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義実家との関係
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2年前。
トイレから出た遥は和希に駆け寄り言った。その目は赤く充血し今にも涙が落ちそうだった。
「また、駄目だったよ。」
和希は落胆の色をその瞳に浮かべるも、すぐに遥を抱き締めた。
「大丈夫。また頑張ろう。」
「うん…。」
ジクジク…と遥の腹部が痛んだ。流れた涙が頬を濡らす。
「頑張ろう…か。」
呟いた声は小さくて、和希には届かない。遥は和希の大きな胸に顔を寄せた。
どのくらいそうしていたのだろうか。時計の秒針の音の中に、遥の鼻を啜る音が混ざる。
和希のポケットがブーと音を立てて震えた。
「…あっ、母さんからだ。」
和希は遥をチラリと見て、ゴメン…と小声で告げてから寝室に向かう。
「…母さん?…あぁ。また駄目だったよ。……そう言うなよ。遥だって頑張ってるんだから。…………今度の週末?うーん…遥に聞いてみるけど。」
遥は和希の背中を視線で追いながらリビングのローソファーにドサリと座り込み、次いで自分の手……フレンチピンクのネイルを見詰めた。
「次、何色にしようかな…。」
ポツリ、独り言が漏れる。ぎゅっと腹部が痛んだ気がして手の平で撫でる。
「いつ、来てくれるんだろうね。」
不妊治療を始めてからもう何年が経っただろう。当初すぐに出来ると思っていた子どもは、なかなか授かることが出来ないまま時間だけが過ぎていた。
暫くすると、大きな溜息をつきながら和希が戻ってきた。
「お義母さん、何て?」
和希はチラリと遥を見た。少し間が空く。
「……今度の週末、実家に顔出せって。」
遥は何も言わずに部屋の電気を見上げる。頭がズキンと痛んでこめかみを抑える。
「今週末……一人で行けない?」
何も言わない和希に遥は溜息を吐きながら告げた。少し突き放したような物言いをして、遥は顔を伏せた。
「遥も連れてこいって。」
「……そう。」
遥は和希のいる方とは反対側に顔を向けた。時計の秒針が静かな部屋に重たく響く。
「…今日の夜ごはん…どうしようか。」
「何でも良いよ。」
そう言われて、遥は黙って冷蔵庫の中を確認するために立ち上がった。
週末、遥は和希の運転する軽自動車に乗り込み、窓の外を見つめていた。空はどんよりと曇っていて、そっと窓を開ければ冬の冷たい風が吹き込んでくる。
「…寒っ。」
「窓、閉めればいいのに。」
「うん。でも…。」
遥はその先の言葉を言わなかった。生理が終わったばかりの下腹部がズキンと痛んだ。
「……お土産、あれで良かったの?」
和希が用意すると言うから何もしないでいたら当日になってしまった。今日まで和希は忘れていたらしく、遥が慌てて近所のスーパーで詰め合わせの菓子を急いで買ってきたのだ。
「うーん。何でも良いんじゃない?」
「和希がそう言うなら良いんだけどさ。」
和希がくしゃみをした。機械音を立てて先ほど開けた窓が閉まった。サイドミラーに映った遥と目が合う。薄く化粧を施した中に、吊り上げるように引いたアイラインだけが浮いているように見えた。遥は自分の顔をぼーと見詰める。
そのうちに景色が変わってきて、長閑な田園の風景が窓に映る。和希の実家は兼業農家を営んでおり、今は義兄夫婦が跡を継いでいる。
空になった畑の前で車が止まる。奥にビニールハウスも見えた。降りると、田舎独特の植物と動物の匂いが混ざったような、清涼感のある空気が鼻を抜ける。
「あっ、カズくんだ。」
長靴を履いた少女が、和希を見て駆け寄る。
「穂波、元気だったか?」
和希に穂波、と呼ばれた少女ははにかんだ笑みを浮かべて頷く。彼女は義兄夫婦のところの長女で、今はもう中学生になったと聞いている。
穂波が生まれた時には和希は実家を出ていたが、よく懐いている。穂波が小さい頃に実家に帰っては沢山遊んだのだと、和希から聞いていた。
「遥さんも…久し振りです。」
和希には気安い穂波だが、遥には他人行儀だ。
「久し振り。穂波ちゃん、大きくなったね。」
「……この前会った時から身長なんか伸びてないし。」
小声で言われたきつい口調に下を向いた。蟻が一匹、足元をうろついていた。遥は少し顔を顰めて蟻のいない方へと避けた。
「カズくん、夜ご飯一緒に食べようよ~。」
穂波は和希と喋りながら腕を組んで家の中へと入っていく。遥は急いで手土産を掴んで車の鍵を掛けてから追いかける。
「和希、待ってたわよ~。」
追いついた時には、和希は左手を穂波、右手を義母に引かれて家の中へと入っていく所だった。
「お義母さん、お久し振りです。」
「…あら、遥さん。身体は大丈夫?」
溜め息を飲み込んで、遥はお邪魔しますと告げて靴を脱ぐ。
和希の靴と泥の付いた長靴が散らばっているのを見て、ついでにと揃えておいた。
「来いって言ったのは自分のくせに。」
ポツリ呟いた言葉は誰にも届いていない。義実家の面々は久し振りに会う和希に夢中だ。遥の事はおまけなのだろう。末っ子の和希を呼び出す為の口実だったのかもしれない。
「……失礼します。」
「ああ。」
リビングに入った遥に、義父だけが短い返事をした。義兄夫婦の姿は見えなかった。
義母と穂波が和也を囲んでにこやかに会話をしている。持っている紙袋がやけに重く感じた。和希に目線を送るも気が付かない。遥は一歩前に出て、義母に土産を渡した。
「お義母さん、これお土産です。」
おずおずと紙袋ごと差し出すと、義母は会話に夢中で気が付かない。和希がようやく遥が持つ紙袋に気が付いて義母に渡した。
「母さん、これ土産。」
「あら~、気を遣わせて悪かったわね。」
「えー、これ近所のスーパーにもあるよ?」
にこやかに義母が受け取った紙袋の中身を、穂波が不満そうに見詰める。そしてちらりと遥を見た。
「こんなもんでごめんな。」
和希は穂波にさらりと謝ると椅子に座り、隣においでと遥に合図をした。
遥はおずおずと椅子の背もたれに手を掛けようとして…短く息を吸って義母に話し掛ける。
「お義母さん、お茶出すの手伝います。」
「そんなん別に遥はしなくて良いのに。」
和希がスマホをいじりながら言う。
「そうよ。遥さんは座っていて。」
義母にもそう言われ、遥はすみませんと着席する。隣でカチリとライターの音が鳴って、遥の目の前が一瞬、白色に染まる。次いで漂ってくる煙に、遥は顔を伏せた。
「カズくんまだ煙草吸ってるの?」
「親父も兄貴も止めてないだろ。」
「そうだけどさ。」
穂波が仕方ないなと言いながら和希の前に灰皿を置いた。煙が天井にゆっくりと昇ってゆき、広がるようにして消えていく。
気が付けば義父も煙草に火をつけていた。
「もー、けむいって。服に臭い付くじゃん。おばあちゃん、換気扇回して~。」
ぶつくさと文句を言いながら、台所に立つ義母のもとへと向かう。
「ケホッ。」
乾いた咳が遥の口から漏れた。
床からひんやりとした空気が上がってきて、遥の足元を冷やしていく。
「遥さん、身体は大丈夫?」
戻ってきた義母が悪気無いような口調で言う。遥は咄嗟に和希を見たが、当の夫はスマホに目を移しこちらを見ていない。
「はい…すみません。」
「本当に…辛いわよね。お金はいくらでも出すから、貴女は自分の事だけ考えてれば良いからね。」
「すみません…。」
不妊治療はお金が掛かる。治療の為に仕事を辞めた遥は無収入だ。和希の給料だけでは高額な治療費を払うのに不安があり、義実家に援助をしてもらっていた。
「兎に角、栄養のあるものでも食べて早く可愛い孫を抱かせて頂戴。」
「はい…。」
遥は下を向く。小さな蟻が一匹、遥の足元の床を這っているのが見え、遥は足を浮かせる。
「夏香さんは結婚してすぐに穂波を産んだのに、こういうのって個人差があるものなのね。」
夏香とは穂波の母…義兄の嫁のことだ。
彼女は遥とは違い、義実家で上手くやっているらしく、遥は事あるごとに夏香と比べられる。
「穂波も目に入れても痛くないほど可愛いけれど、和希の子どもも可愛いだろうと思うの。本当に楽しみにしているのよ。」
続く義母の言葉に、遥は、はい、はい、と頷くことしか出来ない。
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