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25.魔術師の花嫁
しおりを挟む二人の会話について行けず、アイリスはコーウェンの胸にただ力一杯縋り付いていた。
アイリスとコーウェンの足元から、渦巻く風が二人を守るように吹き上げている。
メンフィスは、ふたりを愉しそうに見つめ……やがて、笑った。
「くっ……あはははっ」
「何がおかしい!」
アイリスがコーウェンの胸に縋る手に力を込めると、それに応えるように、彼女を包む腕に力がこもる。
「これが笑わずに居られない訳ないだろう? だって、アンタは力の劣る俺に出し抜かれたんだからさぁ?」
あはははは。と、耳に障る笑い声を上げて、メンフィスはコーウェンに勝ち誇る。
ぎり、とコーウェンが奥歯を噛み締めた。
(……コーウェン?)
思わず不安げに見上げたアイリスに、彼女を見ずに前を向いたまま、コーウェンはメンフィスに聞こえないくらいの小さな声で囁く。
「アイリス、お前……俺が合図をしたら、俺に力一杯しがみ付け。いいか? 今よりきつくだ……絶対に離れるんじゃねぇぞ?」
「なぁにをコソコソと話しているのかな? 逃げる算段でもしてるのかなぁ? はははっ……そんなことしても、無駄だけどね!」
メンフィスは楽しそうにこちらを観察している。
アイリスは彼の腕の中でよく分からないまま、こくこくと小さく頷く。
「……いい子だ」
すると、少し柔らかな声でコーウェンはそう言って、背中に回っていた腕を持ち上げ、ぽんと頭に手を置き、口を閉ざした。アイリスはまた子供扱いされたようで不満に感じてはいたが、その声と手があまりにも優しかったから、抗議をする気も起きなかった。
(彼を信じていれば、いい)
そこには彼に対する安心感しか、無かった。
「アイリス!!」
アイリスを呼ぶ声に、はっとして、彼女は言われた通り、コーウェンの背中に腕を回し、力一杯しがみついた。
ゴォォー……ッ、と低い唸り声を上げて渦巻く風が突然吹き上がり、それと同時に蒼白い稲妻のような光がメンフィスに向かって放たれた。
「チィ……ッ――!!」
メンフィスが舌打ちをしながら、飛び出び退り、背後の窓へとそのまま身を躍らせた。
――ガシャーン……
窓が割れた音と、風の吹き荒ぶ轟音と共に、邸の壁や床、屋根が軋み、部屋全体にコーウェンの渦巻く風の魔術が充満する。破壊された木片や、軋む壁や屋根を突き破り、それらを巻き込みながら、まるで竜巻きのように膨れ上がったその風の中心で、アイリスはコーウェンの身体に飛ばされないようにしがみついていた。
「……ッ!!」
アイリスがメンフィスの方へと振り向くことが出来る程、余裕は無い。
部屋の中はこんなにも荒れていたのに、窓の外は静かな夜の闇があるばかりだ。
「逃げたか……」
ぽつり、とコーウェンが呟いたのを皮切りに、風が収まって行く。やがて、その部屋には沈黙が落ちた。メンフィスは窓ガラスを割り、邸の外へと逃げたようだ。
「アイリス? もう、大丈夫だぞ。……一先ずは、な」
アイリスをしっかりと抱きしめていた腕が緩む。温もりが急に遠くなるのを感じて心細くなり、アイリスは再びぎゅっと彼の胸に抱きついた。
「怖かったのか?」
アイリスの大好きなコーウェンの穏やかな声が聞こえると、却って堪えていた何かを外してしまい、思わず涙がはらりと溢れた。
胸がきゅっと痛くなり、目の奥が熱くなって、それから……自分でもそれが何故だか分からないけれど、堰を切ったように次から次へと涙が盛り上がり、彼の胸元を濡らしていった。
ぽん、ぽん、と頭に大きな手を置かれて、すっかり乱れているであろう柔らかな白金髪を優しく梳くように撫でられると、それだけはと……アイリスが必死に抑えて我慢していたはずの、鳴咽が漏れる。
「……っ……ご、めん……なさっ……ぃ」
(自分の我儘で、こんなことになってしまった。コーウェンを……巻き込んでしまった……)
この人を振り回すつもりなんて無かったのに。
「……アイリス、泣くな」
「っ、でもっ……わた、わたし……」
「泣くな。……泣くなって。アイリス、お前は悪くない。あの晩、女のお前を一人で帰らせちまった俺が一番悪ぃんだ。だから、泣くなって!」
先程とは違い、少し慌てたようにがしがしと頭を乱暴に撫でられる。コーウェンの言っていることも聞いてはいるが、邸を自分の浅はかな考えで飛び出した自分に一番非があることは良く分かっている。
だから、アイリスが自分を責めさせない為のコーウェンの優しさが余計に身に沁みて辛い。
(コーウェン……)
それなのに。
そんな自分の心の奥底には、彼に迷惑をかけたと知りながら、この場に自分を探して彼が自ら来てくれたということに歓喜を覚えた部分があるのを、見て見ぬ振りは出来ない。
(私は、何て自分勝手で、愚かなのだろう……迷惑をかけたのに、こうして探し出してくれたことが嬉しいだなんて)
浅ましい私。でも、それでも――。
「コーウェン……っ、く、来てくれて、あり、がとう……」
アイリスは鳴咽の狭間、ひくひくと喉を痙攣らせながら、それだけ声を絞り出して口にすると、コーウェンを見上げ、泣き笑いの表情を浮かべた。
涙に濡れた彼女を見下ろし、コーウェンはその濡れた頬にそっと指先を滑らせて拭うと、そのまま、静かに声をかけるでも無く、アイリスの唇に自らの唇を強引に押し付けた。
「――?!」
少しカサついた薄い唇が、アイリスのぽってりとした唇を覆い、息もつかせぬように角度を変えて押し付けられる。
頭の後ろをコーウェンの大きな手が覆い、逃れることを許さぬ程、隙間無く合わされる。
ただ、その柔らかさを感じて、互いに息遣いを感じて、まるで時が止まったように感じた。
コーウェンの起こした嵐の後、瓦礫の散らばった沈黙を守る部屋の中で、自分の鼓動が大きくなるのを感じながら。
キスの間にうっすらと開けた瞳がコーウェンの琥珀の瞳に射抜かれると、鼓動がどくんと大きく跳ねた。
「――ッ、ンん?!」
するりと唇の間から、コーウェンのざらりとした熱い舌が滑り込み、どうしたら良いのか分からず戸惑うアイリスのそれに絡む。そっとそれを扱くように絡まされ、吸い上げられ、歯茎の裏に触れられると、背中をぞくぞくとした感覚が伝う。頭の奥が熱く熟れて息をするのを忘れそうなほど、くらくらする。
何も考えられ無くなる。
琥珀の瞳は彼女を愛しげに見つめながらどこか揶揄うように細められている。彼女が拙いながら応えようとしていることがいじらしいのだ。柔らかく唇を合わされて、溢れそうな唾液すらも飲み込ませるように、文字通り貪られて、アイリスの身体から力が抜けた。
「……ッ、っと!」
かくん、と膝から力の抜けたアイリスの身体をコーウェンが抱き留める。力の入らない彼女を見下ろし、コーウェンは笑った。
「帰ろう。アイリス」
これ以上無いほど真っ赤に染まった顔でこくり、と頷くアイリスの瞳からは涙は消えていた。
その代わり、その目に浮かぶのは確かな感情。
「……コーウェンのばか」
「何だ?」
小さな呟きは、彼には届かぬままだ。
どきどきと脈打つ鼓動は、甘く、切なく、アイリスの中で響き出している。
(何で、キスしたの?)
大きな手をアイリスに差し出し、コーウェンは彼女の手を取ると、魔術師の邸を出る為に歩き出した。
アイリスは彼に手を引かれながら、ふと、先程のメンフィスとコーウェンの会話を思い出した。
――花嫁となった。
――契約は完了している……
たった今、感じた甘やかなひと時の余韻が吹き飛ぶ。
頭が冷える。
徐々に、コーウェンを思い出す前に見た白いふわふわとした夢のことを思い出す。
メンフィスを、自分の好きな人だと信じている、夢。
「コーウェン……私、メンフィスの花嫁になったの?」
あれが、夢じゃなかったとすれば……私は、メンフィスに――?!
「……大丈夫だ。お前はアイツの花嫁なんかにゃなってねぇ」
「嘘ッ!!」
「嘘じゃねぇ!」
だって、メンフィスは契約は完了しているって……
「なってねぇっつったら、なってねぇ!!」
「……っ、だって……」
「うるせぇな、あんまりグダグタ言うともっかいキスして黙らせるぞ!」
「なっ――」
言うが早いか、コーウェンはアイリスの唇を貪った。
「んんーっ……ん?!」
ぱしぱし、と彼の胸を叩いて押し退けようとしても、彼はびくともしない。
「――ぷはっ」
暫くして、酸欠と先程からの熱いキスの嵐で頭がぼんやりとして来た頃、コーウェンはアイリスを離した。今度こそ、完全に力の抜けたアイリスは、その場にへたり込んだ。熱に潤んだ瞳でコーウェンを見上げて、やっと酸欠になった肺に酸素を取り込む為に喘ぐように息を吸った。
「魔術師の世界じゃ、術師を超える魔術師には、どんな術でも無に出来るんだよ。……やろうと思えば、な。だから、アイリス」
「……はぁっ、はぁっ……っ??」
「お前を俺の花嫁にする」
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