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1巻
1-1
プロローグ 異世界へ帰ることになりました
目が覚めると、いつの間にか宇宙空間のようなところに放り出されていた。一面の黒を背景に、光の粒が天の川のように流れ、広がっている。
さっきまで私は普通に寝ていたはず。明日は朝一で講義があるから早く寝なきゃと思って布団に入り、まどろんでいたら次の瞬間にこれだ。混乱する。
「えー、高木瑠海さん。こんにちは」
「……こんにちは」
見渡す限り誰もいなかったはずの空間に、突然青年が現れた。線が細く優しげだが、見かけの年齢のわりに表情と仕草が子どもっぽい印象を受ける。ここは無重力状態なのか、青年と私は向き合いながらもお互い少し違う角度で漂っていて、変な感覚だ。
「どちらさまですか」
「僕は超自然的な存在です。スーパーナチュラルです。神っていうほど偉くも万能でもないですし、現在地球上に存在するどこかの宗派に属するものでもありません。エスとでも呼んでください」
「はあ」
「あれ。いきなり信じてくれます?」
「いえ、あまりに不可思議な状況なので、ひとまず現状を受け止めるところからはじめようかと」
「冷静でありがたいですー」
いや、十分に動揺してるんだけどな、と思いつつ話の続きを聞くことにする。
「今回お呼びしたのはですね、魂が受肉する場所の間違いが発覚したためです。それを今から修正させていただきます」
「間違い?」
「ええ、たまーに、ほんとにたまーにですけど、起きてしまうんですよ。あなたたちの世界で言うところのチェンジリングに近いですかね。わざとではないのですけど」
チェンジリングって、妖精の子どもと人間の子どもが取り替えられてしまうというあれか。
「あなたも、地球ではなにか生きにくさを感じていたのでは?」
「……そうですね」
親にはどことなく変な子だと思われて、ほとんど祖父母に育てられたし、学校でもずっと異質さを感じてきた。そんな心の落ち着かなかった部分について、すとんと納得がいった気がする。
でも、これまでの違和感やつらさが、神様のような存在による魂の入れ間違いのせいなのだとしたら、人生はなんと理不尽なのだろう。
その気持ちが伝わったのか、青年、エスさんが慌てだした。
「あ、言っておきますけど、僕のせいじゃないですよ。僕は魂に関する諸々の修正担当です。受肉担当は別にいます。あいつら、英雄とか創造する時はめっちゃ凝るくせに、こういうミスをよく……、あっ、違います、たまーに、ほんとにたまーにして、僕らに尻拭いさせるんですよー」
「それ、私に愚痴ることじゃないですよね」
思わず尖った声で言って、エスさんを胡乱な目で見やってしまった。しかも、受肉担当とやらがかなり頻度高くミスしているようなのは、ちょっと許しがたい。
「すっ、すみません! 高木さんには大変ご迷惑をおかけして……、あのっ、少しサービスさせていただきますから!」
おっと。そんなつもりじゃなかったのに、なんだかクレーマーみたいになってしまった。というか、そんな対応でいいのか、自称・超自然的存在。
彼は汗を拭うジェスチャーをしながら話を続けた。
「えーとですね、高木さんは、本来別の世界で獣人として生を受けるはずだったのですが、間違って地球で人間になってしまいました。そして、別の世界の別の種族であることに魂が限界を迎え、肉体と乖離してしまったのです」
「獣人……、ファンタジーの世界ですね」
「地球の方からするとそうでしょうね」
「それで、私、死んだんですか?」
「はい。地球上では突然死という扱いになります。ご愁傷様です」
「そ……うですか」
これまでの話で想像はついていたが、実際に言葉にされるとそれ以外なにも返せなかった。
口を噤んだ私に対し、エスさんは仕切り直すように姿勢を正す。
「まずですね、この不始末に対する基本的な賠償として、本来の世界での続きの人生を提供します。身体は獣人のもので、健康に設定してあります。少し若返らせることも可能ですが、最低でも成人していたほうがなにかと便利ですので、高木さんの場合は現在の二十歳から十七歳か十八歳にするくらいが妥当だと思われます。あ、十六歳が本来の世界での成人年齢です」
「はあ」
自分が死んだという衝撃で頭がいっぱいで、生返事をしてしまう。
「次に、えー、あの世界の場合ですと……、『生涯のつがいに出会える保証』をお付けします」
「はい?」
上の空ではいられないフレーズを耳にした気がして聞き返すと、エスさんは満面の笑みのドヤ顔をかました。
「『生涯のつがいに出会える保証』です!」
「なんですかそれは」
「あなたがこれから行く世界の獣人は、つがいを見つけると『この人だ!』とわかるようにできています。しかし、一生のうちにつがいに出会える確率はだいたい一%といったところでしょうか。さらに、晩年に出会って一緒にいられる時間が短いとか、別の人と結婚した後に出会って修羅場になるとか、いろいろと問題も起こりますので、幸福につがえる確率はもっと低いです」
「はあ」
「そんな中、今回お付けする保証は、なんと! 本来の世界に戻ってすぐにつがいに出会えるというものです! しかも、年齢が比較的近く、生殖可能。あなたのサポートができるよう、それなりに生活力もある相手になる予定です。すごいでしょう?」
セールス口調が気になるとか、都合が良すぎではないかとか、いろいろと突っ込みどころがあるが、とりあえずこれだけは言っておかなければならない。
「それって、お互いに無理矢理、恋愛感情が芽生えるってことですか? 好みとか無視ですか? 強制的につがいになって幸せになれるんですか? そもそも、つがうことが最高の幸せって誰が決めたんですか?」
「うっ……、高木さん、手厳しいですね」
おっと、思わずいろいろと言ってしまった。でも聞いておくべきことだと思う。
「えー、まず、無理矢理ではありません。恋に落ちるべくして落ちるというか。もともと世界のどこかにはつがいとなれる可能性のある相手が数人いるはずなので、今回はそのなかでもっとも条件に合った相手のところに転移してもらうという形をとります」
「えっ、つがいって複数いるんですか」
「可能性がある相手は、そうですね。でも、一人目に会ったらもう他には反応しなくなりますし、その潜在的相手にとっても魅力がなくなりますので問題ありません。ごくごく稀に、つがいと死別後に二人目に出会うこともありますが、奇跡のような確率ですね」
「へえ」
「ちなみに、つがいは魂の相性が大変良いので、基本的に側にいるだけでQOLが爆上がりです。結婚とか子孫繁栄とか関係なく、ある程度は幸せになれるはずですよ」
「なるほど」
「ご理解いただけてよかったですー!」
エスさんは嬉しそうに目元に涙を溜め、胸の前で祈るようなポーズをとっている。「今日は残業なしで帰れるかも」と聞こえたのは気のせいだろうか。
「でも、納得はまだできていません。今までの生活をすべて捨てることになるし、もう帰れないわけですよね」
「そこは、はい、申し訳ありません……」
「運命の相手、みたいな人に会えることはありがたいですが、私は獣人ではなく人間なので、本当につがいという感覚に満たされるのか未知数で、不安です」
「それは当然のご懸念で……」
「ていうか、新しい世界でどうやって生きていったらいいのかもわからないし、おじいちゃんおばあちゃんともお別れできなかったし、この気持ちをどうしたら」
目の前にいる相手はミスを犯した当人ではない、八つ当たりだ、とわかっていても、ついそんな言葉が口からこぼれ落ちる。
「あああ、それに、パソコンのデータ消してない! 消してくれませんかね!?」
私はようやく衝撃から回復し、頭が回ってきたのか、いろいろなことを思い出してしまって、ついエスさんに詰め寄った。彼は慌てて手を振り回す。
「そっ、それは無理ですぅー! あっ、そうだ! 追加サービスとして、これから行く世界での、美人の条件をいくつか追加しましょう! 見た目はさほど変わりませんのでご安心を」
「いや、それとこれとは話が別で……」
「じゃ、じゃあ、さらに大サービスで、つがいとの身体の相性も最高にしちゃいましょう! これでさらに確実に相手をノックアウトです!」
「はいぃぃ!?」
エスさんは焦ったように話を締めにかかる。
「いやぁ、いい仕事しました! これで万事オーケー、とっても安心です。これから新しい、いえ、本来の世界にお送りしますが、頑張って幸せになってくださいね!」
「ちょ、ちょっと待ってください、聞きたいことがまた増え……」
「では転送しまーす!」
私の意識はここで途切れた。最後に、「困ったことがあったら、社で真剣に祈ってみてくださーい。暇な時なら対応しまーす」と聞こえた気がする。
そして次に目が覚めたら、草むらでした。
第一章 うさぎ生がはじまりました
草と土の香りが鼻先をくすぐる。目を開けると、周囲に背の高い草が生えていて、先が見通せない。ひとまず起き上がったが、それでも草は私の目線よりも随分高いし、なんだか周りがぼやけて見える。それに奇妙に地面が近くないだろうか。ほら、こうしてすぐ地面に顔が……
(ぎゃーっ!!)
叫んだつもりが、声が出なかった。代わりに、すごい勢いで身体が勝手にジャンプした。正直、自分の目線の倍以上飛んだんじゃないかと思う。
(なにこれ、なにこれ、おっきなアリがいる!)
いや、待て。さすがになにかがおかしい。低い目線、大きなアリ、並外れたジャンプ力……
じっと手を見る。
うん、動物の前脚でした。身体を捻って胴体に目をやると、つやつやの黒い毛並みと、前脚に比べて大きな後ろ脚、そしてしっぽが見えた。これ、たぶんうさぎだね。私、黒うさぎになってるね。
(うさぎーーー!?)
またしても声は出なかった。うさぎだから仕方ない。うん、仕方ない。全部納得。私の身体が小さいからアリが大きく見えてるだけだし、若干視界がぼやけてるのも、うさぎの視力が低いからだね。その分、ものすごく視野が広い。
……って、私は獣人じゃなかったのか。これではまんま獣だ。
ただ、種族がうさぎということについては納得した。私はうさぎが大好きで、うさぎのもふもふの集団の中に入って一緒にひっついて眠りたいといつも思っていた。肉より野菜のほうが好きだし、肉食動物のことはちょっと怖い。食べられてしまいそうな気がするのだ。
そしてなにより、うさぎの表情がわかりにくいところに共感する。私は昔から、心の中は大騒ぎでも、それが顔に出ないのだ。考えていることはしっかり口に出すから、無表情で淡々としゃべる変な奴と言われたこともあったけれど。
そんな諸々から、本当は獣人だったと言われて腑に落ちた面はあったし、きっと自分は草食動物の獣人だろうと思っていた。当たりだった。
(でもこれはないわー)
異世界の草原で、獣として生きる知識も経験もない草食動物がぽつり一匹。
死ぬ。簡単に死んでしまう。
それとも、どうにか頑張ると人型になれるのだろうか。
ひとまず身体を動かしてみると、驚くほどすんなりと思う通りの動作ができる。記憶にあるうさぎの仕草は全部できた。そして、お腹を覗いて気づいた。私メスだ。なんとなくよかった。いきなりうさぎになって、しかもオスだったら、いろいろ持て余す気がする。
それにしても、自分の肛門をまじまじと見る機会なんてはじめてだ。うさぎ、柔軟。
そんなことを考えながら、ついつい耳や顔をくしくしと毛づくろいしては前脚をペロペロしてしまう。
(はっ! うさぎっぽいぞ、私!)
この調子ならば、うさぎとしてしばらくやっていけるかもしれない。
でも、まずは周辺確認が必要だ。探索には勇気がいるが、危険の有無を確認しないといけない。水場も探したい。うさぎは野菜や果物なんかを食べていればさほど水はいらないと聞いたことがあるし、周りには瑞々しい植物が生い茂っているけれど、人間の記憶を持つ私としては、やはり水は必須のように思える。
私の長く伸びた耳や、きゅっとY字になっているはずの鼻はちゃんと利くだろうか。安全な水や食べ物、敵の接近なんかがわかるだろうか。
不安に思いながらも恐る恐る歩きだすと、意外にもすぐに大きな布の袋に行き当たった。
(おお、これは明らかに人間の持ちもの!)
一瞬喜んでその周りを駆け回ってしまったが、はたと気づく。
(この世界……、人間にとってうさぎはいい食料なのでは……)
嫌だ。人間であれ獣人であれ、捕まるのは怖すぎる。獣も怖いが知性ある生き物も怖い。
でも、少なくとも今、人の気配は感じないので、とりあえず袋に首を突っ込んでみる。
(お、携帯食料っぽい……、ショートブレッドみたいなのと、干し肉? あとは着替えに、こっちは金貨と銀貨か。ナイフもある)
ごそごそ探っていると、ぺらりと紙が出てきた。日本語で文章が書かれている。
『異世界初心者セットです。活用してください』
(エ、エスさんめー! これ、人型用でしょ! 私には使えないでしょ! 肉も食べられないし!)
一瞬憤ってふと気づく。
やはり私は獣ではなく、人型の獣人になるはずだったのではないだろうか。人型向けの親切設計だとすれば、水場なんかも近くに……。少し進むと、予想通り綺麗な小川があった。ほどよく大きな木もあって、果実が実っている。雨宿りもできて食べ物も採れる。至れり尽くせりである。
(人型ならね!)
これはもう、間違って獣型になったとしか思えない。そして、人型にとっては安全な場所に降ろしてくれたのかもしれないけれど、小型草食動物にとって安全かは不明。用意してもらった初心者セットも使えない。どうやったら人型になれるのかもわからない。社がどこにあるのかも知らない。
(ほんとにもう……、どうしよう)
この状態では、つがい(予定)と出会ってもお互いにわからないだろう。というか、どうやったらわかるのかも聞いてない。ついでに、つがい(予定)が好みかどうかも聞きそびれた。
(詰んだ。私のうさぎ生、終わった。短い異世界生活でした……)
なんだか妙に諦めの境地になって、ころりと地面に横たわる。とりあえずは水で喉を潤すこともできたし、緊張しまくって疲れたのだ。うさぎの身体は小さく繊細で、疲れやすい。
陽光も暖かく、私は川辺でうとうとしはじめてしまった。
◆◆◆
今回は苦労ばかり多く得るものの少ない、嫌な仕事だった。近年、緊張関係が進みつつある隣国に出向いての情報集め。現場に出る仕事が減って、軍本部での情報解析が増えてきていた中、内容としては俺が直接行くほどのものではなかったが、俺の貴族としての肩書が必要だったため仕方がなかった。それに、希少で力ある狼獣人は、どこの国でもなにかと権力者の受けがいい。そういう風習は嫌いだが、仕事上有利になるならばそれを利用するのは当然だ。
とはいえ、おもしろみもなく、ストレスが溜まるばかりの滞在だったから、帰りにこうして少し寄り道をして一人の時間を作った。ついでに魔物でも狩って憂さを晴らそうと思ったのだが、目ぼしい獲物とは遭遇することなく、すんなり危険地帯を抜けてしまった。拍子抜けだ。
眼の前に広がるのは、麗らかな日差しが降り注ぐ平和な草原。こんなところで日がな一日昼寝でもしたいものだが、この平和を守るためにはいろいろとやらねばならないこともある。それが軍人であり貴族でもある俺の義務で誇りなのだ。
まずは日が暮れるまでに次の街に入り、先行している腹心と合流しなくては。寄り道というわがままを言った分、それなりに働く必要があるだろう。
俺はこの場に似つかわしくない重い溜息を吐いて、小川沿いを進んだ。
小川の近くに、誰かの荷物が置かれている。しかし、周りを見回しても人影はどこにもない。血の匂いもしないし、なにかに襲われたとは考えづらい。
どうしたものか、と思ったが、それよりも気にかかることができてしまった。人や血の匂いを嗅ぎ分けようと集中したら、とても芳しい香りがあたりに漂っていたのだ。
(なんだこの香りは)
居ても立ってもいられないような、それなのに落ち着くような、不思議な香り。いつまでも嗅いでいたくなり、さらに鼻に意識を集中させた。どうやら荷物のあたりから漂ってくるらしい。
(荷物の持ち主の香りか?)
いつになく胸を高鳴らせながら、荷物に近づいていく。確かに香りは濃くなったが、発生源はさらにその先の、小川の側にあった。
「うさぎ?」
すやすやと気持ちよさそうに眠る黒いうさぎ。野性をどこにやった、と言いたくなるくらい無防備に転がり腹を晒している。毛艶がよく、光を反射して毛の先がきらきらと輝いていた。足の先と腹だけは毛の色が白く、しかもほとんど汚れていない。
「か、可愛い……」
思わず呟いて、自分にもそんな感性があったのかと驚く。さらに、すぐにでも抱き締めてしまいたいという気持ちが心の奥底から湧いてきて、手を変な具合に握ったり開いたりしてしまった。
そして、その野良うさぎにしては違和感のある小綺麗な様子からふと気づく。
(もしかして、うさぎ獣人なのか?)
それならなぜ獣型でこんなところにいるのだろうか。普通の獣人、とりわけ小型の草食動物が獣型で外をうろつくことなど考えられない。そもそも裸であるわけだし、人と獣を問わず襲われやすく、危険極まりないからだ。いくら平和な草原とはいえ、こんな小さなうさぎの姿でいるなんて、不用心すぎる。
それにしても、近づくほどに増すいい香りはなんなのだ。成人した獣人ならば誰もが持つフェロモンの匂いもするようだが、発情した時の強い匂いとは違うようだし、そもそもそれでは説明できないほどの魅力を感じる。思わずふらふらと黒うさぎの横に膝をつき、顔を近づけた。
と、その瞬間、黒うさぎが目を覚まし、身を起こすと変な方向にジャンプした。そして、俺の視線に縫い留められたようにそのまま固まる。わずかに震えながらも身動きが取れずにいるその様に、肉食獣の獣人らしく嗜虐心をくすぐられながらも、大事に大事に傷つけないようにしまい込みたい気持ちにもなる。
「怖がらせてしまったか」
はじめての感覚に対する動揺を押し殺して、落ち着かせるようにゆっくり言っても、黒うさぎの硬直は解けなかった。
「君は、うさぎ獣人だな?」
それでも動かない。言葉が理解できないのだろうか。
(うさぎは表情がわかりにくくて困る。俺は早く仲良くなって、その柔らかそうな毛に顔を埋めて胸いっぱい匂いを嗅ぎたいのだが……。いや、なにを考えているんだ、俺!)
ともかく、絶対にこのうさぎを逃してはいけないということだけはわかっていた。そんなことになったら、俺は絶対に後悔する。もし逃げられたら、即座に自分も獣型になって追いかけよう。
その決意が伝わってしまったのか、黒うさぎの震えがひどくなって、ついには腰が抜けてしまったようだ。腰からへたりこんで立ち上がれなくなっている。
「すまない。怖がらせるつもりはなかったんだ。話がしたいから人型になってくれないか。服を着るまで背を向けているから」
そう言うと、うさぎから途方に暮れたような気配が伝わってきた。少なくとも言葉は通じているように思う。だが、人型になる気はないらしい。まあ、突然現れた厳つい男を信じられないのは当然だ。とはいえ、うさぎでいるほうがずっと無防備に思えるが。それにそのまま獣型でいるならば、荷物をどうするつもりなのだろうか。このままでは街に着く前に日が暮れてしまう。
不審者ならば捕縛する必要がある。一瞬、俺に差し向けられた隣国のスパイあるいは暗殺者なのでは、という考えが頭を過ったが、ありえないと考え直す。獣型でこんなところにいるのはデメリットが大きすぎるし、俺の今回の寄り道は唐突に決めた上、ルートは直感で選んでいるから先回りは不可能だ。
(ならば訳ありの迷子か? ふむ。迷子を保護するのも軍人の職務のうちだ)
そう自分に言い聞かせると、うさぎに言った。
「この荷物は君のものか?」
ようやくうさぎは頷いた。
「俺と一緒に街まで行こう。どうだ?」
しばらく迷ったようだったが、うさぎはもう一度頷いた。
ゆっくりと、脅かさないように手を伸ばす。うさぎは一瞬身を固めたが、頭を撫でると気持ちよさそうに力を緩めた。その隙に身体ごと持ち上げて、胸に寄りかからせて片腕で支える。
手触りは恐ろしく柔らかく、小動物らしい体温の高さと鼓動の速さが伝わってくる。ついでに気づかれないよう少しだけ鼻を近づけて匂いを嗅ぐと、やはり極上の香りがした。
そしてなぜか、下半身に血が集まってくる。
(これは危険だ……)
慌てて鼻を離すと、置いてあった荷物を拾い上げて歩きだした。すると、いかんともしがたく抱えたうさぎの香りが上がってくる。宿に着くまでずっと、こんな至近距離でこの香りに悩まされるのは困る、と気づいた時にはうさぎは俺の腕の中ですやすやと眠っていて、俺は新人時代に覚えさせられた軍人の心得をひたすら頭の中で唱えながら黙々と早歩きをするしかなかった。
街に入る少し前に、うさぎが目を覚ました。もそもそと動いて、俺の肩越しに周りを見ようとする。
「目が覚めたか。悪いがしばらくこの中でじっとしていてくれ」
うさぎを抱えて歩く姿は、正直怪しい。仕方なく、荷物からマントを取り出してうさぎを包むことにした。不思議そうに首を傾げながらも、大人しく俺のマントに包まれるうさぎはとても小さく、守ってやらねばという気持ちが沸き起こる。うさぎはしばらくもぞもぞと動いていたが、落ち着く姿勢を見つけたようで動かなくなった。
街の中、人の密度が高くなると、すぐ側を通る若い男どもが鼻をひくつかせてなにかを探す素振りを見せるようになった。
(俺だけではなかったか。やはりこの匂いは目立つ)
呼吸のために開けている隙間から、うさぎの芳しい香りが漏れてしまうらしい。
(ただのフェロモンではないと思ったのだが、やはりフェロモンなのか?)
ともかく落ち着いて話せるところで二人きりになりたかった。
「いらっしゃいませ、サー・ベックラー・ケルンハルト。ご宿泊のご予約をハロン・シュペール様より承っております」
この街に来る時は必ず使う宿に入ると、すぐに支配人がやってきた。腹心が手配しておいてくれた部屋に、そそくさと向かう。さすが高級宿の支配人、俺が抱えている不審なものにも、匂いにも、一切反応せずに案内してくれた。
部屋に着いて人の気配が去ると、うさぎをマントから出してベッドの上にそっと下ろした。周囲を見回して、感謝するように頭を下げてくる。
「くっ……、やはりこの香りは……」
マントにこもっていた濃い匂いが解放され、部屋に充満する。本能を直撃する刺激に、思わずベッドサイドに跪いて悶えてしまった。
うさぎは不思議そうにそれを眺めると、自分の体のそこここに鼻を突っ込んでは匂いを嗅いで、毛づくろいをしていく。可愛い。可愛くて愛しくて、すぐにでも抱き締めて撫で回したい衝動に駆られる。ついでに、下半身の欲求が堪えようもないくらいに高まって、この香りが充満する部屋から逃げることにした。
(敵前逃亡……、ではない。これは戦略的撤退だ)
「すまん、風呂に入ってくる」
そう言い残して、早足で部屋の奥のバスルームに向かった。
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