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15.近付く影
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アイリスは呆然とした面持ちのまま、『銀色に輝く双龍の泪亭』の一階へと続く階段を再び降りた。
その足取りは重く、ここへやって来たような軽やかさは無い。
(……接吻、しちゃった……)
震える指先で自分の唇に触れ、アイリスは溜め息を吐いた。
もっと優しくて、ふわふわと甘くて幸せなものを想像していたのに、コーウェンからの熱を煽る荒々しい嵐のような口付けは、アイリスが想像していたものよりもずっと生々しくて、欲が籠もったものだった。
彼にとって、あの口付けに意味はあったのだろうか? 私をただ早く帰らせる為にしたのか、それとも――
(私が、結婚してくれなんてしつこく頼んだから、黙らせる為……とか?)
だとしたら、悲しい。
それでなくても、私からの求婚は断られたの……だし……。
(あー……私、振られちゃったんだ……)
まだ実感が無い。
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
なんだか全てが夢だったみたいに、先程の一連の流れに私自身がついて行けていない。
アイリスは、生まれて初めて好きになった初恋の人に、生まれて初めて振られると言う経験をしたのだ。
正面から告白して玉砕してしまうと言うのは、やはり結構キツいものがある。
子供の頃の約束を覚えていたのなら或いは……そう、思っていたのに、現実は思った通りにはいかない。
(私と結婚するのは、そんなに考えられ無いこと……なのかな?)
踏みしめる木製の階段が軋んだ音を立てたら、胸もぎしりと痛くなった。
自分でも突然すぎたとは思っている。
最初は相談だけでもと考えていた。だけど、私だって馬鹿じゃ無い。ただ彼に相談したところでどうにかなるような話では無いことくらい、とっくに気付いていた。
コーウェンに求婚することは、私なりに悩んで、考え出した最良の方法だと思ったの。
(でも、彼にとっては……最良では無かった)
私は、確かにコーウェンよりも後に生まれた。
そればかりは、今後何があっても不可変の事実。
両親と彼の間に何があったのか分からないし、自分には与り知らぬことだけれど、それを自分と彼との間にある障壁として感じて欲しくは無かったし、大人になった今なら、彼は私を受けていれてくれるかもしれないなんて期待していた。
(私だって……いつまでも子供のままじゃ無いんだよ? コーウェン……)
再び酒場の喧騒が聞こえてくる。今日も宿は繁盛しているようだ。
(……これから、どうしよう?)
素直に邸に戻るのか、それともまだ、どこかへ逃げるべきだろうか?
(皆、探しているわよね。ロイスも父上に酷く怒られていないかしら?)
『銀色に輝く双龍の泪亭』に来ることすら言わずに置いて来た、いつもアイリスの護衛をしている寡黙な青年の顔を思い浮かべ、アイリスは申し訳ない気持ちで一杯になる。
(帰る……べき、なのよね?)
母上は、恐らく私がここに来ることを知っているのではないかと言う気がした。頼みの綱のコーウェンには素気無くされたし、父に大目玉を食らっても、私は結局邸に帰るしかない。
忙しく駆け回る酒場の見習いと思しき青年が、気配を感じにくくなっているアイリスのすぐ脇をすり抜けて行く。
ドン!
「――ッ、わわっ?」
「っ、おっと! ごめんよー……って、あれ? ……何かに……ぶつかったはずだけど……??」
肩がぶつかった彼が、キョロキョロと周囲を見回している。
一瞬、アイリスに目を留められるが、視線は直ぐに素通りしていく。
(びっくりした……でも、大丈夫だったみたい……?)
外套のおかげで気配が感じにくいだけで、アイリスがここに居ることは変わりない。触れれば感触が有るし、見えもする。
ただ、その存在を認識されにくくなる。そういう魔術が、この外套の裏地にある花のような刺繍には縫い込まれている。
しかし、今はもう、力が弱まっているのかもしれない。
元々は、母上の母……つまり、アイリスの祖母が娘である母上を守る為にかけた魔術で、母上が使っていた頃は、髪や顔立ちも目立たないようにするような、もっと強い術がかかっていたようだ。だが、先程ぶつかって、ほんの僅かでも自分に目を留めたのは、本当に普通の見習いの青年だ。
元々、このアルディアと言う国には魔術師がほとんど居ない。例えば、魔術を扱う騎士として、国内外にもそれなりに名の知れたアイリスの父エーディス公爵ユーリは、魔力を得る為に、その身に魔眼と言う強力な呪を刻んで魔術を扱っている。
そもそも、魔力を持つ人間があまり居ないのだ。
だから、魔術とは何の関わりの無さそうな見習いの青年が……
魔力を持たない人間が魔術のかかっている人間に気づいたということは、術のどこかに綻びがあるか、術の魔力が薄れているということだと、以前に父から聞いた事がある。
(この刺繍のどこかに綻びがあるのかしら? 手にした時は気づかなかったけれど……)
この町の大半の人間と同じように、アイリスには魔力が無い。
――だから、気付かなかった。
外套の裾をつまむアイリスを、じっと見つめる存在がある事に。
「――――」
酒場の片隅、カウンターの一番奥まった場所で片手に酒を持つ男は、口の端を微かに釣り上げると、そっとグラスを置いて立ち上がった。
その足取りは重く、ここへやって来たような軽やかさは無い。
(……接吻、しちゃった……)
震える指先で自分の唇に触れ、アイリスは溜め息を吐いた。
もっと優しくて、ふわふわと甘くて幸せなものを想像していたのに、コーウェンからの熱を煽る荒々しい嵐のような口付けは、アイリスが想像していたものよりもずっと生々しくて、欲が籠もったものだった。
彼にとって、あの口付けに意味はあったのだろうか? 私をただ早く帰らせる為にしたのか、それとも――
(私が、結婚してくれなんてしつこく頼んだから、黙らせる為……とか?)
だとしたら、悲しい。
それでなくても、私からの求婚は断られたの……だし……。
(あー……私、振られちゃったんだ……)
まだ実感が無い。
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
なんだか全てが夢だったみたいに、先程の一連の流れに私自身がついて行けていない。
アイリスは、生まれて初めて好きになった初恋の人に、生まれて初めて振られると言う経験をしたのだ。
正面から告白して玉砕してしまうと言うのは、やはり結構キツいものがある。
子供の頃の約束を覚えていたのなら或いは……そう、思っていたのに、現実は思った通りにはいかない。
(私と結婚するのは、そんなに考えられ無いこと……なのかな?)
踏みしめる木製の階段が軋んだ音を立てたら、胸もぎしりと痛くなった。
自分でも突然すぎたとは思っている。
最初は相談だけでもと考えていた。だけど、私だって馬鹿じゃ無い。ただ彼に相談したところでどうにかなるような話では無いことくらい、とっくに気付いていた。
コーウェンに求婚することは、私なりに悩んで、考え出した最良の方法だと思ったの。
(でも、彼にとっては……最良では無かった)
私は、確かにコーウェンよりも後に生まれた。
そればかりは、今後何があっても不可変の事実。
両親と彼の間に何があったのか分からないし、自分には与り知らぬことだけれど、それを自分と彼との間にある障壁として感じて欲しくは無かったし、大人になった今なら、彼は私を受けていれてくれるかもしれないなんて期待していた。
(私だって……いつまでも子供のままじゃ無いんだよ? コーウェン……)
再び酒場の喧騒が聞こえてくる。今日も宿は繁盛しているようだ。
(……これから、どうしよう?)
素直に邸に戻るのか、それともまだ、どこかへ逃げるべきだろうか?
(皆、探しているわよね。ロイスも父上に酷く怒られていないかしら?)
『銀色に輝く双龍の泪亭』に来ることすら言わずに置いて来た、いつもアイリスの護衛をしている寡黙な青年の顔を思い浮かべ、アイリスは申し訳ない気持ちで一杯になる。
(帰る……べき、なのよね?)
母上は、恐らく私がここに来ることを知っているのではないかと言う気がした。頼みの綱のコーウェンには素気無くされたし、父に大目玉を食らっても、私は結局邸に帰るしかない。
忙しく駆け回る酒場の見習いと思しき青年が、気配を感じにくくなっているアイリスのすぐ脇をすり抜けて行く。
ドン!
「――ッ、わわっ?」
「っ、おっと! ごめんよー……って、あれ? ……何かに……ぶつかったはずだけど……??」
肩がぶつかった彼が、キョロキョロと周囲を見回している。
一瞬、アイリスに目を留められるが、視線は直ぐに素通りしていく。
(びっくりした……でも、大丈夫だったみたい……?)
外套のおかげで気配が感じにくいだけで、アイリスがここに居ることは変わりない。触れれば感触が有るし、見えもする。
ただ、その存在を認識されにくくなる。そういう魔術が、この外套の裏地にある花のような刺繍には縫い込まれている。
しかし、今はもう、力が弱まっているのかもしれない。
元々は、母上の母……つまり、アイリスの祖母が娘である母上を守る為にかけた魔術で、母上が使っていた頃は、髪や顔立ちも目立たないようにするような、もっと強い術がかかっていたようだ。だが、先程ぶつかって、ほんの僅かでも自分に目を留めたのは、本当に普通の見習いの青年だ。
元々、このアルディアと言う国には魔術師がほとんど居ない。例えば、魔術を扱う騎士として、国内外にもそれなりに名の知れたアイリスの父エーディス公爵ユーリは、魔力を得る為に、その身に魔眼と言う強力な呪を刻んで魔術を扱っている。
そもそも、魔力を持つ人間があまり居ないのだ。
だから、魔術とは何の関わりの無さそうな見習いの青年が……
魔力を持たない人間が魔術のかかっている人間に気づいたということは、術のどこかに綻びがあるか、術の魔力が薄れているということだと、以前に父から聞いた事がある。
(この刺繍のどこかに綻びがあるのかしら? 手にした時は気づかなかったけれど……)
この町の大半の人間と同じように、アイリスには魔力が無い。
――だから、気付かなかった。
外套の裾をつまむアイリスを、じっと見つめる存在がある事に。
「――――」
酒場の片隅、カウンターの一番奥まった場所で片手に酒を持つ男は、口の端を微かに釣り上げると、そっとグラスを置いて立ち上がった。
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