煙草屋さんと小説家

男鹿七海

文字の大きさ
6 / 51
第六章

言葉の重さと手のぬくもり

しおりを挟む
 夜の湿った風が商店街を抜けていき、ネオンの明かりをふっと揺らした。
 一階の煙草屋の前で、霧弥は珍しくただ突っ立っていた。

 ――「霧弥が誰かと付き合うとか考えたくねぇ」

 龍二のあの言葉が、ずっと胸の底に残ったままだ。

 今さら効いてきた。
 昔みたいに冗談で受け流すこともできなくなっている。

「霧弥、外寒いって」

 背後から龍二が顔をのぞかせた。
 売れっ子作家になって忙しいはずなのに、霧弥のこととなると妙に目ざとい。

「別に寒くねぇよ」

「ため息三回ついた」

「数えんな」

 龍二がくすっと笑って、隣に並ぶ。「……俺、なんか言いすぎた?」

 霧弥は煙草に火をつけたまま答えられなかった。
 刺さったのは事実で、それを認めるのが照れくさかった。

 龍二は少しためらうみたいに視線を落とした。「怒ってるわけじゃないならいいんだけどさ……霧弥が遠くなるのは嫌なんだよ」

 その一言に、霧弥の心臓が跳ねた。

 本当は、遠ざかっていたのは自分の方だ。
 距離を縮めれば、誤魔化してきた気持ちが露わになる気がして。

「……遠くなんかねぇよ」

 そう言った瞬間、龍二はほっとしたように笑った。

「なら、よかった」



 1 

 店を閉めたあと、龍二がふいに言った。

「今日、俺が飯作っていい?」

 霧弥は目を丸くする。

「お前が?」

「作家が料理できねぇと思ってんのか? ……いや、できねぇんだけど」

「自分で言うなよ」

「霧弥に食わせてみてぇんだよ」

 本気の声で言われると、断る理由がなくなる。

「……じゃあ簡単なのにしろ。焼きそば」

 龍二は借りたエプロンをきゅっと結び、やる気だけは一丁前に包丁を握った。
 だが、すぐさま霧弥の手が後ろから伸びる。「持ち方違ぇよ。指いくって」

「えっ……? あ、こ、こう?」

「違う。ほら」

 霧弥が手を添えた途端、龍二が動きを止めた。

「……霧弥の手、あったけぇな」

 霧弥は慌てて手を離す。

「料理集中しろっつの」

「う、うん……」

 龍二は真剣な顔でキャベツを切りはじめた。
 けれどその横顔を見るだけで、霧弥の胸の鼓動はやけにうるさい。

 ――近すぎなんだよ、距離が。



 2 

「できた!」

 龍二が得意げに焼きそばを差し出す。
 霧弥は半信半疑で一口すする。

「……っ」

「まずい?」

「いや……普通にうめぇ。ちゃんとできてんじゃん」

 龍二は肩の力を抜いて、大きく安堵した。

「よかったぁ……売れてても料理には自信ねぇからさ……」

「売れてるって言いたいだけだろ」

「違ぇよ。霧弥に褒められたいんだよ、俺は」

 その一言が、胸にずしっと落ちる。

 霧弥は返す言葉をなくし、箸を止めた。



 3

 夕飯のあと、龍二は原稿に戻った。
 人気作家らしい集中力だけど、どこか霧弥の気配を意識しているのが分かる。

 霧弥がカウンターでコーヒーを淹れていると、龍二がちらりと顔を上げた。

 「……なんだよ」

 「見んなよ。霧弥に見られてると筆が迷う」

 「売れっ子のくせに繊細だな」

 龍二はむっと唇を尖らせた。

 「売れてても関係ねぇよ。霧弥の前じゃ、ちゃんとしたいんだよ」

 その言い方がずるい。
 霧弥は胸をつかまれたように息が詰まる。

「だから……そういうの言うなって」

「恥ずかしい?」

「当たり前だ」

 龍二は目を細めて微笑む。

 「……じゃあもっと言う」

 「黙って仕事しろ」

 「はいはい。霧弥が怒ると怖いからな」

 言いながらも、龍二の指はキーボードの上を軽やかに走った。
 売れてる理由が分かる――と、霧弥は内心で呟く。



 4 

 翌朝。
 店を開けると同時に、八百屋の婆ちゃんが大声で叫んだ。

「霧弥!龍二のサイン会、ニュースで見たよ!」

「婆ちゃん声でけぇ!」

 奥から龍二が慌てて出てくる。

「え、出てたの?」

「当たり前だろ人気作家! それより昨日料理してたって? 夫婦かい!」

「夫婦じゃねぇ!」

 霧弥は真っ赤。
 龍二も耳まで赤くし、小声でぼそり。

「……仲良しではあるけど、な」

 否定できなかった。
 昨日の距離の近さを思えば、否定する方が難しい。



 5 

 昼過ぎ、原稿に向かっていた龍二が、ふいに顔を上げた。

「霧弥。話ある」

 霧弥は煙草を置き、向き直る。

「……なんだよ」

 龍二の目は、まっすぐだった。

「霧弥……いつかでいい。俺のこと、ちゃんと見てくれよ」

「見てるよ」

「幼馴染とか、店に入り浸ってる作家とか、そういうんじゃなくてさ」

 霧弥の喉がつまる。

「霧弥にとって俺が何なのか……考えてほしい」

 逃げ場のない、優しい声だった。

 しばらく黙ったあと、霧弥はか細い声で言った。

「……分かったよ」

 龍二はふっと表情を緩める。

「返事は今じゃなくていいからな」

 霧弥はうなずいた。

 胸の奥でずっと曖昧にしてきたものが、ようやく形になり始めている。

 龍二が料理してくれたことが嬉しかった自分。
 距離が近いと逃げたくなるくせに、離れられると急に不安になる自分。
 龍二の笑顔を守りたくなる自分。

 ――たぶん、それ全部、恋ってやつなんだろ。

「……龍二」

「ん?」

「……ありがとな」

「何が?」

「……待ってくれて」

 龍二は一瞬だけ驚き、それからゆっくり微笑んだ。

「待つよ。霧弥のことなら、いくらでも」

 霧弥の耳は真っ赤だった。

 煙草の煙がゆるく昇っていく。
 もう、誤魔化せる気がしなかった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

うちの幼馴染がデレすぎてて俺の理性はもう限界。でも毎日が最高に甘いからもうどうでもいいや

静内燕
恋愛
相沢悠太の日常は、規格外の美少女である幼馴染、白石葵によって完全に支配されている。 朝のモーニングコール(ベッドへのダイブ付き)から始まり、登校中の腕組み、そして「あーん」が義務付けられた手作り弁当。誰もが羨むラブラブっぷりだが、悠太はこれを「家族愛」だと頑なに誤解(無視)している。 「ゆーたは私の運命の相手なんだもん!」と、葵のデレデレは今日も過剰の一途。周囲の冷やかしや、葵を狙う男子生徒のプレッシャーが高まる中、悠太の**「幼馴染フィルター」**はついに限界を迎える。 この溺愛っぷり、いつまで「家族」で通せるのか? 甘すぎる日常が、悠太の鈍感な理性を溶かし尽くす――最初からクライマックスの、超高濃度イチャイチャ・ラブコメ、開幕!

隣人はクールな同期でした。

氷萌
恋愛
それなりに有名な出版会社に入社して早6年。 30歳を前にして 未婚で恋人もいないけれど。 マンションの隣に住む同期の男と 酒を酌み交わす日々。 心許すアイツとは ”同期以上、恋人未満―――” 1度は愛した元カレと再会し心を搔き乱され 恋敵の幼馴染には刃を向けられる。 広報部所属 ●七星 セツナ●-Setuna Nanase-(29歳) 編集部所属 副編集長 ●煌月 ジン●-Jin Kouduki-(29歳) 本当に好きな人は…誰? 己の気持ちに向き合う最後の恋。 “ただの恋愛物語”ってだけじゃない 命と、人との 向き合うという事。 現実に、なさそうな だけどちょっとあり得るかもしれない 複雑に絡み合う人間模様を描いた 等身大のラブストーリー。

【完】ベッドの隣は、昨日と違う人

月村 未来(つきむら みらい)
恋愛
朝目覚めたら、 隣に恋人じゃない男がいる── そして、甘く囁いてきた夜とは、違う男になる。 こんな朝、何回目なんだろう。 瞬間でも優しくされると、 「大切にされてる」と勘違いしてしまう。 都合のいい関係だとわかっていても、 期待されると断れない。 これは、流されてしまう自分と、 ちゃんと立ち止まろうとする自分のあいだで揺れる、ひとりの女の子、みいな(25)の恋の話。 📖全年齢版恋愛小説です。 しおり、いいね、お気に入り登録もよろしくお願いします。 📖2026.2.25完結 本作の0章にあたるエピソードをNOTEにて公開しています。 気になった方はぜひそちらもどうぞ!

イケメン警視、アルバイトで雇った恋人役を溺愛する。

楠ノ木雫
恋愛
 蒸発した母の借金を擦り付けられた主人公瑠奈は、お見合い代行のアルバイトを受けた。だが、そのお見合い相手、矢野湊に借金の事を見破られ3ヶ月間恋人役を務めるアルバイトを提案された。瑠奈はその報酬に飛びついたが……

【完結】曖昧な距離で愛している

山田森湖
恋愛
結婚4年目のアラサー夫婦、拓海と美咲。仲は悪くないが、ときめきは薄れ、日常は「作業」になっていた。夫には可愛い後輩が現れ、妻は昔の恋人と再会する。揺れる心、すれ違う想い。「恋人に戻りたい」――そう願った二人が辿り着いた答えは、意外なものだった。曖昧で、程よい距離。それが、私たちの愛の形。

叱られた冷淡御曹司は甘々御曹司へと成長する

花里 美佐
恋愛
冷淡財閥御曹司VS失業中の華道家 結婚に興味のない財閥御曹司は見合いを断り続けてきた。ある日、祖母の師匠である華道家の孫娘を紹介された。面と向かって彼の失礼な態度を指摘した彼女に興味を抱いた彼は、自分の財閥で花を活ける仕事を紹介する。 愛を知った財閥御曹司は彼女のために冷淡さをかなぐり捨て、甘く変貌していく。

貧乏大家族の私が御曹司と偽装結婚⁈

玖羽 望月
恋愛
朝木 与織子(あさぎ よりこ) 22歳 大学を卒業し、やっと憧れの都会での生活が始まった!と思いきや、突然降って湧いたお見合い話。 でも、これはただのお見合いではないらしい。 初出はエブリスタ様にて。 また番外編を追加する予定です。 シリーズ作品「恋をするのに理由はいらない」公開中です。 表紙は、「かんたん表紙メーカー」様https://sscard.monokakitools.net/covermaker.htmlで作成しました。

大嫌い!って100回言ったら、死ぬほど好きに変わりそうな気持ちに気付いてよ…。

菊池まりな
恋愛
25歳の朱里は、同じ部署の先輩・嵩にずっと片想いをしていた。けれども不器用な朱里は、素直に「好き」と言えず、口から出るのはいつも「大嫌い」。彼女のツンデレな態度に最初は笑って受け流していた嵩も、次第に本気で嫌われていると思い込み、距離を置き始める。 そんな中、後輩の瑠奈が嵩に好意を寄せ、オープンに想いを伝えていく。朱里は心の奥で「私は本当は死ぬほど好きなのに」と叫びながらも、意地とプライドが邪魔をして一歩踏み出せない。 しかし、嵩の転勤が決まり、別れが迫ったとき、朱里はついに「大嫌い」と100回も繰り返した心の裏にある“本音”を告白する決意をする――。

処理中です...