誰もが穏やかというわけではない。いつも通りの日常が流れる通りを、その人物は外套にフードという姿で歩いていた。
「…………」
無言ながらもフードの影から覗く瞳は血走っていて、正気ではない。たった一人、背格好から男性なのは分かる。彼が誰で、今までどのような人生を送ってきて、そして何があったのかは誰にも分からない。
仕事に嫌気がさしたか、国の情勢を憂いたか、大切な人を失ったか、それを分かる者もいない。
ただその者はもう壊れていた。狂気に落ちた果てで自らもろとも破滅することを望むくらいには堕ちていた。
「はぁー……はぁー」
通りの真ん中で立ち止まり、荒い呼吸を繰り返す男。見開いた目の瞳は小刻みに揺れ、体は細かく震え、聞こえる程の息遣いに周りも何事だと気づき始める。
けれどそのような状態になっても男はただ前を向くのみ。いや、その瞳には何も映っていないのかもしれない。
普段、様子がおかしい人が居たらどうするか。そのことを心配し、声をかけるだろう。
「おいあんた……大丈夫か?」
今回もまた、たまたま通りかかった男性が案ずるように尋ねた。その対応は普通ならば正解だろう。男が体調不良で倒れそうなら、どこか休める場所に連れていこうとしたであろう男性は褒められるべきだ。
だが今回ばかりは対応を間違えた。
男は声を聞いて目線を通りかかった男性に向ける。狂気に満ちた瞳が男性を射抜いた瞬間。
「あああああああああああああ!!!」
外套の下から刃の短い剣を取り出し、急に斬りつけた。突然の行動に男性は目を見開き、そして。
「う、うわああああ!」
焼けるような激痛に悲鳴を上げる。その声を聞いて周りの人達も何事かとそちらを見れば、誰もが非常事態に気付き始めた。
「きゃあああああああ!」
「うわああああ! 逃げろぉ!」
「誰か! 誰か警備の人を呼んでくれ!」
阿鼻叫喚の地獄に早変わりする大通り。倒れた男性には目もくれずに、男は次の獲物を見つけてすぐに斬りかかる。ただ買い物に来ているだけの人が急に現れた刃物を持つ男に敵うわけもない。しかも人々は突然の事に混乱していて、淀みなく逃げることも出来ない状態だ。
男性が、女性が、女性が、男性が、次々と斬られて倒れていく。刃物には魔法がかかっているのか、どれだけ切り裂いても切れ味が落ちることはない。他者を傷つける刃が大通りで踊り続ける。
「ふ、ふざけんじゃねえ!」
そう声を上げて出てきたのは売り物である剣を手にした男性だった。この凶行を見逃せない彼は警備が到着するまで時間を稼ぐ算段だった。いやむしろ自分がこの狂った男を止めることすら一時期は考えた。
しかし。
「ひっ……」
血を浴びた男と目を合わせて彼は震えあがった。男は歪んだ笑顔を浮かべていて、この状況を楽しんでいた。もうこれで死んでもいいという気持ちが痛いほど伝わってくるくらいの、異常な者がそこに居た。
「嘘……だろ……」
彼はこの大通りで武器を売っているものの、武器そのものの扱いに長けているわけではない。振るったことは何度かあるものの、それを人に向けたことすらない。ましてや人を斬ったことなど。
「ああああああああああああ!!」
「う、うわああああああ!」
全速力で笑いながら襲い掛かる狂人相手に、武器を持っただけの商人が出来ることなど何もない。迫りくる恐怖に対応することなど出来る筈はなく、狂人に深く切り裂かれ、勇敢にも立ち向かった商人は地へと倒れていく。
たった一撃での、あっさりとした終わりだった。
「あひゃひゃひゃひゃ!」
狂ったように叫ぶ男はまだ狩りを終えていない。周りには腰を抜かした獲物たちが震えて無防備な姿をさらしている。
まだ時間があることを狂人は分かっていた。だから犯行現場にこんな場所を選んだ。これがサリアの街だったなら、きっと素早く警備の者達に取り押さえられていただろう。
だから狂人は、さらにこの殺戮を楽しもうとして。
「あひゃひゃ……はぁ?」
気づいてしまった。自分が先ほど斬り倒した商人の傷が治り始めていることに。周りで震えていただけの獲物たちが我先にと逃げていくことに。状況が少しずつ変わり始めていることに。
そして背後に、何者かが立っていることに。
「…………」
恐る恐る、振り返る。警備が来るには早すぎる。いったい誰が? そう思って姿を確認し、狂人は絶句した。
立っていたのは一人の女性だった。ぞっとするほど美しい姿をした、たった一人の女性。彼女が状況を変えたのは明白だった。今まで狂人が斬ってきた獲物たちを緑色の光が包み、傷を癒している。彼女が、癒している。
「……私はただ夕飯の材料を買いに来ただけなのですが」
狂人が作り出した地獄の中に居てもなお、まるで日常のようにため息を吐く女性。輝くばかりの銀色の髪に、灰色の瞳が呆れたように狂人を見つめていた。
「な……ななな……」
女性は見かけ上は非力に見える。少なくとも遠くから見る限りでは先ほどの商人の方が強そうだ。けれど狂人は襲い掛かることが出来なかった。動くことすらできなかった。
次の瞬間には狂人は白目をむき、地面に倒れた。誰が何をしたのか、少なくとも現れた女性以外に分かる人は居なかった。
それからすぐ、三人の警備の者達が通りに駆け付けた。彼らが見たのは、無傷だが通りに倒れ込んでいる被害者たちと、気絶した犯人。彼の近くには落としたのか、刃物が無造作に投げ出されている。そしてそれ以外には不審な者も人影も、何も見つからなかった。
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