14 / 55
ダイヤモンド
◇ 14
しおりを挟む
年上の恋人からのクリスマスプレゼントはダイヤモンドのペンダントだった。いつも身につけておくようにという言葉もセットである。
こんな高価な贈り物を男性からもらうのは初めての経験で、雪乃はかなり戸惑っていた。そもそもプレゼントと呼べるものを彼氏から貰ったことすら数えるほどなのだ。それこそ鷹瑛がくれた髪飾りのようにささやかなものまで含めても。
物への愛着が値段で決まるとは思わない。けれども、そういった事情やもらったシチュエーションを考えれば、言われたことをきちんと守って大切にしようと雪乃が決意したのも自然の流れといえた。
外出前には鏡の前で身だしなみの最終チェックをする。そのたび目線は首元の輝きに引き付けられる。小粒のダイヤモンドはキラリと上品な光を放っており、身につける側としては心が浮き立つよりも引き締まるほうが大きい。
美しい石に比べて、鏡に映る自分の地味なことときたら。
あまりに不釣り合いに思えて、片付けたはずのメイクボックスを再度持ち出した。ペンダントを受け取ってからというもの、それに見合うメイクができず、毎日悪戦苦闘している。
せめてもう少しだけでもアクセサリーにふさわしい女性になりたい。そうでないと、せっかく贈ってくれた鷹瑛に申し訳ない。
しかし、手持ちのコスメでできるかぎりの努力をしてみても、どこかしっくり来ないまま出掛けるべき時間が来てしまう。今日も納得できる出来栄えにはほど遠かった。
年末年始休暇の一日目である今日は、日中に部屋の掃除をした。このあと友人と飲みに出かける。
十二月の太陽がとっぷり暮れ、照明に照らされた室内はすでに塵一つなく清められていた。いつでも年越しを迎えられる状態だ。玄関で振り返ってもう一度確認すると、よしと頷いてコートを羽織り、待ち合わせの場所に向かった。
年末のどこか忙しない空気を感じつつ駅前のモニュメントの前で立ち止まる。時計を見上げると、十八時十分前だ。人を待たせることが好きではないので、いつもこのくらいの余裕を持つようにしている。友人も基本的に五分前行動の人なので早々に落ち合えるはずだ。
隙間時間でメールでも見ておこうと取り出したスマートフォンは、画面の左上でランプを点滅させ、新着を知らせていた。アプリを開くと、鷹瑛からメッセージが届いている。
『二日に初詣行かないか?』
吹き出しの中に表示されたのは、用件のみの簡素な言葉だ。ほんの一言にすぎないのに、胸がきゅっと小さく鼓動した。
例年よりも長めの年末年始休暇でしばらく彼に会えないことを残念に思っていたのだ。この誘いは雪乃の心を浮き立たせた。
いそいそと了解の返信を打ち込んで送信ボタンをタップし、顔をほころばせてスマートフォンをバッグに戻す。
「なににやにやしてんの?」
「わっ」
友人の美穂がいつの間にやら目の前に立っていた。
「ちょっと、おどかさないで。来てるならさっさと声かけてくれればいいのに」
「あんたがめずらしくにやにやしてスマホ見てるからよ。つい観察しちゃったじゃない」
「に、にやにやなんてしてないっ」
口元を隠すように押さえる。頬は多少緩んでいたかもしれないが、微笑みの範疇のはずだ。高校時代からの友人である美穂は付き合いが長いぶん小さな表情の変化にもすぐ気がついてしまう。迂闊な顔は見せるまいと、意図して真顔を取り繕った。
美穂は面白そうに口端を引き上げる。
「ふうん? 誤魔化そうとしても、あんたの恰好見ればなんか良いことあったなってのは想像つくけど?」
その視線が後頭部の髪留めにちらりと移る。雪乃はかすかな緊張を覚えて目線を下げた。
今日付けている髪飾りは鷹瑛がくれた仕事用のものではない。くちばし型のクリップなのは同じだが、透かし模様が入ったシルバーのボディにラインストーンとパールが上品に散りばめられた品は、自ら勇気を出して購入したお洒落アイテムである。
普段目立ったアクセサリーに手を出さないだけに、この冒険が友人にどう評価されるのか気にかかっていた。
「変……かな?」
派手だったかもしれない。不安を紛らわせようとこめかみから降りる髪をいじってみる。そんな仕草を美穂はふっと吐息で笑った。
「安心して。似合ってる。もっと華やかにしてもいいくらい。メイクもいつもより頑張ってるみたいだし」
雪乃の頬がさっと熱くなる。密かな努力に気づいてもらえるのは嬉しいが、気恥ずかしさがまさってしまうのだ。
それでも意識して友人の目を見返した。
「あ、ありがと……」
嬉しいんだったら、ありがとう。彼の言葉が前向きな気持ちを後押ししてくれていた。
さばさばした性格の美穂は、そこからの予想を裏切らない大酒飲みである。竹を割ったような性格は容姿にも表れていて、彼女はかっこいいタイプの美人だ。なので、ウイスキーのロックを傾けていたりすると、非常に絵になる。
「そのネックレス、やっぱダイヤなんだ。やたらキラキラしてるの付けてるなーとは思ったのよ。あんたの新しい彼氏ってそういところもあるんだ?」
三杯目に突入していい具合に酔いが回ったらしく、目の前に座した彼女はいつもの二割増しで饒舌だ。こうなるとあけすけにいろいろと突っ込んでくるので、雪乃はたじたじになる。
「そういうところって、どういう?」
好んで飲む赤ワインのグラスをテーブルに戻しながら問い返した。
「彼女に自分の印を付けときたい、的な。ネックレスって、首輪でしょ?」
ひゅっとワインの滴を気管に吸い込んで、思い切りむせてしまった。げほっげほっと咳を繰り返していると、美穂に背中をさすられる。
「あらあら。純粋な雪乃ちゃんには首輪は刺激的だったかなー?」
「ちが、っ……そうじゃなくて……っ、けほ」
息を整えながら思うのは、首輪なんて束縛するようなことを鷹瑛は絶対に考えないということだ。あの完璧で優しい振る舞いの裏に、そんな身勝手な思考があるはずもない。
このペンダントをくれたときだって――思い出すと、雪乃の胸には羞恥や畏れが入り混じった複雑な気持ちが込み上げる。けれども一番に思うのは、「君の価値を信じている」と言ってくれた鷹瑛を裏切らない自分でいたいということだ。
そんな勇気を与えてくれた彼からのプレゼントである。心から雪乃のためを思って贈ってくれたのに違いない。
軽い咳払いで喉の調子を整えた。
「あのね、氷室課長は優しい人だから、それはないと思うの。私の自信になるようにって、そういうニュアンスだったし」
真面目に異を唱えたのに、美穂は「えー、そう?」と顎に指を当てる。
「絶対そういう意味もあると思うんだけど。だって、健全な男でしょ?」
「健全な男性がみんな美穂の言うとおりとは限らないでしょ?」
「まあ、そうだけど。雪乃を選ぶ男って絶対独占欲強いと思うけどなあ」
「ど……」
独占欲なんて。
ありえない、と手を振った。あの穏やかな鷹瑛に限ってそんな狭量な考えを抱くわけがない。
「ぜっったい、ないから」
「えー、おもしろくなーい」
ちぇーっと唇を尖らせた美穂は、しかしなにか思い直したのか、すぐに表情を改めた。
「ま、でも。雪乃にはそれくらいのほうがいいね。今までは自分勝手な男ばっかりだったから。ようやく雪乃を安心して任せられる男が現れて嬉しい!」
「……うん」
雪乃ははにかんだ。
自分の異性関係では周囲に心配をかけてばかりだっただけに、純粋に祝福してもらえる相手がいる今は充分幸せだ。恋人に対する悩みが尽きたわけではない。しかしそれを口にするのは、この笑顔を曇らせてしまいそうではばかられた。
代わりに、小さな相談事を打ち明ける。
「それでね、美穂。お願いがあるんだけど」
「わあ、めずしい。なあに?」
「あの、メイクのしかたを教えてほしくて。あ、髪も。朝のお手入れとか、どうしてるのかなって」
膝の上で両手の指をもじもじと絡ませる。二十七にもなって、身だしなみの基礎ともいえる部分の教えを請うのは照れくさい。
美穂はしばらくきょとんとしていたが、そのお願いを理解すると、にっと口を弓なりにして笑う。
「もちろんいいよ。というか、やっとかって感じ。雪乃はもとがいいから、メイクとかきちんとしないともったいないと思ってたの」
雪乃の顎に指を当ててくいと上げさせると、その顔をまじまじと観察した。
「ふふーん? なかなかメイクしがいのありそうな顔ね。ちょっと童顔だから、大人っぽく仕上げる感じでいこうか?」
大人っぽいというキーワードにぴくっと肩が反応した。
「そう、そういう感じ」
希望としては、鷹瑛の隣に並ぶにふさわしい大人の女性を目指したいのだ。
「オーケー。早速やってみる? 善は急げだし。今晩は雪乃のうち泊まってもいい?」
思いのほかやる気を出してくれた頼もしい友人に、こくこくと頷いた。「よしっ」と拳を握った美穂が店員にお会計を頼む。
支払いを済ませて早々に店をあとにした二人は、途中のドラッグストアでメイク道具を買い足すと、まっすぐに雪乃の部屋に向かった。
こんな高価な贈り物を男性からもらうのは初めての経験で、雪乃はかなり戸惑っていた。そもそもプレゼントと呼べるものを彼氏から貰ったことすら数えるほどなのだ。それこそ鷹瑛がくれた髪飾りのようにささやかなものまで含めても。
物への愛着が値段で決まるとは思わない。けれども、そういった事情やもらったシチュエーションを考えれば、言われたことをきちんと守って大切にしようと雪乃が決意したのも自然の流れといえた。
外出前には鏡の前で身だしなみの最終チェックをする。そのたび目線は首元の輝きに引き付けられる。小粒のダイヤモンドはキラリと上品な光を放っており、身につける側としては心が浮き立つよりも引き締まるほうが大きい。
美しい石に比べて、鏡に映る自分の地味なことときたら。
あまりに不釣り合いに思えて、片付けたはずのメイクボックスを再度持ち出した。ペンダントを受け取ってからというもの、それに見合うメイクができず、毎日悪戦苦闘している。
せめてもう少しだけでもアクセサリーにふさわしい女性になりたい。そうでないと、せっかく贈ってくれた鷹瑛に申し訳ない。
しかし、手持ちのコスメでできるかぎりの努力をしてみても、どこかしっくり来ないまま出掛けるべき時間が来てしまう。今日も納得できる出来栄えにはほど遠かった。
年末年始休暇の一日目である今日は、日中に部屋の掃除をした。このあと友人と飲みに出かける。
十二月の太陽がとっぷり暮れ、照明に照らされた室内はすでに塵一つなく清められていた。いつでも年越しを迎えられる状態だ。玄関で振り返ってもう一度確認すると、よしと頷いてコートを羽織り、待ち合わせの場所に向かった。
年末のどこか忙しない空気を感じつつ駅前のモニュメントの前で立ち止まる。時計を見上げると、十八時十分前だ。人を待たせることが好きではないので、いつもこのくらいの余裕を持つようにしている。友人も基本的に五分前行動の人なので早々に落ち合えるはずだ。
隙間時間でメールでも見ておこうと取り出したスマートフォンは、画面の左上でランプを点滅させ、新着を知らせていた。アプリを開くと、鷹瑛からメッセージが届いている。
『二日に初詣行かないか?』
吹き出しの中に表示されたのは、用件のみの簡素な言葉だ。ほんの一言にすぎないのに、胸がきゅっと小さく鼓動した。
例年よりも長めの年末年始休暇でしばらく彼に会えないことを残念に思っていたのだ。この誘いは雪乃の心を浮き立たせた。
いそいそと了解の返信を打ち込んで送信ボタンをタップし、顔をほころばせてスマートフォンをバッグに戻す。
「なににやにやしてんの?」
「わっ」
友人の美穂がいつの間にやら目の前に立っていた。
「ちょっと、おどかさないで。来てるならさっさと声かけてくれればいいのに」
「あんたがめずらしくにやにやしてスマホ見てるからよ。つい観察しちゃったじゃない」
「に、にやにやなんてしてないっ」
口元を隠すように押さえる。頬は多少緩んでいたかもしれないが、微笑みの範疇のはずだ。高校時代からの友人である美穂は付き合いが長いぶん小さな表情の変化にもすぐ気がついてしまう。迂闊な顔は見せるまいと、意図して真顔を取り繕った。
美穂は面白そうに口端を引き上げる。
「ふうん? 誤魔化そうとしても、あんたの恰好見ればなんか良いことあったなってのは想像つくけど?」
その視線が後頭部の髪留めにちらりと移る。雪乃はかすかな緊張を覚えて目線を下げた。
今日付けている髪飾りは鷹瑛がくれた仕事用のものではない。くちばし型のクリップなのは同じだが、透かし模様が入ったシルバーのボディにラインストーンとパールが上品に散りばめられた品は、自ら勇気を出して購入したお洒落アイテムである。
普段目立ったアクセサリーに手を出さないだけに、この冒険が友人にどう評価されるのか気にかかっていた。
「変……かな?」
派手だったかもしれない。不安を紛らわせようとこめかみから降りる髪をいじってみる。そんな仕草を美穂はふっと吐息で笑った。
「安心して。似合ってる。もっと華やかにしてもいいくらい。メイクもいつもより頑張ってるみたいだし」
雪乃の頬がさっと熱くなる。密かな努力に気づいてもらえるのは嬉しいが、気恥ずかしさがまさってしまうのだ。
それでも意識して友人の目を見返した。
「あ、ありがと……」
嬉しいんだったら、ありがとう。彼の言葉が前向きな気持ちを後押ししてくれていた。
さばさばした性格の美穂は、そこからの予想を裏切らない大酒飲みである。竹を割ったような性格は容姿にも表れていて、彼女はかっこいいタイプの美人だ。なので、ウイスキーのロックを傾けていたりすると、非常に絵になる。
「そのネックレス、やっぱダイヤなんだ。やたらキラキラしてるの付けてるなーとは思ったのよ。あんたの新しい彼氏ってそういところもあるんだ?」
三杯目に突入していい具合に酔いが回ったらしく、目の前に座した彼女はいつもの二割増しで饒舌だ。こうなるとあけすけにいろいろと突っ込んでくるので、雪乃はたじたじになる。
「そういうところって、どういう?」
好んで飲む赤ワインのグラスをテーブルに戻しながら問い返した。
「彼女に自分の印を付けときたい、的な。ネックレスって、首輪でしょ?」
ひゅっとワインの滴を気管に吸い込んで、思い切りむせてしまった。げほっげほっと咳を繰り返していると、美穂に背中をさすられる。
「あらあら。純粋な雪乃ちゃんには首輪は刺激的だったかなー?」
「ちが、っ……そうじゃなくて……っ、けほ」
息を整えながら思うのは、首輪なんて束縛するようなことを鷹瑛は絶対に考えないということだ。あの完璧で優しい振る舞いの裏に、そんな身勝手な思考があるはずもない。
このペンダントをくれたときだって――思い出すと、雪乃の胸には羞恥や畏れが入り混じった複雑な気持ちが込み上げる。けれども一番に思うのは、「君の価値を信じている」と言ってくれた鷹瑛を裏切らない自分でいたいということだ。
そんな勇気を与えてくれた彼からのプレゼントである。心から雪乃のためを思って贈ってくれたのに違いない。
軽い咳払いで喉の調子を整えた。
「あのね、氷室課長は優しい人だから、それはないと思うの。私の自信になるようにって、そういうニュアンスだったし」
真面目に異を唱えたのに、美穂は「えー、そう?」と顎に指を当てる。
「絶対そういう意味もあると思うんだけど。だって、健全な男でしょ?」
「健全な男性がみんな美穂の言うとおりとは限らないでしょ?」
「まあ、そうだけど。雪乃を選ぶ男って絶対独占欲強いと思うけどなあ」
「ど……」
独占欲なんて。
ありえない、と手を振った。あの穏やかな鷹瑛に限ってそんな狭量な考えを抱くわけがない。
「ぜっったい、ないから」
「えー、おもしろくなーい」
ちぇーっと唇を尖らせた美穂は、しかしなにか思い直したのか、すぐに表情を改めた。
「ま、でも。雪乃にはそれくらいのほうがいいね。今までは自分勝手な男ばっかりだったから。ようやく雪乃を安心して任せられる男が現れて嬉しい!」
「……うん」
雪乃ははにかんだ。
自分の異性関係では周囲に心配をかけてばかりだっただけに、純粋に祝福してもらえる相手がいる今は充分幸せだ。恋人に対する悩みが尽きたわけではない。しかしそれを口にするのは、この笑顔を曇らせてしまいそうではばかられた。
代わりに、小さな相談事を打ち明ける。
「それでね、美穂。お願いがあるんだけど」
「わあ、めずしい。なあに?」
「あの、メイクのしかたを教えてほしくて。あ、髪も。朝のお手入れとか、どうしてるのかなって」
膝の上で両手の指をもじもじと絡ませる。二十七にもなって、身だしなみの基礎ともいえる部分の教えを請うのは照れくさい。
美穂はしばらくきょとんとしていたが、そのお願いを理解すると、にっと口を弓なりにして笑う。
「もちろんいいよ。というか、やっとかって感じ。雪乃はもとがいいから、メイクとかきちんとしないともったいないと思ってたの」
雪乃の顎に指を当ててくいと上げさせると、その顔をまじまじと観察した。
「ふふーん? なかなかメイクしがいのありそうな顔ね。ちょっと童顔だから、大人っぽく仕上げる感じでいこうか?」
大人っぽいというキーワードにぴくっと肩が反応した。
「そう、そういう感じ」
希望としては、鷹瑛の隣に並ぶにふさわしい大人の女性を目指したいのだ。
「オーケー。早速やってみる? 善は急げだし。今晩は雪乃のうち泊まってもいい?」
思いのほかやる気を出してくれた頼もしい友人に、こくこくと頷いた。「よしっ」と拳を握った美穂が店員にお会計を頼む。
支払いを済ませて早々に店をあとにした二人は、途中のドラッグストアでメイク道具を買い足すと、まっすぐに雪乃の部屋に向かった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
520
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる